求婚
大学入学後は、お互い忙しかった。勉強とサークルとアルバイトで、月日は目まぐるしく過ぎていった。それでも毎日電話で近況を報告し合い、少しの時間を作っては二人で会って話をした。
大学四年の春、将太に内定通知書が届いた。その日は奈央と近所のレストランでお祝いの食事をした。奈央の方はまだ先になりそうだった。お互い決定したら真っ先に伝えるという約束だ。それからの残りの大学生活を、将太はアルバイト、奈央は内定を待ちながら卒論に勤しんだ。
そして残暑に打ちひしがれながら、秋を心待ちにしていた奈央のもとに、ついに内定通知が届いた。奈央は一人、部屋で飛び跳ねて喜んだ。第一希望だった就職先からの内定ということもあったが、それよりも何よりも、これからの未来に胸が躍った。今まで高校、大学受験と、なんとかその壁を乗り越えてきた。そしてようやく目の前には、空と地平線だけの拓けた大草原が広がり、これからはその何もない空間に、自分たちの何かを造り描いていく。そんな景色が奈央の目に映っていた。自分たち。もちろん自分と将太との未来だ。これからもいろんな障壁に阻まれるのだろう。いやむしろ学生だったころより、社会人になってからの方が厳しいに違いない。それでも将太と一緒なら、泣いても転んでも、前に進めるような気がした。ただただ、将太と一緒に、同じ方を向いて歩いていける。それが何より嬉しかった。
待ち合わせ場所は、二人でよく落ち合うカフェにした。観葉植物多めで落ち着いた雰囲気のその店が、二人はとても気に入っていた。テラスでも食べられるが、さすがの暑さに店内を利用する人がほとんどだ。用件を伝えずに呼び出したせいか、少しこわばった顔の将太を、入ってすぐに見つけた。
「内定したんだよな?」将太が聞いてきた。奈央は顔色を変えず、将太を直視してみた。
「なんなんだよ、…趣味わりーぞ。」将太が苦しそうな顔をするのをみて、奈央は満足した?のか、今日届いた内定通知書を黙って将太に手渡した。将太は目を大きく開いて、キラキラさせながら、自分のことのように喜んだ。
「やったな!お前のことだから心配いらないと思ってたけど、結果が出るまでは落ち着かないもんだな。今度の土曜日、例のところでお祝いだな。」
「ねぇ将太、お祝い、今夜でもいい?」
「?いいけど、予約してないぞ?」
「いつか入ってみたいね、って言ってた四つ角の雰囲気のいいお店、今日行ってみない?早めに行ったら、予約なしでも行けるんじゃないかな?」奈央の目はもう大冒険前のようなキラキラだ。こうなると将太はかなわない。返事をする代わりに、とびきり優しい顔で微笑んだ。
あちらこちらに寄り道したあと少し早めの到着で、奈央の予想通りすんなり入店できた。格式張らないがカジュアル過ぎない、ちょうどいい感じのレストランだった。内定祝いということで、ちょっと奮発してアルコール付きのコース料理だ。一品一品舌鼓を打ちながら、二人で何気ない会話を楽しむ。会話がないときもあるが、なんてことはない。二人ともこんな時間をとても気に入っている。
デザートも終わり、奈央が食べ過ぎたとお腹をさすっていると、将太が両手のひらを合わせて、テーブルの上に出してきた。手の中にはあきらかに何かが入っている膨れ具合だ。
「何?何か入ってるの⁉」少しワインを飲んでご機嫌な奈央が、無邪気に将太の膨れた手の甲を、自分の両手で覆った。将太は、真剣なようで照れているような、緊張しているようで嬉しいような、複雑な顔をしていた。そして意を決したようにグッと手に力を入れた。奈央はあわてて自分の両手を離した。将太がそっと両手を開いた。中からネイビーのリングケースが出てきた。奈央の目はわずかに大きくなって動きを止めた。将太はそんな奈央の様子を見ながら、ゆっくりとベルベットの箱を開けた。箱の中央に、六つの爪とプラチナのアームに支えられた、一粒ダイヤの指輪があった。
「俺と結婚して欲しい。」奈央の目をまっすぐに見つめて、将太が言った。
その奈央の目からは、大粒の涙がポロポロ落ちて止まらない。
将太はひときわ甘い顔で、奈央の左手薬指に指輪をはめた。そしてハンカチで涙をぬぐってやった。
「返事してから……っ、はめるもんじゃない…の?」泣きながら、ようやく奈央の口から出たのはその一言。将太がフッと笑う。
「その涙は嬉し涙じゃないのか?」
「う…嬉し涙だよ…。」
「じゃあ順番はどっちでもいいだろ?…返事は?」
「うん、いいよ……将太のお嫁さんになってあげる!」
外はもう夜のとばりが下りていた。
『この日、この時を、一生忘れることはできないだろう。』奈央は深く思った。




