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『人生勝ち組になるまで、俺の青春は先に進まない』~間違った選択をすると、また今日が始まる~  作者: ダイヤマ
第2章 変わり始めた青春

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第28話 怖くないの?



 五月十九日。


「あと三週間か」


 黒板の端に貼られた体育祭の予定表を見ながら、俺は呟いた。


 種目を決めてから一週間。


 教室では少しずつ体育祭の話題が増えていた。


 誰が足が速いとか。


 どのクラスが強そうだとか。


 去年はどんな競技で盛り上がったとか。


 俺も男子リレーに出ることが正式に決まった。


 伊藤、成瀬、高石、そして俺。


 他にも数人の候補がいて、走る順番は練習を見て決めるらしい。


「矢城」


 後ろから肩を叩かれた。


「ん?」


 振り返ると、高石がいた。


「今日の放課後、リレーの練習するって」


「今日?」


「名取が言ってた」


「俺ら部活あるだろ」


「だから困ってんだよ」


「ああ……」


 二人そろって少し黙る。


「芹沢先生に言う?」


「どっちが?」


「……」


「……」


「高石、頼んだ」


「嫌だよ。言い出したお前が言えよ」


「俺が言い出したんじゃない。名取だろ」


「じゃあ名取に頼む?」


「芹沢先生相手に?」


「……やめとこう」


「だよな」


 結局、二人で頼みに行くことになった。


 高石とこんなくだらないことで悩むようになるなんて、少し前の俺なら想像もしなかっただろう。


 前の人生では、ほとんど話したこともなかった奴だ。


 それが今では、同じ部活で汗を流して、体育祭のリレーまで一緒に走ろうとしている。


 最近、そういうことが増えた。


 昼休み。


 体育祭の大縄について、クラスで少し揉めていた。


「だから全員で合わせないと無理だって」


 名取が言う。


「でも昼休みまで練習すんの?」


 佐藤が机に頬杖をついたまま答える。


「毎日じゃないよ。週に何回か」


「俺、昼休みは忙しいんだけど」


「何が?」


「女子との交流」


「知らない」


「冷たっ」


 佐藤の横で伊藤が笑っている。


「拓哉、お前どうせ誰にも相手されねえだろ」


「レオ、そういうこと言うなよ。俺のファンが傷つく」


「どこにいんだよ」


「この学校のどこかに」


「いないものは傷つかないでしょ」


 冷たい声が飛んできた。


 三島だった。


 長い黒髪を耳にかけながら、本を読んでいる。


 佐藤が胸を押さえた。


「三島さん、俺今かなり傷ついた」


「そう」


「興味なさすぎない?」


「あなたの恋愛事情に興味を持つ理由がないから」


「正論って時々暴力だよな」


「お前が三島に勝とうとすんのが悪い」


 伊藤が笑う。


 三島が本から顔を上げた。


「伊藤君」


「あ?」


「あなたも笑ってるけど、昼休みの練習には参加するのよね?」


「なんで俺に聞くんだよ」


「リレーに出るくらい運動が得意なら、大縄でも役に立つでしょ」


「俺、大縄嫌いなんだけど」


「好き嫌いの話はしてない」


「……お前、怖えな」


「あなたに言われたくない」


 教室が一瞬静かになった。


 伊藤レオ。


 入学して一ヶ月以上経った今でも、伊藤を怖がっている奴はいる。


 見た目も怖い。


 口調も荒い。


 喧嘩も強いらしい。


 普通なら「怖い」と言われてもおかしくない男だ。


 なのに三島は。


 本当に何とも思っていないらしい。


「は?」


 伊藤が三島を見る。


「何?」


「俺が怖いって?」


「別に」


 三島は平然と答える。


「顔が少し怖いだけでしょ」


「少し?」


「かなり」


「どっちだよ!」


 佐藤が吹き出した。


「レオ、女子に顔怖いって言われてんじゃん」


「うるせえ!」


「でも大丈夫。俺はレオの顔好きだよ」


「気持ち悪いこと言うな!」


「親友なのに!」


「黙れ!」


 教室に笑いが起きる。


 三島は何事もなかったように本へ視線を戻した。


 俺はその様子を眺めていた。


 伊藤も、怒ってはいない。


 むしろ少しだけ面白そうに三島を見ている。


「お前さ」


「何?」


「俺のこと怖くねえの?」


 三島が顔を上げる。


「どうして?」


「いや……」


 伊藤が少し言葉に詰まった。


 たぶん。


 そんなふうに聞き返されると思っていなかったのだろう。


「俺、結構怖がられるんだけど」


「そうでしょうね」


「おい」


「でも、私には関係ないから」


「……」


「少なくとも、私に何かしたことはないでしょ?」


 その言葉を聞いて。


 俺は少しだけ反応した。


『俺、お前になんかした?』


 少し前。


 真下に言われた言葉と似ていた。


 今の相手を見る。


 過去の印象だけで決めつけない。


 俺が最近ようやく気づき始めたことを、三島は当たり前のように言っている。


「それに」


 三島が続ける。


「あなた、怖いというよりうるさいだけだし」


「お前、喧嘩売ってんの?」


「事実を言っただけ」


「三島さん、それレオに一番言っちゃダメなやつ」


 佐藤が笑う。


 でも伊藤は怒らなかった。


「……変な女」


「よく言われる」


「そこ否定しねえんだ」


「事実だから」


 伊藤が笑った。


 ほんの少しだけ。


 それを見た三島も、一瞬だけ口元を緩めた。


 すぐに本へ視線を戻したけど。


 俺はなんとなく、そのやり取りを覚えておこうと思った。


 放課後。


 俺と高石は体育館へ向かっていた。


「……お前が言えよ」


「なんで俺なんだよ」


「朝から決めただろ。二人で頼むって」


「二人で頼むなら、お前が最初に喋れよ」


「それ二人で頼む意味ある?」


「精神的に支えてくれ」


「嫌だよ」


 体育館の扉が近づく。


 二人とも歩く速度が少し落ちた。


「高石」


「何?」


「じゃんけんする?」


「いいな」


「負けた方が言う」


「一発な」


「最初は――」


「何してるの?」


「「うわっ!」」


 同時に声が出た。


 振り返る。


 芹沢先生が立っていた。


 腕を組んで、俺たちを見ている。


「体育館の前で何してるの?」


「いや、その……」


「じゃんけんを」


「見れば分かる」


 芹沢先生の視線が冷たい。


「何を決めてたの?」


「……」


 俺と高石が目を合わせる。


「矢城」


「なんで俺!?」


「早く」


「はい……」


 結局俺かよ。


「あの、今日体育祭のリレー練習があるみたいで」


「それで?」


「俺と高石、リレーに出るんですけど……少しだけ、そっちの練習に参加してもいいですか?」


 芹沢先生が俺を見る。


 次に高石を見る。


「何時から?」


「放課後すぐです」


「どのくらい?」


「三十分くらいだと思います」


「分かった」


「え?」


「行ってきていいわよ」


 あまりにもあっさり返ってきた。


「いいんですか?」


「体育祭も学校行事でしょ」


「あ……はい」


「ただし」


 来た。


 俺と高石の背筋が伸びる。


「終わったらすぐ体育館に来ること」


「はい!」


「それと、リレーで脚を痛めたらその日の練習には参加させないから。無理して走らないこと」


「はい」


「高石も」


「はい!」


 芹沢先生はそれだけ言って体育館へ入っていった。


 俺たちはしばらく黙っていた。


「……普通に優しかったな」


 高石が言う。


「うん」


「俺ら何をあんなに怖がってたんだろ」


「普段の行いじゃない?」


「先生の?」


「先生の」


「聞こえてるわよ」


 体育館の中から声がした。


「「すみません!」」


 二人同時に頭を下げた。


 三十分後。


「はい、集まってー!」


 グラウンドに名取の声が響いた。


 リレーのメンバーだけでなく、大縄の練習に参加する生徒も集まっている。


「遅かったね」


 名取が言う。


「芹沢先生に許可取ってた」


「そんなに時間かかったの?」


「精神的な準備に時間がかかった」


「何それ」


 名取が笑う。


「まずリレー組、軽く走ってみよっか」


「名取も走るの?」


「女子で出るよ」


「そうなんだ」


「知らなかったの?」


「聞いてなかった」


「ひどっ」


 名取が頬を膨らませる。


「じゃあ矢城には負けないから」


「男女別だろ」


「タイムの話」


「なんで勝負になるんだよ」


「負けるの怖い?」


「煽るなよ」


 名取が楽しそうに笑う。


「じゃあ決まりね」


「何が?」


「タイム勝負」


「俺まだ何も言ってないんだけど」


「逃げないでよ?」


 そう言われると。


 少しだけ火がつく。


「……分かったよ」


「よし」


 名取が満足そうに頷いた。


 こういうところは昔から変わらない。


 負けず嫌いだ。


「矢城くん」


 声がして振り返る。


 林がいた。


「林も練習?」


「うん。大縄」


 林の鞄には、あの日渡したペンギンのキーホルダーがついている。


 それを見るだけで、なんとなく嬉しくなった。


「リレー、頑張ってね」


「うん」


「転ばないでね」


「応援それだけ?」


「じゃあ一位取って」


「急に難易度上がったな」


 林が笑う。


 その向こうから名取の声が飛んできた。


「矢城ー! 始めるよー!」


「今行く!」


 返事をして、林を見る。


「じゃあ行ってくる」


「うん」


 走り出す。


 スタート地点には成瀬、高石、伊藤がいた。


「遅えぞ」


 伊藤が言う。


「ごめん」


「女と喋ってたからだろ」


「違うって」


「林だっけ?」


 高石まで言ってくる。


「お前らそういうのいいから」


 成瀬が笑う。


「矢城、顔赤いぞ」


「成瀬まで!?」


「俺、何も言ってないけど」


「一番タチ悪いな!」


 みんなが笑う。


 俺も笑った。


 練習が始まった。


 最初は軽く流すだけ。


 そのつもりだった。


 でも。


「位置について――」


 名取が少し離れたところで見ている。


 林もいる。


 伊藤、成瀬、高石が隣に並んでいる。


「よーい!」


 笛が鳴った。


 地面を蹴る。


 風が顔に当たる。


 久しぶりだった。


 誰かと本気で競う感覚。


 前へ。


 もっと前へ。


 成瀬が速い。


 伊藤も速い。


 高石も離れない。


「矢城ー!」


 誰かの声が聞こえた。


 林か。


 名取か。


 分からない。


 でも。


 楽しかった。


 ゴールを抜ける。


「はあ……はあ……」


「健太、速すぎだろ」


 高石が膝に手をつく。


「高石も速いじゃん」


 成瀬はまだ余裕がある。


「お前に言われると腹立つ」


「なんで?」


「そういうところだよ」


 俺も息を整える。


 結果は成瀬が一番。


 次が伊藤。


 高石。


 そして俺。


「……四番か」


 悔しい。


 でも。


 前のテストの時と同じだ。


 嫌じゃない。


 むしろ、次はもっと速く走りたいと思う。


「矢城!」


 名取がやってくる。


「次、私ね」


「今走ったばっかなんだけど」


「休んでていいよ」


「いや、勝負するんだろ?」


 名取がニッと笑う。


「言ったね?」


「言った」


「じゃあ見てて」


 名取が女子のスタート地点へ向かう。


 その背中を見ながら思う。


 名取はいつも自信満々だ。


 勉強でも。


 運動でも。


 何でも。


 負けるなんて考えていないように見える。


 でも。


 以前の俺なら、それをただ「勝ち組だから」で終わらせていた。


 今は少し違う。


 成瀬にも。


 高石にも。


 伊藤にも。


 三島にも。


 林にも。


 真下にも。


 俺の知らない部分がある。


 なら。


 名取にだって、きっとある。


「位置について!」


 名取が姿勢を低くする。


 その表情から、さっきまでの笑顔が消えた。


 本気だ。


「よーい!」


 笛が鳴る。


 名取が飛び出した。


 速い。


「……マジか」


 思わず声が出た。


 隣で伊藤が笑う。


「お前、負けんじゃね?」


「いや、さすがに――」


「桃香ー! いけー!」


 浅井の声。


 林も手を叩いている。


 名取がゴールを駆け抜けた。


 すぐにタイムを確認する。


 そして。


 こっちを見た。


 笑っている。


「矢城ー!」


「何?」


「次、本気で走ってね!」


「……」


 どうやら。


 体育祭までの三週間。


 のんびり過ごすのは無理そうだった。



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