後悔
妹のことを、それは愛おしそうに話していたフィル・クリスガルドを中庭で見つけたのは、数年前のことだ。その妹の名は、ラーナ・クリスガルド。兄にあんな顔をさせるとは、どれほどの娘なのだろうか?確か以前クリスガルド公爵が、私と同じ歳だと言っていたような気がするが…。まぁいつか城にも連れてくることだろう。最初は単なる興味に過ぎなかった。
ところが待てど暮らせど、ラーナ嬢はやってこない。どういうことだ?貴族はたいてい自分の子息や令嬢を登城、謁見させたがる。将来のため、早くから王家と関わっておくことは、彼らにとって大きな意味をもつ。だがクリスガルド公爵家は違った。長男のフィルは、城内での親の仕事を見て学んでおくという名目で、早くから登城していた。だがラーナ嬢にいたっては違った。おかしい…仮にも公爵令嬢だ。もうフィルと一緒に城の中庭でくつろいでいてもいい年齢だ。
…人に姿を見せられない?…もしくは来ることができない?…何か理由でもあるのだろうか?興味が、疑問に変わっていった。
「父上、お聞きしたいことがあります。」夕食のテーブルでレイノルズは切り出した。
「なんだ?」国王ジョーゼフは息子に目を向けた。
「クリスガルド公爵の長女、ラーナ嬢は私と同じ年齢と聞きました。そろそろ城に来ても良い頃ではないでしょうか?私の周りには同年代が少ないので、できれば共に学び、切磋琢磨できればと思っておりますが、なかなか登城がないので…。」国王はその言葉に少し驚いた様子だった。あまり人に対して関心を抱いたことがない息子が、そのようなことを言ってくることが初めてだったからだ。国王は少し嬉しそうに言った。
「そうか、それもそうだな。明日、公爵に聞いてみよう。」
「レイノルズ、今回は少し苦戦を強いられそうだぞ。」国王がニヤついた顔で話しかけてきた。
「何がでしょうか?」
「今日マシュリにラーナ嬢のことについて尋ねたんだが…」レイノルズの肩がピクッと動いた。
「どうやら体が弱いようで、精神的にももろく、涙することもしばしばだとか…。ロゼッタが色白でか弱いように見えるから、もしかしたらラーナ嬢は母君に似たのかもしれないな。まぁ体調が落ち着いたなら是非連れてくるようにと言っておいたよ。お前の学友としてな。」父の言葉で昔のことを思い出していた。
以前クリスガルド公爵と公爵夫人が、父と母に会いに来た際、私も同席していたことがあった。豊かな栗色の髪と、森の泉のような翡翠色の瞳…公爵夫人は、小さかった私にもわかるくらい美しい人だった。その娘ラーナ嬢…是非とも見てみたい。
興味が疑問になり、疑問が欲求に変わっていった。
ある日城内でフィルにばったり会った。これはチャンスだと思った。半ば強引にクリスガルド公爵邸におしかけたのだ。急な訪問ならば、屋敷でくつろいでいるラーナ嬢に遭遇するだろうと考えた。だがあちらが一枚上手だった。体調不良を理由に、ちょうど部屋へと去っていく彼女を、一瞬しか見れなかったのだ。母君よりもややオレンジがかった琥珀色のなびく髪、少し伏せられた目の横顔は、なんとも愛くるしく見てとれた。会いたい気持ちが…抑えられなくなった。今度はどうやって会おうかと考えていると、父に注意を受けた。
「レイノルズ…、今日クリスガルド公爵邸に行ったというのは本当のことか?」
「はい、父上。」父はため息をついて、さらに聞いてきた。
「なぜそんなことをしたんだ?」
「………」
「ラーナ嬢に会うためだな?」父が追い打ちをかけて来た。お見通しか…。
「レイノルズよ、王家の者と言えど、貴族にも民にも礼儀をもって接せねばならない。一国王が突然に民の家を訪れたらどうなる。何とかもてなそうと慌てふためくだけだ。お前がまだ皇太子の身で、相手が公爵家だったから何とかなっただけだ。お前がやったことは、相手の気持ちを考えずに、権力を行使して自分の欲求を押し付けただけだ。」静かに、諭すように言った王の言葉に、レイノルズは慌てて返した。
「そんなつもりで行ったのではありません!」
「どんなつもりであれ、やったことがすべてだ。周りはお前をそのように見る。」王からの射貫くような視線に、レイノルズは目を伏せた。
「権力者は必要だ。力を持ち、導く者がいなければ、そこは無法地帯となり、混乱と犠牲を生み出すからだ。そして権力とは、かざすためにあるのではない。守るためにあるのだ。その意味を理解し、真摯に行動できる者こそが、周りに認められ、権力者…すなわち王になるのだ。」父の言葉は……ただただ、偉大だった。いつもよりも熱がこもった、野太い声で父が放ったその言葉は、レイノルズの心に矢のように深く刺さった。ようやく自分がとっていた行動が、どんなに軽率で自己中心的だったかを否応なし気付かされた。
『私はなんて情けない人間なんだ…。』うなだれたレイノルズの肩を、王がポンッと手を乗せて言った。
「明日、私から公爵に謝罪を入れよう。お前も公爵に会ったら必ず謝るんだぞ。」レイノルズはコクンとうなずいた。反省していることを感じ取ったのか、王が続けて言った。
「ひとつ提案がある。明日公爵に謝罪と同時に、ラーナ嬢の宮仕えをお願いすることにする。まぁお願いと言えど、公爵からしてみれば王命になるだろうが。ただしラーナ嬢の体調を危惧するあまり、あるいはお前が突然とった行動を不審に思うあまり、おそらくすぐすぐにとはいかないであろう。もしかして成人してから、ということもある。お前はそれを受け入れ、ただただ待つ、ということはできるか?」
レイノルズはまっすぐに王を見てうなずいた。
「待ちます!」王もうなずいて続けた。
「よかろう。では此度のことは不問に処す。今後は皇太子という立場に驕ることなく、誰に対しても礼を持って応じるように。よいな?」
「はい、父上!」
『父上のように、立派な王になってみせる。』
レイノルズは自分が次期国王であることを、国を、民を守る立場であることを、このとき初めて心の底から理解した。




