第15話 やりたいから
【4月19日】
「四月十九日……」
朝食を食べながら、矢城勇真は何度目か分からない確認をしていた。
スマートフォンの画面には、間違いなく四月十九日と表示されている。
「何回見るんだよ、俺」
思わず笑ってしまう。
たった一日進んだだけなのに、これほど嬉しいとは思わなかった。
四月十八日を何度も繰り返したことで、一つだけ分かったことがある。
この世界には、やはり何かがある。
自分の選択を見ている何か。
ただし、その基準は単純ではない。
誰かを助ければ正解。
人気者と仲良くすれば正解。
円花と帰れば正解。
そんなゲームのようなものではないらしい。
「何を選ぶかじゃなくて、なんで選ぶか……か」
それすら正しいかは分からない。
それでも、昨日までより少しだけ気持ちは軽かった。
◇
「おはよう」
「おはよ、矢城」
教室へ入ると、名取が振り返った。
「今日は普通そうだね」
「普通って何だよ」
「昨日ちょっと変だったから」
「……そうだった?」
「なんか考え事してる感じ」
勇真は苦笑した。
名取が知っている昨日は、一度だけだ。
でも勇真にとっては、何度も繰り返した四月十八日だった。
「まあ、いろいろあったんだよ」
「昨日一日で?」
「俺にとっては長い一日だった」
「何それ」
名取が笑う。
もちろん説明できるわけがない。
「そういえば矢城、バスケ部どうするの?」
「あ」
その話があった。
成瀬と高石に誘われて、一度は体験にも行った。
中学まで続けていたバスケットボール。
高校でもやるのか。
それともやらないのか。
ずっと決められずにいた。
「まだ迷ってる?」
「……ちょっとな」
「好きならやればいいのに」
「林にも同じこと言われた」
「林さん?」
名取が少しだけ反応する。
「昨日、一緒に帰った時に話した」
「ああ、そういうこと」
「何だよ、その言い方」
「別に?」
名取がニヤッとする。
「最近、林さんと仲いいよね」
「普通だろ」
「へえー」
「なんだよ」
「何でもない」
明らかに何か言いたそうな顔をしている。
けれど名取は、それ以上追及してこなかった。
「でもバスケは本当にやれば? 矢城、上手いんでしょ?」
「まあ……そこそこ」
「私も女子バスケ入るつもりだよ」
「そうなの?」
「うん。中学でもやってたし」
そういえば、元の高校生活でも名取は女子バスケ部だった。
かなり活躍していた記憶がある。
「放課後、見に行ってみたら?」
「……そうするかな」
「お、やっと?」
「まだ入るとは言ってない」
「はいはい」
名取は楽しそうに笑った。
◇
昼休み。
「バスケ部?」
堀井がパンを食べながら聞き返す。
「うん。今日もう一回見に行こうかなって」
「いいじゃん」
「そんな即答?」
「だって矢城、バスケ好きなんだろ?」
「好きだけど」
「じゃあやれば?」
「みんな同じこと言うな……」
円花も名取も堀井も、驚くほど簡単に言う。
勇真にとっては、もっと複雑な問題だった。
部活に入れば、時間を取られる。
勉強との両立も必要になる。
高校生活の人間関係にも影響する。
そして何より――。
「俺さ」
「ん?」
「バスケ部入ったら、ちょっと勝ち組っぽくない?」
「は?」
堀井が真顔になる。
「運動部で活躍して、友達多くて、彼女もできて……みたいな」
「急にどうした?」
「いや、例えばの話」
「矢城ってたまに変なこと考えるよな」
「自覚はある」
堀井はパンを一口食べてから言った。
「でも、そんな理由で部活やって楽しい?」
「…………」
「俺なら嫌だけど」
あっさりした答えだった。
「じゃあ堀井ならどうする?」
「やりたいならやる。やりたくないならやらない」
「それだけ?」
「それ以外ある?」
「……ないのかもな」
勇真は笑った。
以前の自分なら、そんな単純な決め方はできなかった。
何をすればクラスで上に行けるか。
何をすれば人生が良くなるか。
そんなことばかり考えていた。
でも――。
「バスケしたいかって聞かれたら……」
したい。
答えは、とっくに出ていたのかもしれない。
◇
放課後。
勇真は体育館の入口に立っていた。
床を蹴る音。
ボールが弾む音。
シューズが擦れる音。
懐かしい。
「矢城!」
中から成瀬が手を上げた。
「来たんだ」
「もう一回見ようと思って」
「入る気になった?」
高石もやってくる。
「まだ考え中」
「まだかよ」
「慎重なんだよ、俺は」
「知ってる」
「そんな付き合い長くないだろ」
三人で笑う。
「今日も混ざる?」
成瀬がボールを投げてきた。
勇真は反射的に受け取った。
手の中に収まる感覚。
「……やる」
「よし」
体育館へ入る。
◇
「矢城、右!」
「分かってる!」
ボールを受ける。
一人来る。
その奥にもう一人。
抜くか。
パスか。
ほんの一瞬で判断する。
勇真は前へ踏み込んだ。
相手が寄る。
その瞬間、横へボールを出した。
「ナイス!」
成瀬が受け取り、そのままシュート。
リングに当たり、ボールがネットへ落ちる。
「よし!」
勇真は思わず声を上げた。
楽しい。
単純にそう思った。
上手く見られたいからでもない。
成瀬と仲良くなりたいからでもない。
これをやれば人生が変わると思ったからでもない。
走って。
考えて。
パスを出して。
シュートが決まれば嬉しい。
中学まで何度も感じていた感覚だった。
「矢城!」
今度は高石からパスが来る。
「おう!」
勇真はボールを受けた。
◇
「疲れた……」
練習が終わり、勇真は体育館の壁際に座り込んだ。
「体力落ちてるな」
成瀬が笑う。
「うるせえ……」
「中学でやってたんだろ?」
「卒業してから……」
言いかけて止まる。
本当の感覚では三年近くまともにバスケをしていなかった。
だが今の自分は、中学を卒業したばかりだ。
「中学の最後の方、あんまり真面目にやってなかったんだよ」
「もったいないな」
成瀬が隣に座る。
「矢城、普通に上手いのに」
「そう?」
「特に判断速いよな」
以前も似たことを言われた。
勇真自身、そこだけは少し自信がある。
身体能力なら成瀬の方が上だ。
技術だって、自分より上手い奴はいくらでもいる。
でも、周りを見て、その場でどう動くべきか判断することは昔から得意だった。
「なあ、矢城」
「ん?」
「入らない?」
成瀬が言った。
「一緒にやろうぜ」
勇真は体育館を見る。
まだ練習している先輩たち。
ボールの音。
汗の匂い。
さっきまで走っていたコート。
以前なら考えただろう。
バスケ部に入れば友達が増える。
運動部なら女子からの印象もいいかもしれない。
試合で活躍すれば、クラスでの立場も上がる。
でも今は――。
「……うん」
勇真は頷いた。
「入る」
「マジ?」
「うん」
高石が笑う。
「やっと決めたか」
「うるさい」
「理由は?」
成瀬に聞かれ、勇真は少し考えた。
答えは簡単だった。
「やっぱバスケ、楽しいから」
「それで十分だろ」
成瀬が笑った。
「だな」
勇真も笑った。
◇
体育館を出る。
「矢城くん」
「あれ、林?」
円花が廊下にいた。
「今帰り?」
「うん。矢城くん、バスケ部見てたの?」
「見てたっていうか、参加してた」
「どうだった?」
「入ることにした」
「本当?」
円花の表情が明るくなる。
「うん」
「よかったね」
「林に言われたのも、ちょっと効いた」
「私?」
「やる前から考えすぎても分からないって」
「ああ……」
円花が少し照れたように笑う。
「でも、決めたのは矢城くんでしょ?」
「まあな」
「じゃあ私、何もしてないよ」
「いや、結構した」
「そう?」
「うん」
勇真は歩き出す。
円花も自然に隣へ並んだ。
「今日は一緒に帰る?」
勇真から聞いた。
「……いいの?」
「何が?」
「部活の人と帰らなくて」
「別に毎日一緒に帰るわけじゃないだろ」
「そっか」
「それに今日は林と帰りたいし」
「…………」
円花が黙った。
「どうした?」
「何でもない」
「なんだよ」
「何でもないって」
少しだけ顔を逸らした円花の耳が、赤くなっているように見えた。
「……暑い?」
「違う」
「じゃあ何?」
「知らない」
「なんで怒るんだよ」
「怒ってない」
勇真には理由が分からない。
それでも、二人で歩く帰り道は心地よかった。
◇
その夜。
ベッドへ入った勇真は、スマートフォンを見る。
【4月19日】
以前なら、今日の行動を一つずつ振り返っていただろう。
バスケ部に入った。
円花と帰った。
名取とも話した。
それぞれが正解だったのか考えていたはずだ。
でも今日は、そこまで考えなかった。
「バスケ部……か」
久しぶりに楽しみが増えた。
「明日、筋肉痛やばそうだな……」
そんなことを考えながら目を閉じる。
そして――。
◇
ピピピピピピッ――!
「……ん」
目覚ましを止める。
勇真はスマートフォンを確認した。
【4月20日】
「…………」
一瞬だけ画面を見つめる。
そして、小さく笑った。
「よし」
今日も一日が進んだ。
それだけ確認すると、勇真はベッドから起き上がった。




