気付き
帰り道、将太は一人、さっきの出来事と未来の希望をグルグルと頭の中で回していた。確かに少し前まで、奈央の志望校は北高だった。光誠高と差はあるものの、北高も簡単には入れない。実際現段階で奈央にとっては安全圏であっても、将太にはそうではない。でも将太は北高を目指していた。理由はなかった。本当になかったのだ。ただ気付いていなかっただけなのだが。今日奈央が志望校を光誠高に変えるかもしれないと知った瞬間、何かが凍り付く音がした。その冷えたような、恐怖のような得体の知れない感情を、将太はたった今理解した。そして奈央の存在が、将太にとってどれだけ大きいかということを。『好きだ』と言葉にしてしまうと、何かが違う。そんな簡単な言葉ひとつにおさめきれない想いがあふれてくる。『そうか…だから俺は奈央を…奈央の汗も、キレイだと思ったのか…。あの時俺は、奈央に触れたかったんだ。奈央のやわらかそうな唇に、触れたいと思ったんだ。いつから奈央に恋していたんだろう。いや、そんなことはどうでもいい。離れたくない。奈央と一緒にいたい。』
この日を境に将太は奈央と勉強しなくなった。
あの日奈央は平静を装うのに必死で勉強どころではなかった。どれだけのカロリーを消費しただろうか。ダイエットにはよかった。いや、ダイエットは置いといて……。ベッドに横になって、奈央はその日の出来事を思い返していた。初めて将太に触れられたことを。幼いころに手をつないで出かけたことはあっても、あんなふうに優しく触れられたことは初めてだ。心臓が口から飛び出してこないように、なぜか喉に力をこめていた。そのせいか首と肩が痛い。そんな筋肉痛も初めてだ。
奈央は恋をしたことがない。そもそも奈央はしっかりもので、何でもそつなくこなせるもんだから、自分より頼りになる男子を見たことがなかった。そんな風だからか、ときめいたり、ドキッとしたり、周りの女子が頬を染めて話していることも、良くわからなかった。それが一変、今日はさすがにドキドキしてしまったのだ。ただこれが恋なのか……奈央は落ち着いて考えてみた。他の男子に同じようにされても、きっとドキドキしてしまうだろう。であれば『今回のこと』イコール『将太が好きだ』にはならないはずだ。『誰か知り合いの男子に頼んで、今日の出来事を再現してもらうとか?』奈央はブンブンッと頭を振った。『そんなあやしいことはできない。とにかく、触れられただけで何もなかったんだ。どうってことはない。受験に集中しよう!』奈央は思った。
あの日以来、二人は顔を合わせることがほとんどなくなった。もともとクラスは別々で受験まであと数か月ということもあり、お互い忙しい日々を送っていた。
あとで聞いた話だが、将太は親に頭を下げて、学習塾に通わせてくれと頼みこんだらしい。将太の家庭は両親共働きのごく普通の家庭だったが、子供五人の大家族だった。受験は学習塾なしで乗り切って欲しい、という両親の願いがあった。それを知っていた将太は、必ず将来費用を返済することを約束し、塾通いをさせてもらうことになった。もちろん両親は理由を尋ね、答えを聞いてから、しばらく二人の口が開きっぱなしだったという。事の詳細はこうだ。
「前は北高を目指していただろう?お前が頑張ればなんとかなるかもしれないと応援していたんだ。だが光誠高となっては訳が違う。理由を教えてくれないか。」父が尋ねてきた。将太はしばらく黙っていた。
「どんな理由であれ、将太のことを応援したいっていう気持ちは、父さんも母さんも変わらないのよ。」母が優しく言ってきた。
「………奈央が、光誠に行くんだ。」将太は下を向いたまま、絞り出すような声で答えた。しばらくの沈黙の後、
「フフフ、そうなのね!」「アハハハハ、そうかそうか!」父も母もなぜか嬉しそうに笑っていた。
「なんで?」将太は怪訝そうな顔で二人を見た。
「いやー、いつになったら気付くのかしらーって父さんと話してたのよ」
「お前が奈央ちゃんに惚れてるのはわかってたからな」
「だからって自分で気づかないと意味ないでしょ?まわりが先に騒いだら、自分の本当の気持ちがわからなくなるかもしれないし、時間かかってもいいから自分で気付いて欲しかったの。」
「奈央ちゃんなら父さんも母さんも大賛成だ!あの子はまっすぐで裏表がない。お前が間違っても正すことのできる人間だ。そして優しさも兼ね揃えてる。」
「母さんも、奈央ちゃんがお嫁に来てくれたら万々歳よー!」将太の顔がボッと赤くなった。
「なんで話がそこまで飛躍すんだよ⁉」息も荒くなる。
「あらあら、照れちゃって」
「しかしなぁ、将太。本題に戻るが、難しくないか?耳が痛いのを承知で言うが、今の成績じゃ、途方もない夢物語だぞ。」父親が話を戻した。
「”今の”、成績じゃ無理だよ。わかってる。でもこれからの成績はわからないと思うんだ。」
「………」沈黙が続いた。
「やってみろ。」
「うん、死に物狂いでやってみたら何とかなるかもよ!」
将太の目がジワり熱くなった。
「ありがとう!全力でやってみる!」




