喪失
見渡す限りの白い光。
何もないのか、眩しすぎて何も見えないのかわからない。
「バサッ」
羽音が聞こえた。
一瞬見えたのは、白い大きな片翼。
真っ白な世界に真っ白な翼。
見えたものはそれだけ。
でも世界は”それだけ”、ではない、ということはわかる。
何かがない。
何かが足りない。
何か大事なもの。
とてもとても大切なもの…。
忘れてはいけないこと。
忘れたくないこと…
早く…思い出さなきゃ。
私、大事なことを忘れてる……
私、私は? 私は……誰?
やだ、やだ!なんなの!?
自分が誰なのかわからない!
誰か…誰か助けて!
そうだ!
…しょ、……しょう、……しょう?
しょう……
この音が頭を駆け巡る。
何か大切なことだった。
しょう……
………しょう、た……
しょうた。
そうだ!将太!
私は……私は…奈央だ!私は奈央よ!
将太はどこ!?
将太!私はここだよ!早く見つけて!
………
………
ずっと一緒って約束したじゃない…
どこにいるのぉ?……
お願い、一人にしないで!っ…
将太ぁ!!
「おぎゃあああああ、ぎゃ…ぎゃ…ぉぎゃあああああああ!」
赤ちゃんの声?ごめんね、かまってあげてる暇はないの。泣きたいのは私の方。
将太を探さなきゃならないの。この真っ白な世界で、早く将太を見つけなきゃ。将太ぁぁ!!!
「おぎゃあああああ!!」
ん?
かすかに遠くで誰かの声が聞こえる。何?誰?将太!?
「奥様!可愛らしい女の子でございます!」そんな言葉が聞こえた気がした。
赤ちゃん?ああ、新しい命の誕生ね。よかったわね。でも違うの。私は急ぐの。将太ぁぁぁ!!!
「おぎゃあああああ!!」
ん?ん?
「あらあら、とっても元気のいいお姫様ね。」別の優しい声が聞こえた。
真っ白な世界で聞こえた、二人目の誰かの声。温かなぬくもり。私、何かに包まれているような気がする。そうだ、さっきも将太に抱きしめられていたんだっけ……。将太、どこ?どこに行ったの!?
「おぎゃあああああ!!お、お、お、ぎゃあああああ!!」
ん?ん?ん?
もう、いいや…。今日のところはあきらめよう。ちょっと疲れた。ひと眠りしたら、将太を探しに行こう。
『私…どれくらい寝てたんだろう。早く将太を探しに行かなきゃ。よいしょっと。』
奈央は立ち上がろうとするが、うまくいかない。そうこうしていると、久しぶりに視界に人が映った。
黒服の初老の女性だった。
「あらあら、まぁまぁまぁ!お目覚めですか?お嬢様!まぁまぁ可愛らしいお目目だこと!奥様にそっくりの美人さんでいらっしゃいますね。今お母上を呼んで参りますね。」女性が立ち去ったあとは、若い女性が入れ替わりで二人、視界に入ってきた。
「きゃーーーー!なんて愛らしいの!?お嬢様、私テスといいます。よろしくお願いしますね。」
「まぁ、自分だけずるいわよ!私はハンナといいます。たくさん抱っこして差し上げますね。」
今度の二人はメイド服のようなコスプレをしている。
『……どうなってるの?私に話しかけてるわけじゃないよね。この人たち、明らかに”幼いお嬢様”に向かって話しかけてるのよね。』奈央の頭はパンク寸前だ。
『でも今視界に映ってることは、まるで横たわっている私に、誰かが覗き込むように話しかけている感じだ。…とにかく起き上がってみよう。』と、手をベッドに突こうとするも、体が思うように動かない。
『あれ?私の手、どうなってるの?』手を見ようとして視界に映ったのは、直径数センチほどの右手だった。
『あれ?』次に視界にやってきた左手も同じ。
『え?私の手、なんでこんなに小さいの?あ!ああ!そうか、これは女性たちが話しかけている赤ちゃんの手なんだ!それが私に見えてるだけだわ、きっと。』そう思った。そう思いたかった。
『…………赤ちゃんの手じゃなくて、私の手、どこ?ちょっとグーパーしてみようかな。グー…。』赤ちゃんの手が動いた。
『…………パー…』グーだった赤ちゃんの手がパーになった。
『どういうことよ!?私、どうなってるのよ!?なんで私の手、赤ちゃんの手になってるの!?わかんないよ!誰か!将太!将太ぁ!!』
「おぎゃあああああ!!」
『この鳴き声は、私だったの!?もう、何がなんだかわかんない!!』
「おぎゃあああああ!!おぎゃあああああ!!」
「あらあらまぁまぁ、どうしたの?私の可愛い子?」翡翠色の瞳に栗色の髪、見たこともないほどのキレイな人が覗き込んできた。
『残念、そのヒラヒラのドレスはやりすぎだよ。コスプレもほどほどにしないと。』奈央が思った瞬間、体がフワッと宙に浮いて、その女性に抱っこされたことに気付いた。
『ああ、なんでだろ?落ち着いてしまう。この人のこの温かさが心地よい。将太のとは違うけど。……将太、どこ?私、どうなっちゃったの??』
「び、び、びええええーーーーーーん!」
「あらあら、何がそんなに悲しいのかしら?お母様がいるわよ。たくさん泣いたら、またねんねしましょうね。」
『お母様?あなたが?私は、黒髪に黒い目だよ?なわけないじゃん。』
急にドアがバターン!と激しく開いた。同時に
「ラーナ!」と言ってイケメンのおじさん?お兄さん?が入ってきた。
『あなたは誰?ラーナはどこ?』
「泣き声が部屋の外にまで聞こえていたぞ!おおラーナ、どうしたんだい?ほら、お父様のところにおいで。」とその男性が言った途端、またフワッと体が宙に浮いて、奈央はその男性に抱っこされていた。
『情報過多だ…思考回路が遮断されそう。』奈央は現状を整理することにした。
『なぜだかわからないけど、私は今、赤ちゃんの体になっている。入っている?とにかく今、私は赤ちゃんだ。名前はラーナ。今抱っこしているのがお父さん。さっきの抱っこはお母さん。そしてその他のメイド喫茶の女性たちがお手伝いさんだ。………で、私にどうしろと??将太!将太ぁ!』
「おぎゃあああああ!!ぎゃあああああ!!びやぁあああああああ!」奈央、またの名をラーナ、はさらに激しく泣き始めた。
「おお、おお、よしよし、いい子だ、いい子だな、ラーナ。」父の顔はデレデレになっている。
「あなた、抱っこが上手になられましたわね。」母がニッコリ笑った。
「お前のおかげだな。」ウフフ、アハハ…そして部屋は和やかな空気に包まれた。めでたしめでたし。
『もう無理。寝る。』奈央、改めラーナが目を閉じたと同時に、ドアがバターン!と開いた。
『デジャブ?』
「ラーナ!どうしたの!?兄上が抱っこしてあげる!」と言って5歳児ほどの少年が入ってきた。
『もうほんとに無理。寝かせて。』
「こらフィル!公爵家跡取りがそんな風にドアを開けるものではないぞ。」父が言った。
『どの口が言うのよ。』
「フィルはここに座って抱っこしてね。」母が促す。
「えーーー!?立ってでもできるよ!」
『やめれ。もちっと大きくなってからな。』
おそらく兄であるフィルが、まだ短い両腕で必死に奈央?ラーナ?ナーナ?を包み、フィルの両腕を支えるように、父と母の手が重なる。
『ああ、もうダメだ。温かい…。睡魔が襲ってくる。悔しいけど心地いい。家族だからなのかな…。そういえばお父さん、お母さん、健太…元気かな…会いたいな………』
ラーナ、もとい奈央は吸い込まれるように眠ってしまった。そんな奈央の寝顔を、三人が優しい目で見守っていたことを、奈央は知らずに爆睡してしまった。




