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STR全振り脳筋ヒーラーは恋をする  作者: 白月つむぎ


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3/23

3 連絡先の交換

 美味しいベーコンと彩り野菜のサンドイッチと冷たいアイスティーを堪能し、カフェ・ヴァレンタインの重厚な木の扉を押し開けると、外の空はすっかり茜色に染まっていた。


 路地裏の石畳に落ちる私たちの影は長く伸びていて、昼間の熱気を忘れさせるような涼しい夕暮れの風が、栞先輩の綺麗に切り揃えられた内巻きのボブヘアを揺らす。

 並んで歩く肩と肩の距離は、カフェに入る前よりもずっと近くなっていた。


 駅までの短い道のり。

 私たちはゲームでの思い出や、お互いの学校でのことなどをとりとめもなく話した。

 テニス部のエースとして周りから頼られている栞先輩は、私の目から見てもやっぱりかっこよくて、でも、親の期待という重圧に少しだけ疲れている等身大の女の子でもあった。


 そんな先輩が、私の前でだけはゲームの中のザワとして、あるいは少し抜けたところのあるただの高校生として笑ってくれることが、ひどく嬉しかった。


「あのさ、茉莉花ちゃん」


 駅の改札口が見えてきたところで、栞先輩が不意に足を止めた。

 夕日に照らされた彼女の横顔が、少しだけ照れくさそうに私を見下ろす。


「もしよかったらなんだけど、連絡先、交換しない? ゲームのチャットだけじゃなくて、普通に連絡を取り合えたら嬉しいなって」


「はい! 私でよければ、ぜひ!」


 食い気味に返事をしてしまい、私は慌ててカバンからスマートフォンを取り出した。

 緊張で震える指でメッセージアプリを開き、自分のアカウントの二次元コードを表示する。

「読み取るね」と近づいてきた先輩のスマートフォンが私の画面を認識すると、すぐに栞という名前と、爽やかなテニスボールのアイコンが友達リストに追加された。


 先輩と連絡先を交換してしまった。

 たったそれだけのことなのに、心の奥底から温かさが広がっていく。


 スクールカーストの底辺でひっそりと息を潜めていた私に、こんなに眩しい先輩の連絡先が登録される日が来るなんて、今朝の時点では想像すらしていなかった。


「よし、登録完了。じゃあ、茉莉花ちゃんはあっちのホームだよね。気をつけて帰ってね」


「はい。栞先輩も、お気をつけて」


 改札を抜け、別々のホームへ向かうエスカレーターの前。

 栞先輩は振り返り、花が咲いたような明るい笑顔で大きく手を振った。


「また後で、ゲームでね!」


「……はいっ!」


 私も、今日一番の笑顔で手を振り返した。


 ゲームの中でね――その当たり前の約束が、今はただの現実逃避ではなく、明日を生きるためのご褒美のように感じられた。


 ◇


「ただいまー……」


 自宅の玄関のドアを開け、靴を揃えてリビングへ向かう。


 キッチンでは、母親が夕食の準備をしていた。

 醤油と出汁のいい香りが漂ってくる。

 エプロン姿の母はフライパンを揺すりながらこちらを振り返り、少し不思議そうな顔をした。


「おかえり。なんか今日、やけに機嫌がいいわね。いつも猫背で暗い顔して帰ってくるのに、今日は背筋が伸びてるじゃない。友達と遊んできたの?」


「えっ? あ、うん。ちょっとね」


 鋭い指摘に心臓が跳ねるのを感じながらも、私は誤魔化すように笑って、逃げるように自室へ駆け込んだ。


 カバンを床に置き、着替えもせずにそのままベッドに勢いよく倒れ込む。

 スプリングが重みで沈み込む感触とともに、今日一日の出来事が頭の中を駆け巡った。


 ザワさんが、栞先輩だったなんて。

 仰向けのまま天井を見つめ、私は先ほどの出来事を反芻する。


 銀の鎧を着た、落ち着いた大人の男性。

 私が勝手に思い描いていた王子様の幻影は、見事に打ち砕かれてしまった。

 初恋めいたあの感情は、どうやら見当違いの方向へ向かっていたらしい。


 でも、不思議とショックはなかった。

 むしろ、あの優しくて頼もしいザワさんの中身が電車で私を助けてくれたかっこいい栞先輩だったという事実が、私の中で自然と腑に落ちていたのだ。


 厳格な親の期待に応えるため、完璧な優等生を演じ続けている彼女。

 そんな彼女が、ゲームの中では屈強な男のキャラクターに扮して、日常の重圧から息抜きをしている。


 誰も知らない先輩の秘密を、私だけが知っている。

 その優越感と、共有できた秘密の甘さが私の心を満たしていた。


 スマートフォンの画面をつけると、メッセージアプリのトーク画面には、先ほど別れたばかりの先輩から『今日はありがとう。気をつけて帰ってね!』という文章と、可愛らしい猫が手を振るスタンプが届いていた。

 私は『こちらこそ、ありがとうございました。後でログインしますね!』と返信し、同じようにお辞儀をするスタンプを一つ添えた。


 夕食と入浴を早々に済ませた私は、自室の机に向かい、スマートフォンをスタンドに立てかけてキンドレッド・ソウルズ・オンラインのアプリを起動した。

 いつものように、壮大なオーケストラの音楽と共にログイン画面が表示される。


 初期の街である噴水広場。

 画面の中央には、私が操る白いローブのヒーラー、マリが立っていた。


 フレンドリストを開くと、ザワの文字はまだ暗い灰色のままだ。

 それは、オフライン状態であることを示している。


 私は噴水の縁にキャラクターを座らせ、行き交う他のプレイヤーたちを眺めながら、先輩が来るのをのんびりと待つことにした。


 十分ほど経った頃だろうか。

 画面の左下に『フレンドのザワがログインしました』というシステムメッセージが表示された。

 ほぼ同時に軽快な通知音が鳴り、画面の中央にパーティ申請のウィンドウが飛び出してくる。

 私は迷わず承認ボタンをタップした。


『ヤッホー! マリちゃん、お待たせ!』


 チャット欄に、元気なメッセージが表示される。

 振り返ると、そこには見慣れた銀色の重厚な鎧を着た、身の丈ほどもある槍を構える長身の騎士が立っていた。

 美しいモデリングの凛々しい顔立ち。

 どこからどう見ても、歴戦の戦士のようなかっこいい大人の男性だ。


 でも、この中身はあの栞先輩なのだ。

 目の前の屈強な騎士と、カフェで向かい合って座っていた内巻きボブの可憐な先輩の姿が脳内で重なり、なんだか無性に面白くなってきてしまう。

 画面越しのイケメン騎士から、爽やかなシトラスの香りが漂ってきそうな錯覚すら覚える。


『お疲れ様です、ザワさん。あ、もう栞先輩って呼んだ方がいいですか?』


『ううん、ゲームの中では今まで通りザワでいいよ! あたしもマリちゃんって呼ぶし。その方が、なんか気楽でいいでしょ?』


『わかりました。じゃあ、改めてよろしくお願いします、ザワさん!』


 私たちは噴水広場を後にして、いつものようにレベル上げのために街の外れのフィールドへと向かった。

 昼間、カフェであんなに深い話をしたのに、ゲームの中に戻ってくれば私たちはいつも通りのタンクとヒーラーだ。


 今日のご飯は何だったとか、来週の小テストが嫌だとか、学校の友達同士のような他愛のない会話をチャットで弾ませながら、背の高い草むらをかき分けて進む。

 しばらく歩くと、前方から低級モンスターである緑色の肌をしたゴブリンの群れが三匹、こちらに向かってくるのが見えた。


『お、敵だ。よし、マリちゃんはあたしの後ろに隠れてて。あたしがスキルを使って敵の注意を全部引き受けるから』


 ザワが銀の槍を構え、タンクの役割を果たすための防御スキルを発動しようとした――その時だった。


「えいっ!」


 私はスマートフォンの画面を素早くタップし、白いローブを翻してゴブリンの群れに向かって一直線に突撃した。

 そして筋力ステータスにすべてを注ぎ込んだ攻撃力の暴力に任せて、初期装備の木の杖を力任せに振り下ろす。


 鈍い衝撃音が響き渡り、ゴブリンの一匹が短い悲鳴を上げて吹き飛び、光の粒子となって弾け散った。

 間髪入れずに二匹目、三匹目へと向き直り、私は無心で杖を振り回す。

 回復魔法や支援魔法の美しいエフェクトなんて一切出ない。

 ただ純粋な、物理による撲殺である。

 ものの十秒で、ゴブリンの群れは跡形もなく消え去った。


 静まり返ったフィールド。

 私の後ろで、槍を構えたまま硬直している銀の騎士の頭上に、少しの間を置いてからチャットの吹き出しが現れた。


『www』


『…………あ』


『ヒーラーなのに真っ先に突っ込んでいって物理で殴り倒すの、ほんとマリちゃんって感じで最高すぎるw』


『ごめんなさい! つい、いつもの癖で……』


 画面の向こうで、栞先輩がお腹を抱えて大爆笑している姿が目に浮かぶ。

 私はスマートフォンを握りしめながら、少しだけ顔を熱くした。


『だって、魔法の詠唱を待つより、杖で直接殴った方が早いんですもん……』


『ヒーラーとは一体何なのか、深く考えさせられるプレイスタイルだねw』


『うぅ……笑わないでくださいよ……』


 からかうようなザワのチャットに、私も思わず声を漏らして笑ってしまった。

 中身が女の子だと知っても、私たちの関係は何も変わらない。

 相変わらず私は魔法が使えない物理攻撃特化のヒーラーで、ザワさんはそんな私を後ろで見守りながら全力でフォローしてくれる頼もしいタンクだ。


 憧れの王子様はいなくなってしまったけれど、秘密を共有した憧れの先輩と一緒に、こうして気兼ねなく笑い合える今の関係の方が、私にとってはよっぽど居心地が良くて、特別だった。


『よし、じゃあこの調子で奥の森まで行こっか! マリちゃん、どんどん殴っていいよ! あたしが後ろから応援するから!』


『応援じゃなくて、ちゃんと盾になってくださいよ!』


 冗談を言い合いながら、私たちは夕闇の迫るフィールドを並んで駆け出していく。


 冴えなかった私の人生に突如現れた、ゲームと現実の二つの世界を繋ぐ光のような人。

 この日から、私の日常は少しずつ色鮮やかなものへと変わっていくのだった。

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