16 真夏の招待状
深い夜の静寂の中、自室に満ちる冷房の冷気とは対照的に、私の胸の奥には絶えず熱い何かが去来し続けていた。
画面の中では、銀の鎧を纏った聖騎士ザワが、巨大なオークの猛攻を正面から受け止めている。
以前の私なら、彼女が傷つく前にすべてを終わらせようと、一刻も早く敵の頭上に鈍色のメイスを叩き込むことだけに執念を燃やしていた。
けれど、今の私は違う。
私はザワの背後、数歩下がった安全な距離に立ち、左手をそっと前方に差し出した。
意識を集中させ、聖職者としての祈りの言葉を紡ぐ。
私の指先から溢れ出した淡い緑色の光の粒子が、ザワの背中を優しく包み込む。
その祈りは継続回復という形で、彼女の傷を少しずつ、確実に癒やし始めていた。
それが私がたどり着いた、彼女を守るための新しい形だった。
『マリちゃん、ありがとう。継続回復、すごく助かるよ。これならもっと大胆に攻められる!』
ザワからのチャットが画面に踊る。
私はその言葉に勇気をもらい、右手でしっかりとメイスを握り直した。
回復魔法を維持しながら、隙を見て敵の懐へと飛び込む。
一撃を加え、再び下がって彼女の状態を確認する。
盾役と回復役。
本来の役割を尊重しながら、私たちらしい連携が形作られていく。
最後の一体を粉砕し、周囲に平和が戻った。
私たちは安全な街の噴水広場へと帰還し、石畳の上に腰を下ろした。
『連携、すごく良くなったね。マリちゃんの魔法、温かくて好きだよ』
『ありがとうございます。もっと練習して、効率よく支援できるようになりますね』
文字を打ち込みながら、私はふと、開け放った窓から聞こえてくる遠い蝉の声に意識を向けた。
ついに、一学期が終わったのだ。
終業式を終え、明日からは待ちに待った夏休みが始まる。
学校という枠組みから解放され、大好きな先輩と過ごせる自由な時間が無限に広がっているように感じられた。
『明日から夏休みだね、マリちゃん。せっかくだし、現実でもいっぱい遊びたいなって思ってるんだけど……何かやりたいことある?』
ザワの問いかけに、私の指先が躍動した。
やりたいこと。
それはもう、何日も前から頭の中でリストアップされていた。
『涼しい水族館とか、どうでしょうか。それから、夜の夏祭り――花火大会も、もしよければ一緒に行きたいです』
『いいじゃん! 水族館でペンギン見て涼んで、夜は浴衣で花火。最高だね、全部行こう!』
快諾してくれる先輩の反応に、私は画面の前で小さくガッツポーズをした。
水族館の大きな水槽の前で、青い光に照らされる先輩の横顔。
屋台の明かりに照らされ、浴衣姿で微笑む先輩の姿。
想像するだけで、私の心臓は夏の太陽よりも激しく燃え上がりそうだった。
楽しく予定を立てていると、ザワが少しだけ間を置いて、新しいチャットを打ち込んできた。
『あのさ、もう一つ、相談したいことがあるんだけど……』
どこか言い淀むような、それでいて期待を孕んだその口調に、私は姿勢を正した。
『実は、あたしの両親が会社の知り合いから、海沿いのリゾートホテルのペア宿泊チケットをいただいたんだ。でも、二人とも急に出張が重なっちゃって、行けなくなっちゃったみたいで』
私はゴクリと唾を呑み込んだ。
海沿いのリゾートホテル。
それは、今までの日帰りのお出かけとは次元の違う話だ。
『八月の下旬なんだけど、チケットを無駄にするのも勿体ないし……もしよかったら、あたしと一緒に一泊二日で旅行に行かないかな?』
頭の中が、真っ白になった。
一泊二日の、二人きりの旅行。
そんなの、私の想像の範疇を遙かに超えた特大の招待状だ。
宿泊先は海岸線に沿って美しいホテルが立ち並び、背後には急峻な坂道が連なる、古くからの景勝地として知られる街だという。
海を望む絶景の露天風呂があり、夜には砂浜から打ち上げられる大迫力の花火を特等席で眺めることができる。
そんな贅沢な空間で、先輩と夜通し一緒に過ごすことができるのだ。
『えっ……あの、私、本当に行ってもいいんですか。そんな、大切なチケットなのに』
『茉莉花ちゃんとじゃなきゃ、行く意味ないもん。あたしも、二人で海が見たいなって思ってたんだ』
二人で海が見たい。
その言葉が、私の理性を粉々に砕き去った。
一学期の終わりに経験した、あの激しい雷雨の中での抱擁。
雨上がりの相合傘。
少しずつ、けれど確実に縮まってきた二人の距離が、この夏休みの旅行で決定的なものになるかもしれない。
そんな予感が、私の全身を心地よい戦慄で満たしていく。
『行きたいです! 絶対に、行きたいです!』
私は我を忘れて返信を打ち込んでいた。
画面の中のマリもまた、私の興奮を代弁するようにザワの周囲を飛び跳ねて喜びを爆発させている。
『よかった! 決まりだね。水族館に、花火大会、そして海辺のリゾート旅行。今年の夏は、今までで一番忙しくて、最高に楽しい夏になりそう!』
先輩の弾けるような笑顔が、チャットの文字の向こう側に鮮明に浮かび上がった。
かつての私にとって、夏休みはただの長い休暇に過ぎなかった。
けれど今の私にとっての夏休みは、大好きな人と過ごす一瞬一瞬がかけがえのない宝石のような価値を持っている。
澄み渡る青い空。
照りつける太陽。
それらすべてが、私たちを祝福するために存在しているかのように思えた。
私はスマートフォンの画面を胸に抱きしめ、まだ見ぬ海辺の景色の断片を思い描いた。
潮風に揺れる先輩のボブヘア。
砂浜に残される二人の足跡。
そして、打ち上げ花火の光に照らされる、彼女の美しい瞳。
最高の夏の始まりを告げる予感に、私の心はどこまでも高く、青い空へと舞い上がっていった。




