第6話 残っているもの
食べ終わった包みを、豪は小さく折り畳んだ。
捨てていいものか迷い、作業着のポケットに入れる。
水を飲んでから、左端の数字を見た。
【HP:50/100】
少し戻っていた。
それを見て、ようやく時間が過ぎているのだと分かった。
森に来てから、どれくらいたったのだろう。
スマートフォンがあれば、考えるまでもなかった。今は木の葉の隙間から空を見上げても、朝か昼かさえ分からない。
「澪、時間って見れる?」
隣で、澪が顔を上げた。
「画面で?」
「ああ。時計みたいなの」
「探してみます」
豪も案内を開いた。
帰還や戦闘の説明は見つかるが、今知りたいことほど、どこに書かれているのか分からなかった。
「ないですね」
澪が言った。
「私が見つけてないだけかもしれないですけど」
「空、暗くなるのかな」
「なったら、困りますね」
二人とも頭上を見た。
白い空は、ここに来たときと変わっていなかった。
「明るいうちに、寝られる場所を探そう」
豪は立ち上がった。
澪も包みをポケットにしまった。
*
歩きながら、豪は何度も足元を探した。
枝はどこにでも落ちていた。
だが、拾おうとすると、折れる音を思い出した。
手を伸ばしかけては、戻す。
三本目を通り過ぎたところで、澪が足を止めた。
「武器、買いませんか」
豪は振り向いた。
「さっき、ナイフ見てましたよね」
「ああ」
「また何か来たら、困るので」
澪は豪の手を見ていた。
何も持っていない右手を、豪は作業着に擦った。
「そうだな」
二人は周囲を確かめ、木のそばで足を止めた。
豪が画面を開く間、澪が周りを見ることにした。
装備の中には、ナイフ以外にも剣や槍があった。
豪は長い槍の説明を見た。
値段を見て戻る。
次に短剣を見る。
振っている自分を想像しようとしたが、相手がすぐ目の前にいるところしか浮かばなかった。
「何かありました?」
「短いのは、近づかないと使えないよな」
「そうですね」
「さっきのやつ、ほとんど見えなかったから」
手首を見た。
歯が触れた感触は覚えている。
皮膚には、跡一つなかった。
豪は一覧を下へ送った。
【木製棍棒 8ポイント】
飾り気のない、先端の太くなった棒だった。
長さは、拾った枝と大きく変わらない。
「これにする」
「どんなのですか」
「棒。さっきの枝より、折れにくそうなやつ」
購入すると、手の中に重みが現れた。
【所持ポイント:126】
滑らかな木の柄だった。
握り直すと、指がしっかり掛かった。
豪は誰もいない方へ向け、ゆっくり振った。
先端に引っ張られる。
枝より重い。
「澪も何か持った方がいい」
「はい」
今度は豪が顔を上げ、澪が購入画面を開いた。
現れたのは、同じ棍棒だった。
彼女は右手で持ち上げ、顔をしかめた。両手に持ち替えると、ようやく先端が安定した。
「……振ったあと、戻すの大変ですね」
「小さく動かした方がいいのかも」
豪も両手で構えた。
大きく振り上げようとして、止まった。
キツネの身体が、目の前に浮かんだ。
棒を下ろす。
澪は何も言わなかった。
自分の棒を持ち替え、豪から少し離れた場所で、何度か短く振っていた。
*
やがて二人は、木の根が盛り上がった場所に出た。
斜面の途中に大木が立っていた。根元の土がえぐれ、根と地面の間に浅い窪みができている。
豪は離れたところから中を見た。
暗い。
少しかがみ、別の角度から確かめる。
奥行きはそれほどないようだった。
「どうですか」
澪が後ろから聞いた。
「二人で座るくらいなら」
豪は小枝を拾い、窪みの入口をつついた。
何も動かない。
棍棒を片手に持ち直し、ゆっくり近づいた。
中は落ち葉と細い根で埋まっていた。
上から太い根が張り出していて、立つことはできないが、背中を丸めれば入れそうだった。
豪は入口から振り向いた。
「ここ、少し休むには――」
「いや」
声がした。
豪は澪を見た。
澪も豪を見ていた。
「今の」
窪みの奥で、落ち葉が動いた。
「来ないで」
豪はとっさに一歩下がった。
棍棒を持ち上げる。
澪も両手で棒を構えた。
落ち葉の陰から、片方の耳が出ていた。
細長い耳だった。
続いて、丸い目が見えた。
うさぎがいた。
土と似た色の毛をしていた。身体を小さく縮め、根の間へ押し込むようにしている。
「来ないで」
もう一度言った。
豪は入口から離れた。
うさぎの鼻が、忙しく動いていた。
「何もしない」
豪が言うと、うさぎはさらに奥へ身体を寄せた。
棍棒を見ていた。
豪はそれを下げた。
地面に置こうとして、ためらう。
澪もまだ棒を握っていた。
「分かった。近づかないから」
豪は横へ動いた。
入口を塞がない位置で止まる。
うさぎは動かなかった。
丸い目だけが、豪を追った。
「ここにいたんだな。邪魔した」
豪は澪を見た。
行こう、と言うつもりだった。
その前に、うさぎが言った。
「それ、何」
鼻先がわずかに伸びた。
豪は自分の手を見た。
「棒?」
「そっち」
作業着のポケットを見ている。
中には、食べ終えた包みが入っていた。
豪は空いた手で取り出した。
「食い物、入ってたやつだけど」
うさぎの鼻が動いた。
耳が、少し起きた。
「もうないの」
「これは、食べた」
耳が戻った。
豪は包みを握ったまま、黙った。
澪が隣へ来た。
声を落とす。
「どうします?」
「……食べてないのかもしれない」
「そうですけど」
澪は窪みの奥を見た。
うさぎは二人を見ていた。
豪が少し身体を動かすだけで、肩の辺りが小さく震えた。
さっきのキツネも、水を欲しがった。
豪は包みをポケットに戻した。
「ポイント、残ってるか?」
うさぎは答えなかった。
「最初にもらったやつ。食べ物、買えるだろ」
鼻が止まった。
うさぎはしばらく豪を見て、それから言った。
「出た」
「何が?」
「いっぱい」
豪は澪を見た。
澪が少しかがんだ。
「文字のこと?」
うさぎは動かなかった。
「目の前に、いろいろ出てきた?」
「うん」
「食べ物を選ぶんだよ」
「どれ」
澪が口を閉じた。
豪は自分の購入画面を思い出した。
文字ばかりだった。
項目の名前を読み、説明を開いて、値段を確かめた。
このうさぎにも、同じものが見えているのだろうか。
「読めないのか」
豪の言葉に、うさぎは耳を伏せた。
「わかんない」
小さな声だった。
「いっぱい、出る」
*
豪は入口から離れたまま、澪に声をかけた。
「ちょっと案内、見ていいか」
「はい。見てます」
彼女が画面を閉じたのを確かめてから、豪は案内を開いた。
動物の操作方法。
文字が読めない場合。
言葉を変えながら、項目を探す。
隣では、澪がうさぎに話しかけていた。
「食べ物が欲しいって、考えてみて」
うさぎの鼻が動く。
「出た」
「何が出た?」
「いっぱい」
「一つ、選べそう?」
返事がない。
うさぎは顔をそむけた。
豪は案内を閉じた。
自分たちでさえ、必要な情報を探すだけで時間がかかる。
言葉が通じるだけで、同じように分かると思っていた。
「一回、閉じていいよ」
澪が言った。
「もう見なくていい」
うさぎの耳が、少し持ち上がった。
豪は澪を横へ呼んだ。
窪みから数歩離れて、声を落とす。
「一食分だけ、買おうと思う」
澪はうさぎを見てから、豪に向き直った。
「近づかないで渡せますか」
「ああ。ここに置く」
「豪さんは、下がっててください」
豪は彼女を見た。
「私も見てます。今度は、二人とも画面を見ないようにしましょう」
「……分かった」
豪は棍棒を持つ手に力を入れた。
澪が周囲へ目を向けたのを確かめてから、購入画面を開く。
草食動物用の携帯食が見つかった。
乾燥した草を固めたものらしい。
一食分、一ポイント。
購入する。
【所持ポイント:125】
小さな包みが現れた。
豪は片手で開けようとし、うまくいかずに止めた。
棍棒を澪に預ける。
彼女は自分のものと合わせて持ち、窪みを見ていた。
包みを開くと、草の匂いがした。
うさぎが顔を上げた。
「ここに置くぞ」
豪は窪みから離れた地面に、開いた包みを置いた。
譲渡を選ぶ。
それから澪のところまで戻り、棍棒を受け取った。
待った。
うさぎは出てこなかった。
二人が見ているせいかもしれない。
豪は視線を少し外した。
木の幹を見る。
足元で、落ち葉が鳴った。
澪の指が豪の袖に触れた。
動かないで、というように。
豪は顔を向けずに待った。
小さな音がした。
かじっている音だった。
横目で見ると、うさぎが包みの端にいた。
後ろ脚を窪みの近くに残し、首だけ伸ばして食べている。
一口かじるたびに、顔を上げた。
豪たちが動いていないか確かめ、また食べる。
「……買えるようにならないと、明日も困るな」
豪は小さく言った。
澪はうさぎを見ていた。
「今は、食べてもらいましょう」
豪はうなずいた。
棍棒を握る手は、緩めなかった。
それでも、うさぎがもう一口かじるまで、そこに立って待っていた。




