過去からの予防線
昨夜の件で、ラーナには知らなければならないことがもうひとつあった。
「あのダナンという青年は、どうなったの?」
「彼は森を抜けることなく、命を落としました。」カイリの言葉に、ラーナはドクンと胸が鳴った。
「彼の足に…矢があたっただけよね?……」小刻みに震えるラーナの手を見て、カイリは首を横に振った。
「彼に当たった矢は、毒矢です。」
「!?」ラーナは真っ青になったが、カイリは淡々と続けた。
「ラーナ様にとってはショックな出来事かと思いますが、あのようなことは、村ではたびたび起こっているのです。そしておそらくスパイとして送り込まれた者のほとんどが、あの森で命を落としております。我々の力を見くびったことへの、そして聖女様に対する浅はかな考えへの、報いです。」
ラーナの頭の中に、昨日の青年が言った言葉が、ぐるぐると渦巻いていた。
聖女のために、家族と引き離され、捨て駒にされて……
『私のせいで彼の命が……』ラーナの呼吸が荒くなってきているのを見て、カイリは用意していたお茶を出した。薬草茶ではなく、ハーブティーだった。
「飲んで下さい。」その言葉に促されて、ラーナはカップをカチカチと鳴らせながら、お茶を飲んだ。香りと温かさで幾分気分が落ち着いた気がした。
「これが最善の道なのです。あのまま青年を逃していたら、どうなると思いますか?祖国に聖女の存在を報告し、何者かがグリナリア王国に送られてくるでしょう。そうなれば事は、あなたが誘拐されることのみに留まりません。王宮にあなたの存在が知られます。その後は国の混乱、最悪の場合、戦争を招くでしょう。」
カイリの言葉に、ラーナは背筋が凍り付いた。
『私の力で…戦争?……』
カイリが追加のお茶を注いでくれたが、震えてうまく飲めない。
「聖女リーシャの時代には、彼女が犠牲にされることで、そこまでは起こらなかったというだけです。彼女が生きていたら……そう考えてみて下さい。それがまさに今、ラーナ様が体現されていることなのです。」
心臓の音が体中に響いていた。
確かに昨日の出来事は、戦争一歩手前の事件だった。聖女ということを除いても、一国の時次期皇太子妃が隣国に誘拐されるのだ。グリナリア王国にとっても見過ごすことのできない事態だっただろう。
『レイルに知られたら、とんでもないことになるわね…。』
そういった事象をカイリたちが、人知れず大事にならないよう対処してくれていたということなのだ。
『第二王子は、こんな果てしない先の未来のことに、力を注いでくれたのね…。そしてその血を受け継いだカイリが、私を守ってくれた。』
ラーナは深く息を吸って、呼吸を整えた。
『第二王子の、ルオナ村の人々の思いを、無駄にすることはできない。くよくよしている暇はないわ。』
ラーナは両手でカイリの右手を握りしめて言った。
「カイリ、守ってくれてありがとう。そしてこれからもよろしくね。」そう微笑むラーナに一瞬目を奪われたカイリは、少し顔を赤らめて、うつむいて言った。
「もちろんです。ただこれからは、王宮に戻っても気が抜けません。リサーマス国は、ダナンが戻ってこないことに不審を抱き始めるでしょう。そしてまたスパイを送り込むはずです。それがルオナ村に留まれば良いのですが、万が一にも、王宮に目を向けるかもしれません。くれぐれも、油断されぬことのないようお気をつけください。」
ラーナに緊張が走った。




