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『人生勝ち組になるまで、俺の青春は先に進まない』~間違った選択をすると、また今日が始まる~  作者: ダイヤマ
第3章 正解のない選択

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第47話 待ち遠しい日


 夏休みが始まった。


 初日の朝、目を覚ましてスマホを確認すると、時刻は午前七時を少し過ぎたところだった。いつもなら制服に着替えて朝食を食べ、そろそろ学校へ向かう準備をしている時間だが、今日は授業がない。


 その事実に気づいた途端、もう一度寝てもいいんじゃないかという誘惑が頭をよぎった。


「……夏休みだしな」


 誰に言い訳するでもなく呟き、もう一度布団へ潜ろうとしたところでスマホが震えた。画面には高石からのメッセージが表示されている。


『今日部活来るよな? 見学でも来いよ』


「朝から元気だな……」


 まだ完全復帰の許可は出ていないし、今日は家でゆっくりしてもいいはずだ。そう思って『今日は休む』と打ち込んだものの、送信する直前で指が止まった。


 頭に浮かんだのは体育館だった。ボールが床を叩く音やシューズの擦れる音、高石たちの声に芹沢先生の怒鳴り声まで、簡単に想像できる。


 行かなければならないわけじゃない。それなのに、行きたくないわけでもなかった。


「……変わったな、俺」


 打ち込んだ文章を消し、『行く。まだ見学だけど』と送り直す。すると、ほとんど間を置かずに既読がついた。


『遅刻すんなよ』


「お前は俺の何なんだよ」


 思わず笑いながら、俺は布団から出た。


 前の人生の夏休みなら、こんな朝はそのまま昼まで寝ていたかもしれない。学校が休みになれば、わざわざ誰かに会いに行く理由なんてなかった。


 でも今年は違う。授業がなくても行く場所があって、そこへ行けば俺を待っている人間がいる。


 それが少し嬉しかった。


     ◇


 体育館へ着くと、すでに何人かの部員が準備を始めていた。


「お、来たな」


 俺を見つけた高石が、ボールを抱えたまま近づいてくる。


「お前が来いって言ったんだろ」


「まさか本当に来るとは」


「帰るぞ」


「冗談だって」


 高石が笑いながら俺の肩へ手を伸ばし、途中で「あ」と止めた。


「まだ痛い?」


「ほとんど大丈夫。強く押されたら知らんけど」


「じゃあ押さない」


「そこは試さなくていいからな」


「分かってるって」


 こんなやり取りをしていると、火事のあと何度も感じていた気まずさが少しずつ薄れていく。


 高石たちも最初の頃は、俺が少し動くだけで「大丈夫か」と聞いてきた。それが今では、普通に冗談を言ってくる。


 心配してもらえるのは嬉しい。でも、ずっと怪我人として扱われるより、こうして以前と同じように接してもらえる方が俺にはありがたかった。


「矢城」


 聞き覚えのある声に背筋が伸びる。


 振り返ると、芹沢先生が腕を組んで立っていた。


「今日は見学だな?」


「はい」


「ボール触るなよ」


「パスくらいなら」


「駄目」


「シュート一本だけ」


「駄目」


「フリースローなら走らないですよ?」


「矢城」


「はい」


「お前、自分がどうして見学してるか分かってるか?」


「……怪我したからです」


「分かってるなら座ってろ」


「はい……」


 大人しくベンチへ向かうと、高石が笑いを堪えていた。


「何笑ってんだよ」


「いや、元気そうで安心した」


「それならボール触らせろよ」


「先生に言え」


「言って駄目だったんだよ」


 高石はとうとう吹き出し、そのままコートへ戻っていった。


 俺はベンチに座り、始まった練習を眺める。


 見ているだけというのは、思っていた以上につまらなかった。以前の俺なら、部活を休めと言われれば喜んでいたかもしれない。それなのに今は、目の前でみんなが走っているのを見ていると、自分も早くコートへ戻りたいと思っている。


 これも、前とは違うところなんだろう。


     ◇


 練習が終わる頃には、見学していただけの俺まで腹が減っていた。


「矢城、飯行こうぜ」


 体育館を出たところで高石に誘われ、同じく練習を終えた成瀬も一緒に、三人で近くのファミレスへ向かうことになった。


 こういう流れにも、最近は少しずつ慣れてきた。


 前の人生なら、部活が終われば一人で帰るのが当たり前だった。誰かから「飯行こうぜ」と言われることもなければ、こちらから誘うこともなかった。


 席に着くと、高石はメニューを開くなり、値段ではなく料理の写真と量を真剣に見比べ始めた。


「これ絶対足りねえな」


「大盛りにすれば?」


 成瀬が言う。


「大盛りでも足りん」


「じゃあ二個頼めよ」


「金がない」


「知らねえよ」


 俺が突っ込むと、高石は「高校生なんてみんな金ねえだろ」と開き直った。


「成瀬は持ってそうだけどな」


「何で俺?」


「何となく」


「偏見だろ」


 成瀬が苦笑する。


 結局、高石は最後まで悩んだ末に大盛りを選び、俺と成瀬はさっさと注文を決めた。


 誰が何を頼むかなんて、どうでもいい話だ。それなのに、こういう時間が妙に楽しい。


「矢城」


「ん?」


 成瀬に呼ばれて顔を上げる。


「さっきから何笑ってんの?」


「え?」


「いや、何か楽しそうだから」


「別に普通だけど」


 そう答えると、高石がニヤッとした。


「夏休みが楽しみなんだろ」


「まあ、それは楽しみだけど」


「祭りもあるしな」


「ああ」


「林も来るんだっけ?」


 いきなり名前を出され、俺は高石を見る。


「何で林だけ聞くんだよ」


「何でって……最近よく一緒に帰ってるだろ?」


「それと祭り関係ないだろ」


「いや、あるだろ」


「ない」


「じゃあ何でそんな必死なんだよ」


「必死じゃない」


 言い返すほど、高石の顔が楽しそうになっていく。


「矢城、お前さ」


「何だよ」


「林のこと好きなの?」


「……は?」


 あまりにも直球すぎて、一瞬言葉が止まった。


「お前、急に何言ってんだよ」


「いや、普通に気になっただけ」


「だからって聞くか?」


「聞くだろ」


「聞かねえよ」


 高石は笑っているが、向かいに座った成瀬は面白がって煽るでもなく、静かに俺を見ていた。


「で?」


「成瀬まで乗るなよ」


「俺は聞いてるだけ」


「同じだろ」


 違う。


 そう言えば終わる。


 終業式の日にも堀井から似たようなことを聞かれた。その時も俺はすぐに否定できなかった。


 今は、あの時よりもっと答えに近づいている気がする。


「……分からん」


 結局、出てきたのは同じ答えだった。


 高石が意外そうな顔をする。


「分からんって何だよ」


「俺が聞きたいよ」


「自分のことだろ」


「こういうの慣れてないんだよ」


 思わず本音が漏れる。


 女子と付き合った経験なんてない。誰かを好きになって、その相手との距離が少しずつ近づいていくなんて経験も、俺にはなかった。


 だから、一緒に帰りたいと思うことも、会えると嬉しいことも、夏祭りで二人きりになりたいと思ったことも、それをどこから「好き」と呼べばいいのか分からない。


 少し黙っていると、成瀬が口を開いた。


「別に、今すぐ決めなくてもいいんじゃない?」


「え?」


「好きかどうかなんて、誰かに聞かれて決めるものでもないだろ。一緒にいたいなら一緒にいればいいし、もっと話したいなら話せばいい。そのうち自分で分かるんじゃない?」


「……お前、何か慣れてそうでムカつくな」


「何でだよ」


「顔がいいから」


「それこそ偏見だろ」


 高石が吹き出し、俺もつられて笑った。


 でも、成瀬の言ったことは少しだけ腑に落ちた。


 答えを急いで出さなくてもいい。


 少なくとも今、林と一緒にいる時間が楽しいことだけは間違っていなかった。


     ◇


 夏休みに入ってからの日々は、思っていたより忙しかった。


 部活へ顔を出し、体調を見ながら少しずつ練習へ戻る。堀井と遊ぶ日もあれば、高石たちと出かけることもあり、宿題を放置しすぎて後悔しないよう、珍しく早めに手をつける日もあった。


 名取たちのグループからも何度か連絡が来た。


 夏祭りについては、駅前に夕方集合ということになり、成瀬、高石、名取、浅井、林をはじめ、何人かが参加するらしい。清水や栗原にも声はかかっているようだった。


 みんなで行く夏祭り。


 それだけなら、普通に楽しみだったと思う。


 問題は、そのあとだ。


『途中でさ、二人でも、ちょっと回らない?』


 自分から林にそう言ったことを、思い出すたびに妙に落ち着かなくなる。


 誘った時は勢いだった。でも日が近づくほど、「二人で回る」という言葉の意味を意識するようになっていた。


 これって、ほとんどデートじゃないのか?


 いや、祭り自体はみんなで行く。途中で二人になるだけだ。だったらデートじゃない。


 でも、俺は林と二人で回りたいと思ったから誘った。


 じゃあ、やっぱりデートなのか?


「……何考えてんだ、俺」


 ベッドの上で一人、頭を抱える。


 こういう時、恋愛経験のなさが嫌になる。


 前の人生では、女の子と祭りへ行くことすらなかった。ましてや、自分から二人で回ろうなんて誘った経験があるはずもない。


 何を話せばいい?


 何か買ってやった方がいいのか?


 そもそも、祭りって何するんだ?


 屋台を見る。何か食べる。あとは……何だ?


「いやいやいや」


 さすがにそれだけじゃないだろ。


 スマホで「夏祭り 女子 二人 何する」と検索しかけ、直前で止めた。


「俺、何やってんだ……」


 恥ずかしくなって画面を閉じる。


 少し前まで、俺は勝ち組になるために「彼女が欲しい」と考えていた。彼女がいる、友達が多い、成績がいい。そういう条件を一つずつ揃えれば、自分は前の人生とは違う人間になれると思っていた。


 でも今は、少し違う。


 林と付き合えたら「勝ち組に近づく」から嬉しいんじゃない。林と一緒にいると楽しいから、もっと一緒にいたい。他の誰かではなく、林だから二人で回りたいと思った。


 そこまで考えたところで、高石の言葉が頭をよぎった。


『林のこと好きなの?』


 その質問に、もう「分からない」と答えるのも少し苦しくなってきている。


 俺は枕へ顔を押しつけた。


「……これ、もう答え出てないか?」


 誰もいない部屋で呟いても、当然返事はなかった。


     ◇


 そして数日後。


 夏祭り当日。


「勇真、まだ?」


 一階から母さんの声が飛んでくる。


「今行く!」


 鏡の前で髪を触っていた手を止める。普段なら適当に整えて終わりなのに、今日はなぜか何度やってもしっくりこない。


「……別にいつも通りでいいだろ」


 そう言い聞かせて部屋を出ると、階段を下りたところで母さんが俺を見るなり、口元を緩めた。


「今日はずいぶん念入りだったわね」


「何が?」


「髪。さっきから二階でずっと鏡見てたでしょ」


「見てないよ」


「母親にそういう嘘ついても無駄よ」


「……普通に準備してただけ」


 俺が目を逸らすと、母さんの笑みがさらに深くなった。


「今日、林さんも来るんだっけ?」


「何で覚えてんの」


「入院した時、一人でお見舞いに来てくれた子でしょ?」


「そうだけど」


「なるほどねえ」


「何が?」


「夏祭りの日だけ急に髪型が気になり始めた理由」


「関係ないって!」


「はいはい、そういうことにしといてあげる」


「絶対信じてないだろ」


 靴を履いていると、リビングから父さんまで顔を出した。


「勇真」


「今度は何?」


「祭りで人命救助するなよ」


「まだ言うの!?」


「夏祭りは人が多いからな」


「普通に行って普通に帰ってくるよ!」


「それが一番だ」


 父さんが満足そうに頷き、母さんが横で笑っている。


「じゃあ行ってきます」


「行ってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね」


「分かってる」


 外へ出ると、夕方とはいえまだ空は明るかった。


 駅へ向かって歩きながらスマホを確認すると、グループにはすでに高石から『着いた』と連絡が入っている。その直後に成瀬から『集合十五分前だぞ』と返されていた。


「早すぎるだろ」


 思わず笑う。


 俺も予定より少し早く家を出た。別に急ぐ必要はないと思っているのに、自然と歩く速度が少し速くなっていた。


     ◇


 駅前へ着くと、すぐに高石と成瀬を見つけた。


「遅いぞ、矢城」


「まだ十分前だよ」


「俺は二十五分前からいる」


「それを基準にするな」


「楽しみすぎて家にいられなかったらしい」


 成瀬が笑う。


「小学生かよ」


「祭りはテンション上がるだろ!」


「まあ分かるけど」


 そんな話をしているうちに、少しずつ人が集まってきた。


 浅井が来て、その少しあとに名取も姿を見せる。


「お待たせ!」


「まだ時間前だよ」


「高石君は?」


「二十五分前」


「早っ!」


 名取が笑った。


 私服姿を見るのは学校とは少し雰囲気が違って新鮮だったが、話し始めればいつもの名取だ。


「矢城、体もう平気?」


「完全復活」


「本当に?」


「その確認、夏休み中ずっとするつもり?」


「だって信用ないし」


「ひどくない?」


「自業自得」


 名取が楽しそうに笑う。


 その後も何人かが到着し、集合時間が近づいてきた。それなのに俺は、さっきから無意識に駅の入口を何度も見ていた。


「矢城」


「ん?」


 名取に呼ばれ、振り返る。


「さっきから、駅の方ばっかり見てない?」


「そう?」


「もう何回目だろうね」


「別に誰か待ってるわけじゃないけど」


 そう答えると、名取は俺の顔を数秒見つめたあと、少しだけ笑った。


「林さんなら、もうすぐ来るって連絡あったよ」


「……何で林だと思ったの?」


「さあ。何でだろうね?」


「絶対分かって言ってるだろ」


「でも、当たってたでしょ?」


「……」


 言い返せない。


 名取はそんな俺の反応を見て笑ったものの、すぐにスマホへ視線を落とした。


 ほんの一瞬だけ、その笑顔が消えたように見えた。


 気のせいだろうか。


「桃香」


 横にいた浅井が名取の顔を覗き込む。


「何?」


「ううん。林さん、もう着くんだよね?」


「そうみたい」


 浅井はそれ以上何も言わなかった。


 俺も何となく聞き返しづらくて、再び駅の入口へ目を向ける。


 その時だった。


「あ、来たんじゃない?」


 浅井の声に、反射的に顔を上げた。


 人の流れの向こうから、一人の女の子がこちらへ歩いてくる。


 一瞬、本当に林なのか分からなかった。


 学校でいつも見ている制服姿とは違い、今日は浴衣を着ている。髪も普段より少しだけ手を加えているのか、いつもの大人しい雰囲気を残しながらも、どこか違って見えた。


 歩くたびに浴衣の裾が小さく揺れる。


 やがて向こうも俺たちを見つけた。


 そして、俺と目が合う。


「……矢城くん」


 林円花が、少し恥ずかしそうに笑った。


 その瞬間、さっきまで普通に話していたはずなのに、何を言えばいいのか全部飛んだ。


 高石に聞かれた質問も、成瀬に言われた言葉も、頭の中から消えていく。


 ただ目の前の林を見て、最初に浮かんだのは――


 可愛い。


 それだけだった。



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