第21話 明かりの外
肩に触れた手で、豪は目を開けた。
「交代」
紗弓の声だった。
豪は返事をして、身体を起こした。
岩の向こうは暗い。草の斜面も、空との境目だけが薄く見えていた。
「何かあったか」
「遠くに明かりが二つ。動いてたけど、こっちには来てない」
紗弓が低い土地の方を指す。
豪はそちらを見て、うなずいた。
隣で澪も起きていた。声を掛けると、顔を上げる。
ミミは丸くなっていた。
豪は踏まないように足をずらし、棍棒を取り出した。
「何かあったら、すぐ起こして」
紗弓はそう言って、佐伯のいる側へ回った。
豪は彼女が横になるのを見届けてから、岩の外へ目を向けた。
*
眠る前より、音が多く感じられた。
草のこすれる音。
澪が座り直す音。
自分の靴の下で、小石が動く音。
豪は何度も振り返った。
澪は反対側を見ている。
「ずっと立ってなくても、大丈夫ですよ」
「座ると、寝そうで」
「私、声を掛けます」
豪は少し迷い、岩へ腰を預けた。
自分のHPを開く。
昼間より回復していた。減ったままではないことを確かめ、すぐに閉じた。
光る表示へ目を向けている間、外の暗さが分からなくなる。
「向こうで、明かりをつけてる人は、怖くないのかな」
豪は言った。
「見つかってもいい人かもしれません」
澪が答えた。
「強いとか?」
「それもありますし。誰かに来てほしいとか」
豪は千尋を思い出した。
課題のそばで、地図を見せていた。
ここでも、買う人が集まる場所はあるのだろうか。
聞こうとしたとき、草が鳴った。
風とは別の、細かく続く音だった。
豪は口を閉じた。
澪も、顔を上げる。
「……こっち」
声がした。
岩の下だった。
豪が棍棒を持ち直す。
何か小さなものが、足元の草から飛び出した。
「上!」
豪は身を引いた。
目の前を、黒いものが横切った。
風が頬へ当たる。
羽だった。
*
「起きてくれ!」
豪は叫び、棍棒を振った。
先端が空を切る。
鳥は岩の上へ抜け、暗がりで向きを変えた。
足元の小さな影が、豪の靴へぶつかった。
ネズミだった。
「入れて。どこでもいい」
豪は反射的に手を下ろしかけた。
「豪さん、見て!」
澪の声で顔を上げる。
丸い顔が、こちらを向いていた。
広がった翼の間に、明るい目が二つある。
フクロウだと思った。
名前を思い出したところで、距離は変わらない。
「そこ、どけ」
鳥が言った。
豪はネズミを靴の後ろへ入れ、岩へ背を寄せた。
澪がミミを呼ぶ。
眠っていた耳が跳ね上がり、足元から離れた。
羽が閉じる。
鳥の身体が、こちらへ落ちてきた。
豪は棍棒を横へ出した。
硬いものが当たり、腕ごと押された。
爪が袖をかすめる。
痛みはなかった。
だが、HPが減ったという表示が視界の端に出た。
豪は一歩、岩へ押しつけられた。
フクロウは止まらず、頭上へ上がった。
「取るなよ」
低い声がした。
「先に見つけた」
豪は空を見上げた。
棍棒を振り上げれば、後ろの岩へ当たりそうだった。
追いかけて外へ出れば、どこから飛んでくるか分からない。
「澪、こっちに来るな。上を見ててくれ」
言い終える前に、岩の向こうで弓が鳴った。
*
フクロウが大きく横へ流れた。
矢が当たったか、豪には見えなかった。
「頭、下げて!」
紗弓が言った。
豪は膝を折った。
鳥の羽が岩を打ち、乾いた音を立てる。
澪が棍棒を突き出した。
翼の端へ当たった。
鳥の身体が横へ押されたが、すぐに羽ばたいて離れる。
動きは鈍らなかった。
ガロが吠えた。
足元からではなく、少し横の暗がりからだった。
「こっちにもいるぞ!」
フクロウが上がる。
豪は立ち上がらず、岩の縁へ背を寄せた。
佐伯が来て、反対側へ立つ。
「追うな。ここで、上を空けない」
豪はうなずいた。
身体を小さくしたまま、棍棒の先を外へ向ける。
フクロウは、一度遠ざかった。
そのまま消えたかと思うと、低い草の上から戻ってきた。
今度は、澪の側だった。
「澪!」
「見てます!」
澪が岩の陰へ入る。
紗弓の弓が、また鳴った。
鳥は上へ逃げた。
豪は息を吐いた。
口の中が、ひどく乾いていた。
足元のネズミは、動かなかった。
「そいつ、出せば終わる」
上から声がした。
豪は答えなかった。
ただ、靴を少し寄せた。
ネズミのいる隙間を、空から見えないようにした。
「食えないのに、何で取る」
フクロウが言った。
「ポイントだろ。お前も」
豪の手に、力が入った。
キツネの身体が消えた場所を思い出す。
あのとき、自分の数字は増えた。
佐伯が短く言った。
「下りてきたら、打つ」
フクロウの顔が、佐伯へ向いた。
次に紗弓へ向く。
彼女は矢をつがえたまま、動かなかった。
しばらくして、翼が大きく広がった。
影が空へ溶ける。
羽音は、ほとんど聞こえなかった。
*
誰も、すぐには棍棒を下ろさなかった。
豪は何度も空を見た。
見えないからといって、いないとは限らない。
紗弓は弓を持ち、岩の違う側へ位置を変えた。
「ミミ」
澪が呼んだ。
草の根元から、耳が動いた。
「いる」
豪の胸から、少しだけ息が抜けた。
「ガロは?」
「いる」
同じ返事が、低い声で返ってきた。
佐伯が豪を見た。
「減ったか」
「少し。動けます」
「数字も見ておけ。動けるかだけじゃ、分からん」
豪は表示を開いた。
ゼロまでは余裕がある。それを口で伝えると、佐伯はうなずいた。
豪は表示を閉じた。
痛くないことに、慣れてはいけないと思った。
足元から、細い声がした。
「……まだ、いる?」
ネズミだった。
「見えない。でも、出るのは待ってくれ」
豪が言うと、ネズミは頭を引っ込めた。
棍棒を下ろさないまま、豪はその小さな鼻先を見た。
*
「何で、ここへ来た」
落ち着いてから、佐伯が聞いた。
ネズミは岩の窪みにいた。
豪の靴からは離れたが、草の方へは出なかった。
「人が、寝てたから」
「俺たちに気づいて、来たのか」
豪が聞くと、小さな頭が動いた。
「ずっと、追われた。上から来る。穴、なかった」
ガロが鼻を近づけかけ、止まった。
ネズミが奥へ身を引いたからだった。
「そいつ、仲間は?」
「いない」
豪は暗い斜面を見た。
あの距離を、一匹で走ってきたのかと思った。
「どこから」
「下。明かり、あるところ」
澪が豪を見た。
見張りを代わるとき、紗弓が言っていた方角だった。
「人がいるのか」
「いる。寝るところ、ある。外で見てる人、いる」
佐伯がしゃがんだ。
「そこから、どうして離れた」
ネズミは答えるまでに、少し間があった。
「払うもの、ない」
豪は黙った。
橋で買った六食分を思い出した。
あとで食べるものまで、払ったわけではない。それでも、数字は減っていた。
「何を払うんですか」
澪が聞いた。
「水。食べ物。持ってくるか、働くか。おれ、運べない」
ネズミは自分の前足を舐めた。
「夜、出た。すぐ、来た」
豪は空を見た。
フクロウにとっては、明かりの外へ出る小さな生き物を待つだけでよかったのかもしれない。
そう思うと、岩の陰が急に狭く感じられた。
*
見張りは、そのまま全員でしばらく続けた。
やがて佐伯が、二人ずつ休むように言った。
眠れなくても、目を閉じる。
追って外へ出ない。
空を見る役を、必ず一人残す。
豪は自分と澪の番を続けた。
ミミは彼の足元へ戻ってきたが、ネズミには近づかなかった。
岩の別の窪みへ入り、外を見ている。
「ごう」
「うん」
「あれ、またくる?」
「分からない」
豪は答えた。
「来たら、起こす。すぐ隠れよう」
ミミの耳が動いた。
その先で、ネズミが小さく身じろぎする。
豪は両方へ届くよう、少し身体をずらした。
澪が声を落とした。
「助かって、よかったです」
「……ああ」
豪は答えた。
自分たちの誰も消えていない。
ネズミも生きている。
だが、さっきの鳥が諦めていなければ、朝まで同じことを繰り返す。
豪は棍棒の柄を握り直した。
「明るくなったら、その場所を外から見たい」
澪がうなずいた。
「働けるかも、聞きたいです」
「入る前に、値段も」
「はい」
豪はネズミへ顔を向けた。
「下へ行く道、朝になったら教えてくれるか」
暗い窪みで、目が光った。
「道、知ってる」
「じゃあ、頼む。案内してほしい」
ネズミは少し黙った。
「運べないけど」
「道を教えるのは、できるだろ」
豪が言うと、細い鼻先が外へ出た。
空は、まだ暗かった。
豪は一度だけ草原の低い方を見た。
小さな明かりがあった。
今はそこまで走らず、朝を待つことにした。




