第8話 変わった?
四月十六日。
矢城勇真が教室へ入ると、いつもより少し騒がしかった。
「だから絶対こっちの方がいいって!」
「いやいや、桃香には似合わないって!」
「なんでよ!」
声のする方を見ると、名取と浅井が一台のスマートフォンを覗き込みながら言い合っている。
もっとも、本気で喧嘩しているわけではない。
浅井由実は名取の親友で、とにかく明るく冗談好きな女子だ。人を笑わせるのが好きで、クラスの中でも自然と周囲を賑やかにする。
「矢城!」
「え?」
突然、浅井に呼ばれた。
「ちょうどいいところに来た!」
「何が?」
「男子の意見が必要」
「俺?」
「そう。こっち来て」
半ば強引に呼ばれ、勇真は二人のところへ向かった。
スマートフォンの画面には二種類のバスケットシューズが表示されている。
「どっちが桃香に似合うと思う?」
「知らんがな」
「真剣に考えて!」
「朝から俺に何を求めてんだよ……」
勇真はそう言いながら画面を見る。
一方は派手なデザイン。
もう一方は比較的シンプルだ。
「こっちじゃない?」
シンプルな方を指す。
「ほら!」
名取が勝ち誇った顔をした。
「やっぱりこっちだって」
「えー! 矢城センスないわ」
「呼んどいてそれ言う?」
「ちなみに理由は?」
名取に聞かれ、勇真はもう一度画面を見る。
「名取、試合中めちゃくちゃ動くし、こういうシンプルな方が似合いそう」
「……へえ」
「何?」
「いや、ちゃんと考えてくれたんだなって」
「聞いたのお前らだろ」
名取が少し笑う。
「ありがと。参考にする」
「おう」
勇真は自分の席へ向かった。
その背中を、名取が少しだけ不思議そうに見ていた。
◇
「ねえ」
勇真が離れてから、浅井が名取の肩を軽くつついた。
「何?」
「矢城と仲良かったっけ?」
「小学校から一緒だよ」
「それは知ってるけど」
浅井はニヤニヤする。
「最近、結構しゃべってない?」
「そう?」
「しゃべってる」
「普通でしょ」
「ふーん」
「何その顔」
「別にぃ?」
「由実、うざい」
「ひどっ!」
浅井が大げさに胸を押さえる。
名取は笑ったあと、もう一度勇真の方を見た。
「でも……」
「ん?」
「ちょっと変わったかも」
「矢城が?」
「うん」
小学校から知っている。
昔から大人しい方ではあった。
中学へ入ってからは特に、人の顔色を気にして自分から輪へ入ってくることが少なくなった。
高校でも同じだと思っていた。
ところが、最近は違う。
堀井と一緒にいる。
成瀬や高石とも話している。
伊藤にまで自分から声をかけていた。
「なんか前より……」
「前より?」
「楽しそう」
名取は小さく笑った。
◇
昼休み。
「矢城、飯食おうぜ」
「おう」
堀井に呼ばれ、勇真が席を立つ。
すると成瀬がこちらへやってきた。
「矢城、昨日のこと考えた?」
「バスケ部?」
「そう」
「まだ」
「まだかよ」
高石も笑いながら近づいてくる。
「成瀬、昨日からずっと勧誘してんだよ」
「だって普通に戦力になりそうだし」
「そんな上手くないって」
「でも視野広いよな」
成瀬に言われ、勇真は首を傾げた。
「そう?」
「昨日のパス。俺だったら自分で行ってたかもしれない」
「それ褒めてんの?」
「褒めてるよ」
四人で話していると、後ろから声が飛んできた。
「矢城、バスケ部入るの?」
名取だった。
「まだ分からない」
「入りなよ」
「名取まで言うのかよ」
「だって中学までやってたんでしょ?」
「まあ」
「私も入るし」
「女子バスケだろ」
「体育館一緒じゃん」
「だから何だよ」
「別に」
名取は笑っている。
その横から浅井が顔を出した。
「矢城、入ったら?」
「浅井まで?」
「青春だよ、青春」
「雑すぎるだろ」
「高校生といえば部活! 友情! 恋愛!」
「最後いらんだろ」
「一番大事でしょ」
「お前が言うと急に軽く聞こえるな」
「失礼な!」
周囲から笑いが起きる。
勇真も一緒に笑っていた。
ふと気づく。
今、自分は名取、浅井、成瀬、高石、堀井と一緒に話している。
元の高校生活なら、まずあり得なかった組み合わせだ。
以前なら少し離れたところから、楽しそうだなと思いながら見ていた側だった。
「…………」
「矢城?」
名取が首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……」
勇真は少し迷ってから笑った。
「なんか高校生っぽいなと思って」
一瞬、全員が黙った。
「……何それ」
名取が吹き出す。
「いや、だってそうだろ」
「私たち高校生だから」
「知ってるよ!」
また笑いが起きた。
勇真も笑う。
恥ずかしかったが、不思議と嫌ではなかった。
◇
その様子を、少し離れた席から見ている人物がいた。
「最近、矢城ってあんな感じだった?」
栗原が言う。
隣にいた清水は興味がなさそうに答える。
「知らない」
「前もっと暗くなかった?」
「暗かった」
「じゃあ変わったじゃん」
「どうでもいい」
そう言いながら、清水も一度だけ勇真を見る。
楽しそうに笑っている。
「…………」
「千尋?」
「何?」
「めっちゃ見てるじゃん」
「見てない」
「見てたって」
「うるさい」
栗原が笑う。
清水は露骨に顔を逸らした。
「別に……あいつがどうなろうと関係ないし」
その声には、わずかに苛立ちが混じっていた。
◇
放課後。
「今日もバスケ見に行く?」
成瀬に聞かれた。
勇真は少し考える。
「今日はいいかな」
「そっか」
「まだ入らないって決めたわけじゃないから」
「じゃあ待ってる」
成瀬と高石が体育館へ向かっていく。
勇真は一人、昇降口へ向かった。
靴を履き替えていると、
「矢城」
後ろから声がした。
「名取?」
名取がスポーツバッグを肩に掛けて立っている。
「今から部活?」
「うん。今日は女子バスケも練習」
「頑張れよ」
「ありがと」
そのまま別れるかと思ったが、名取は動かなかった。
「……何?」
「矢城さ」
「うん」
「なんかあった?」
勇真の手が止まった。
「何が?」
「最近ちょっと変わったから」
心臓が一瞬、大きく鳴る。
「変わった?」
「うん」
「どこが?」
「なんていうか……前より人としゃべるようになったし、自分から動くようになった気がする」
小学校から知っている名取だからこそ、気づいたのかもしれない。
勇真は少し困った。
高校生活を一度終えた。
卒業式の日から、三年前に戻ってきた。
しかも何度も同じ日を繰り返している。
そんなことを言えるはずがない。
「……変わろうと思ったんだよ」
結局、そう答えた。
「変わろう?」
「俺さ、中学まで結構……何でも面倒だからって避けてたじゃん」
「まあ……ちょっとね」
「だから高校では、もうちょっといろいろやってみようかなって」
嘘ではない。
むしろ、今の勇真にとって一番正直な答えだった。
「ふーん」
名取は勇真の顔を見る。
「何だよ」
「いや」
少しだけ笑う。
「いいんじゃない?」
「そう?」
「うん。今の方がいいと思う」
「…………」
不意打ちだった。
「何その顔」
「いや……」
勇真は視線を逸らした。
「名取にそんなこと言われると思わなかったから」
「何それ」
名取が笑う。
「じゃあ私、部活行くから」
「おう」
数歩進んだところで、名取が振り返った。
「矢城!」
「何?」
「男子バスケ入ったら教えて!」
「なんで?」
「小学校からの知り合いとして応援してあげる」
「上からだな」
「じゃあね!」
名取は手を振り、体育館へ走っていった。
勇真はその背中を見送る。
「今の方がいい……か」
悪い気はしなかった。
むしろ、かなり嬉しい。
「……単純だな、俺」
勇真は苦笑しながら学校を出た。
◇
帰り道。
勇真は今日の昼休みを思い返していた。
名取。
浅井。
成瀬。
高石。
堀井。
あの輪の中に、自分もいた。
「これって……」
いわゆるスクールカーストで考えれば、かなり上の方にいる人間も混ざっている。
元の自分なら、それだけで喜んでいたかもしれない。
「勝ち組に近づいてる……のか?」
そう考えて、すぐに首を振る。
「いやいや、早すぎるだろ」
まだ高校生活は始まったばかりだ。
友達が少し増えただけ。
それで人生勝ち組などと言っていたら笑われる。
それでも――。
「友達と話すのって、こんな楽しかったんだな」
以前の三年間で、自分が失っていたもの。
それを少しずつ取り戻している気がした。
◇
翌朝。
目を覚ました勇真は、いつものようにスマートフォンを見る。
【4月17日】
「……よし」
今日も進んでいる。
ベッドから起きようとした時、メッセージの通知が一件届いた。
「ん?」
画面を見る。
名取からだった。
『矢城、今日ちょっと早く学校来れる?』
「……名取?」
続けて、もう一件。
『お願いしたいことある!』
「何だよ……」
勇真は首を傾げる。
だが、その口元は少しだけ笑っていた。




