第19話 三食分の道
紗弓は二つの丸を描いたあと、小枝を土に置いた。
「名前、書くか」
豪が聞くと、彼女は少しだけ首を振った。
「地図には、危ない場所だけでいい」
豪はうなずいた。
購入画面で筆記具を探す。短い鉛筆が一本、一ポイントだった。
【所持ポイント:67】
紙を膝に載せ、倒木から先の川を描き足した。
紗弓に向きを確かめてもらって、滝の手前に印をつける。
『待ち伏せ。人間二人、魚。見た時点』
最後の四文字は、澪が言った。
「ずっとそこにいるかは、分からないので」
豪は書き終えた文字を指で追った。
自分たちが離れたあと、移動しているかもしれない。誰かが倒しているかもしれない。
それでも、今持っている紙には書けた。
紗弓が覗き込んだ。
「ありがとう」
何に対しての言葉か、豪にはうまく答えられなかった。
鉛筆を収納し、地図を畳む。
「暗くなる前に、岩まで行こう」
*
先頭は佐伯とガロだった。
豪は少し後ろで地図を開き、分かれ道のたびに止まった。
線だけを見れば簡単だった道が、実際には根を越え、斜面を横切る細い筋になっている。
「この枯れた木か」
「もう一本、向こうにもあるぞ」
佐伯に言われ、豪は顔を上げた。
地図に描かれた枝は、途中から二股になっていた。目の前の木には、その枝がない。
「……違いました」
「決める前に、周りも見よう」
豪は紙を少し下げた。
地図があっても、見るものは増えるらしかった。
ミミは澪のそばを走っていた。
低い枝の下をくぐるときだけ、こちらを振り返る。人間が回り道をするのを待ち、また進む。
「みお、おそい」
「そこは通れないんです」
「こっち」
「それも、無理です」
澪が枝を持ち上げた。
その下を豪もくぐった。ミミの通った場所は、足首ほどの隙間しかなかった。
少し先で紗弓が、口元を手で拭うふりをした。
笑ったのかもしれなかった。
やがて、木々の向こうに大きな岩が見えた。
真ん中に深い裂け目がある。
「これだ」
豪は足を速めかけ、地図の斜線を見た。
止まる。
「端の土が崩れるって、千尋が言ってました」
佐伯がうなずき、幹の内側を回った。
豪もあとに続く。
岩の向こうは、思ったより急に落ち込んでいた。
木の根が宙へ出ている。その下を覗き込もうとはしなかった。
「高いな」
ガロが低く言った。
「落ちたら、戻れるか分からん」
痛みがなくても、底から登れるとは限らない。
豪はミミが内側にいることを確かめ、紙を持ち直した。
実線は、ここで終わっていた。
その先は、点々の線だった。
*
道は岩から左へ延びていた。
歩くにつれて、足元の落ち葉が少なくなる。
切り落とされた枝が、斜面の下へ積まれていた。
「誰かが、手を入れてる」
佐伯が言った。
豪は切り口を見た。
細い枝だけではない。すねほどの太さの木も、倒されている。
斜面には短い横木が置かれ、段になっていた。
曲がり角の先で、人の声がした。
「そこで止まってください」
豪たちは足を止めた。
道を横切るように、一本の棒が渡されていた。
その向こうに男が一人。袖をまくった腕に、土がついている。
少し高い場所には、もう一人いた。長い柄の道具を脇へ置き、こちらを見下ろしていた。
紗弓の手が矢筒へ寄る。
男はそれを見て、両手を上げた。
「通るだけなら、武器は出さないで。話が先です」
「ここが、道を売ってるところか」
佐伯が聞いた。
「そうです。尾根の切れ目まで。そこを渡れば、森の外へ下りられます」
男は脇の板を指した。
『一人につき食料三食分。未開封。通行のみ』
豪は文字を読んだ。
「三ポイントか」
「一ポイントで買える食事を三つ。それでいいです」
「動物は?」
男はガロとミミを順に見た。
「同じです。自分の意思で参加しているなら、一人で数えます」
ミミが豪の後ろへ隠れた。
「みみ、いる?」
「まだ、渡さない。話を聞いてる」
豪はしゃがまずに答えた。
男から目を離したくなかった。
「六人なら十八食。まとめなくても、それぞれ払えば通れます」
豪は棒の向こうを見た。
道は続いていたが、曲がっていて先が見えない。
「払ったあとで、また払えって言わないか」
男の上がっていた手が、少し下りた。
「こちらの道では言いません」
「それは、約束だけだろ」
「はい」
男は答えた。
「信用できないなら、引き返して構いません。追いません。ただ、崖側へ下りるのは勧めません」
豪の隣で、澪が小さく息を吸った。
川の魚も、こちらを心配するように話していた。
豪は棒までの距離を確かめた。
後ろは空いている。佐伯も、まだ進んでいなかった。
「道の先を、ここから見せられるか」
*
男は少し考えてから、上にいる相手を呼んだ。
「ここ、代わってくれ」
長い柄の道具を持った男が下りてきた。
刃のついた、鍬に似たものだった。
豪は棍棒を出さず、いつでも出せるように念じかけてやめた。
「一人だけ、曲がり角まで。こっちから見えるところです」
佐伯が言った。
「俺が行く」
「ガロは、ここにいてくれ」
犬が佐伯を見上げた。
「すぐ戻れよ」
「ああ」
棒が上がる。
佐伯は男と距離を空けて進んだ。
曲がり角で止まり、身体を傾ける。二言ほど話して、戻ってきた。
「橋がある。細い谷を越してる」
佐伯は、男にも聞こえる声で言った。
「丸太を二本渡して、上に板を並べてある。留め方までは、ここじゃ見えん」
「作ったのか」
豪が男へ聞いた。
「元は一本、木が倒れていました。そこへ足しました。板は購入したものです」
男は自分の手を見た。
「ただで通していたら、直す物も飯も、なくなるので」
豪は返事をしなかった。
人を倒さずに食べ物を手に入れる方法を、この男たちも探したのかもしれない。
だから安全だとは、まだ思えなかった。
「俺たちだけで、相談していいか」
男はうなずいた。
「少し戻った広いところで。道を塞がなければ」
*
「俺は、渡ってみてもいいと思う」
佐伯は男たちから離れてから言った。
「造りが悪ければ、橋の手前でやめる。その場合に食料を返してくれるかは、聞く」
「向こうに仲間がいるかもしれない」
紗弓が言った。
「それはある」
「橋の上なら、逃げる方向は二つしかない」
豪は地図を開いた。
点線の先へ、鉛筆で短い線を足す。
橋、と書いた。その横に、小さく『未確認』と添える。
「ほかの道を探すなら、今日はどこかで寝ることになる」
佐伯が空を見た。
枝の上にはまだ明るさがあったが、足元の色は暗くなっていた。
澪がミミを見た。
「ミミは、狭い橋を渡れますか」
「すきま、ある?」
「それも、確かめてからです」
豪は紙を畳んだ。
「一度に全員で、橋へ入るのはやめよう。先の地面が見えるところまで行って、そこで決めたい」
紗弓は少し黙っていた。
それから、弓を肩へ掛け直した。
「私は最後に行く。向こうへ出た人も、後ろを見ていて」
「分かった」
豪は答えた。
誰か一人に、ずっと後ろを任せるつもりはなかった。
*
橋を見て渡らずに戻った場合は、食料を返す。
その場で男と、そう話をつけた。
澪も同じ言葉を聞いて、うなずいた。
豪は食料を六つ買った。
【所持ポイント:61】
自分とミミの分だった。
「俺が出していいか」
先に聞いておいたことを、もう一度確かめる。
ミミは買った食料を見ていた。
「みみの、ごはん?」
「これは、道の分。食べるのは、あとで買う」
ミミの耳が下がった。
豪は少しだけ笑いそうになり、やめた。
六つの食料は、六回腹を満たせるものだった。
澪が自分の三つを出す。
佐伯と紗弓も、それぞれ用意した。
別のパーティーのまま、同じ道へ進む。
男が食料を受け取り、棒を持ち上げた。
「橋の手前は、広くなっています。そこで止まって」
豪はミミが通り終えるのを見てから、棒の下をくぐった。
誰からも、ポイントが入ったという表示は出なかった。
そのことに、少しだけ力が抜けた。
曲がり角を越えると、木々が途切れた。
細い谷があった。
その向こうに、赤く照らされた草の斜面が広がっている。
森の外だった。
豪は思わず一歩出た。
佐伯の腕が、前へ伸びた。
「足元」
板の橋は、人間一人が通れるほどの幅しかなかった。
その下には、木の枝も届かない暗い隙間が続いていた。
ミミが鼻を動かす。
「くさ」
向こうから、風が来た。
「かえるところ、にてる」
豪は草の斜面を見た。
帰る場所に似ているだけの土地だった。
それでもミミは、初めて自分から橋へ近づこうとしていた。
豪はその前へ手を差し出した。
「一緒に見る。隙間がないか、先に見よう」
ミミが止まる。
豪は橋の一本目の板へ、ゆっくり足を載せた。




