第18話 水二本の地図
「道に、金を取るのか」
豪が聞くと、地図を持った女は首を横に振った。
「食べ物でもいいらしい。私は通ってないから、値段までは知らない」
「じゃあ、どうして売ってるって分かる」
「そこまで行って、引き返した人に会った」
豪は女の顔を見た。
聞いた話と、自分で見たこと。
混ぜずに答えてくれるのは、ありがたかった。
それでも、正しいと決まったわけではない。
「どこまで行ったんだ。自分では」
「道の手前。二つに割れた岩のところまで」
女は畳んだ紙を開いた。
指を一本置く。
「今はここ。石の囲い。川は、こっち」
豪が見えるように、紙を傾ける。
「私が歩いたのは、ここから、この岩まで。先の線は、聞いた話だから点々にしてる」
豪は紙へ近づきかけ、止まった。
澪が囲いの中から呼んだ。
「豪さん」
「ああ。見てる」
顔を上げる。
地図を見る間、木々を見ていなかった。
女は紙を膝へ戻した。
「終わってからでいいよ」
*
澪の足元には、三枚の標識があった。
豪のものは、課題が終わると光になって消えていた。今あるものには触れられない。
彼女はまだ一枚も持ち上げず、柱と石の間を歩いていた。
「同じ場所でいいのか」
豪は聞いた。
「まだ、確かめてます」
澪はしゃがみ、溝の上の葉を払った。
豪のときに払ったところだけでは、足りないらしかった。
線はたくさんある。
どの形が出たかは、本人が見比べなければならなかった。
豪は木々へ向き直った。
澪へ教えられることを探したかったが、今の自分の役目は外を見ることだった。
ミミが足元へ来た。
「みお、なにする」
「さっきの俺と同じ。板を運ぶ」
「みみも?」
豪はミミを見た。
自分の身体より大きな板だった。
くわえる場所も、取っ手もない。
「あとで、一緒に説明を見よう」
ミミが柱へ耳を向けた。
「受ける前なら、やめられる。できそうか、見てからにしよう」
それを聞いていたガロが、鼻を鳴らした。
「俺はやらん」
佐伯が顔を向けた。
「見てもいないだろう」
「溝なら、もう見た。運ぶ物は、そいつの足よりでかい」
ガロはミミへ鼻先を向けた。
ミミが一歩下がる。
ガロは目をそらした。
「口で持つと、下が見えない。こんなところで転びたくない」
豪は柱の足元を見た。
人間なら、両手で持って運べる。
ミミは画面の文字を読めないだけではなかった。
「動物向けに変わるとか、ないんですか」
豪は佐伯へ聞いた。
「そこまでは分からん。ただ、受けるだけなら、俺たちと同じようにできるはずだ」
佐伯はガロを見た。
「俺は、澪さんが終わったら見る」
「じゃあ、その間は俺が聞いてる」
ガロは森へ顔を戻した。
できない者がやらず、できる者を待つ。
豪は、ミミへ課題の説明をする言葉を考えた。
食べ物を出せるようになったからといって、何でも同じにはできなかった。
*
澪は一度も板を間違えずに収めた。
最後の一枚が入ると、肩から力が抜けた。
「できました」
豪も息を吐いた。
「早かったな」
「豪さんのとき、やり方を見てたので」
澪が囲いから出てくる。
佐伯と紗弓が、入れ替わるように柱へ近づいた。
「二人で一度に、大丈夫か」
豪が聞くと、紗弓は足を止めた。
「まず読むだけ。運ぶのは、一人ずつにする」
豪はうなずいた。
さっきより、囲いの外が広く感じられた。
見なければならない方向が増えたからだった。
澪が反対側へ回る。
佐伯が文字を読む間、ガロは斜面へ耳を向けていた。
紗弓は説明を読んだあと、外へ戻ってきた。
「私は、次にする」
豪は木々を見たまま、うなずいた。
待つ間にも、腹は減る。
誰かが来るかもしれない。
たった二十ポイントを手に入れるために、自分たちは何人で見張っているのだろう。
豪はその考えを振り払った。
見張ってもらったから、自分は二十を取れた。
今度は、順番だった。
*
全員が柱の周りを離れるころには、囲いの石が長い影を落としていた。
佐伯も紗弓も、課題を終えた。
ミミは受けなかった。
説明を読んで聞かせ、標識の大きさを見せると、首を引いて言った。
「もてない」
豪はうなずいた。
無理に運ばせる方法を考えるのは、やめた。
地図の女が立ち上がった。
「私は、そろそろ移る」
「どこへ」
豪が聞くと、女は川とは反対側を指した。
「夜を越せるところ。この辺で寝るつもりはないから」
澪が豪の隣へ来た。
小声で言った。
「地図、見せてもらいませんか」
「買うのか」
「分からないところを、分からないって書いてあるのは、助かります」
豪は女の鞄を見た。
地図があれば、進んだ方向を覚えておける。
迷えば、その分だけ食べ物が要る。
「水二本だったな」
豪が聞くと、女はうなずいた。
「未開封のもの。先に地図を見ていい」
「俺が買っていいか」
澪へ聞く。
「はい。お願いします」
豪は購入画面を開いた。
水を二本。
【所持ポイント:68】
女は鞄から折った紙を一枚出した。
元の地図とは別のものだった。
豪が水を収納すると、女は紙を広げ、地面へ置いた。
「まず、見て」
豪はかがんだ。
線の横に、短い文字がある。
川。
倒木。
石の囲い。
二つに割れた岩。
佐伯が横からのぞいた。
「この曲がり方なら、さっきの川だな」
紗弓も紙を見た。
「滝がない」
「私は行ってないから」
女は答えた。
「危ないって聞いた。場所は、そっちの人たちの方が知ってると思う」
豪は紗弓を見た。
彼女は紙から顔を上げた。
「少なくとも、この辺は合ってる」
豪は女へうなずいた。
「買う」
*
女が地図を譲渡し、豪が水を渡した。
相手のパーティーへ入る必要はなかった。
豪は受け取った紙を両手で持った。
佐伯が覗き込み、地図の上を指で示した。
「ここから、この筋で下りてきたんだな」
「そう。途中の枯れた木が、目印」
女が答えた。
「岩のところまでは、地面の高い方をたどれる」
「そこから先は?」
豪が聞いた。
「私は知らない」
女は点線の先を指した。
「ここに、人が通れる道があるって聞いた。通行料を払って、外へ出る人がいるらしい」
「そこしか、森を出られないのか」
「分からない」
「道を使わずに、木の間を進めば」
女は少し迷った。
「それで出られた人には、まだ会ってない」
豪は紙の端を持ち直した。
知らない場所が、線になっている。
だが、線の先が安全になったわけではなかった。
「名前、聞いてもいいか」
女が顔を上げた。
「地図の人じゃ、また会ったとき困る」
「千尋」
「俺は豪。こっちは――」
「澪です」
澪が軽く頭を下げた。
足元で、ミミが耳を動かす。
「みみ」
千尋が少し笑った。
「覚えた」
鞄を肩へ掛け直す。
「岩のところ、崖の方へ寄らないで。上から見たくなるけど、端の土が崩れる」
豪は地図へ目を落とした。
岩の横に、小さく斜線が引かれていた。
さっきは、模様だと思っていた。
「そこは、自分で見た?」
千尋はうなずいた。
「片足、落ちた」
「……分かった。ありがとう」
女は水を収納すると、木々の間へ入っていった。
*
豪は紙を畳もうとして、手を止めた。
どちらへ折れば、今いる場所をすぐに開けるだろう。
澪が隣から指した。
「ここを外側にしておけば、石の囲いが見えます」
「そうだな」
豪は言われたとおりに折った。
紙の端に、まだ何も描かれていない場所が残っていた。
「川の下のこと、書いといた方がいいか」
紗弓が顔を向けた。
「待ち伏せの場所」
豪は続けた。
「また忘れて近づくと困るから。誰かに見せるときも」
紗弓は少し黙った。
それから、地面へしゃがんだ。
小枝を拾い、土に川の曲がり方を描く。
「今渡った倒木が、ここ。私が最初に射たのは、この辺」
豪も隣へかがんだ。
澪が近づき、ミミも足元へ来る。
「道が狭くなるのは、その先。滝があって、上から回り込まれた」
紗弓の枝先が止まった。
豪は待った。
「ここに、一人落ちた」
小さな丸が、土に描かれた。
もう一つ、少し離れたところにも。
豪は地図を開いたまま、その二つを見た。
この場所を覚えておきたかったのは、逃げ道を知るためだけではなくなっていた。




