第10話 三つ目の名前
次の隠れ場所は、うさぎが見つけた。
低い木が何本も寄り集まり、その根元に乾いた葉が積もっている場所だった。
上から垂れた枝が、外からの視線を遮っていた。
豪は葉の隙間から周囲を確かめた。
誰もいない。
だが、さっきもそう思っていた。
「ここ、入っていいのか」
うさぎに聞いた。
「せまい」
「それは、何とかする」
豪は枝を持ち上げ、澪を先に通した。
自分も身体を横にして入り込む。
中では立てなかった。
二人並んで座ると、膝が触れそうになる。
うさぎは少し離れた根のそばにいた。
豪たちが落ち着いてからも、耳を外へ向けていた。
「HP、いくつですか」
澪が聞いた。
豪は表示を確かめた。
「四十二」
「減りましたね」
「ああ。澪は」
「七十六」
肩へ剣が触れたときだろう。
豪は彼女の上着を見た。
破れていなかった。
「痛くない?」
聞いてから、豪は口を閉じた。
澪は首を横に振った。
「大丈夫です。動けます」
それが、今はありがたかった。
痛みで走れなくなることも、血の跡をたどられることもない。
だが、槍を向けられたときの恐怖は残っていた。
豪は十二ポイントの表示を開き、すぐに閉じた。
「これ」
澪が言った。
豪の前に通知が現れた。
【澪から40ポイントを受け取りました】
【所持ポイント:52】
豪は顔を上げた。
「いいよ、そんな」
「パーティーだから、渡せるんでしょう」
「でも」
「二十ずつしか残らなかったら、困ってたんです」
澪は豪を見た。
「豪さんが止めてくれたから、私の分は残りました」
豪は通知へ目を戻した。
キツネを倒したときにも、澪へポイントが入った。
自分が棒を振り下ろした場面ばかり思い出していたが、あのとき、澪が石を当てなければ逃げられていたかもしれない。
さっきも、彼女が動かなければ二人とも捕まったままだった。
受け取っていいのか考えている間に、澪は自分の画面を閉じていた。
「……ありがとう」
豪が言うと、彼女はうなずいた。
*
うさぎが前脚を舐めた。
耳は、外へ向いたままだった。
豪は声を落とした。
「眠くないのか」
返事はなかった。
「休んでいいぞ。今は俺たちが見てるから」
うさぎの鼻が動いた。
目が、豪の手元へ向く。
棍棒だった。
豪は自分の足の横へ置いた。
手を離す。
うさぎはまだ見ていた。
「……怖いよな」
豪はそれ以上近づかなかった。
澪が膝を抱えた。
「豪さん。さっき、何か話そうとしてました?」
「さっき?」
「私が起きる前。起こされるとき、声が聞こえた気がして」
「ああ」
豪はうさぎを見た。
「一緒に行かないかって、聞こうと思った」
澪は目を向けた。
うさぎは二人を見比べていた。
「でも、俺だけで決めることじゃないから」
「私は、いいです」
返事は早かった。
「助けてもらいましたし」
澪がうさぎへ顔を向ける。
「ただ、嫌かもしれないですよね」
豪もうなずいた。
野生の生き物だった。
人間二人と行動することが、安心につながるとは限らない。
「一緒に来るか」
豪が聞くと、うさぎは耳を少し伏せた。
「どこ」
「俺たちも、まだ分からないけど」
言ってから、ひどい誘い方だと思った。
何も決まっていない。
安全な場所も、帰る方法も。
「食べ物を買うの、手伝える」
豪は続けた。
「眠るときは、交代で見張る。何か聞こえたら、教えてくれると助かる」
うさぎは鼻を動かした。
「ひと、くる」
「来るかもしれない」
「こわい」
「俺も怖い」
豪は答えた。
澪が隣で、小さくうなずいた。
「でも、今みたいに教えてくれたら、逃げられるかもしれない」
うさぎは地面を見た。
しばらくして、澪が言った。
「ずっと一緒にいなきゃ駄目、とはしないから。離れたくなったら、言って」
耳が起きた。
「いっていい?」
「うん」
うさぎは枝の隙間へ顔を向けた。
外を見ていた。
豪は待った。
小さな身体が、根のそばから動いた。
二人の正面まで来て、止まる。
「ごはん」
「買えるようになるまで、手伝うよ」
豪が言った。
うさぎは少し考えるように口元を動かした。
「いく」
*
豪はパーティーの招待を開いた。
うさぎへ意識を向け、招待する。
通知が送られた。
うさぎが、びくりと身体を揺らした。
「出た」
「俺から。一緒に行くかって聞いてる」
うさぎは顔を左右へ動かした。
「いっぱいじゃない」
「ああ」
豪は少しだけ笑いそうになった。
「それでいい」
うさぎは目の前の何もない場所を見ていた。
「いいよって、考えてみて」
澪が言った。
うさぎの鼻が止まった。
豪の画面に、文字が現れた。
【野うさぎがパーティーに加入しました】
【メンバー:豪/澪/野うさぎ】
豪は三行目を見た。
澪も自分の画面を見ているらしかった。
「名前、ないんですね」
「みたいだな」
うさぎが顔を上げた。
「なまえ」
「呼ぶときのやつ」
豪は自分の胸を指した。
「俺は豪」
澪が片手を上げた。
「私は澪」
うさぎは二人を順番に見た。
「ごう」
「ああ」
「みお」
「うん」
豪はうさぎを見た。
「呼ばれてた名前、あるか?」
うさぎは答えなかった。
しばらく待つと、前脚で地面を掻いた。
「ない」
「何かあった方が、呼びやすいかなと思ったんだけど」
豪は毛色を見た。
茶色。
だからチャイロでは、あまりにそのままだろうか。
菜月が昔、近所の猫にシロと名づけようとしたことを思い出した。茶トラだったので、どうしてだと聞いたら、白いところもあるからと言われた。
豪の口元が少し動いた。
「何ですか」
澪が聞いた。
「いや、妹のこと思い出して」
「名前つけるの、得意なんですか」
「分からん。白くない猫に、シロってつけようとしてた」
澪が小さく笑った。
うさぎの耳が、そちらへ向いた。
豪は咳払いをした。
「……ミミ、とか」
澪が豪を見た。
「耳が長いからですか」
「ほかに思いつかなくて」
うさぎが自分の耳を動かした。
「みみ」
「嫌なら、別のにする」
うさぎは澪を見た。
豪を見た。
「みみ」
もう一度、言った。
豪は少し待ってから呼んでみた。
「ミミ」
うさぎが顔を上げた。
それで、決まった。
パーティー画面の三行目を選ぶと、呼び名を設定する欄が開いた。
豪は二人に確認してから、名前を入れた。
【メンバー:豪/澪/ミミ】
*
「最初に決めときたいことがある」
豪は画面を閉じた。
澪が顔を上げる。
「知らない人のパーティーには入らない」
「はい」
「ポイントを渡すときも、一人で決めない。自分の分でも」
澪は少し考えてから、うなずいた。
「さっき私、勝手に渡しましたね」
「あれは助かった。……でも、今度から。俺もそうする」
「分かりました」
豪はミミを見た。
話の全部を理解しているかは分からない。
「あと、誰かが寝るときは、一人は起きてる」
「ミミにも、ずっと聞いててもらうわけにはいきませんしね」
澪が言った。
名前を呼ばれ、ミミの耳が動いた。
「ねていい?」
豪はうなずいた。
「いいよ」
ミミはすぐには目を閉じなかった。
根のそばへ戻り、二人の顔が見える向きで身体を丸めた。
耳が何度か動く。
それから、少しずつ伏せられた。
豪は枝の隙間へ顔を向けた。
人の声は聞こえない。
澪も同じ方向を見ていた。
「少ししたら、豪さんも寝てください」
「澪、さっき途中だっただろ」
「少し寝られましたから。次は私が起きてます」
豪は返事をせず、自分の手を見た。
棒を振った。
ポイントを渡した。
槍を押し返した。
何をしても、手はいつもどおりの形をしていた。
「……目を閉じると、思い出すんだよ」
澪は黙っていた。
「キツネのこと」
葉の向こうで、小さな音がした。
二人とも顔を上げる。
風だった。
澪がゆっくり息を吐いた。
「私も、石が当たったときのこと、思い出します」
豪は彼女を見た。
澪は自分の手のひらを擦っていた。
「でも、寝ないと」
「ああ」
「また来たとき、動けなくなります」
豪は根の盛り上がった場所へ背中を預けた。
水と棍棒を手の届くところに置く。
「何かあったら、すぐ起こして」
「はい」
目を閉じた。
すぐに、赤茶色の毛が浮かんだ。
豪は目を開けた。
澪が外を見ていた。
少し離れたところで、ミミが丸くなっていた。
豪は二人を確かめた。
それから、もう一度目を閉じた。




