ゆずれないもの
『何かに目標を定めたあとの時間は、通常よりも1.5倍速になる気がする。詠み人将太。』
そんなことが頭をかすめながら、時は瞬く間に過ぎていった。受験まであと一か月になった頃、奈央が将太の家にやって来た。まともに会話するのは、あの日以来だ。奈央はまだ、将太の志望校変更を知らないことになっていた。あえて聞くこともしなかった。人よりスタートは遅くても、塾に通い始めて努力していることを知っていたから、本人から聞くまで余計なことは言いたくなかった。
「元気だった?」奈央が聞くと、将太は照れくさそうに横を向いてボソッと、
「体は元気、脳みそはくったくた。」と言った。奈央がクスっと笑うのと同時に、
「あら!奈央ちゃん来てたの⁉久しぶりね!上がって上がって!」と将太の母が出てきた。
「おばさん、お久しぶり!玄関で大丈夫、将太の邪魔したくないから。」と笑顔で返した。少しがっかりそうに
「そぉ?じゃあ受験終わったらまた来てね。一緒に食事でもしましょう!」と将太母はリビングに戻って行った。それを見届けてから、
「元気だったか?今日はどうした?寒いし、あんまり出歩くとよくないぞ。」将太が話しかけてきた。それを聞いた奈央がニコッと笑って右手を差し出してきた。グーの手だ。反射的に将太の右手がゆっくりと伸びてきた。その手のひらの上に奈央のグーの手が乗る。何かが将太の手に降りてきた。手作りのお守りだった。嬉しいのと泣きたいのと奈央が自分のために作ってくれたということと、さらには奈央がより可愛く見えることと…もういろいろが混ざり過ぎて言葉が出なかった。奈央が、
「将太に作ったの。神社さんにも持って行ってご利益も入れてもらったつもりだよ。将太、頑張ろうね!」と言って、お守りが入っている将太の右手を奈央の両手が包んだ。やっとの思いで
「ありがとう…」とだけ返した。それ以上は無理だった。泣く寸前だったのだ。奈央も何かを察したのか
「うん!じゃあまたね!」と帰っていった。奈央の姿が消えてすぐに、大粒の涙がおちてきた。自分だって大変だろうに、俺のために時間を割いて作ってくれた。神社も参ってくれた。そう思うと胸が熱くて締め付けられるようだった。『頑張れる』そう心で呟いてから、静かに自分の部屋に戻った。
受験当日の夜近く、将太が奈央のうちにやってきた。
「今日、どうだった?」聞いてくる将太の息は白く、寒さが頬を刺して少し赤くなっていた。部屋に入るよう勧めたが、断られた。
「まぁまぁかなぁ」と返事する奈央。
「将太は?」
「やるだけのことはやった。」
「それはみんな同じでしょ。」奈央は笑った。
「なぁ、奈央。」
「ん?」
「もし合格したら……」長い沈黙が続いた。冷たい空気と夜の静けさが、ピンと張りつめた空間を作る。
「もし俺が合格したら、付き合ってくれないか?」
驚いて息を飲む奈央。再び長い沈黙が続いた。
「俺の彼女になって欲しいんだ」
「………なんで?」
将太の肩がビクッと揺れた。
「なんでって……」マフラーに顔をうずめて、奈央を直視できず顔をそむけた。
「高校生になるし、誰かと付き合ってみたくて、手っ取り早く私にしたの?」何かを探るように、でも何かに辿り着きたくて、奈央はそむけられた将太の目をじっと見て聞いた。
「そんなわけないだろ!」将太は怒ったように叫び、奈央に向き直った。真剣なまなざしが奈央の瞳をとらえ、離さなかった。
「好きだ。奈央が好きなんだ。」静かに、でも力強く、吐息交じりの優しい声。
奈央が将太に時を止められた、二度目の瞬間だった。
「いいよ。合格したら、彼女になってあげる。」このとき、自分がどれだけ魅惑的な笑顔をしていたのかを、将太の心臓がどれだけ跳ねたかを、奈央は知らなかった。
今思えば、将太には確たる自信があったのだ。合格を勝ち取る自信が。度肝を抜かれたのは周りだった。担任はしばらく固まっていた。両親はしばらく顎がはずれて?いた。ようやく元に戻ったかと思えば、二人してニヤニヤ近寄ってきた。
「おめでとう!しかし99%無謀な勝負に勝てた要因?モチベーション?は何だったんだろうなぁ。」と言う父のあとに続き、母も
「愛ね!愛の力なのね!」とすり寄ってくる。
「うるせーな!理由はなんであれ合格したんだからいいだろ?!」照れながら怒る将太に母が慌てて聞いてきた。
「あ!ねぇ将太!奈央ちゃんは!?奈央ちゃんは合格したの?!」
「当然!」なぜか将太がドヤ顔だ。




