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『人生勝ち組になるまで、俺の青春は先に進まない』~間違った選択をすると、また今日が始まる~  作者: ダイヤマ
第3章 正解のない選択

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第43話 消えない一日



 みんなが帰ったあと、病室は急に静かになった。


 少し前まで成瀬や高石の声が響いていたせいか、余計にそう感じる。


 窓の外は、いつの間にか夕方になっていた。薄いオレンジ色の光が病室へ差し込み、白い壁をぼんやりと染めている。


「疲れた?」


 母さんが椅子に座りながら聞いてきた。


「ちょっと」


「そりゃそうよ。あれだけ一気に来たらね」


「母さんが入れたんじゃん」


「まさか全員来ると思わないでしょ。お見舞いって普通、もうちょっと人数考えるものよ」


「追い返せばよかったのに」


「できるわけないでしょ。みんな、あんたの顔見るまで帰りそうになかったんだから」


「……そっか」


 何気なく返したあと、その言葉が少し遅れて胸に残った。


 俺の顔を見るまで帰りそうになかった。


 成瀬も、高石も、堀井も。


 名取も、林も。


 清水たちも。


 前の人生では、俺が学校を休んだところで、こんなふうに大勢が心配して病院まで来ることなんてなかった。


 そもそも、休んだことに気づく人間がどれだけいただろう。


「……変わったな」


「何が?」


「いや、何でもない」


「そう?」


 母さんは不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞いてこなかった。


 俺は枕に頭を預けたまま、さっきまでみんながいた場所を見る。


 特に、林の言葉が残っていた。


『矢城くん、『俺もすぐ行く』って言った』


『私、だから先に行ったのに』


 あの時は、林を避難させることしか考えていなかった。


 嘘をつこうと思ったわけじゃない。


 でも結果として、俺は林に嘘をついた。


 そして、あいつを怖がらせた。


 父さんから言われたことも同じだ。


 誰かを助ける。


 それだけを見れば、間違ったことをしたとは思わない。


 もし同じ状況になったとして、何もせずに待てたかと聞かれれば、おそらく無理だ。


 それでも、自分が危険なことをすれば、自分だけで終わるわけじゃない。


 心配する人がいる。


 怖がる人がいる。


 それを、今日初めて実感した気がした。


「……難しいな」


「だから何が?」


「母さん、まだ聞いてたの?」


「独り言が大きいのよ」


「ごめん」


 母さんが笑った。


 いつもの笑い方だった。


 それを見て、少し安心する。


 俺はもう一度、天井を見上げた。


 勝ち組になりたい。


 高校生活を変えたい。


 友達を作って、部活もやって、恋愛だってして、前の人生とは違う自分になる。


 それは今も変わらない。


 でも最近、その「勝ち組」という言葉の意味が、少しずつ分からなくなってきていた。


 テストで一番になることでもない。


 何でも失敗せずにできることでもない。


 全員から好かれることでもない。


 じゃあ、何なんだろう。


 まだ答えは出ない。


 ただ、今日みたいなことまで「正解だった」「不正解だった」の二つに分けるのは、何か違う気がした。


     ◇


 日が落ちた頃、病室を訪ねてきたのは学校の先生だった。


「失礼します」


「あ」


 入ってきたのはハマヤンだった。


 普段の教室では気の抜けた顔をしていることが多いのに、今日は妙に真面目な顔をしている。


「浜田先生」


 母さんが立ち上がる。


「今日は本当に……」


「いえ。こちらこそ、学校でこのような事故が起きてしまい、申し訳ありませんでした」


 ハマヤンは母さんへ深く頭を下げた。


 その姿を見ていると、いつもの「ハマヤン」と呼ぶ空気じゃない。


「矢城」


「はい」


「体調は?」


「大丈夫です。今日は様子見るために泊まるだけみたいです」


「そうか」


 ハマヤンは俺の顔をじっと見た。


 それから椅子を一つ借り、ベッドのそばへ座る。


「まず」


「はい」


「助けた生徒は無事だ」


「……よかった」


「意識も戻っている。しばらく治療は必要だが、命に別状はないと聞いてる」


 改めて先生の口から聞いて、胸の奥に残っていた不安が少し消えた。


「で、ここからは別の話だ」


 声の調子が変わった。


 嫌な予感がする。


「矢城」


「……はい」


「お前、馬鹿か?」


「先生?」


 母さんが驚く。


「すみません、お母さん。でも担任として、これは言わせてください」


 ハマヤンは俺から目を逸らさない。


「人を助けたことは立派だ。あの状況で動けたことも、俺には簡単にできるなんて言えない」


「……」


「でも、お前まで死んだら何にもならないだろ」


 父さんとほとんど同じことを言われた。


 思わず苦笑する。


「何笑ってる」


「いや……父さんにも同じこと言われたんで」


「じゃあ二回聞け」


「はい」


「三回でも聞け」


「はい……」


 ハマヤンは大きく息を吐いた。


「火事を見つけて非常ベルを押した。生徒に避難するよう声をかけた。そこまではいい。むしろ、よくやった」


 そこで一度言葉を切る。


「だが、燃えている理科室に入るのは別だ。しかも理科室だぞ。何があるかも分からない場所に、高校生が一人で入っていいわけがない」


「……はい」


「お前が窓から飛んだと聞いた時、俺は本気で血の気が引いた」


 いつものハマヤンなら、最後に何か冗談を入れる。


 でも今日はなかった。


「助かったから結果オーライ、にはするなよ」


 その言葉が胸に残った。


「……はい」


「ただ」


 ハマヤンの表情が少しだけ緩む。


「お前が先に窓から逃げる可能性まで考えて、成瀬たちにマットを運ばせたことは聞いた」


「あ……」


「何も考えずに突っ込んだわけじゃないことも分かってる」


 ハマヤンは少し黙ったあと、俺の頭を軽く叩いた。


「だから余計に言ってるんだ。考えられる頭があるなら、自分の命も計算に入れろ」


「……分かりました」


「本当に分かったか?」


「たぶん」


「そこは『はい』って言えよ」


「いや、同じ状況になったら絶対行かないって約束はできないんで」


 ハマヤンの眉が動いた。


 怒られる。


 そう思った。


 けれど先生は、しばらく俺を見つめたあと、小さくため息をついた。


「……そういうところなんだろうな、お前は」


「え?」


「何でもない」


 ハマヤンは椅子から立ち上がった。


「それと、もう一つ確認したいことがある」


 さっきまでとは違う声だった。


「今日の火事が起きる前、何か気になることを見なかったか?」


 来た。


 俺は少しだけ姿勢を正した。


「……見ました」


「何を?」


「上級生三人が、理科室に入っていくところです」


 ハマヤンの表情が変わった。


「何時頃だ?」


「昼休みが終わる少し前です」


「その三人、知ってる生徒か?」


「名前は知りません。でも、前にも何度か見てます」


「どこで?」


「校内です。この前は、三人で『バレそうだった』とか『次どこ行く』みたいな話をしてました」


 ハマヤンは黙って聞いている。


「それと今日、理科室に入る前に『ここなら大丈夫』とか『昼休み誰も来ない』って話してました」


「……煙草を吸っていたところは見たか?」


「見てません」


 すぐに答えた。


「火をつけたところも?」


「見てないです」


「じゃあ、お前が実際に見たのは?」


「その三人が理科室に入ったところまでです」


 ハマヤンは数秒、俺を見つめた。


「……分かった」


「たぶん、あの三人が――」


 そこまで言いかけて、やめた。


 たぶん。


 状況だけを考えれば、そう思う。


 でも、俺は見ていない。


「いや」


 言い直す。


「俺が見たのは、それだけです」


 ハマヤンの目が少し細くなった。


「それでいい」


「え?」


「見たことと、自分がそう思ってることは別だ。学校側でも確認するし、必要なら警察にも話すことになる。矢城は見たことだけ話せばいい」


「……はい」


 少し前の俺なら、もっと踏み込んでいたかもしれない。


 あいつらが犯人だ。


 煙草が原因だ。


 そう決めつけて、自分で答えまで出そうとしていたかもしれない。


 でも、それは俺が決めることじゃない。


 俺が知らないところで何が起きたのかは、調べる人たちに任せればいい。


「じゃあ今日は休め」


 ハマヤンが病室の出口へ向かう。


「あ、先生」


「ん?」


「学校、明日どうなるんですか?」


「そこ心配するのか?」


「いや、テスト終わったばっかだし」


「安心しろ。少なくとも明日は休校だ」


「マジですか」


「そこで嬉しそうな顔するな。火事のせいだからな」


「してないですよ」


「してた」


 ようやく、少しだけいつものハマヤンに戻った。


「じゃあな、矢城」


「はい」


「……ちゃんと帰ってこいよ」


「え?」


「退院して学校に、だよ。変な意味に取るな」


「ああ……はい」


 ハマヤンはそれだけ言って病室を出ていった。


 閉まった扉を見ながら、俺は少しだけ首を傾げる。


 変な言い方だな。


 そう思ったけれど、すぐに気にするのをやめた。


     ◇


 その夜。


 消灯後の病室で、俺はなかなか眠れなかった。


 体が痛いせいもある。


 昼間のことが頭から離れないせいもある。


 そして、もう一つ。


 眠るのが、少し怖かった。


 これまで何度も経験してきた感覚だった。


 目を閉じる。


 眠る。


 そして朝になれば、その日の選択がどうだったのかが分かる。


 今日、俺は燃えている理科室に入った。


 命を危険にさらした。


 林との約束も破った。


 父さんと母さんを心配させた。


 ハマヤンからも怒られた。


 もし。


 これが間違った選択だったら?


 朝になったら、火事が起きる前へ戻っているんだろうか。


「……」


 戻ったら。


 どうする?


 火事が起きることを知っている。


 上級生が理科室へ入ることも。


 あの女子生徒が中にいることも。


 今度はもっと早く先生へ知らせればいい。


 そもそも上級生を理科室へ行かせなければ、火事自体を防げるかもしれない。


 今日より完璧にできる。


 誰も怪我をしない一日に変えられる。


 そこまで考えて。


「……違うな」


 小さく呟いた。


 また同じことを考えている。


 未来を知っているから、全部自分で正しくしようとする。


 少し前、それで失敗したばかりじゃないか。


 そもそも、戻ると決まったわけでもない。


 俺は目を閉じた。


 今日のことが正しかったのか。


 間違っていたのか。


 今の俺には分からない。


 助けた女子生徒は生きている。


 でも、俺は周りの人を怖がらせた。


 その両方が、本当だ。


 どちらか一つだけを見て、今日を正解か不正解かに決めることなんてできない。


 やがて眠気が強くなってきた。


 何度経験しても、この瞬間だけは少し緊張する。


 俺はそのまま、ゆっくりと意識を手放した。


     ◇


 目を開ける。


 最初に見えたのは、白い天井だった。


「……」


 一瞬、何も考えられなかった。


 それから体を動かそうとして、背中に鈍い痛みが走る。


「痛っ……」


 病室。


 昨日と同じベッド。


 窓から朝の光が差し込んでいる。


 枕元に置かれたスマホへ手を伸ばし、画面を見る。


 日付は――進んでいた。


「……進んだ」


 火事は消えていない。


 俺が理科室へ入ったことも。


 窓から飛んだことも。


 林を怖がらせたことも。


 父さんと母さんを心配させたことも。


 全部、昨日の出来事として残っている。


 それなのに。


 今日が来た。


「そっか……」


 胸の奥に、不思議な感覚が広がっていく。


 今日の俺の行動が、全部正しかったからなのか。


 それとも、そもそも正解とか不正解とか、そんな単純な話じゃないのか。


 分からない。


 ただ、一つだけ確かなことがあった。


 昨日は消えなかった。


 失敗も。


 怖かったことも。


 誰かを心配させたことも。


 全部抱えたまま。


 俺の人生は、また一日先へ進んだ。



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