第4話 百ポイントの使い道
最初に進む方向を決めるだけで、ずいぶん迷った。
右にも左にも木がある。地面は緩やかに傾いていたが、下った先に何があるのかは見えなかった。
豪は一本の木を指さした。
「あそこまで行ってみよう」
「何かあるんですか」
「いや。まず、周り見ながら」
澪は木を見てから、うなずいた。
二人の靴が落ち葉を踏んだ。
豪は何度も後ろを振り返った。さっき立っていた場所は、十歩ほど進んだだけで分からなくなった。
「目印、つけた方がよかったかな」
「戻るんですか?」
「……戻っても何もないか」
澪は答えなかった。
豪の半歩後ろを歩きながら、木々の間に目を向けている。
その視線を追うたび、豪も歩調を緩めた。草が揺れれば足を止め、枝が鳴れば顔を上げる。しばらく歩いても、背後にはまだ出発地点に似た木々が並んでいた。
右手に、灰色の岩が見えた。
近づくと、豪の背丈より高かった。片側は土に埋まり、もう片側には、二人が並んで座れる程度の平らな地面がある。
「ちょっと、ここで確認しないか」
豪は岩の陰をのぞいた。
何もいない。
上も見た。太い枝が張り出しているだけだった。
「何をですか」
「買えるものとか。何も知らないまま歩くの、まずい気がする」
「私も、それ思ってました」
澪が岩のそばにしゃがんだ。
豪は少し離れたところに腰を下ろした。そこからなら、二人が来た方角と、下り坂の先を見渡せた。
購入。
そう考えると、目の前に画面が開いた。
飲食、装備、道具、回復。
いくつかの項目が並んでいる。
飲食を選ぶ。
【飲料水・容器付き 1ポイント】
【携帯食・一食分 1ポイント】
豪は水の項目を見た。
買うと考えると、確認の文字が現れた。
【購入しますか】
はい。
右手が、急に重くなった。
「うわ」
思わず手を引き、落としかける。
透明な容器だった。中で水が揺れている。
「出たんですか?」
「ああ」
澪が身を乗り出した。
豪は容器を持ち上げた。大きさは、普段コンビニで買うペットボトルと変わらない。ラベルはなく、表面には何も書かれていなかった。
【所持ポイント:99】
数字が一つ減っていた。
「澪も買う?」
「買います」
彼女もすぐに水を手にした。
豪はキャップを回した。
開くときの小さな抵抗も、知っている感触だった。
一口飲む。
冷たかった。
喉を通っていくのが分かった。気づいていなかっただけで、かなり渇いていたらしい。
続けて飲みそうになり、容器を下ろした。
「……普通の水だ」
「ですね」
澪も口元を拭った。
豪はキャップを締め、足元に置いた。
ひとまず水は手に入った。
それでも、何かを解決した気にはなれなかった。
購入画面を閉じ、能力強化を開く。
今度は文字がいくつも並んだ。
【最大HP】
【筋力】
【敏捷】
【持久力】
【知能】
豪は知能の項目で目を止めた。
「頭もよくできるのか」
「え?」
「強化。知能ってある」
「あ、本当だ」
項目を選ぶと、説明が開いた。
理解、推論、記憶などに関わる能力を向上させる。
ただし、知識を新たに与えるものではない。
豪は説明を二度読んだ。
「何でも分かるようになるわけじゃないんだな」
「知らないことは、知らないままってことですね」
「計算とか、速くなるのかな」
「なるんじゃないですか」
豪は購入の直前まで進んだ。
【強化費用:10ポイント】
今の所持ポイントの、ほぼ十分の一だった。
戻る。
筋力も同じだった。敏捷も、持久力も。
一度にいくつも上げれば、すぐになくなる。
「何か上げます?」
澪が聞いた。
「迷ってる」
豪は自分の手を握った。
「力があった方がいいんだろうけど、どれくらい変わるか分からないし」
「十ポイントって、水十本ですもんね」
豪は足元の容器を見た。
さっきまで、たった一点だと思っていた。
「澪は?」
「まだ。先にスキルを見てます」
豪も画面を切り替えた。
武器の扱いに関するものや、聞き慣れない名前のものが並んでいる。名前を見ただけでは使い道が分からず、一つずつ説明を開かなければならなかった。
その中に、探していたものがあった。
【自己HP表示】
【取得費用:10ポイント】
「自分のHPを見るだけで、十ポイントか」
豪はつぶやいた。
痛みはない。
身体も傷つかない。
それなら、何かに襲われても、自分があとどれだけ耐えられるか分からないことになる。
「私は取ります」
澪が言った。
「見えない方が怖いので」
豪は少し迷ったあと、取得を選んだ。
【スキルを取得しました】
【所持ポイント:89】
視界の左端に、小さな文字が現れた。
【HP:100/100】
顔を動かしても、文字は同じ場所にあった。
邪魔だと思うと薄くなり、意識を向けるとはっきりする。
「見えた」
「私もです」
「いくつ?」
「百。豪さんは?」
「同じ」
豪は岩に背中を預けかけ、やめた。
ごつごつした表面を、手で触る。
乾いていた。
少し先には、折れた枝が落ちている。
豪は立ち上がって、それを拾った。
「何するんですか」
「ちょっと試す」
枝を左の手のひらに軽く当てた。
感触はある。
もう一度、今度は少し強く打つ。
音はしたが、痛くなかった。
HPを見る。
百のままだった。
「減りました?」
「いや」
「じゃあ、もういいです。減るまでやらなくても」
豪は振り上げかけた手を止めた。
「……そうだな」
枝を地面に置く。
澪は自分の手のひらを見つめていた。
「痛くないの、便利なんでしょうけど」
「ああ」
「気づかなかったら、嫌ですね」
豪は表示された百という数字を、もう一度確かめた。
*
道具の一覧には、見覚えのある物もあった。
ロープ、毛布、袋、刃物。
豪は短いナイフの項目を開いた。
刃渡りと材質、値段が表示される。
十五ポイント。
安いのか、高いのか分からなかった。
「何か、持っといた方がいいかな」
「武器ですか」
「何もないよりは」
澪は周囲を見た。
豪もつられて顔を上げた。
木々は静かだった。
「でも、使えるんですか」
「……使ったことはない」
仕事で使うカッターとは違う。
これを持ったら、何に向けることになるのか。
豪はナイフの説明を閉じた。
代わりに、さっきの枝を拾い直した。
腕くらいの長さがあり、握ると指に収まった。細い枝を折り取れば、振り回すことはできそうだった。
「しばらく、これでいい」
澪は枝と豪の顔を見比べたが、何も言わなかった。
豪は立ったまま、案内の項目を開いた。
帰還。
戦闘。
購入。
パーティー。
説明を聞いたときより、少しだけ文字が頭に入ってきた。
パーティーの項目には、メンバーへのポイント譲渡があった。
その下に、脱退の文字がある。
豪は画面を閉じた。
「澪」
「はい」
「何か買う前には、一回相談しないか」
彼女の顔が上がった。
「二人とも同じもの買って、無駄になっても困るし。食い物とかも、どれくらい使うか決めた方がいいと思う」
「……そうですね」
「俺も、勝手に全部使ったりしないから」
澪は膝の上で、ペットボトルを回した。
「全部使ったら、私の分を渡すことになるから?」
豪は言葉に詰まった。
澪は顔を上げなかった。
「ごめんなさい。変な意味じゃなくて」
「いや」
豪はしゃがんだ。
枝を足元に寝かせる。
「そういうのも、決めといた方がいいんだろうな」
妹と暮らし始めたころも、金の使い方で何度か失敗した。
必要だと思って買った服を、菜月が一度も着なかったことがある。遠慮して何も言わないから、分からなかった。
今は、その菜月に会うためのポイントだった。
目の前にいる相手にも、同じだけ帰る権利がある。
「今のところは、自分の分を自分で持っとこう」
豪は言った。
「足りなくなったら、そのとき相談する。それでどう?」
澪がうなずいた。
「それがいいです」
「あと、離れるときも声かけよう。分配の範囲とか、まだちゃんと確認できてないし」
「置いていきませんよ」
澪が言った。
豪は顔を上げた。
彼女はペットボトルの蓋を締めていた。
「私も、一人は嫌なので」
「ああ」
豪は枝を持ち、立ち上がった。
「俺もだよ」
*
岩のそばを離れ、二人は斜面に沿って歩いた。
豪は枝を右手に持っていた。
何も持っていなかったときより、周りの草が気にならなくなった。枝の先で払えるからかもしれない。
ただ、澪の歩く音が止まるたび、振り向いた。
彼女も、豪が立ち止まればすぐに足を止めた。
やがて、木々の間隔が少し広がった。
前方に明るい場所がある。
豪がそちらへ向かいかけたとき、声がした。
「待って」
立ち止まる。
澪を見ると、彼女もこちらを見ていた。
「今、何か言った?」
「私じゃないです」
豪は枝を握り直した。
声は前から聞こえた。
目を凝らすと、低い茂みの陰に何かいる。
赤茶色の毛が見えた。
細い鼻先が、葉の間から出てきた。
キツネだった。
豪の膝ほどもない。
それでも、二人とも動けなかった。
「それ以上、来ないで」
キツネが言った。
口が動くのが見えた。
豪は息を吸った。
動物とも話せる。
確かに、そう説明されていた。
キツネの目が、豪の持つ枝へ向いた。
「何も持ってないよ、ぼく」
豪は枝を下げた。
「俺たちも、何かするつもりはない」
キツネは茂みから出てこなかった。
豪の顔と、その隣の澪を交互に見ている。
「二人?」
「ああ」
「ずるいな」
小さな声だった。
豪は答えられなかった。
キツネの視線が下がる。
澪の持つペットボトルで止まった。
「水、買ったんだ」
澪が容器を胸元へ引き寄せた。
「うん」
「少し、分けてもらえない?」
豪は澪を見た。
彼女も、こちらを見ていた。
豪は購入画面を開いた。
【所持ポイント:89】
水を一本買えば、八十八になる。
キツネの向こうには、まだ明るい森が続いていた。
「……一本でいいか」
豪が聞くと、キツネはゆっくり耳を立てた。




