第51話 好きな人
林と二人で出かける約束をしてから、数日が経った。
その間にも部活はあったし、高石や堀井と遊ぶ日もあった。夏休みの宿題も少しずつ進めて、気づけば八月に入っている。
去年までの俺なら、夏休みなんて長いだけだった。朝起きても特に予定はなく、スマホを触って、適当に動画を見て、昼になれば何か食べる。そのまま何となく一日が終わっていく。
それが今年は違う。
部活があって、友達から連絡が来る。そして今日は――林と二人で出かける。
「……よし」
鏡の前で髪を整える。
これで何度目だろう。
「勇真ー」
階段の下から母さんの声が聞こえた。
「今日、林さんとデート?」
「違う!」
反射的に答えてしまった。
「まだ何も言ってないのに、よく林さんだって分かったわねー」
「……」
やられた。
階段を下りると、母さんが楽しそうに笑っていた。
「やっぱり林さんなんだ」
「二人で出かけるだけだから」
「それを世間ではデートと呼ぶんじゃない?」
「知らん」
「お父さーん、勇真がデートだって」
「言うなよ!」
リビングの奥から父さんが顔を出した。
「勇真」
「何?」
妙に真剣な顔をしている。
「父さんから一つだけ言っておく」
「絶対ろくなことじゃない」
「女の子との待ち合わせには五分前――」
「普通のアドバイス?」
「――では遅い。男は三十分前だ」
「早すぎるだろ」
「父さん、お母さんとの初デート四十分遅刻したけどね」
「七海、それは今関係ないだろ」
「説得力ゼロじゃん」
いつものやり取りに笑いながら、俺は家を出た。
◇
待ち合わせ場所へ着いたのは、約束の十五分前だった。
父さんの三十分前理論に従ったわけではない。ただ、家にいても落ち着かなかっただけだ。
駅前には休日らしく人が多い。スマホで時間を確認していると、聞き慣れた声がした。
「矢城くん」
振り返ると、林がこちらへ歩いてくるところだった。
「……早くない?」
「矢城くんも」
「俺は今来たところ」
「本当?」
「……十分くらい前」
「私も」
二人で笑った。
夏祭りの時は浴衣姿を見ただけで言葉に詰まったけれど、今日はそれとはまた違う緊張がある。あの時と違って、もう俺は自分が林を好きだと知っているからなのか、待ち合わせ場所に来た林を見つけただけで妙に嬉しかった。
「どうしたの?」
「いや……今日の服、似合ってるなって」
今度は考えすぎる前に、そのまま口にした。
林は少し驚いたあと、照れたように笑う。
「ありがとう。矢城くんも似合ってるよ」
「今日は普通の服でも言ってくれるんだ」
「夏祭りの時だって普通の服だったでしょ?」
「そうだった」
また二人で笑って、そのまま駅へ向かって歩き出した。
◇
今日は電車で少し離れたショッピングモールへ行くことになっていた。
特別な場所ではない。映画館があって、服屋があって、ゲームセンターがあって、飲食店もある。高校生が二人で遊ぶなら十分な場所だ。
映画を観て、昼飯を食べ、そのあとゲームセンターへ行った。
「林、意外と強くない?」
「そう?」
「そうだよ。さっきから俺、ほとんど勝ってないんだけど」
「矢城くんが弱いんじゃない?」
「それは言ったら駄目だろ」
エアホッケーでも負けた。レースゲームでも負けたし、唯一勝てそうだったバスケットボールのゲームでさえ、最後には一点差まで追いつかれた。
「危な……」
「惜しかった」
「これで負けたらバスケ部辞めるところだった」
「そこまで?」
「さすがに林に負けて次の日部活行く勇気ない」
林が声を出して笑う。
祭りの日にも思ったが、林は二人でいる時の方がよく笑う気がする。俺も同じなのかもしれない。
待ち合わせたばかりの頃は、何を話そうとか、少しくらい格好よく見せたいとか考えていたのに、いつの間にかそんなことはどうでもよくなっていた。
ただ林と一緒にいるのが楽しい。
それだけで十分だった。
◇
夕方。
駅へ戻る頃には、外はまだ明るいものの、昼間の暑さは少し和らいでいた。
「今日は楽しかった」
林が言う。
「俺も」
「映画も面白かったし」
「ゲームは負けすぎたけど」
「私は楽しかったよ」
「勝った側はな」
笑いながら歩く。
もうすぐ駅だった。ここから電車に乗って帰れば、今日が終わる。
そう思った時、急に寂しくなった。
もっと一緒にいたい。
夏祭りの夜にも感じた気持ちだったけれど、今はもう、その理由を知っている。
「林」
「ん?」
「ちょっといい?」
自分でも驚くくらい、自然に声が出た。
駅へ向かう道から少し外れ、人通りの少ない場所へ移動する。林は不思議そうについてきたが、俺が立ち止まると、少し緊張したような顔でこちらを見た。
「どうしたの?」
「……」
ここまで来て、心臓が急に速くなった。
何て言えばいい?
告白なんてしたことがない。格好いい言葉も知らないし、頭の中で考えれば考えるほど、何を言えばいいのか分からなくなる。
そこで、ふと思った。
別に格好よく言う必要なんてない。
俺は林に、自分の気持ちを伝えたいだけだ。
「俺さ」
「うん」
「高校入った時、彼女欲しいって思ってた」
「……え?」
予想していなかったのか、林が目を瞬く。
「何か、高校で彼女作って、友達作って、勉強も運動もできるようになったら……それで人生うまくいってるって思える気がしてた」
言葉にすると、我ながら馬鹿みたいだ。
「彼女がいる自分になりたかったんだと思う。誰が好きとかじゃなくて」
林は何も言わず、俺の話を聞いている。
「でも、今は違う」
夏祭りを思い出す。
りんご飴を持って笑っていた林。輪投げで取ったぬいぐるみを俺にくれた林。繋いだ手。そして今日、一緒に映画を観て、ゲームをして、くだらないことで笑った時間。
俺が欲しいのは、ただ「彼女がいる」という結果じゃない。
「彼女が欲しいんじゃない」
一度息を吸った。
「林と付き合いたい」
林の目が大きくなる。
「俺、林が好きだ」
言った。
言ってしまった。
胸が苦しくなるほど緊張しているのに、逃げたいとは思わなかった。林が何を答えるのか怖い。それでも、その答えを俺が決めることはできない。
当たり前だ。
林の気持ちは、林のものなんだから。
「だから……」
そこまで言って、俺は一度口を閉じた。
余計なことを言うのはやめよう。
ただ、聞けばいい。
「俺と付き合ってほしい」
林は黙っていた。
ほんの数秒だったと思う。
それなのに、ものすごく長く感じる。
やがて林が俯いた。
「……私ね」
「うん」
「矢城くんに夏祭り誘ってもらった時、すごく嬉しかった」
小さな声だった。
「でも、みんなで行くんだって聞いて……少しだけ残念だった」
「え?」
「だから、途中で二人で回ろうって言ってくれた時、もっと嬉しかった」
林が顔を上げる。
頬が赤い。
「今日も、私から二人でって言ったの、矢城くんと二人で出かけたかったから」
心臓が大きく鳴る。
「私も」
林が少しだけ笑った。
「矢城くんが好き」
頭の中が真っ白になった。
何か言わないといけない。そう思うのに、言葉が出てこない。
「……本当に?」
やっと出たのが、それだった。
「嘘でこんなこと言わないよ」
「いや、そうだけど……」
林が笑う。
俺もつられて笑った。
「じゃあ……」
「うん」
「付き合うってことでいい?」
「……うん」
林はしっかりと頷いた。
「よろしくお願いします」
「何で敬語?」
「分かんない」
「私も分かんない」
二人で笑った。
告白って、もっと劇的なものだと思っていた。世界が変わったような感覚になるとか、ものすごく格好いい台詞を言えるとか。
実際は違った。
緊張して、言葉に詰まって、確認までして、最後には二人で笑っている。
でも、それでよかった。
俺は勝ち組になるために、彼女を作ったんじゃない。
林という一人の女の子を好きになって、林も俺を好きだと言ってくれた。その結果として、付き合うことになった。
それが今は、何より嬉しかった。
◇
駅へ向かって再び歩き始めた。
さっきまでと同じ道なのに、妙に落ち着かない。隣にいるのも同じ林なのに、数分前とは関係が違う。
「……なあ」
「何?」
「付き合ったら、何か変わるのかな」
「私に聞くの?」
「俺、初めてだから」
「……私もだよ」
「そっか」
また沈黙する。
でも気まずくはなかった。
少し歩いたところで、林の手が俺の手に触れた。夏祭りの日なら、ここからどうするか迷っていたかもしれない。
今日は迷わなかった。
俺からその手を握ると、林もすぐに握り返してくれた。
「……これくらいは変わるかも」
林が小さく言った。
「祭りでも繋いだじゃん」
「今日は違うでしょ」
「何が?」
「……彼氏だから」
「……」
その言葉の破壊力は想像以上だった。
「矢城くん?」
「ちょっと待って」
「どうしたの?」
「今、かなり嬉しい」
正直に言うと、林は一瞬驚いてから笑った。
「私も」
そのまま二人で駅まで歩いた。
人生を変えたい。
勝ち組になりたい。
高校生活をやり直したい。
そう思って始まった二度目の高校生活で、俺に初めて彼女ができた。
でも不思議だった。
ずっと欲しかったはずの「彼女がいる自分」になれたのに、嬉しい理由はそこじゃない。
林が俺の彼女になった。
俺が嬉しいのは、ただそれだけだった。




