第4話 正解はひとつじゃない
四月九日。
矢城勇真は、スマートフォンに表示された日付を何度見ても飽きなかった。
【4月9日】
「……本当に進んでる」
昨日まで、何度眠っても四月八日に戻された。
学校を休んでも、徹夜をしても、普段とは違う行動を取っても駄目だった。それなのに昨日、林円花が落としたプリントを拾うのを手伝ったあと、初めて今日を迎えることができた。
「やっぱり……あれなのか?」
勇真はベッドから立ち上がりながら、昨日の出来事を思い返す。
他に特別なことをした覚えはない。
林を助けた。
そのくらいだ。
「人助け……?」
口にすると、妙にそれらしく思えてきた。
何が原因で同じ日を繰り返しているのかは、今も分からない。ただ、何かをすることで先へ進めるのなら、試す価値はある。
「よし」
勇真は制服に袖を通す。
「今日はできるだけ人を助けてみるか」
ようやく手に入れた明日だ。
もう二度と、同じ日に戻りたくなかった。
◇
「おはよう、矢城」
「おはよう、名取」
教室へ入ると、名取がいつものように声をかけてきた。
だが、今日は昨日までとは違う。
「今日も普通だね」
「何が?」
「あ……いや、何でもない」
「朝から変なの」
名取が笑いながら席へ戻っていく。
勇真はその背中を見ながら、小さく息を吐いた。
当たり前だ。
名取にとって今日は、普通にやってきた四月九日なのだから。
何度も四月八日を繰り返したことも、その中で勇真が何をしたのかも知らない。
覚えているのは自分だけ。
「さて……」
勇真は教室を見回した。
人を助ける。
そう決めて学校へ来たものの、都合よく困っている人間がいるわけではない。
しばらくすると、前の席の男子が消しゴムを落とした。
「あっ」
勇真はすぐに拾う。
「はい」
「お、おう。ありがとう」
「いいって」
まず一つ。
席へ戻りながら、勇真は心の中で数えた。
少しして、今度は女子生徒が教科書を何冊か抱えて歩いているのが見えた。
「それ持とうか?」
「え?」
「重いだろ?」
「いや、大丈夫だけど……」
「遠慮すんなって」
「じゃ、じゃあ……お願い」
二つ目。
勇真は教科書を運びながら、少しだけ満足していた。
これなら今日は問題なく進めるかもしれない。
◇
「これ、誰か職員室まで持っていってくれないか?」
担任がプリントの束を持ち上げた。
「はい!」
勇真は真っ先に手を挙げた。
教室中の視線が集まる。
「お、おう。じゃあ矢城、頼む」
「分かりました」
プリントを受け取り、勇真は教室を出た。
廊下を歩きながら、思わず口元が緩む。
「三つ目……」
順調だ。
昨日は林を一度手伝っただけで四月九日に進めた。
今日はすでに三回。
これなら――。
「何が三つ目なの?」
「うわっ!」
突然横から声をかけられ、勇真は肩を跳ねさせた。
そこにいたのは清水だった。
隣には栗原もいる。
栗原は清水の親友で、明るく騒がしいギャル系の女子だ。元の高校生活でも二人はよく一緒にいて、気の強い清水の隣で楽しそうに笑っている姿を何度も見かけた。
「な、何でもない」
「ふーん」
清水が勇真の抱えているプリントを見る。
「朝からやたら人のこと手伝ってない?」
「見てたのか?」
「見えるでしょ、あれだけやってたら」
栗原も楽しそうに笑う。
「確かに。今日の矢城、めっちゃいい人じゃん」
「だろ?」
思わず答えると、清水の眉がわずかに動いた。
「……何それ」
「え?」
「なんか見返りでも欲しいの?」
勇真の足が止まる。
「何でそうなるんだよ」
「だって不自然じゃん。朝から急にあれこれ手伝って」
「人助けして何が悪いんだよ」
「悪いなんて言ってない」
清水は腕を組み、勇真を見る。
「でも、いい人アピールみたいで嫌い」
「は?」
「千尋、言い方」
栗原が苦笑する。
「別にいいでしょ」
清水は勇真から目を逸らさない。
その視線を受けながら、勇真の胸に小さな苛立ちが湧いた。
元の高校生活でもそうだった。
清水は自分に対して、妙に当たりが強かった。
何かをした覚えもないのに、いつも嫌われていた。
「……清水さ」
「何?」
「なんでそんな俺のこと嫌いなんだよ」
一瞬だった。
清水の表情が止まった。
「…………」
それまで強気だった目が、わずかに揺れる。
勇真はその変化を見逃さなかった。
「やっぱり何か――」
「別に」
清水が遮る。
「何となく」
「何となくって……」
「そういうところが嫌いなの」
「どういうところだよ」
「知らない」
清水はそれだけ言うと、勇真の横を通り過ぎていく。
「行こ、友香」
「え? あ、うん」
栗原は勇真と清水を交互に見てから、慌てて清水を追いかけた。
勇真は二人の背中を見送る。
「なんなんだよ……」
元の高校生活でも、清水は自分を嫌っていた。
だから今も同じなのだと思っていた。
けれど、さっきの反応は少しおかしかった。
「……まあ、いいか」
今は考えても分からない。
勇真は抱えていたプリントを持ち直し、職員室へ向かった。
◇
その日の放課後。
勇真は校門へ向かって歩いていた。
「今日は結構やったよな……」
消しゴムを拾った。
教科書を運んだ。
先生の手伝いもした。
他にも、困っている人がいればできるだけ声をかけた。
清水には嫌味を言われたが、これだけやれば四月十日に進めるのではないか。
そんなことを考えながら校門を出た、その時だった。
「おい!」
大きな声が聞こえた。
少し先で、二人の男子生徒がふざけ合っている。
一人がもう一人の肩を押した。
「やめろって!」
押された男子が車道側へよろける。
同時に、坂道の上から自転車が下ってきた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
勇真は考えるより先に走っていた。
男子生徒の腕を掴み、思いきりこちら側へ引く。
「うわっ!」
次の瞬間、自転車がすぐ横を通り過ぎた。
自転車に乗っていた生徒も慌ててブレーキをかけ、バランスを崩す。
「っ!」
勇真は引き寄せた男子を離すと、すぐに自転車の方へ駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……」
「どこか打った?」
「膝、ちょっと……」
擦りむいている。
勇真は周囲を見る。
「誰か先生呼んできて!」
「え?」
「保健室でもいいから! 早く!」
近くにいた生徒が慌てて校内へ走っていく。
「お前も大丈夫か?」
勇真は、さっき引っ張った男子を見る。
「あ、ああ……」
「車道出る時、ちゃんと周り見ろよ。マジで危ないから」
「……ごめん」
「俺じゃなくて、こっちに言えよ」
男子は自転車の生徒へ謝った。
そこでようやく、勇真は自分の心臓が激しく鳴っていることに気づいた。
「……危なかった」
本当に、一歩遅ければぶつかっていたかもしれない。
やがて先生が駆けつけ、二人を連れていく。
勇真はその姿を見届けてから、大きく息を吐いた。
「びっくりした……」
「矢城」
「ん?」
振り返る。
少し離れたところに、清水と栗原が立っていた。
二人とも、今の一部始終を見ていたらしい。
清水が近づいてくる。
「今の……」
「何?」
「なんで助けたの?」
「は?」
勇真は思わず聞き返した。
「なんでって……」
質問の意味が分からない。
「危なかったからだろ」
「…………」
「目の前で事故りそうになってんのに、理由なんか考えるか?」
清水は何も言わなかった。
ただ、じっと勇真を見ている。
「何だよ」
「……別に」
「またそれかよ」
清水は勇真から目を逸らす。
そして、そのまま歩き出した。
「行こ、友香」
「う、うん」
栗原が清水を追う。
少し離れたところで、栗原が何かを尋ねた。
「千尋、どうしたの?」
清水は一度だけ勇真の方を振り返る。
「……思ってたのと違う」
「え?」
「何でもない」
二人はそのまま歩いていった。
勇真は首を傾げる。
「なんなんだ、あいつ……」
今日だけで何度そう思ったか分からない。
けれど、清水が自分を見る目がほんの少しだけ変わったような気がした。
◇
夜。
ベッドに入った勇真は、今日一日のことを考えていた。
「……人助け、か」
朝からいろいろなことをした。
消しゴムを拾い、荷物を運び、先生の手伝いもした。
だが、思い返してみると妙な感じがする。
困っている人を助けたかった。
もちろん、それも嘘ではない。
ただ――。
「俺……明日に進みたかっただけじゃないか?」
消しゴムを拾った時、自分は心の中で「一つ目」と数えた。
教科書を運んで「二つ目」。
先生を手伝って「三つ目」。
まるで点数でも稼ぐように。
清水に言われた言葉が蘇る。
『なんか見返りでも欲しいの?』
「……当たってるじゃん」
勇真は枕に顔を押しつけた。
見返りは欲しかった。
四月十日という見返りが。
それに比べて、放課後の出来事は違う。
男子生徒が車道へよろけた瞬間、そんなことは一切考えていなかった。
助ければ明日に進める。
いいことをすれば何かが起きる。
そんな考えは頭のどこにもなかった。
危ないと思ったから身体が動いた。
それだけだ。
「……何が違うんだろうな」
林を手伝った時も、最初は通り過ぎようとした。
けれど最後には、自分が変わると決めたことを思い出して戻った。
あの行動で本当に四月九日へ進めたのか。
それとも、まったく別の理由があったのか。
「分かんねえ……」
考えれば考えるほど、答えが遠ざかっていく。
ただ、少なくとも一つだけ分かった。
いいことをすればいい。
そんな単純な話ではない気がする。
「まあ……明日起きれば分かるか」
もし四月十日なら、今日のどこかに正解があった。
そうでなければ――。
勇真は目を閉じた。
やがて眠気に負け、意識が沈んでいく。
◇
ピピピピピピッ――!
「……ん」
勇真は目を覚ました。
すぐにスマートフォンへ手を伸ばす。
期待と不安が入り混じる。
「頼む……」
画面をつけた。
【4月9日】
「…………」
勇真はしばらく動かなかった。
もう一度見る。
【4月9日】
「戻った……」
四月八日ではない。
昨日の朝と同じ、四月九日。
「ってことは……」
勇真はベッドの上で身体を起こした。
一度抜け出した四月八日には戻っていない。
四月九日からやり直している。
それなら、四月八日に林を助けたことで何かが変わったという考えは、完全に的外れとも言い切れない。
ただし――。
「人助けすればいいってわけじゃない……?」
昨日は何度も人を助けた。
それでも四月十日には進めなかった。
勇真はスマートフォンを握ったまま考える。
「じゃあ……昨日、何が駄目だったんだ?」
何か条件がある。
そう思う。
だが、それが何なのかはまだ分からない。
いいことをするだけでは駄目なのか。
行動の内容ではなく、別の何かが関係しているのか。
「正解が一個だけあるってことでもないのか……?」
勇真はベッドから降りる。
窓の外には、昨日と同じ四月九日の朝が広がっている。
四月八日は抜け出した。
次は、この日だ。
「……やるしかないか」
何が正しいのか分からない。
それでも、自分で見つけるしかない。
勇真の二度目の四月九日が始まった。




