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STR全振り脳筋ヒーラーは恋をする  作者: 白月つむぎ


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22 仮想世界の誓い

 九月も中旬を過ぎると、夜の空気にははっきりと秋の冷たさが混じるようになっていた。


 自室のベッドの上に体育座りをして、私は部屋の明かりをすべて消したまま、スマートフォンの画面だけを見つめていた。

 画面の隅に表示されているデジタル時計の数字は、すでに深夜の二時を回っている。


 日本と、先輩の暮らす遠い異国との間には、昼夜を逆転させるほどの残酷な時差が存在していた。

 私が学校で授業を受けている時、彼女は深い眠りの中にいる。

 彼女が太陽の下を歩いている時、私は夜の闇の中で布団に包まっている。

 同じ空の下にいるはずなのに、私たちは違う時間を生きることを強制されていた。


 平日に私たちがリアルタイムで言葉を交わすことは不可能に近い。

 だからこそ、休日の前夜、私の深夜と彼女の昼下がりが重なるこの僅かな時間だけが、私たちを繋ぐ唯一の命綱となっていた。


 ふと、画面の上部に小さな通知がポップアップした。


『ザワがログインしました』


 その文字を見た瞬間、私の胸の奥で止まっていた時計の針が、勢いよく動き始めた。

 私は急いでゲームのアプリを立ち上げ、いつもの待ち合わせ場所である始まりの街の噴水広場へとキャラクターを走らせた。


 石畳の広場の中央には、見慣れた銀の鎧を纏った騎士が立っていた。

 ザワ――栞先輩だ。


『先輩! お疲れ様です、待ってました!』


 挨拶のチャットを打ち込むと、ザワのキャラクターが嬉しそうに手を振るエモートを返してきた。


『マリちゃん、ごめんね。いつもこんな深夜まで起きててもらって。眠くない?』


『全然眠くないです。先輩とお話しできるのが、一週間で一番楽しみですから』


 私の言葉にザワは少しだけ間を置いてから、ぽつりと心情を吐露するようなチャットを打ち込んできた。


『……ありがとう。あたしもね、マリちゃんが待っててくれるって思うから、こっちでの生活をなんとか頑張れてるんだ』


 画面越しの文字からでも、先輩が今抱えている深い孤独と疲労感が痛いほどに伝わってきた。


『こっちはね、本当に何もかもが違うの。周りは全部英語だし、スーパーに売ってる食材も見たことないものばかりで、ご飯の味も全然合わなくて。学校にもまだ馴染めなくて、お父さんもお母さんも新しい仕事の立ち上げで毎日夜遅くまで帰ってこない……広い家に一人でいると、自分が世界から切り離されちゃったみたいで、息が詰まりそうになるんだ』


 完璧なエースとしていつも誰かの中心で輝いていた彼女が、見知らぬ土地でどれほど不安な夜を過ごしているのか。

 想像するだけで、私の胸は締め付けられるように痛んだ。


『でも、この世界にログインして、マリちゃんのメイスを持った姿を見ると、自分が一人じゃないって思える。あたしの帰る場所は、ちゃんとここにあるんだって安心できるんだ。マリちゃん、本当にありがとう』


 彼女の孤独を癒やせるのが、家族でも現地の新しい友人でもなく、このゲームの中にいる私なのだという事実。

 それは、現実で彼女の隣に立てない私にとって、涙が出るほど嬉しい言葉だった。


『私の方こそ、先輩がいない現実は寂しくて仕方ないです。だから、ゲームの中では、私が絶対に先輩を守ります。行きましょう、先輩』


 私たちは言葉少なにパーティを組み、かつて私が無謀な突撃を繰り返して全滅しかけた、あの高難易度ダンジョン――深淵の門へと足を踏み入れた。


 最深部で待ち受ける、巨大な大鎌を持った死神のボス。

 戦闘が始まった瞬間、ザワは迷うことなく最前線へと飛び出し、巨大な銀の盾を構えて敵の重い一撃を完璧なタイミングで受け流した。

 激しい火花が散り、ボスのヘイトがザワへと固定される。


 かつての私なら、ここで彼女よりも前に出てメイスを振り回し、無惨に倒れていたことだろう。

 しかし、今の私は違う。

 ザワの背後、絶対に敵の攻撃が届かない安全な距離を保ちながら、私は祈りの言葉を紡いだ。

 緑色の温かな光の粒子がザワの体を包み込み、継続回復の魔法が発動する。


 ボスの攻撃の合間を縫って、私は一気に距離を詰め渾身の力でメイスを叩き込む。

 敵が怯んだ瞬間に再び後方へと下がり、ザワの体力が大きく削られたのを見計らって、強力な単体回復魔法を唱えた。


 私の回復魔法があるからこそ、ザワは防御だけでなく大胆な攻撃に転じることができる。

 ザワが完璧に敵を引きつけてくれるからこそ、私は安心して魔法を唱え、ここぞという時に攻撃を叩き込める。


 二人の呼吸は完全に一致していた。

 物理的な距離や時差など存在しないかのように、私たちの魂は仮想空間で深く結びついていた。


 最後はザワの放った渾身の剣撃がボスを光の粒子へと変え、私たちは見事に高難易度ダンジョンをクリアした。


『すごい! マリちゃん、今の回復のタイミング完璧だったよ!』


『先輩のガードも最高でした! 一度もヒヤッとしませんでしたよ!』


 お互いの健闘を称え合いながら私たちはダンジョンを抜け、星空が美しく見える見晴らしの良い丘へと移動した。

 眼下には、仮想世界の青く穏やかな海が広がっている。

 それは奇しくも、夏休みに二人で花火を見つめた、あの海沿いのリゾートを思い起こさせる景色だった。


 丘の上の柔らかな草の上に並んで腰を下ろすと、しばらくの間、静寂が流れた。

 やがてザワのキャラクターが立ち上がり、私の方へと向き直った。


『……ねえ、マリちゃん。最近実装された大型アップデートのこと、知ってる?』


『アップデートですか? 新しいエリアの追加とか……』


『ううん。パートナーシップ制度の実装』


 その単語に、私はハッと息を呑んだ。

 それは、プレイヤー同士が特別な絆を結ぶための、いわゆる――ゲーム内結婚システムのことだった。


 専用のクエストをこなし大聖堂で誓いを立てることで、互いのステータスに強力なボーナスが付与され、どんなに離れたマップにいても瞬時に相手の元へワープできるようになるという、究極の絆の証明。


『現実のあたしは、マリちゃんから何千キロも離れた場所にいる。海を越えないと会えなくて、声を聞くことすら簡単じゃない』


 チャットに表示される一文字一文字が、重く、切実な思いを孕んでいた。


『こんなに遠くにいるのに、ゲームの中でもただの友達のままでいるのは……あたし、すごく寂しいんだ。マリちゃんが他の誰かとパーティを組んだりするのを想像するだけで、おかしくなりそうになる』


 先輩の不器用で――けれど、真っ直ぐな独占欲。

 その感情が私に向けられているという事実に、目頭が熱くなる。


『だから、せめてこの世界の中でだけでも、あたしと特別な絆を結んでほしい。あたしの、たった一人のパートナーになってくれないかな?』


 現実の世界では、先輩と後輩。

 あるいは、友達という境界線を越えることをあんなにも恐れていた。


 でも、もう我慢する必要はないのだ。

 現実で彼女の隣に立てないのなら、せめてこの仮想の空間で私は彼女の永遠の隣人になりたい。


 私は震える指先で、画面を強くタップした。


『はい。私でよければ、喜んで……!』


 その直後、私たちは特別なアイテムを使用し、パートナーシップを結ぶための専用エリアである光の大聖堂へと転送された。

 画面が切り替わった瞬間、そのあまりにも豪華で美しい光景に私は感嘆の声を漏らしそうになった。


 天高くそびえる大理石の柱。

 壁一面にはめ込まれた壮大なステンドグラスからは、七色の光が神聖な祭壇へと降り注いでいる。


 足元には深い真紅の絨毯が一直線に敷かれ、天井からは祝福の証である白い羽や花びらが絶え間なく舞い落ちていた。

 厳かで美しいパイプオルガンのBGMが鳴り響く中、システムからの通知が表示された。


【儀式用の特別な衣装に着替えますか?】


 私は迷わず「はい」を選択した。

 光のエフェクトに包まれ、私のキャラクターであるマリの姿が一変した。

 普段の聖職者の服ではなく、何層にも重なる最高級のシルクと繊細なレースで仕立てられた、純白のウェディングドレス。

 頭には透き通るような長いヴェールが被せられ、手には白百合のブーケが握られている。


 そして、隣に立つザワの姿を見て、私の心臓は限界を突破するほど激しく跳ね上がった。

 聖騎士であるザワの高身長でスマートなアバターに合わせて用意されていたのは、息を呑むほど洗練されたミッドナイトブルーのタキシードだった。

 燕尾服の裾が優雅に翻り、襟元や袖口には銀糸の緻密な刺繍が施されている。

 完璧な比率で仕立てられたその衣装は、彼女の凛とした美しさと男装の麗人のような圧倒的な格好良さを極限まで引き出していた。


 現実の栞先輩がこのタキシードを着て私に手を差し伸べている姿を想像してしまい、顔が爆発しそうなほど熱くなる。

 タキシード姿のザワがウェディングドレス姿の私に向かって、優雅に片手を差し出した。


『行こう、マリちゃん。あたしたちの、誓いの場所へ』


 私は差し出されたその手を取り、真紅の絨毯の上を二人でゆっくりと歩き出した。

 祭壇の前に到達すると、天上から黄金の光の柱が降り注いだ。

 システムのアナウンスに従い、私たちは互いに向き合う。


【永遠の絆の証を、交換してください】


 ザワが手にした仮想の指輪が、私の左手の薬指にそっとはめられた。

 私もまた、ザワの指に同じデザインの指輪をはめる。


 その瞬間、画面いっぱいに無数の光の羽が舞い散り、大聖堂の鐘の音が盛大に鳴り響いた。


【ザワとマリは、永遠のパートナーとなりました】


 システムの祝福のメッセージと共に、ザワのキャラクターが私の前に片膝をつき、ドレスの裾から覗く私の手に誓いの口づけを落とした。


 現実ではない。

 ただの電子データと、ピクセルの集まりでしかない。

 けれど、この仮想の指輪と誓いだけが、今の私にとっての絶対的な真実であり、彼女を愛し続けるための強固な盾だった。


 儀式を終え、大聖堂の入り口で余韻に浸っていると、ふと窓の外の現実に意識が引き戻された。

 カーテンの隙間から差し込む光が、夜の闇を薄紫色へと変え始めている。

 日本の空が、白み始めているのだ。


『マリちゃん、そっちはもう朝だね。夜更かしさせちゃってごめん。そろそろ、寝ないと体壊しちゃうよ』


 ザワの優しいチャットに、私は名残惜しさを隠しきれないまま返信を打った。


『はい……でも、今日はすごく幸せでした。このまま夢の中でも、先輩に会えそうです』


『ふふ、あたしもだよ。おやすみなさい、あたしの可愛い奥さん』


 奥さん。

 その冗談めかした、けれど愛おしさに満ちた破壊力抜群の言葉に、私の顔は再び限界まで赤く染まった。


 ザワの姿が光の粒子となってログアウトし、大聖堂には私一人だけが残された。

 私は自分のキャラクターの左手にはめられた、小さな銀の指輪のテクスチャをじっと見つめた。


 現実の部屋は相変わらず静かで、彼女のシトラスの香りも温もりも存在しない。

 けれど、もう絶望に泣き崩れることはない。


 私は熱を持ったスマートフォンを胸に強く抱きしめた。

 どんなに遠く離れていても、私たちは繋がっている。

 この仮想世界での永遠の誓いを胸に刻み、私は彼女のいない現実世界を強く、逞しく生き抜いてみせる。


 夜明けの光が部屋を満たしていく中、私はかつてないほどに力強い決意と共に、静かに目を閉じた。

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