5話 俺の親友は馬鹿な貴族に殺された
「昨日から皿洗いの坊主を見ないが…あいつはどうしたんだ?」
厨房の下男にそう問いかけると、眉間に皺をよせたその男は、なんの興味も無さげに、
「あぁ――一昨日かな、夜中に離れで鞭の音が聞こえてきたから、またひどくされたんだろう。困っちまうよな。雑用が俺に全部回ってくるんだからなー」
男の言葉が信じられず、俺は持っていたお玉を取り落とした。
鞭?
厨房の床に転がるお玉を見て、男は悪びれもせず笑う。
「料理長殿は来たばっかりだから知らないか。あのチビに近づくと首になるよ。
話すだけで、睨まれるし、あいつを擁護した奴は皆、辞めさせられたんだ。
関わらない方がいい」
言葉の意味が分からなかった。
「あんな幼子に……鞭だと?」
俺の戸惑いが分かったのか、下男は辺りを見回しこそっと耳打ちしてくれた。
「なぜってあれさ、伯爵がメイドに手を付けて出来た子だからだよ」
「あんな格好をしていたのに?…息子?」
俺の言葉を遮るように顔の前で人差し指を立て下男は静かにとジェスチャーをしてくる。
「声が大きいって。奥様があいつの事、大変嫌っていてな、
伯爵を父と呼ぶことを、許してないんだよ。伯爵も何にも言わないし、坊ちゃん方はあいつを擁護していると分かる使用人をすぐに奥様に告げ口して辞めさせる」
「旦那も気をつけなよ。あいつに目をかけるとあんたが痛い目を見る」
そういって下男は文句を言いながら皿洗いをし始めた。
あの坊主が…この家の息子?
あのボロボロの服に、がりがりの腕や足…
平民の小間使いだとばかり…
あぁ…だから貴族は―――
嫌いなんだよ―――
――――
俺の名前はリカルド・アッシュホールド。
今は髭も髪も伸ばしっ放しのこんな俺が、侯爵家の3男坊として生を受けた。
口数は少ないが、領民に好かれている父。
面倒見のいい姉、頼りになる兄と、口うるさい兄を持ち、母は俺を産んで亡くなりはしたが、父は再婚せず母を思い続けた。
俺は料理に興味を持ち、たまに厨房でコックの爺さんと一緒に家族に料理を振舞ったりして幼少期を過ごし、貴族学園に入学して初めて見た品のない貴族たち。
それは学園に入ってすぐの事だった。
ただ廊下を歩いている時、目の前で人が殴り飛ばされている瞬間を目撃した。
殴られた人物は鼻血を出しながらも、床に頭をつけて殴った相手に土下座をしていた。土下座をしている人の頭を踏みつけながら、殴った奴は怒鳴る。
「俺様が連れてこいって言っているんだ!さっさとあの女を連れてこい」
「ドラグスト様、それは出来ません。申し訳ありません」
怒鳴り散らすこの男は有名な公爵家のドラ息子。鼻血を流しているこの人は制服からして従者か…
直ぐに先生が駆けつけ、それ以上の暴力は無かったが、その後そのドラ息子の従者は違う人間に変わっていた。
あの人は悪くないのに…
その時俺にやるせないしこりみたいなものが胸に出来たのを感じた。
その後も、空き教室に令嬢を連れ込もうとして止めたメイドが切られた事件。
学食では文句をつけては手を付けずゴミになる食材。
教員への執拗な嫌がらせなど本当に色々と―――
一部の高位貴族がひどかっただけではあった。
それでも俺が貴族に対して、少しずつ、少しずつ忌避感を募らせていくには十分―――
俺の学年に第3王子がいて彼がいる時は少し場が静かになった。
王族が居なければ教師でも高位貴族の所業になにも言えなかった。
そんな学園で俺は一人の友人が出来た。
男爵家の次男オーシャン・ガンゼン。
剣技など身体を動かすことは苦手ではあったが、勉強が出来て料理が好きな話の合う親友だった。
貴族学院を出たら好いた女性と結婚して平民として食堂でも開いて生きていくと笑いながら話してくれた。
料理の話が大好きなとても穏やかな人間だった彼は―――
卒業式を直前に問題児だった公爵家のドラ息子に切り殺された。
ドラ息子が卒業が決定したとみるや浮かれ、前から言い寄っていた下位貴族の女生徒に愛人になれと迫り、断られた事に腹を立て、暴力をふるっている所に出くわしたオーシャンは直ぐに二人の間に入った。
「おやめください!ロウガイーン公爵子息様」
そう言って女性を背にかばい盾になって殴られた。
「彼女は第2王女殿下の侍女に内定しております。このことが知れたら大変な事になります。拳を収めてください」
「ふん。第2王女の侍女よりも、俺の寵愛を得る事の方がその女にとって有意義であろうが!たかが下級貴族の娘風情がこの俺に恥をかかせたな!」
カーーーン!!
剣の鞘が廊下の床に落ちて大きな音を響かせた直後、オーシャンの身体から血が噴き出し廊下を鮮血が染め上げた。
頭に血が上った馬鹿な貴族にオーシャンは女生徒を庇って斬り殺されたのだ。
白昼堂々学園の回廊で起こったこの事件は、
目撃者に第3王子が居た事もあり、流石に公爵家も、もみ消すことが出来ず、
ドラ息子のドラゴグスト・ロウガイーン公爵子息は除籍され、平民に落とされた。
ロウガイーン公爵家はオーシャンの家ガンゼン男爵家に莫大な慰謝料を支払う事となった。
彼が愛していた女性…結婚を約束していた婚約者は知らない間に姿を消した。
俺は何もできなかった。
彼が女生徒を庇った時、俺は近くにおらず…
ドラ息子の所業を止めることも出来なかった。
俺ならあんなドラ息子の剣を止められた可能性が高かったのに……
後悔を秘め卒業後、”貴族で居る事が怖くなった。除籍してください。”そう書置きを残し俺は家を出た。
オーシャンが、なりたがっていた料理人に——俺がなると決めた。
そうして12年…色々あって宮廷料理人になって、この伯爵家に引き抜かれたのに…
……結局、どこへ行っても同じか。
俺は下男に坊主の部屋を聞き食事をもって訪れた。
離れの部屋はほとんど使われていない。
教えられた部屋にたどり着き、扉を開けた空間は通ってきた時に見た、使われてない部屋よりも狭かった。
日も当たらないこんな小部屋にずっとこの子はいたのか…
坊主は古びた寝台に薄い布団にくるまって息を荒げていた。小さな脇台にパンがゆを置いて、坊主の額に手を置くとびっくりするほどの熱い体温に目を見開いた。
これはダメだ。
この家の人間には言えない…どうしたら…
俺は自分の部屋から熱さましの薬と、水桶と布巾を用意して再度坊主の部屋に向かった。
その晩俺は、眠らず坊主の傍で看病していた。
薬が効いたのか翌日にはだいぶ熱が下がり、食事も出来る様になって、俺はようやく肩の力を抜くことが出来た。
その時に坊主は不思議そうに俺を見ていた。
パンがゆをゆっくり食べながら、
フニャリと幸せそうに笑った顔に俺は視線を縫い付けられた。
かわいい…
そう思ってしまった事に自分でも困惑しながらもなぜ笑えるのか不思議だった。
こんな小部屋に押し込まれ、朝から晩まで仕事をして、鞭で打たれ熱を出して…
坊主を取り巻く環境に俺はどうにもできない事に憤りを感じていた。
そんな俺の思考を止めたのは彼の一言だった。
「おい…し、い。しあ、……わ、せ」
おいしい。しあわせ―――
たったそれだけ。言葉の拙い彼が伝えてくれたのは。
それだけで、俺は過去から救われた気がした―――
こんな俺でも誰かを幸せにすることが出来たんだ…そう思うと泣きそうだった。
ただこのやり取りが他の誰かに見られているとは思わず、坊主が今以上に苦しい事になるとも考えていなかった。
遠くで、足音が一つ、離れていった。
気づかないまま、俺たちは少し緩んだ空気に頬を綻ばせていた。
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