油断と脅迫
目覚めた場所は、自宅だった。見慣れたカーテンに見慣れた調度品、あのときと同様に自分のベッドに寝かされていた。王宮で倒れて自宅に運ばれるのは、これで二回目だ。窓の外は灰色の空が広がっていた。今にも雨が降り出しそうな…まるで今のラーナの心の中のようだった。
衣擦れの音のせいか、そばにいたテスとハンナが急いで駆け寄ってきた。
「お嬢様、気が付かれましたか!?」
「お体の具合はいかがですか!?」水を飲むか、空腹ではないか、痛むところはないかなど…二人で交互に聞いてきた。どうやらまた心配をかけたようだ。その後、母と兄がやって来た。父はすでに仕事に出かけていた。
母とフィルは神妙な面持ちだった。話によると、馬車を使い、カイリがラーナを送り届けたそうだ。カイリは『自分がナイフでケガをし、慌てふためくラーナが懸命に止血してくれていたが、何分出血の量が多かったため、ラーナがそれを見て気を失ったのであろう。』との説明だったらしい。
『あのときの状況から考えて、その説明が一番妥当だ。カイリの治癒に力を使ったせいもあるだろうが、通常あの程度で倒れることはなくなったはずだ。初めて他人に力を見られてしまったこと、そして同時にカイリに脅迫されたこと。このふたつの動揺の方が大きかったからだろう。』ラーナは深いため息をついた。
「ラーナ…もしかして、カイリに力を使ったのか?」フィルが不安気な顔をしている。
『カイリは、私が力を使ったことを黙っていたのね。この件で家族まで脅す必要はないということか…。金銭的な要求もしていないということは、目的は私の力のみ、…か。カイリが家族に本当のことを話さなかったことは、こっちとしても都合がいい。』ラーナは、
「心配かけてごめんなさい。力は使ってないの。ただカイリの大量の血を見て、こっちの血の気が引いたみたい。」と少し笑ってみせた。
「そうなのね。カイリの様子はいつも通りだったから、おそらく大丈夫だろうとは思ってたんだけど、やっぱり気になってしまって…。」母がホッとしたように言った。
「父上もかなり心配されていたぞ。」フィルが付け足した。
甘さと、油断が、自分の中にできていたのかも知れない。王宮の生活に慣れて、誰もいないところであれば、二人きりであれば、相手が見ていなければ……そんな心の中にできた隙を、カイリが見逃さなかったということだ。ラーナは唇を噛んだ。
『……このことを決して家族に知られるわけにはいかない。もうこれ以上、私のことで、私の力のことで、心配をかけるわけにはいかないんだ。』
その日の午後、カイリが見舞いに来た。広間に通し、フィルが同席してくれた。フィルに心配をかけないためにも、動揺してはいけない。ラーナは視線をそらさず、カイリと対峙した。
「ラーナ様、昨日は大変ご迷惑をおかけいたしました。無事な御姿を見て安心致しました。」何食わぬ顔でカイリが話しかけて来た。
『本来なら脅迫罪でお縄頂戴のはずなんだけど。』ラーナは微笑んで返した。
「こちらこそ運んでくれてありがとう。あなたの血を見たせいかしら、あのときのこと、あまり良く覚えてないの。」
「たいそう慌てておいででしたから、当然のことかと。ですがおかげさまで私のケガの方はなんとかなりました。ありがとうございました。」カイリの言葉に、
『いや、まだ治癒が必要なはず。あのままでは大きな傷が残るだろう。』ラーナはそう思った。
あのときなんとか止血までして、別の機会を狙って、跡が残らないよう治癒できれば…とさえ思っていた。なのに今はそれよりも、信頼していた人に裏切られたという気持ちの方が強い。正確には裏切ったわけではないのかもしれないが。主人の弱みを握り、それに付け込んでゆすってくる。
『単なる裏切りよりもたちが悪いわ。出仕したら早速脅迫の日々が始まるのだろう。ここは対策を練るためにも、休養を理由に数日休みをとったほうがいいかもしれない。』ラーナは目を伏せた。ちょうどのタイミングで、
「ラーナはしばらく休養をとらせてもらうよ。そもそも今まで休暇が少な過ぎたんだ。あってないようなものだったからな。こんなときくらい、数日体を休めたほうがいい。父上もそうおっしゃっていたから、宮廷にはもう伝わっているはずだ。」フィルが言った。
『お父様!お兄様!ナイスですわ!!』ラーナは心の中でガッツポーズした。カイリは顔色一つ変えずに、
「かしこまりました。レイノルズ殿下もかなり心配しておいででした。ゆっくりご静養ください。では、あまり長くお邪魔してお体に障ってはいけませんので、私はこれで失礼いたします。」カイリが立ち上がった。
『ほっ。』胸をなでおろしたラーナのそばに、いつの間にかカイリが立っていた。驚く間もなく、
「なるべくお早目の出仕をお願い致します。おわかりですよね?」と耳元でささやいた。驚きが怒りに変わって、思わずカイリを睨んで言った。
「レイルも私もあなたみたいな腹心を持てて、本当に幸せだわ。」
カイリの目に黒い影がかかったのがわかったが、理由など考える由もなかった。




