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STR全振り脳筋ヒーラーは恋をする  作者: 白月つむぎ


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7 早く鈍器を使いたい

 深夜に近い時刻、自室の空気は冷たく澄んでいた。


 机の上に置かれたスマートフォンの画面だけが、青白い光を放って私の顔を照らしている。

 画面の中では白いローブを纏った私の分身であるマリが、薄暗い洞窟の奥で一体のオークと対峙していた。

 周囲に他のプレイヤーの姿はない。

 栞先輩が部活の疲れで早めに眠りについた後、私は一人でこの場所に籠もり、ひたすらレベル上げに励んでいた。


 オークが重厚な棍棒を振り下ろす。

 私はそれを最小限の動きで回避し、手に持った初期装備の木の杖を力一杯に振り抜いた。

 乾いた衝撃が走り、オークの巨大な体が微かに揺れる。

 本来、ヒーラーという職業は後方で魔法の詠唱に専念するものだ。

 しかし、私の放つ一撃は、魔法使いのそれとは明らかに異質な物理的な圧力を伴っていた。


 何度も杖を叩きつける。

 魔法のエフェクトによる華やかさは微塵もない。

 ただ泥臭く、執拗に、私は獲物の体力を削り取っていく。

 やがてオークが光の粒子となって消滅した瞬間、画面の中央にレベルアップを告げる金色の文字が躍った。


 私は迷うことなく、獲得したステータスポイントをすべてSTR――つまり物理攻撃力へと注ぎ込んだ。

 数値が上昇するたびに、マリの華奢な腕に秘められた暴力的なまでの破壊力が更新されていく。

 画面の端に表示された装備欄を確認すると、先ほどの戦闘で敵が落とした新しい武器が収まっていた。


 樫の木の杖。

 これまでの木の杖よりも少しだけ重く、硬い。

 装備を切り替えると、マリの攻撃力はさらに一段階引き上げられた。


 私はステータス画面を閉じ、自分の指先を見つめた。

 あと数レベル。

 そこまで到達すれば、私は二次職である聖職者への転職資格を得ることができる。

 公式サイトの職業説明によれば、聖職者はこれまでの杖に加えて金属製の打撃武器であるメイスを装備できるようになるのだという。


 メイス。

 それは慈愛を説く聖職者の持ち物としてはあまりに無骨で、破壊に特化した鈍色の武器だ。

 けれど、今の私にはそれが何よりも魅力的なものに思えた。


 栞先輩の操るザワは、すでに二次職である聖騎士へと昇格している。

 銀の鎧をより強固なものへと変え、巨大な盾で味方を守り抜く彼女の姿はゲームの中でも圧倒的な存在感を放っている。


 私は、彼女に守られるだけの存在で終わりたくなかった。

 彼女が最前線で敵の猛攻を一身に受け止めるのなら、私はその隣に立ち、彼女に牙を剥くすべての障害をこの手で粉砕したい。

 聖騎士の隣に並び立つのは、か弱い回復役ではなく、同じ熱量で戦場を駆ける相棒でありたかった。

 鈍色のメイスを手にするその時、私はようやく彼女と対等になれるような気がしていた。


「茉莉花、いつまで起きているの?」


 突如、背後から投げかけられた厳格な声に、私の肩が大きく跳ねた。


 慌ててスマートフォンの画面を伏せる。

 振り返ると、部屋の入り口に母親が立っていた。

 腕を組み、険しい表情で私を睨みつけている。


「またゲームばかりして。そんなことに時間を費やす暇があるなら、少しは将来のことを考えなさい。成績も中途半端なんだから、もっと身の回りのことに集中してちょうだい」


「……ごめんなさい」


 消え入るような声で謝ることしかできない。

 母親にとって、私のこの情熱は単なる現実逃避にしか見えないのだろう。

 パッとしない娘が画面の中で何を目指しているのか、それを説明する言葉を私は持っていなかった。


 母親は大きな溜息をつくと、顎で廊下の先を指した。


「ほら、座っていないで。夕飯の準備を手伝って。お父さんの帰りが早くなるって連絡があったのよ。野菜の準備だけでも済ませてしまいましょう」


 私は大人しくスマートフォンを机に置き、母親の後に続いて台所へ向かった。

 現実の世界に戻れば、私はやはりただの冴えない女子高生だ。

 亜麻色のくせっ毛を無造作に束ね、使い古されたエプロンを身に纏う。


 台所には、買い物袋から出されたばかりの瑞々しい野菜が並んでいた。

 母親は隣で煮物の味付けに没頭している。

 私はまな板の前に立ち、手際よく包丁を手に取った。


 一呼吸。

 私の指先が、包丁の柄を吸い付くように捉える。


 まずは玉ねぎの皮を剥き、根元を残して細かく切れ目を入れていく。

 刃先がまな板に当たる一定の音だけが、静かな台所に響き渡る。

 迷いのない動きで包丁を滑らせれば、玉ねぎは瞬く間に均一なみじん切りへと姿を変えていった。


 続いて人参。

 皮を薄く剥ぎ取り、正確な厚さの輪切りにしていく。

 さらにそれを重ねて細切りにし、最後に一気に細かな立方体へと刻んでいく。


 私の意識は、包丁の刃先一点に集中していた。

 野菜の繊維を断ち切る感触。

 指先に伝わる適度な反発力。


 ゲームの中で杖を振り回す時と同じように、私は無駄のない効率を求めていた。

 どうすれば最も美しく、最も早く、完璧な状態に仕上げることができるのか。

 家庭科だけが得意な私の、これが唯一の、そして絶対的な自信の根拠だった。


 ボウルの中に、整然と刻まれた野菜が積み上がっていく。

 その美しさは、まるで精密機械が作り出した工芸品のようだった。


「あら……」


 隣で鍋を覗いていた母親が、私の手元を見て驚きの声を漏らした。


「茉莉花、相変わらず手際がいいわね。包丁の使い方も、私が教えた時よりずっと上手くなっているじゃない」


「そう……かな?」


「野菜の形も揃っているし、これなら火の通りも均一になるわ。本当に、料理に関することだけは、あんたは一丁前なんだから」


 母親の言葉は、皮肉と称賛が入り混じったような複雑な響きを持っていた。

 けれど、普段は小言ばかりの彼女から向けられた素直な感嘆は、私の冷え切った胸の奥に小さな灯を点した。


 私は何も答えず、ただ次の野菜を手に取った。

 褒められたからといって、私の冴えない日常が劇的に変わるわけではない。

 それでも、自分の手が何かを成し遂げているという実感だけは、確かにこの場所にあった。


 煮物の香りが部屋中に広がる中、私は出来上がった料理を食卓へ運ぶ。

 いつものように、淡々とした夕食の時間が過ぎていく。


 食事を終え食器を片付けた後、私は再び自室へと戻った。

 机の上で待ち構えていたスマートフォンを手に取る。

 画面を点灯させれば、そこにはまだ樫の杖を携えたマリが静かに佇んでいた。


 先ほど台所で感じた、包丁を完璧に制御する感覚。

 野菜を効率よく刻んでいくあの研ぎ澄まされた集中力。


 それは、ゲームの中で物理攻撃の極致を目指す私の想いと、どこかで深く繋がっているような気がした。

 効率を突き詰め、無駄を削ぎ落とし、ただ純粋な力で目的を達成する。


 聖職者への転職まで、あと少し。

 その職に就き、鈍色のメイスをこの手に握る時、私は本当の意味で自分の居場所を見つけることができるのかもしれない。


 明日、学校で先輩に会った時、今日褒められた野菜の切り方の話でもしてみようか。

 そんなことを考えながら、私は再び、仮想世界の戦場へと指先を滑らせた。


 いつか、あなたが守る必要のないほど強くなった私を見せて、驚かせてあげたい。

 その決意を秘めたマリの瞳は、暗い画面の向こうで以前よりもずっと鋭く、意志を孕んだ光を宿していた。

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