第20話「初めての約束」
【5月1日】
五月に入った。
高校生活が始まって、まだ一か月も経っていない。
それなのに矢城勇真には、もっと長い時間を過ごしてきたような感覚があった。
同じ四月八日を何度も繰り返し、ようやく四月九日へ進んだと思えば、今度は四月十八日から抜け出せなくなった。
そのたびに悩み、選び直してきた。
けれど最近は、朝起きて真っ先に日付を確認することも減っている。
「おはよ、矢城」
「おはよう」
教室へ入れば、名取が声をかけてくる。
「四位の人」
「その呼び方やめろ」
「おはよう、四位」
「名取」
「何?」
「次のテスト覚えてろよ」
「楽しみにしてます、四位の矢城くん」
「腹立つな……」
名取が楽しそうに笑う。
その横から浅井が顔を出した。
「何? また夫婦喧嘩?」
「違う!」
「違うから!」
声が重なった。
「あ、息ぴったり」
「浅井!」
名取が追いかけ、浅井が逃げる。
勇真はそんな二人を見ながら笑った。
以前なら、こんな輪の中に自分がいることすら想像できなかった。
今はもう、それほど特別なことにも感じなくなってきている。
それが少し嬉しかった。
◇
昼休み。
「ゴールデンウィーク、何する?」
堀井が唐突に聞いてきた。
「寝る」
「終わってんな」
「じゃあ聞くなよ」
勇真が弁当を食べながら答える。
「部活は?」
「ある。毎日じゃないけど」
「俺は予定ゼロ」
「じゃあお前も寝れば?」
「高校最初のゴールデンウィークだぞ?」
「だから何だよ」
「もっと青春っぽいことしたくない?」
「青春っぽいことって?」
「それが分からないから聞いてる」
「知らん」
二人でくだらない話をしていると、成瀬と高石もやってきた。
「何の話?」
「ゴールデンウィーク」
堀井が答える。
「成瀬、予定ある?」
「部活と、中学の友達と遊ぶくらいかな」
「ほら!」
「何が?」
「これが勝ち組のゴールデンウィークだよ、矢城」
「中学の友達と遊ぶだけだろ」
「その『だけ』がないんだよ!」
「悲しいこと言うなよ」
高石が笑う。
「じゃあ四人でどっか行く?」
「え?」
堀井が顔を上げる。
「空いてる日あったら」
「行く!」
「即答だな」
「行く行く!」
堀井が嬉しそうに言う。
勇真も自然に頷きかけて――ふと思った。
こういうものなのかもしれない。
遊びに行く。
友達と予定を合わせる。
そんな普通のことを、元の高校生活ではほとんど経験しなかった。
「矢城は?」
「俺も行く」
「よし!」
堀井が笑う。
その時。
「何? どっか行くの?」
名取と浅井が近づいてきた。
「ゴールデンウィークに遊ぼうって話」
高石が答える。
「いいじゃん。私たちも行っていい?」
浅井が言う。
「もちろん」
「桃香も行くよね?」
「予定合えば」
名取が勇真を見る。
「矢城も行くんでしょ?」
「行くよ」
「じゃあ行こうかな」
「なんで俺基準なんだよ」
「四位の人が寂しそうだから」
「帰れ」
「教室なんだけど」
また笑いが起こる。
勇真も笑っていた。
ただ、その輪の少し離れたところに円花がいることに気づいた。
友達と話している。
目が合った。
円花が小さく笑う。
勇真も軽く手を上げた。
それだけだった。
◇
放課後。
「矢城くん」
部活へ向かおうとしたところで、円花に呼び止められた。
「どうした?」
「今日も部活?」
「うん」
「そっか」
「何かあった?」
「ううん。ちょっと聞いただけ」
「?」
円花は何か言いたそうにしている。
でも、なかなか口にしない。
「林?」
「あの……」
「うん」
「ゴールデンウィークって、忙しい?」
勇真は少し驚いた。
「部活ある日もあるけど、ずっとじゃないよ」
「そうなんだ」
「うん」
「…………」
「…………」
会話が止まる。
(何だ?)
勇真は待った。
以前の自分なら、気まずくなって「じゃあ部活行くわ」と逃げていたかもしれない。
でも今は、円花が何かを言おうとしているのが分かる。
「どうした?」
「……その」
円花が勇真を見た。
「もし暇な日があったら、一緒に出かけない?」
「え?」
思わず聞き返した。
円花の顔が少し赤くなる。
「やっぱり忙しい?」
「いや、そうじゃなくて」
「ごめん。急に」
「違う違う」
勇真も慌てる。
「行こう」
「……いいの?」
「もちろん」
答えてから、勇真の心臓が急にうるさくなった。
(待て)
二人で?
今、林はそういう意味で言ったのか?
友達として?
それとも――。
「どこ行く?」
勇真が聞く。
「まだ決めてない」
「決めてないの?」
「誘ってから考えようと思ってたから」
「なるほど」
二人とも笑う。
「じゃあLINEで決めよう」
「うん」
円花が嬉しそうに頷いた。
「部活、頑張ってね」
「おう」
円花が離れていく。
勇真はその場に立ったまま、しばらく動かなかった。
「…………」
二人で出かける。
女子と。
「これって……」
デート?
いや。
まだ分からない。
「いやいやいや……」
「何一人で喋ってんの?」
「うわっ!」
振り返る。
名取がいた。
「びっくりした……」
「何してんの? 部活は?」
「今行くところ」
「ふーん」
名取が円花の去った方向を見る。
「林さんと話してた?」
「うん」
「何の話?」
「別に」
「怪しい」
「何がだよ」
「顔」
「顔?」
「なんかニヤけてる」
「ニヤけてない!」
勇真は慌てて口元を触った。
名取が吹き出す。
「ニヤけてるじゃん」
「うるさい」
「何話してたの?」
「だから別に――」
言いかけて、勇真は止まる。
隠すようなことでもない。
「ゴールデンウィーク、どっか行こうって」
「へえ」
「…………」
「…………」
「何?」
「二人で?」
「多分」
「多分って何?」
「そういう話だったから」
「ふーん」
名取がもう一度、円花の去った方向を見る。
「いいじゃん」
「おう」
「楽しんできたら?」
「まだ場所も決まってないけどな」
「林さん、矢城といる時楽しそうだし」
「そう?」
「うん」
名取は普通に笑っていた。
ただ、ほんの一瞬だけ。
その笑顔が止まったように勇真には見えた。
「名取?」
「何?」
「いや……」
「早く部活行ったら? 遅れるよ」
「あ、やべ」
時計を見る。
「じゃあな」
「うん。また明日」
勇真は体育館へ走っていった。
名取はその背中を見送る。
「…………」
やがて浅井が教室から出てきた。
「あれ? 桃香まだいたの?」
「今帰るところ」
「矢城と何話してた?」
「別に」
「最近めっちゃ喋るじゃん」
「小学校一緒だったし」
「それだけ?」
「それだけ」
「ふーん」
「何よ」
「別にー」
浅井がニヤニヤする。
「その顔やめて」
「何も言ってないじゃん」
「顔が言ってる」
二人は並んで廊下を歩き始めた。
◇
その夜。
勇真はベッドの上でスマートフォンを眺めていた。
【林円花】
『5月4日って空いてる?』
部活の予定を確認する。
空いている。
『空いてるよ』
送信。
すぐに返事が来る。
『よかった!』
その一文を見ただけで、なぜか少し嬉しくなる。
『どこ行く?』
『矢城くん行きたいところある?』
『林が誘ったんだから林が決めろよ笑』
『そうだよね笑』
しばらくして。
『水族館とかどう?』
「水族館……」
二人で?
ゴールデンウィークに?
それはもう――。
「デートじゃね?」
口に出した瞬間、恥ずかしくなった。
「いや、まだ分からん」
ただ遊びに行くだけかもしれない。
円花は友達として誘っただけかもしれない。
勝手に勘違いしたら痛すぎる。
「落ち着け俺」
スマートフォンを見る。
『いいよ。行こう』
送信。
『楽しみ!』
「…………」
勇真は枕へ顔を埋めた。
「俺も楽しみだよ……」
元の高校生活では、女子と二人で出かける約束なんてしたことがなかった。
卒業式の日。
自分は人生を変えると決めた。
友達を作る。
恋愛もする。
勉強も頑張る。
人生の勝ち組になる。
あの頃なら、今の状況を知れば大喜びしたはずだ。
でも今、勇真が嬉しい理由は少し違う。
女子と出かけられるからではない。
彼女ができるかもしれないからでもない。
「林と行くから……楽しみなんだよな」
口にして、自分で気づいた。
「…………」
円花と話すのは楽しい。
一緒に帰るのも好きだ。
円花に褒められると嬉しいし、笑っていると自分まで嬉しくなる。
「これって……」
そこから先は言わなかった。
まだ、自分でも分からない。
ただ一つだけ分かる。
四月十八日の自分なら、きっと違うことを考えていた。
女子とデート。
彼女候補。
勝ち組へ一歩前進。
そんなふうに、円花との関係を自分の目標のための「成果」として見ていたかもしれない。
今は違う。
五月四日が楽しみなのは。
林円花と、一緒に過ごせるからだ。
勇真はスマートフォンを置き、目を閉じた。
五月四日。
人生で初めてになるかもしれないデートまで、あと三日だった。




