7話 リカルドという男
【◇ケッチーニッダ伯爵家】
「なんだこれは…」
私は、法務院から届いたばかりの書簡を手にして、わなわなと震えていた。
クリス・アッシュホールドに関する裁定書。
「縁属関係解消の裁定書だと……」
厚手の羊皮紙に記された裁定書には、王国法務院の紋章と、赤い封蝋が重く押されている。
「……たかが料理人が」
私は覆らない書類を机に叩きつけ、ギリリと奥歯を噛んだ。
「どこまで手を回した…」
赤い封蝋が押された決定通知は、覆らない。
最初っから、当主の私に意見をしてくる気に入らない料理人、リカルド。
リカルドは、2年前に突然前領主の父上が我が家に連れて来た。
「お前の所の子供たちは他家の食事会で、そこの料理人を侮辱したそうだな。」
開口一番にそう言われ、私は冷や汗をかいた。
先月同爵位の食事会で長男のやらかしの件だった。
「父上それは…」
私は言葉を出そうとして止まった。
目の前に座る父の目は、侮蔑を含んだひどく冷めた瞳でこちらを見ていたからだ。
応接室に置かれている時計の音だけが沈黙する室内に響く。
ややあって、渋面の父上が口を開いた。
「お前の言い訳は聞かん。
―――リカルド殿、こちらに」
目の前に立った大柄な男は父の座っている椅子の横に立ち、俺に頭を下げた。
「宮廷料理人、料理長の補佐をしておりました、リカルドです。よろしくお願いします」
麦藁の様な色をした髭と髪が、一体化したような風貌。
背は大きく、料理人というより細身の騎士くらいの体格の男だ。
「孫の為に私が料理長を口説き落として2年の契約で借り受けて来た。
末の息子がちょうど2年後に成人を迎えるだろう。
食事中のマナー教師も厳しいものをそろえた。
貴族でありたいならマナーをしっかり躾け直せ」
父上は厳格でいまだに王に気に入られ、城の役職を持っている。
そのために私に当主の座が早く回って来たのはいいが…
父上にはいまだに、何一つ頭が上がらない…
「お前の裁量でこの者達との契約は解けぬように法的に契約してきた。下手にそれを破ると、この家が傾きかねん。心して子供達を鍛え直せ」
「父上!なんて事を!」
「どちらにせよ、お前の子供がそのまま社交に出たら遅かれ早かれこの家は没落する。
知らんのか、城でこの家が何と言われているのか!」
父上の言葉に私の背筋が冷たくなった。
「…なんと言われているのですか?」
恐る恐る聞き返した私に、苦々しげな顔で、
「”料理人泣かせの伯爵家”だ。
それが王宮で開かれた茶会で、言われた我が家を揶揄する言葉だ」
私は目を見開いた…王宮茶会でそんな…
「大公妃様の前でそんな事をお前の母は言われたのだぞ!
良いか!お前も、嫁も一切、献立に口を出すな。分かったな!」
前伯爵の父はそう言いつけて出て行った。
私は力が抜けてソファーに沈み込んで、頭を抱えた。
そんな私たちのやり取りを無言で聞いていたリカルド―――
「お前の給料は、その…契約で決められているのか?」
「月金貨5枚です。」
「………そうか」
そう言ってきたリカルドに何ら動揺はなく、逆に私が顔を青くした。
「こちらが王宮法務院で登録した契約書の写しになります。」
渡された書類には、そう明記されている…
「ではご当主様、調理場に行かせていただきます」
そう言って一礼すると言葉を失っている私を放置して、リカルドは出て行った。
愛想も何もない男だ。
毎月金貨5枚…父上は何を考えているんだ…
まさか…
「くっそ、老いぼれが…」
頭を抱えていた私に夜の食事の時間が訪れた。
食堂には、笑顔の妻や愛しい息子達が座って談笑していた。
私の大切な家族――――。
さて、月給金貨5枚の男の作る料理が、どんなものかと思っていたが…
前菜に白アスパラと月光卵のテリーヌ。
彩りも美しく、
「あら。美味しいわ」
「うむ」
「なにこれ…」
スープ、メインと出てくる食事はとても美味しかった。
息子達も物珍しい料理で野菜なのにいつもと違い少しは口にした。
これで我が家の息子たちの食生活の改善に期待を込めて今日あった事を伝えておく。
「今日から料理人が変わる。宮廷で料理長の補佐をしていた者がこちらに来た。
お前たちの、この間の他家での振る舞いが王宮で噂されるようになった事に、父上が危惧したからだ」
「父上が連れて来た料理人がこれから腕を振るう」
息子二人がバツが悪そうにお互いを肘でつつき合っていたのを止めておびえた目でこちらに視線を向けた。
「お爺様が…」
「お前達、2年で野菜を克服しろとのご命令だ。」
私が鷹揚に頷くと、二人は同時に非難の声を上げた。
「「えぇぇーーーーー」」
「あと、近々マナーの教師が父上が選別した者に変わる。くれぐれも愚かな行いはするでないぞ」
私の言葉に妻も顔を苦々しげにゆがめた。
――――家族にそう苦言は言ったものの……
その日から肉の量が明らかに減った。
野菜が増え、パンも白いふわふわなものに変わり、それが当たり前になり始めた頃、息子たちが暴れた。
「肉をもっと寄こせ!」
「野菜は馬が喰えばいい!こんなもの我ら貴族の食べるものではない!」
そう暴れて食事を台無しにした。
そしてその日はその後、食事が出ることは無かった。
翌日朝食は野菜のたっぷり入ったスープ。
息子たちは食べなかった。
その後、間食はリカルドによって阻止された。
朝食、昼食は肉が一切出なくなり、豆が多く出るようになった。
パンも野菜が練り込まれたパンに変わっていった。
お茶会は野菜摂取の妨げと、却下され、妻もかなりストレスを抱えることになり…
そして食卓には肉が無くなり今度は私がキレた。
「ふざけるな!!この家の当主は私だ!従え!」
リカルドは無言だった。
何度言っても野菜を食べない息子達。すぐに菓子を発注しようとする妻。
私は肉が大好きだ。
何が悪い。
「この家は私の家だ!私がルールだ。気に入らないなら出て行くがいい!」
「そうですか。では契約通りに致します。」
「契約通りとはなんだ!」
「お渡しした契約書をきちんと読み直すことをお勧めします。
では荷物をまとめます」
踵を返し出て行こうとするリカルドの言葉に嫌な気がして書類をあさり契約書を開くと……
―――契約期間中、ケッチーニッダ伯爵家は、正当な事由なくして本契約を一方的に解除し、または当該料理人を解雇することを禁ずる。
一、前項に違反した場合、王国法務院はこれを重大な契約不履行と認定し、当該伯爵家に対し、違約金の請求ならびに資産の一部差押えを含む是正措置を執行する権限を有する。―――
私は転がるようにリカルドの部屋に走って行った。
「先ほどは悪かった。先ほどの言葉は取り消す。取り消すから此処で期間迄勤め上げてくれ。頼む!!」
土下座する勢いの私の言葉に、荷物をまとめていたリカルドは手を止めてこちらを一瞥した。
沈黙が続く。私がソワッと身じろぎした時、上から呆れたような声がした。
「覆せるのは今回だけです。二度目はありません」
視線の冷ややかさとは反対に謝罪を受け入れてくれたことにホッと胸をなでおろした。そして、現実としてこの男をこちらから解雇することは出来ない、あと…1年と半年は我慢しなければいけないと言う事が分かっただけだった。
そんな悔しい日々を送っていた時だった。
妻が面白い事を告げてきた。
「あの料理人、あのお荷物を気にかけているそうじゃない。下男の男から報告があったのよ!」
「ほー。それは…」
良い事をきいた。
そうして、私はリカルドを呼び出した。
「何の御用でしょうか?」
「おまえ離れの荷物を気にかけているそうだな。
あれは我が家の汚点だ」
無言でこちらを見る視線が厳しくなるのを感じて私はほくそ笑む。
「今日から以前どおり肉をメニューに入れろ」
「それは以前からお断りしておりますが」
「まあ、要望が通らないとき、あれがどうなるか私は知らぬがな」
「まさか…」
リカルドの歪んだ顔が、ひどく愉快だった。
この家は私の家だ。
私が一番偉いのだ!
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