第22話 仕事の値段
草の先が見えるほど明るくなってから、豪たちは岩を離れた。
フクロウは戻ってこなかった。
それでも、豪は何度も空を見た。澪も、ミミが草の陰へ入るたびに声を掛けていた。
ネズミは佐伯の前を走っていた。
少し進んでは止まり、人間が追いつくのを待つ。
「そっち、くぼんでる。右」
言われて回ると、草に隠れていた溝が見えた。
ネズミには越えにくく、人間ならまたげる幅だった。
豪はその向こうへ足を置き、後ろの澪へ手で場所を示した。
「名前、あるか」
止まったとき、豪が聞いた。
「ない」
「じゃあ、何て呼ぼう」
ネズミは鼻を動かした。
「呼ぶ?」
「呼んだら、こっちを見てもらえるように」
少し考え、豪は言った。
「ハイ、はどうだ。毛の色からで悪いけど」
「はい」
「返事じゃなくて、名前」
澪が口元へ手を寄せた。
豪は頭をかいた。
「嫌なら、別のにする」
「ハイ」
ネズミがもう一度言った。
今度は、自分の胸へ鼻先を向けた。
豪はうなずいた。
「分かった。案内、頼むな」
*
低い土地に、屋根が並んでいた。
家と呼ぶには小さい。
布を張ったもの、板を立てかけたもの。大きな岩へ屋根を渡した場所もある。
その周りを、腰ほどの柵が囲んでいた。
入口には人が二人いた。
片方は槍を持ち、もう片方は板に何かを書いている。
柵の内側で、大きな鳥が布の屋根へ止まった。
豪は棍棒を握り直した。
鳥は首を傾け、こちらを見ただけだった。
「初めて?」
板を持った女が聞いた。
短く結んだ髪に、茶色の上着。豪よりいくつか年上に見えた。
「見るだけでも、払うのか」
豪が聞くと、女は入口の脇を指した。
「話を聞くところまでは、いらない。私は榎本。泊まる場所と、仕事の取り次ぎをしてる」
佐伯が前へ出た。
「条件を教えてほしい」
「屋根のある場所は、一晩、水二本。一人ずつ。食事は別」
女は板へ指を置いた。
「見張りは交代で出してる。ただし、ここに入ったら攻撃できなくなるわけじゃない。揉めたら声を掛けて。外へ出てもらうことはある」
豪は柵を見た。
飛べる相手には、意味がなさそうだった。
「鳥は」
「空も見てる。全部を止められるとは言わない」
榎本は答えた。
「昨夜、何かあった?」
豪はフクロウのことを話した。
どちらから来たか、どこまで追ってきたか。暗くて分からなかったところは、そう言った。
榎本は途中で、槍の男へ顔を向けた。
「屋根の上の人にも、伝えて」
男がうなずいた。
鳥が一度羽ばたき、別の屋根へ移る。
豪はそれを目で追った。
*
ハイは、豪の靴のそばへ隠れていた。
榎本が地面を見た。
「戻ったんだ」
ハイは答えなかった。
「ここから出たって、聞いた」
豪が言うと、榎本はうなずいた。
「昨夜は空きがなかった。寝る場所の分を払うか、外で順番を待つかって話をしてた」
「働けば、泊まれるんじゃないのか」
「働いた分は払う。でも、いつでも誰にでも頼める仕事があるわけじゃない」
榎本は、入口の板を豪へ向けた。
文字が何行も並んでいる。
板の運搬。
柵の修理。
外周の見張り。
縫い物。
そのうち二つには、線が引かれていた。
「いま残ってるのは、これ。できる人を探してる」
豪はハイを見た。
小さな前足が、土へ揃っていた。
「道の案内は」
豪が言った。
「ここまで、こいつが連れてきてくれた。夜に歩いた道を覚えてた」
榎本はしゃがんだ。
「どこを知ってる?」
ハイは奥へ引きかけ、止まった。
「斜面。岩。下に、細い穴。人、通れない」
「橋の方?」
「ちがう。こっち」
小さな鼻先が、豪たちの来た方とは別の丘を向いた。
榎本はそちらを見た。
「あとで、詳しく聞かせて。ただ、聞いてみないと頼めるか分からない。それでもいい?」
ハイが豪を見上げた。
豪は代わりに答えず、待った。
「……話す」
ハイが言った。
*
昼の間、仕事の相談をするだけなら、中へ入っていいと言われた。
武器は必要なとき以外出さない。
他人の寝床へ入らない。
食べ物や道具を渡すときは、持ち主同士で確かめる。
豪は棍棒を収納した。
佐伯と紗弓もそれぞれ話を聞き、同じ入口を通った。
パーティーは、変えなかった。
柵の内側には、思っていたより生き物がいた。
布の下で眠る男。
板へ背を預ける女。
小さな台の上で、水の容器を前足で押さえている猿。
その隣には、人間の子どもほどの背丈の、鱗のある生き物が立っていた。
豪は足を止めた。
相手が、こちらを見る。
澪の袖が、豪の腕へ軽く触れた。
豪は目をそらした。
案内された場所で、いろいろな世界の参加者がいると聞いていた。
それでも、近くで顔を見ると、次に何を言えばいいのか分からなかった。
「見たことない?」
鱗のある相手が聞いた。
「……ああ。悪い」
「こっちも。耳が二つとも横にあるんだな」
豪は思わず、自分の耳へ触れた。
相手はそれを見て、喉を小さく鳴らした。
笑ったのかもしれなかった。
ミミが豪の足へ鼻先を当てた。
「ごう、いく?」
「ああ。行こう」
豪はもう一度だけ頭を下げ、歩き出した。
*
運搬の仕事は、入口の近くにあった。
積まれた板を、柵の反対側へ移す。
榎本が数を示し、受け取る男を紹介した。
「この一山で、食事二つ。昼までに終わればいい。途中でやめるなら、その前に呼んで」
豪は板を持ち上げた。
重かった。
収納しようとはしなかった。自分の物ではないし、運ぶ仕事として受けたばかりだった。
「何枚ずつでも、いいのか」
「落として割らなければ」
豪は二枚を一枚へ減らした。
道は狭い。人も通る。
仕事で荷物を運んでいたときも、急ぐほど周りを見なくなることがあった。
澪が隣へ来た。
「私も、できます」
「二人でやっても、二食?」
豪が榎本へ聞くと、彼女はうなずいた。
「一山の値段。手伝いの分は、二人で決めて」
豪は澪を見た。
「一つずつでいいか」
「はい」
澪は短い板を選んだ。
ミミへ、道の端で待つように声を掛ける。
佐伯は修理の方を見に行き、ガロがついていった。紗弓は見張りの条件を聞いていた。
全員が離れるのは落ち着かなかった。
だが、視界の届くところにいた。
ミミが誰かの足音で下がるたび、豪は次の板を持つ前に待った。
*
最後の一枚を渡すころには、背中が汗ばんでいた。
痛みはなくても、運び続ければ息は上がる。
男が板を数え、榎本を呼んだ。
未開封の食事が、二つ渡された。
豪と澪が一つずつ受け取る。
豪は所持ポイントを開いた。
【所持ポイント:59】
数字は変わっていなかった。
増えたのは、手の中の包みだった。
「終わった?」
ミミが近づいた。
「ああ。これで飯が一つ買わずに済む」
豪は包みを収納した。
帰るための数字は増えていない。
それでも、今夜まで生きるためのものを、自分の手で運んで手に入れた。
澪が空いた手を握り、開いていた。
「少し、休みましょうか」
「水、飲もう」
豪は一本買った。
【所持ポイント:58】
蓋を開け、一口飲む。
包みの食事は、まだ出さなかった。
*
屋根の端に腰を下ろすと、ハイが榎本と話しているのが見えた。
板へ描かれた線を、小さな鼻先でたどっている。
仕事になるかは、まだ分からなかった。
それでも、話は続いていた。
豪は水を収納し、地図を出そうとした。
隣の柱へ貼られた紙に、目が止まる。
『狩猟班 参加者募集』
その下に、少し小さい文字があった。
『とどめ役、優遇。初期ランクの低い方、相談可』
豪は紙を見たまま、動かなかった。
報酬は、相手とのランク差で変わる。
自分より弱い種類の生き物が最後に殺せば、パーティー全体へ入るポイントが増える場合がある。
足元で、ミミが耳を掻いていた。
豪は紙から目を離し、澪を見た。
彼女も、同じ文字を読んでいた。
「これも、仕事なんですね」
澪が言った。
豪は返事を探した。
少し前、自分はできる仕事がないかと聞いた。
相手を殺さなくても、飯を手に入れられたところだった。
紙の端が、風で持ち上がる。
下には集合場所と、説明をする時刻が書いてあった。
豪はその二行も読んだ。
読んでから、目をそらせなくなった。




