第14話 選択肢じゃない
【4月18日】
四度目の四月十八日。
矢城勇真はスマートフォンを机の上へ置いた。
これまでは目が覚めるたびに、すぐメモを開いていた。
昨日と何を変えるか。
どこに正解があるのか。
誰と話し、誰を助け、誰の誘いを受ければ四月十九日へ進めるのか。
けれど今日は、メモを開かなかった。
「……やめよう」
勇真は小さく呟いた。
分からないものは、分からない。
考えても答えが出ないなら、今日は普通に過ごす。
名取と話したければ話す。堀井と飯を食いたければ食う。誰かが困っていて、自分が助けたいと思えば助ける。
それでまた四月十八日に戻るなら――その時は、その時だ。
「どうせ今日で四回目だしな」
投げやりになったわけではない。
むしろ逆だった。
四月十九日へ進むことばかり考えて、自分が何をしたいのか分からなくなっていた。
「今日は……普通にやろう」
勇真は制服へ着替えた。
◇
「おはよう、矢城」
「おはよう、名取」
教室へ入ると、いつものように名取が声をかけてきた。
「今日ちょっと早いね」
「そう?」
「うん。いつもより五分くらい」
「細かいな」
「何となく覚えてただけ」
「俺の登校時間なんか覚えなくていいだろ」
「別に覚えようとしたわけじゃないし」
名取が笑う。
勇真も笑った。
それだけだった。
何か意味があるのかなんて考えない。この会話が正解なのかも考えない。
「矢城」
「ん?」
「今日、本当に何か違うね」
「また?」
「またって?」
「あ……いや」
危ない。
何度も同じ日を過ごしているせいで、時々どの会話を今の名取が知っているのか分からなくなる。
「今日は気楽にいこうと思って」
「何それ」
「俺にも分からん」
「変なの」
名取が笑いながら席へ戻っていく。
勇真はその背中を見送った。
昨日までは、名取との会話一つでも考えていた。この返事でいいのか、もっと面白いことを言った方がいいのか、仲良くなれば人生の勝ち組に近づくのか。
「……しんどいことしてたな、俺」
自分でも少し笑ってしまった。
◇
昼休み。
「矢城、飯食おうぜ」
「おう」
堀井がやってきた。
今日は何も考えず、いつものように二人で机を合わせた。
「今日パン?」
「朝、母さんが寝坊した」
「そうなんだ」
「矢城の卵焼き一個くれ」
「嫌だよ」
「即答!?」
「前に唐揚げ取ろうとしただろ」
「まだ覚えてんの?」
「食い物の恨みは忘れない」
「器ちっさ」
「うるさい」
くだらない会話をしながら飯を食う。
その途中だった。
「おい、本宮!」
聞き慣れてしまった声が飛んだ。
「……来たか」
「何?」
「いや、こっちの話」
伊藤と本宮が揉め始める。
四回目ともなれば、台詞までだいたい覚えている。
けれど勇真は、すぐには動かなかった。
かといって、昨日のように「今日は関わらない」と決めているわけでもない。
ただ二人を見る。
本宮は苛立っている。
伊藤も苛立っている。
佐藤が困ったように二人を見ている。
「……面倒くせえな」
勇真は立ち上がった。
「行くの?」
堀井が聞く。
「うん」
「なんで?」
「喧嘩になったら飯まずくなるから」
「それだけ?」
「それだけ」
勇真は二人のところへ向かった。
◇
「伊藤」
「あ?」
「プリントやれよ」
「何だよ急に」
「本宮が困ってるだろ」
「こいつの言い方がムカつくんだよ」
「それは分かる」
「矢城?」
本宮が不満そうに勇真を見る。
「本宮も言い方きつい」
「……僕も悪いってこと?」
「言い方はな。でも、プリントやってない伊藤が一番悪い」
「おい」
「だってそうだろ」
勇真は伊藤の机に置かれた白紙のプリントを見る。
「これ何分で終わる?」
本宮が答える。
「真面目にやれば十分くらい」
「じゃあ十分やれば終わるじゃん」
「簡単に言うな」
「簡単だろ。十分だぞ」
伊藤が勇真を睨む。
勇真も見返す。
少し前なら、それだけで目を逸らしていただろう。
けれど今は、そこまで怖くなかった。
「……チッ」
伊藤が椅子へ座る。
「貸せ」
本宮がプリントを渡す。
「最初からやれよ」
「うるせえ」
「レオ、ちゃんと名前も書けよ」
「佐藤、お前までうるせえ!」
周囲から笑いが起こった。
勇真も笑いながら自分の席へ戻る。
「終わった?」
堀井が聞く。
「たぶん」
「矢城、最近こういうの普通に入っていくよな」
「そう?」
「前なら絶対近づかなかったと思う」
「……そうだな」
確かにそうだ。
でも今日は、先へ進むために止めたわけではない。
ただ喧嘩になったら嫌だった。本宮が困っているのも分かった。
だから声をかけた。
それだけだ。
◇
「矢城」
席へ戻る途中、清水から呼ばれた。
「何?」
「今日は普通だった」
「……何が?」
「さっき」
清水が伊藤たちの方を見る。
「前は何か変に気合い入ってたじゃん」
「そうだった?」
「そうだった」
勇真は苦笑する。
「まあ、今日は何も考えてなかったから」
「ふーん」
清水が勇真を見る。
「その方がいいんじゃない?」
「何が?」
「あんた、考えすぎると変になるし」
「ひどくない?」
「事実」
「清水って本当に遠慮ないよな」
「今さら?」
清水はそれだけ言うと、栗原の方へ戻っていった。
「……考えすぎると変になる、か」
反論できなかった。
◇
放課後。
「矢城くん」
円花がやってくる。
「林」
「今日、部活見に行く?」
「今日は行かない」
「そっか」
ここまでは同じ。
そして円花が少しだけ間を置く。
「じゃあ、今日も一緒に帰る?」
「…………」
勇真は円花を見る。
最初の四月十八日が頭に浮かんだ。
『ああ、いいよ』
そう約束した。
その直後、名取たちから誘われた。
そして自分は――円花との約束を断った。
『大丈夫だよ』
円花はそう言った。
『みんなで行ってきて』
笑っていた。
だから大丈夫だと思った。
いや。
「……違うな」
「え?」
「あ、ごめん。何でもない」
勇真はようやく気づいた。
円花が大丈夫だと言ったことと、自分の行動が正しかったかどうかは別だ。
先に約束したのは円花だった。
なのに名取たちに誘われた瞬間、自分は比べた。
円花と帰ること。
名取、浅井、成瀬、高石と遊ぶこと。
どちらが自分にとって得なのか。
どちらが「勝ち組」に近づけるのか。
それで名取たちを選んだ。
「最低じゃん、俺……」
「え?」
「いや、林のことじゃない」
「……今日の矢城くん、本当に変だよ?」
「ごめん」
円花が困ったように笑う。
勇真は少し考えてから言った。
「林」
「うん?」
「一緒に帰ろう」
「……うん」
円花が笑った。
その時だった。
「矢城!」
名取の声。
振り返る。
浅井、成瀬、高石も一緒だ。
「今日暇?」
四度目の誘い。
「みんなで駅前寄って帰ろうって話してるんだけど、矢城も来ない?」
勇真は円花を見ることなく答えた。
「ごめん。今日は無理」
「予定ある?」
「うん」
勇真は頷く。
「林と帰る約束したから」
「あ、そうなんだ」
名取はあっさり頷いた。
「じゃあまた今度ね」
「おう。次は行く」
「絶対ね」
浅井がニヤニヤしている。
「何だよ」
「何も言ってないけど?」
「顔がうるさい」
「ひどっ!」
成瀬と高石が笑う。
「じゃあまた明日な」
「また明日」
四人が教室を出ていく。
勇真はその背中を見送った。
不思議だった。
一回目は、断ったら次に誘われないかもしれないと思った。
せっかくクラスの中心にいる連中から誘われたのだから、行くべきだと思った。
でも名取は、普通に「また今度」と言った。
「……俺、何を焦ってたんだろ」
「矢城くん?」
「ごめん。行こう」
「うん」
◇
二人で学校を出る。
しばらく歩いたところで、勇真は口を開いた。
「林」
「何?」
「もしさ」
「うん」
「一緒に帰ろうって約束したあとで、俺が別の奴に誘われて、そっち行ったらどう思う?」
円花が勇真を見る。
「急にどうしたの?」
「ちょっと気になって」
「うーん……」
円花は少し考えた。
「理由によるかな」
「例えば、ただ遊びに行くだけ」
「それなら……」
円花は困ったように笑った。
「ちょっと寂しいかも」
「……やっぱり?」
「でも、矢城くんが行きたいなら仕方ないし、大丈夫って言うと思う」
その言葉に、勇真の胸が少し痛んだ。
一回目と同じだ。
円花はきっと、本当に「大丈夫」と言う。
相手を困らせたくないから。
「大丈夫って言ったら、本当に大丈夫だと思う?」
「え?」
「いや……」
勇真は少し迷ってから続けた。
「大丈夫って言ってても、嫌な時ってあるだろ?」
「……あると思う」
「だよな」
「矢城くん、今日どうしたの?」
「ちょっと反省してる」
「何を?」
「秘密」
「変なの」
円花が笑う。
勇真も笑った。
でも、心の中ではもう分かっていた。
問題は、円花と帰るか。
名取たちと遊ぶか。
そんな二択ではなかった。
最初から、人を比べたことが間違っていたのだ。
円花との約束を破ったから罰を受けた――それだけでもない。
名取たちを選んだから駄目だったわけでもない。
自分は「勝ち組になる」という目的のために、人との関係にまで価値をつけようとした。
上か下か。
得か損か。
自分を高い場所へ連れていってくれるのは誰か。
「……俺、嫌な奴になりかけてたな」
「また独り言?」
「今日は多いな」
「うん。多い」
二人で笑った。
◇
その夜。
勇真はベッドへ横になった。
スマートフォンには、
【4月18日】
と表示されている。
「……これで戻っても、まあいいか」
初めてそう思えた。
もちろん四月十九日へ進みたい。
でも、今日の自分の選択を「日付を進めるための正解」にはしたくなかった。
円花と帰ったのは、先へ進みたかったからではない。
約束したから。
そして、自分も円花と話しながら帰りたかったから。
「それで戻るなら……また考えよう」
スマートフォンを置く。
目を閉じた。
◇
ピピピピピピッ――!
「……ん」
朝。
勇真は目を開けた。
しばらく天井を見る。
「…………」
スマートフォンは枕元にある。
手を伸ばしかけて、止まる。
「怖え……」
四回も同じ日を見ている。
また四月十八日だったらと思うと、確認したくない。
「……いや、見るしかないだろ」
スマートフォンを取る。
画面を点けた。
【4月19日】
「…………」
勇真は瞬きをした。
もう一度見る。
【4月19日】
「……進んだ」
声が漏れた。
「進んだ……!」
身体を起こす。
嬉しい。
間違いなく嬉しい。
でも、以前とは少し違った。
「やっぱり林と帰るのが正解だった……?」
口にしてから、勇真は首を振る。
「違う」
そう考えた瞬間、また同じことになる。
円花と帰れば正解。
名取たちと遊べば不正解。
そんな単純な話ではないはずだ。
「何を選んだかじゃなくて……なんで選んだか、なのか?」
確証はない。
この世界のルールを説明してくれる人間もいない。
それでも、一つだけ分かった。
友達は、自分を勝ち組にするための道具じゃない。
恋愛だって、きっと同じだ。
「……完璧な人生の勝ち組、か」
卒業式の日、自分が決めた目標。
それ自体を捨てるつもりはない。
今だって、なれるものならなりたい。
でも。
「勝ち組って……何なんだろうな」
答えは、まだ分からない。
四月十九日。
勇真にとって、また新しい一日が始まった。




