第15話 五人まで
灰色の獣は、倒木へ前脚を掛けた。
犬に見えた。
耳は立ち、尾は低い。
豪と目が合うと、鼻先を少し上げた。
その後ろから、男が出てきた。
日に焼けた顔に、短い白髪。
片手に杖のような棒を持っていた。
「驚かせたな」
男は言った。
弓の女は倒木の上で止まっていた。
豪たちと男の間を見比べている。
「追ってきたの?」
女が聞いた。
「いや。声が聞こえた」
男は犬の首元へ手を伸ばした。
触れる前に、犬が身を引いた。
「触るな。平気だ」
低い声がした。
男が手を下ろす。
「そうか」
豪は二人を見た。
飼い主と犬、というわけでもないらしかった。
女が倒木を渡り切った。
こちらの岸へ下りる。
豪は棍棒の先を下げた。
「さっきは、ありがとう」
女は息を吐いた。
「逃げられたのね」
「ああ。矢、助かった」
彼女は肩の後ろへ手をやった。
筒に残っていた矢を確かめ、また手を下ろす。
「追っては来なかった?」
「途中でやめたみたいだった」
「なら、よかった」
女はそこで初めて、豪たちの後ろにいるミミを見た。
「さっき教えたの、その子?」
「ああ。ミミ」
呼ばれると、ミミの耳が片方だけ動いた。
もう片方は犬へ向いていた。
犬が鼻を鳴らした。
「そんなに見なくても食わん」
ミミは豪の靴の後ろへ下がった。
「こわい」
「そうかよ」
犬はそれ以上近づかなかった。
*
川の両岸に分かれたまま、五人と一匹で話すのは落ち着かなかった。
豪がそう言うと、白髪の男は倒木へ足を掛けた。
「こっちへ行っても?」
女が豪を見た。
豪も澪を見た。
澪は男の手元を確かめてから、うなずいた。
「ゆっくり来てください」
男は言われたとおり、ゆっくり渡った。
犬はその後ろへ続いた。
太い幹の上を、足元も見ずに歩く。
ミミは豪から離れなかった。
全員が岸から少し離れたところへ移動した。
男は武器らしい物を出さず、近くの石へ腰を下ろした。
「俺は佐伯」
自分の胸に手を当てる。
「こいつはガロ」
「自分で言える」
犬が言った。
「そうだったな」
佐伯は素直にうなずいた。
女が弓を持ったまま口を開いた。
「紗弓」
豪たちも、それぞれ名乗った。
ガロがミミを見た。
「そいつは、しゃべらんのか」
「しゃべるよ」
豪が答えた。
「今は、怖がってる」
「なら、寝てていい。こっちを見てなくていい」
ガロは身体の向きを変えた。
川の方を向いて伏せる。
ミミはまだ見ていたが、少しして、豪の踵から鼻先を離した。
*
「下は通らない方がいい」
紗弓が佐伯へ言った。
「ああ、滝の方か」
豪は顔を上げた。
「知ってるんですか」
「課題が出る場所だろ」
佐伯は答えた。
「見たことはある。行ってはいない」
「二人、待ち伏せしてるんです」
澪が言った。
「魚も一緒で」
佐伯の顔から、少し表情が消えた。
「そうか」
ガロの耳が後ろへ向いた。
「だから言っただろ。あそこは、知らん匂いが重なりすぎてる」
「言ってたな」
佐伯は膝へ手を置いた。
紗弓は地面を見ていた。
豪は口を開いた。
「課題って、どんな内容なんですか」
紗弓が顔を上げる。
「まだ気になる?」
「行くつもりじゃない。ただ、俺たち、まだ一つも見てなくて」
「目印の回収」
紗弓が言った。
「滝の下にある物を取って、指定された場所へ運ぶ。私に出たのは、それだった」
「ポイントは?」
「二十」
豪は黙った。
百ポイントを持って始まり、帰るには十万必要になる。
殺されるかもしれない場所へ行って、二十。
「受けた時点で、受領済みになるんだ」
佐伯が言った。
「同じ課題を、何度も選べるわけじゃない」
豪は自分の画面を開きかけ、やめた。
ここからでは表示されない。
現場まで行かなければ、内容すら確かめられない。
「ほかにも、ありますか」
澪が聞いた。
「ある」
佐伯は答えた。
「ただ、見つかるかどうかは別だ。俺も、いくつも知ってるわけじゃない」
「教えてもらえる場所は」
豪が聞くと、佐伯は少し考えた。
「一つある。危険がないとは言えんが、滝よりはましだ」
紗弓が佐伯を見た。
「どこ?」
「石の囲い。上流へ行って、川を離れる。中に、触ると課題が出る柱がある」
豪は身体を起こした。
佐伯はそれを見て、片手を上げた。
「今すぐ走っていくなよ。人が集まる場所は、何が起きるか分からん」
豪はまた腰を落ち着けた。
ミミが隣へ座った。
*
「だったら、一緒に行きませんか」
豪は言った。
澪がこちらを見た。
豪はすぐに言い足した。
「場所が分かるところまで。勝手に決めて悪いけど、俺たちだけで探すより」
澪は佐伯とガロを見た。
それから紗弓へ目を向けた。
「私は、一緒に行きたいです」
紗弓は答えなかった。
弓の弦を、指先で軽く押していた。
佐伯が豪たちを数えるように見た。
「パーティーは?」
「三人です」
豪が答えた。
自分と、澪と、ミミ。
佐伯とガロを入れれば、五人。
紗弓は入れない。
豪は気づいて、口を閉じた。
紗弓が言った。
「組まなくていい。一緒に歩けば」
声は平らだった。
豪は彼女を見た。
「でも、さっき助けてもらって」
「助けたら、仲間に入れなきゃいけないの?」
「そうじゃなくて」
豪は言葉を止めた。
また、答えを急いでいた。
助けてもらったから信用できる。
魚は普通に話してくれたから、襲わない。
同じことを、形を変えて繰り返そうとしていた。
紗弓が弓を背中へ戻した。
「私は、まだ誰かと組むつもりはない」
少し間があった。
「一緒に行くのは、いいけど」
豪はゆっくりうなずいた。
「分かった」
佐伯が立ち上がった。
「俺たちも、二人のままでいい。分け前の話をしなくて済む」
ガロが身体を起こす。
「歩く順番は決めろ。後ろから人間が近づくのは嫌だ」
ミミの耳が立った。
豪は足元を見た。
「ミミもか?」
「うしろ、いや」
豪は少し考えた。
「じゃあ、二人とも前寄りで。佐伯さんが道を教えて、俺が後ろに」
「私も後ろを見ます」
澪が言った。
紗弓は木々の間へ目を向けていた。
「私は横。射るとき、前を通らないで」
豪は彼女の弓を見てから、うなずいた。
*
歩き始める前に、佐伯が豪へ聞いた。
「どれくらい持つ?」
豪は答えかけ、止まった。
「何がですか」
「食料と水」
ポイントを聞かれたのかと思った。
佐伯は豪の顔を見て、苦く笑った。
「残りの数字は言わなくていい。歩いてる途中で、腹が減って動けなくなりそうか、それを知りたい」
「しばらくは、大丈夫です」
「ならいい」
男は川から離れる方へ歩き出した。
ガロが前を行き、ミミは少し距離を空けて続いた。
紗弓は木の幹を避けながら、その横を歩く。
豪と澪は後ろについた。
誰も、パーティーに入れとは言わなかった。
ポイントを見せろとも言わなかった。
それだけで安心しそうになって、豪は後ろを振り返った。
木々の間に、人影はなかった。
前へ向き直ると、ミミが止まって待っていた。
「ごう」
「ああ。今行く」
豪は棍棒を持ち直した。
帰るために集まった者たちが、帰る道も知らないまま、同じ方へ歩いていた。




