第6話 同じ未来にはならない
四月十日。
矢城勇真はベッドの上で、しばらく動けずにいた。
頭痛はもう治まっている。
それでも、さっき脳裏に浮かんだ光景が頭から離れなかった。
卒業式。
スマートフォンに届いた何かのメッセージ。
自分を呼ぶ女の声。
そして、最後に見えた光。
「……誰だったんだ?」
顔が思い出せない。
声にも聞き覚えがあるような気がするのに、誰なのか分からない。
無理に思い出そうとすると、頭の奥に鈍い痛みが戻ってくる。
「くそ……」
勇真は考えるのをやめ、スマートフォンを見る。
【4月10日】
こちらも気になる。
四月十四日の夜に眠ったはずなのに、四日前まで戻された。
四月八日ではない。
四月九日でもない。
四月十日。
「セーブ……か」
昨日、自分で口にした言葉をもう一度呟く。
四月八日に林を助け、初めて四月九日へ進んだ。
四月九日に堀井の前へ立ち、四月十日へ進んだ。
その後は何日間も普通に時間が流れた。
そして四月十四日、真下たちが女子生徒のスマートフォンを取り上げているのを見ながら、勇真は何もできなかった。
眠ると四月十日へ戻された。
「やっぱり、あれが原因なのか……?」
清水に言われた言葉が蘇る。
『怖いのと、見て見ぬふりするのは別でしょ』
胸が少し痛んだ。
「……今度は止める」
四月十四日に何が起きるか、自分は知っている。
なら、次は同じ失敗をしなければいい。
そうすれば今度こそ、その先へ進めるはずだ。
「四日後か」
勇真はベッドから立ち上がった。
一度経験した未来。
それを知っていることが、今回は大きな武器になる。
この時の勇真は、そう思っていた。
◇
学校へ行くと、四月十日の光景が広がっていた。
当然ながら、クラスメイトたちは何も覚えていない。
「おはよう、矢城」
「おはよう」
名取に声をかけられ、勇真は自然に返した。
少し前なら、それだけでも緊張していた。
だが、今は違う。
自分にとっては、名取と何度も話している。
「なんか今日、余裕あるね」
「そう?」
「うん。入学式の日より全然」
「あの日のことは忘れてくれ」
「彼女欲しいです!」
「言うな!」
名取が笑う。
勇真も苦笑した。
こういう会話にも少しずつ慣れてきた。
「矢城」
今度は堀井がやってくる。
「今日、昼一緒に食おうぜ」
「ああ」
自然に答えてから、勇真は少し嬉しくなった。
ここは変わっていない。
四月九日に勇気を出して真下たちの前へ出たことで、堀井との関係はすでにできている。
少なくとも、全部が消えたわけではない。
「……ちゃんと残ってるんだな」
「何が?」
「いや、何でもない」
「お前、たまに一人で変なこと言うよな」
「気にすんな」
勇真は笑いながら席へ向かった。
◇
体育の授業。
「今日はバスケやるぞー」
教師の声を聞いた瞬間、勇真は思い出した。
前の四月十日と同じだ。
このあと成瀬と同じチームになり、自分がシュートを決める。
そして成瀬から、
『矢城、結構うまいじゃん』
そう言われる。
「……これも同じなのか」
少し面白くなってきた。
ゲームが始まる。
勇真はパスを受けた。
ここだ。
前回はここからドリブルで一人を抜き、シュートを決めた。
同じように動く。
一人目を抜く。
「よし」
そのままゴールへ向かおうとした瞬間――。
「矢城!」
「え?」
成瀬の声。
横から別の生徒が寄ってきた。
前回とは違う。
「うわっ!」
慌ててパスを出す。
ボールは相手に奪われた。
「悪い!」
「ドンマイ!」
成瀬はすぐに守備へ戻る。
勇真は一瞬、その場に立ち尽くしかけた。
「……違う」
前回と同じ動きをしたはずなのに。
結果が違った。
考えてみれば当たり前だ。
自分が朝から違う会話をしている。
立つ位置が少し違う。
誰かが動くタイミングも変わる。
それだけで未来は簡単にずれる。
「そりゃそうか……」
勇真は苦笑しながら走り出した。
同じ日だからといって、すべてが同じになるわけではない。
自分が違う行動をすれば、その先も変わる。
四月八日の時点ですでに分かっていたはずなのに、「一度経験した未来」というだけで、いつの間にか決まった台本のように考えていた。
◇
昼休み。
勇真は堀井と昼食を食べていた。
「矢城ってバスケ部入るの?」
「どうしようかな」
「中学までやってたんだろ?」
「ああ」
「じゃあ入ればいいじゃん」
「そんな簡単に言うなよ」
勇真は笑った。
「堀井は?」
「俺? 帰宅部」
「即答かよ」
「放課後は俺のものだから」
「カッコよく言ってるけど帰宅部だからな」
二人で笑う。
その時、勇真は少し離れた席にいる真下たちへ視線を向けた。
真下が川井たちと笑っている。
今のところ、こちらに絡んでくる様子はない。
「…………」
「どうした?」
「いや」
四月十四日。
あの時は真下が女子生徒のスマートフォンを取り上げていた。
だが、本当にもう一度起きるのだろうか。
さっきのバスケットボールですら展開が変わった。
それなら四日後の出来事も、同じとは限らない。
「未来が分かるわけじゃないんだな……」
「何の話?」
「独り言」
「やっぱお前変だわ」
「うるさい」
勇真は笑った。
だが、頭の中では一つ考えが変わっていた。
四月十四日まで待って、同じ出来事を止めればいい。
そんな単純な話ではない。
大事なのは、今から自分がどう行動するかだ。
◇
四月十一日。
以前と同じように堀井と昼食を食べた。
ただし、話した内容は違った。
四月十二日。
成瀬と高石が話しているところへ、今度は勇真から自然に加わった。
「矢城、バスケ部入らないの?」
成瀬に聞かれる。
「まだ迷ってる」
「もったいないな。結構うまいのに」
「考えとくよ」
前回とは違う会話。
それでも楽しかった。
四月十三日。
廊下で林と会った。
「矢城くん」
「林」
「今から移動教室?」
「ああ」
「私も」
二人で少しだけ一緒に歩く。
以前の四月十三日にも林とは話した。
けれど、今回は内容が違う。
「矢城くんって、バスケやってたんだね」
「中学までな」
「意外」
「どういう意味だよ」
「もっと運動苦手なのかと思ってた」
「ひどくない?」
「あ、ごめん」
林が慌てた顔をしてから、小さく笑う。
勇真も笑った。
同じ日付。
同じ相手。
それでも、会話は同じにならない。
少しずつ実感してきた。
これは過去を映像のように再生しているわけではない。
自分が何かをすれば、相手もそれに反応する。
その積み重ねで、先の出来事も変わっていく。
◇
そして、四月十四日。
朝から勇真は落ち着かなかった。
「今日か……」
前回、失敗した日。
何度も時計を見る。
授業が終わる。
昼休み。
何も起きない。
放課後が近づくにつれ、勇真の緊張は強くなった。
前回は一人で廊下を歩いていた時に、女子生徒と真下たちを見かけた。
「今度は絶対に――」
「矢城」
「うわっ!」
突然肩を叩かれた。
振り返ると、堀井だった。
「何ビビってんだよ」
「急に触んなよ」
「悪い悪い。今日、一緒に帰らない?」
「え?」
前回にはなかった誘いだった。
「ちょっとコンビニ寄りたいんだけど」
「ああ……」
勇真は迷う。
このまま堀井と帰れば、前回あの出来事が起きた廊下を通らない。
だが――。
「悪い。ちょっと用事ある」
「そっか。じゃあまた明日な」
「ああ」
堀井と別れる。
勇真は前回と同じ場所へ向かった。
廊下。
「…………」
誰もいない。
真下もいない。
女子生徒もいない。
「やっぱり……」
同じことは起こらなかった。
少し安心したような、それでいて拍子抜けしたような気持ちになる。
「何してんの?」
背後から声がした。
「清水?」
清水が立っていた。
「さっきから廊下うろうろして。誰か探してんの?」
「いや……」
真下が女子のスマートフォンを取るのを待っていた。
そんなことを言えるはずがない。
「ちょっと考え事」
「ふーん」
清水は怪しむように勇真を見る。
「何だよ」
「別に」
「またそれか」
「じゃあね」
清水が通り過ぎる。
勇真はその背中を見ながら、前回の言葉を思い出した。
『怖いのと、見て見ぬふりするのは別でしょ』
今回は、その言葉を言われなかった。
そもそも、あの出来事自体が起きていない。
「変わったんだ……」
自分が四月十日から違う行動をしたことで、四日後の出来事まで変わった。
それなら――。
「正解を覚えるだけじゃ駄目なんだな」
もう、前回と同じ未来は存在しない。
勇真はようやく、そのことを理解し始めた。
◇
その日の夜。
ベッドへ入っても、なかなか眠れなかった。
「どうなるんだ……?」
前回失敗した出来事そのものが起きなかった。
なら今回は、四月十五日へ進めるのか。
それとも、別の何かが原因でまた四月十日へ戻るのか。
分からない。
「もう考えても仕方ないか」
勇真は目を閉じた。
眠気がやってくる。
以前なら、眠ること自体が怖かった。
今も不安はある。
それでも、この先を確かめる方法は一つしかない。
勇真はそのまま眠りについた。
◇
ピピピピピピッ――!
「……!」
目覚ましが鳴った瞬間、勇真は飛び起きた。
スマートフォンを掴む。
「頼む……」
画面をつける。
【4月15日】
「…………」
数秒間、動けなかった。
「進んだ……」
四月十五日。
四月十日ではない。
「やった……!」
ベッドの上で拳を握る。
前回とは違う未来を過ごした。
真下の出来事も起こらなかった。
それでも、ちゃんと次の日へ進めた。
「じゃあ……」
勇真は考える。
決められた出来事をクリアすることが条件ではない。
誰かを助ければ必ず進めるわけでもない。
同じ日を同じように過ごす必要もない。
「俺が……どうするか?」
まだ、それ以上は分からない。
誰が判断しているのかも、何を基準にしているのかも分からない。
ただ、少しだけ見えてきたことがある。
これは正解を暗記して進むゲームではない。
自分の選択で、その先そのものが変わっていく。
「だったら……」
勇真はスマートフォンを置き、制服へ手を伸ばした。
「今度は、ちゃんと自分で選ぶしかないな」
窓から朝日が差し込んでいる。
四月十五日。
勇真にとって、まだ一度も経験したことのない一日が始まる。




