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STR全振り脳筋ヒーラーは恋をする  作者: 白月つむぎ


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15 不器用な本音の行方

 降りしきる雨の壁が、昇降口という狭い空間を外界から完全に遮断していた。

 アスファルトを叩きつける水の音は、重低音を伴って私の鼓膜を震わせ続けている。


 薄暗い空間に立ち尽くす私と、テニスウェア姿の栞先輩。

 数メートルという距離が、今は果てしなく遠い溝のように感じられた。


 私は逃げ場を失い、ただ足元のタイルを見つめていた。

 次に先輩から投げかけられる言葉が、決定的な絶縁の宣言であってもおかしくはないと覚悟を決めていたからだ。


 自分勝手な振る舞いで、現実でも疲弊していた彼女をさらに追い詰めてしまった。

 廊下で彼女を避けてしまった。

 その罪悪感が、私の喉を塞いでいた。


 しかし沈黙を破った先輩の声は、私が予想していたものとは正反対の響きを帯びていた。


「ごめんね、茉莉花ちゃん。あの夜、ひどいこと言っちゃって」


 掠れた、震えるような声だった。

 驚いて顔を上げると、そこにはいつもの凛としたエースの姿はなかった。

 濡れた前髪が額に張り付き、俯いたまま自分の指先を弄ぶ彼女の姿は、まるで迷子になった子供のように頼りなげに見えた。


「あたし、最低だよね。お母さんと喧嘩して、そのイライラを一番甘えてた茉莉花ちゃんにぶつけるなんて。ログインしなくなったのも、学校で目を逸らされたのも、あたしが最低なことを言ったからだよね……嫌われて当然だって、ずっと自分を責めてたんだ」


 先輩の言葉が、私の胸の奥に澱んでいた絶望を鮮やかに塗り替えていく。

 嫌われていたのは、私の方ではなかったのだ。

 先輩もまた、私と同じように拒絶を恐れ、後悔の夜を過ごしていたのだ。


 俯く彼女の肩が微かに震えているのを見て、私は自分の恐怖などどこかへ吹き飛んでしまった。


「嫌うわけ、ないじゃないですか!」


 気づけば、私は叫ぶように声を上げていた。

 激しい雨音に打ち消されないよう、一歩、彼女の方へ踏み出す。


「先輩を嫌いになるなんて、世界がひっくり返ってもあり得ません。私……私がログインできなかったのは、先輩に嫌われたと思ったからです。足手まといの私なんかに、もう隣にいてほしくないって思われたのが、怖くてたまらなかったからなんです」


 溢れ出しそうになる感情を制御することができなかった。

 私はそのまま、今まで胸の奥底に秘めていたあまりにも不器用で盲目的な思いのすべてを吐露し始めた。


「どうして私が、ヒーラーなのに前に出て敵を殴っていたか、分かりますか? それは、先輩が現実でもゲームの中でも、いつも誰よりも傷ついて戦っているからです。手のひらに豆を作って、親御さんの期待を一人で背負って……ゲームの中の先輩は、銀の重い鎧を着て、みんなの盾になって、何度も敵に叩かれていました。その姿を見るのが、私には耐えられなかったんです」


 視界が急速に熱い涙で歪んでいく。

 拭うこともしないまま、私は言葉を紡ぎ続けた。


「先輩がダメージを受けてから回復するんじゃ、遅いんです。先輩が傷つく前に、私が敵を全部倒してしまいたかった。そうすれば、少しは先輩が楽になれるんじゃないかって……でも、私はただの非力な後輩で、ゲームでも現実でも足手まといになることしかできなくて。自分の不甲斐なさが、悔しくて仕方がなかったんです」


 私が泣くつもりはなかった。

 けれど、言葉にすればするほど、彼女への愛おしさと自分の無力さが混ざり合い、涙となって溢れ出して止まらなくなった。

 静まり返った昇降口で、私の泣きじゃくる声だけが雨音に紛れて響いていた。


 不意に、目の前の光が遮られた。

 私の不器用な、あまりにも歪な愛情の理由を知った彼女が、一歩、また一歩と距離を詰め、私の目の前に立った。


 次の瞬間、柔らかな温もりが私を包み込んだ。

 先輩が、泣いている私を壊れ物を扱うような優しさで抱きしめていた。

 私の鼻腔を、雨の匂いに混じって、いつも彼女から香るあの爽やかなシトラスの香りが満たした。


「馬鹿だなぁ、茉莉花ちゃんは。本当に、馬鹿なほど優しいんだね」


 耳元で囁かれる先輩の声もまた、涙を含んで潤んでいた。

 彼女の腕の力は、震えながらも私のすべてを肯定するように確かだった。


「役に立たないなんて、二度と言わないで。あたしは、茉莉花ちゃんが隣にいてくれるだけで、どれだけ救われてるか分からないんだよ。ログインしなかった数日間、あたし、本当におかしくなりそうだった。盾になって守る相手がいないことが、こんなに寂しいなんて知らなかったんだ」


 先輩の背中に回した私の手には、テニスウェアの生地越しに彼女の力強い鼓動が伝わってきた。

 完璧なエースとしての彼女ではなく、一人の少女としての彼女が、私の腕の中にいた。


 私が守りたかったのは、この温もりだったのだと改めて確信する。

 手段は間違っていたかもしれないけれど、彼女を想う心だけは、何よりも真実だった。


 しばらくの間、私たちは言葉もなく抱きしめ合っていた。

 激しかった雷鳴はいつの間にか遠ざかり、重苦しい雨音も次第に穏やかなリズムへと変わっていく。


 窓の外を白く染めていた豪雨は小降りになり、夕暮れの僅かな光が雲の隙間から漏れ出していた。

 ゆっくりと腕を解いた先輩は、制服の袖で私の涙を丁寧に拭ってくれた。

 その仕草のあまりの愛おしさに、私は再び胸が熱くなるのを感じた。


「……さて、雨も落ち着いてきたね。でも、あたしは相変わらずの大失態を犯してるみたい」


 先輩は少し照れくさそうに笑いながら、誰もいない下駄箱の自分の場所を指差した。


「あたし、テニスや勉強のこと以外は本当にガサツというか、適当なんだよね。朝はあんなに晴れてたから、傘なんて一切持ってきてないんだ」


 それは彼女の、完璧な外面とは裏腹な、人間味のある愛らしい一面だった。

 部活動の有無に関わらず、彼女は常に荷物を最小限にする傾向があり、折り畳み傘を持ち歩くという細やかな習慣とは無縁のようだった。


「私が持っています。先輩、また一緒に入ってください」


 私は下駄箱の横に立てかけていた自分の長傘を手に取った。


 先日、二人で一つの傘に入ったあの日の記憶が蘇る。

 あの時も、今も、私は彼女に守られてばかりだけれど、今はその事実に卑屈さを感じることはなかった。

 守られることもまた、彼女との大切な繋がりなのだと受け入れられるようになったからだ。


 昇降口の扉を開け、私は傘を大きく広げた。

 濡れたアスファルトが夕陽を反射して、幻想的な輝きを放っている。


 先輩が私の肩を抱き寄せるようにして、一つの傘の内側へと入り込んできた。

 再び訪れた、肩と肩が触れ合う至近距離。

 シトラスの香りと、彼女の確かな体温。


「今夜、またログインするね。マリちゃんのメイス、楽しみにしてるよ」


 歩き出した先輩が、私を見つめて優しく言った。


「はい。次は……ちゃんと、回復もしますから。先輩の隣で、負けないように戦わせてください」


 私は彼女の腕の温もりを感じながら、しっかりと頷いた。


 雨上がりの澄んだ空気の中、私たちの歩幅は重なり合い、駅へと続く一本道をゆっくりと進んでいく。

 止まっていた時計の針が、再び力強く動き出した。


 夏の嵐が去った後の夜空には、きっと今までよりもずっと美しい月が浮かぶはずだ。


 大好きな先輩と、再び同じ世界を歩むために。

 私は手の中の傘の柄を、感謝を込めて強く握り締めた。

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