第3話 初めての明日
四月八日。
昨日も四月八日だった。
そして、その前の日――高校を卒業したはずの自分が三年前に戻ってきた日も、四月八日だった。
矢城勇真はベッドの上に座り、スマートフォンに表示された日付をじっと見つめていた。
【4月8日】
「……またかよ」
これで三度目になる。
最初は、高校生活をやり直すために三年前へ戻ったのだと思った。理由は分からなくても、人生を変えるための奇跡のようなものだと、どこか都合よく考えていた。
けれど違った。
三年前に戻っただけではない。
四月八日そのものが繰り返されている。
「勇真ー! 早くしなさい! 入学式に遅れるわよ!」
「……分かってる」
母親の声まで同じだ。
勇真は制服に着替えながら、昨日までの出来事を頭の中で整理した。
自分だけは前の四月八日の記憶を持っている。名取をはじめ、周りの人間は何も覚えていない。
そして、自分が同じ行動をすれば同じような出来事が起こり、違う行動をすれば、その後の展開も変わった。
分かっているのは、それだけだ。
「なんで繰り返してるのかは……全然分からないんだよな」
何か原因があるはずだ。
そう考えたところで、勇真には調べる方法すら思いつかなかった。
◇
「矢城? やっぱり矢城じゃん! 久しぶり!」
「……おはよう、名取」
「え?」
「何?」
「いや……久しぶりって言ったのに、おはようなんだと思って」
「ああ……悪い」
教室へ入って早々、また同じ言葉を聞いた。
さすがに三度目ともなると驚きよりも、「やっぱり」という気持ちの方が強くなってくる。
名取はそんな勇真の様子を不思議そうに眺めた。
「矢城、なんか変じゃない?」
「ちょっと寝不足なだけ」
「入学式の日に?」
「昨日いろいろ考えてたから」
「昨日?」
「あ……いや、何でもない」
「変なの」
名取は首を傾げながら離れていった。
勇真は自分の席に座る。
教室を見渡せば、見覚えのある光景が広がっている。
成瀬と高石が話している。
伊藤と佐藤もいる。
清水は栗原と話し、少し離れた席では林円花が静かに座っている。
昨日までと同じ四月八日。
だが、勇真の中では少しずつ恐怖より疑問の方が大きくなっていた。
どうすれば、この一日から抜け出せるのか。
それが分からない。
◇
入学式を終え、自己紹介が始まる。
勇真は今回は余計なことをせず、無難に終わらせた。
「矢城勇真です。中学ではバスケ部でした。よろしくお願いします」
拍手を受けて座る。
最初の四月八日のように笑われることはない。
その後も勇真は、できるだけ普通に過ごした。
成瀬に無理に話しかけることもしない。伊藤に突然「友達になろう」と言うこともなければ、真下に三年分の怒りをぶつけることもない。
それでも時間は普通に流れていった。
授業が終わり、放課後になり、夕方になる。
何か特別なことが起きるわけではない。
「……普通の一日だな」
帰り道、勇真は呟いた。
このまま家に帰り、夜になればどうなるのか。
また四月八日に戻るのだろうか。
それとも、今度は四月九日へ進めるのだろうか。
「何が違うんだ……?」
考えても答えは出なかった。
◇
午後十一時五十八分。
勇真はベッドの上で、スマートフォンを握っていた。
【4月8日 23:58】
今日は寝ない。
正確には、日付が変わる瞬間を確認するまで寝ないつもりだった。
もし四月八日そのものが繰り返されているのなら、午前零時になった瞬間に時間が戻る可能性もある。
【23:59】
「……来る」
勇真は画面を凝視した。
秒数が進んでいく。
そして――。
【4月9日 0:00】
「…………」
何も起こらない。
「四月……九日?」
勇真は画面を何度も確認する。
間違いなく四月九日になっている。
「進んだ……?」
思わず立ち上がった。
部屋を見回しても何も変わらない。意識が途切れることもなければ、朝へ戻ることもなかった。
「じゃあ、ループするのは日付が変わる時じゃない?」
ひとまず一つ分かった。
午前零時を迎えること自体は問題ない。
「だったら……何がきっかけなんだ?」
勇真はベッドへ戻る。
時刻はすでに深夜だ。
「まあ……明日起きたら分かるか」
少しだけ安心して、布団に入った。
少なくとも今、スマートフォンは四月九日を表示している。
もしかすると、前回だけ何かがおかしかったのかもしれない。
そんな期待を抱きながら、勇真は目を閉じた。
◇
ピピピピピピッ――!
「…………」
目を開ける。
嫌な予感がした。
恐る恐るスマートフォンを見る。
【4月8日】
「……マジかよ」
昨日、確かに四月九日になった。
午前零時を過ぎた。
それなのに、眠って目を覚ますと四月八日に戻っている。
「もしかして……寝たら戻るのか?」
まだ確信はない。
けれど、一つ試す価値はある。
◇
次の四月八日。
勇真は学校から帰ると、夜に備えてコンビニでコーヒーや眠気覚ましを買い込んだ。
「寝なかったらどうなるか……」
もし睡眠が原因なら、眠らなければ四月九日の朝を迎えられるかもしれない。
深夜零時。
スマートフォンの日付が四月九日に変わる。
「よし……」
まだ戻らない。
一時。
二時。
三時。
動画を見たり、ゲームをしたり、部屋を歩き回ったりして眠気をごまかした。
「眠っ……」
午前四時を過ぎた頃には、まぶたが重くなっていた。
顔を洗う。
「寝たらダメだ……」
五時。
カーテンの向こうが少しずつ明るくなってくる。
「いける……これなら……」
四月九日の朝を迎えられる。
そう思ったところで、勇真は机に突っ伏した。
「ちょっとだけ……」
そのまま意識が途切れた。
◇
ピピピピピピッ――!
「――っ!」
勇真は勢いよく顔を上げた。
スマートフォンを掴む。
【4月8日】
「うわぁ……」
思わず机に額をつける。
「やっぱり寝たら戻るのかよ……」
少なくとも今までの結果を見る限り、その可能性はかなり高い。
午前零時を過ぎても問題ない。
四月九日になっても起きている間はそのまま。
だが、眠って目を覚ますと四月八日に戻っている。
「じゃあ寝なかったらいいってこと?」
そう口にしてから、勇真はすぐに首を振った。
「いや、無理だろ」
一生寝ないなんてできるはずがない。
仮に一日や二日耐えられても、いずれ限界が来る。
そもそも、自分が望んでいるのは眠らずに無理やり時間を進めることではない。
普通に眠って、普通に次の日を迎えたいのだ。
◇
それからも、四月八日は繰り返された。
学校を休んでみた日もある。
一日中家にいたこともある。
何もせずに過ごしたこともあれば、逆に今まで話したことのなかったクラスメイトへ積極的に声をかけた日もあった。
しかし、眠れば四月八日に戻る。
「なんなんだよ、これ……」
何度目かの四月八日。
勇真は自分の席に座り、机に頬杖をついていた。
最初は高校生活をやり直せることに期待していた。
人生を変えられる。
失敗した三年間をやり直せる。
そんなふうに考えていた。
けれど、このまま四月八日から抜け出せないのなら、高校生活をやり直すどころではない。
「高校生活……始まらないじゃん」
小さく漏れた言葉が、自分でも嫌になるほど弱々しかった。
周囲ではクラスメイトたちが楽しそうに話している。
彼らにとっては、今日が初めての四月八日だ。
名取も、成瀬も、清水も、昨日のことを覚えていない。
自分だけが、何度もこの日を繰り返している。
「これ……いつまで続くんだよ」
もし終わらなかったら。
一瞬そんな考えが浮かび、勇真は慌てて振り払った。
考えたくなかった。
◇
放課後。
勇真は帰り支度をしていた。
今日も特に何もなかった。
どうせ家に帰り、眠ればまた四月八日だろう。
「はぁ……」
鞄を持って立ち上がった時だった。
「あっ……!」
近くで小さな声がした。
振り向くと、林円花が大量のプリントを床に落としていた。
林は元の高校生活でも、クラスではあまり目立たない物静かな女子だった。勇真と同じようにクラスの中心にいるタイプではなかったが、誰かを馬鹿にしたりすることもなく、勇真の中には「大人しくて優しい子」という印象が残っている。
紙が廊下側まで広がっていく。
「最悪……」
円花が慌ててしゃがみ込む。
勇真はその様子を見た。
周りには他にも生徒がいる。
誰かが手伝うだろう。
そう思い、そのまま教室を出ようとする。
だが、一歩進んだところで足が止まった。
――俺、何してるんだ?
昨日――いや、自分にとってはもう何日も前になる卒業式の日。
人生を変えると決めた。
人の顔色ばかり気にして、何もしない自分を変えると。
それなのに、困っている人が目の前にいるのを見て、「誰かがやるだろう」と通り過ぎようとしている。
「……結局、同じじゃん」
勇真は鞄を置き、円花のところへ向かった。
「林、手伝うよ」
「え?」
円花が顔を上げる。
「これ、職員室に持ってくやつ?」
「う、うん。でも大丈夫。私が落としたから……」
「一人で拾うより二人の方が早いだろ」
勇真はしゃがみ、散らばったプリントを拾い始めた。
「あ……ありがとう」
二人で拾えば、思ったより早く片づいた。
最後の一枚を拾い上げ、勇真は円花へ渡す。
「はい」
「ありがとう、矢城くん」
「別にこれくらい」
円花はプリントの束を抱えながら、小さく笑った。
「矢城くんって、思ってたより話しやすいね」
「え?」
「入学式の日って、みんな緊張してるから。矢城くんもあんまり話さない人なのかなって思ってた」
「まあ……話すのは得意じゃないけど」
「私も」
円花が少し笑う。
勇真もつられて笑った。
ほんの短いやり取りだった。
何か特別なことをしたわけでもない。
ただ、落としたプリントを拾っただけだ。
それでも勇真は、これまで何度も繰り返した四月八日の中で、初めて少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
◇
校門へ向かう途中、後ろから声がした。
「矢城くん」
振り返ると、円花だった。
「さっきは本当にありがとう」
「いいって」
「うん」
円花は少し迷ってから、笑顔を見せる。
「じゃあ、また明日」
「…………」
勇真は一瞬、言葉を返せなかった。
また明日。
今の自分にとって、その言葉は当たり前のものではない。
円花はそんな事情など知らず、不思議そうに勇真を見る。
「矢城くん?」
「あ……うん」
勇真は少し笑った。
「また明日」
円花は手を振り、先に歩いていった。
その背中を見送りながら、勇真は小さく息を吐く。
「明日……か」
本当に来ればいいけどな。
そう心の中で付け加えた。
◇
夜。
勇真はベッドに入っていた。
眠るのが少し怖い。
目を閉じれば、また四月八日に戻る。
何度も経験した。
今日だけ違うなんて保証はない。
「どうせ……また戻るんだろうな」
今日の出来事を思い返す。
円花がプリントを落とした。
それを手伝った。
少し話した。
それだけだ。
「また明日、か……」
勇真は目を閉じた。
しばらくすると、意識がゆっくりと沈んでいった。
◇
ピピピピピピッ――!
目覚まし時計の音。
勇真は目を開けた。
「…………」
まただ。
どうせ四月八日だろう。
そう思いながら、半ば諦めた気持ちでスマートフォンへ手を伸ばす。
画面をつける。
【4月9日】
「…………え?」
勇真の目が大きく開いた。
寝ぼけているのかと思い、何度も瞬きをする。
もう一度見る。
【4月9日】
間違いない。
「四月……九日?」
ベッドから飛び起き、壁のカレンダーを見る。
昨日まで何度見ても四月八日だった。
だが、今日は違う。
「進んだ……」
胸が一気に高鳴る。
「進んだ!」
何度眠っても戻された。
午前零時を越えても、徹夜をしても、結局は四月八日から抜け出せなかった。
それなのに――。
「明日になった!」
思わず声が大きくなる。
階下から母親の声が飛んできた。
「勇真ー! 朝から何騒いでるの!」
「何でもない!」
答えながらも、勇真はスマートフォンから目を離せなかった。
【4月9日】
どうして今回は進めたのか。
昨日までと何が違った?
頭に浮かんだのは、放課後の出来事だった。
床に散らばったプリント。
林円花。
『じゃあ、また明日』
「……林を手伝ったから?」
もちろん、そんな確証はどこにもない。
偶然かもしれないし、他に理由があるのかもしれない。
ただ一つだけ確かなことがある。
四月八日は、永遠に続くわけではなかった。
勇真はもう一度、スマートフォンの日付を見る。
昨日、円花と交わした言葉が頭に蘇った。
『また明日』
ようやく来た。
勇真にとって初めての明日が。




