月下の対話
「はい、エレーナ」
「……ありがとう」
シャインがコンビニ袋から取り出したソーダ味の棒アイスを、エレーナは受け取る。袋を開け、キンキンに冷えたアイスをまじまじと見つめる。
「面白い形状ね」
「ね。本当にこの世界は面白い。そして1番素晴らしいのは、美味しいことだ」
シャインも自分用に買ったバニラ味の棒アイスを取り出し開ける。満月の月下の元で、美男美女がシャクリとアイスを頬張る。2人の口内の温度が一気に下がり、同時にその旨味も唾液と共に溶け出していった。
「うん、やっぱり美味しい。今日は暑かったから余計に美味しく感じるよ」
「そうね。クグツ様たちにも買っていこうかしら」
エレーナの口角が僅かに上がった瞬間を、長年の付き合いがあるシャインは見逃さなかった。
それは、食べ勧めるアイスの美味しさに知らず知らずのうちに浮かべてしまった笑みではない。自分が買ってきたアイスをクグツに献上し、それを食べて笑みを浮かべる彼の喜ぶ姿を想像して生まれた笑みだ。シャインは口には出さないが、彼女の思惑を感じ取った途端に苦笑を溢してしまった。
「何?」
「いや別に。そうだね、これ食べ終わったらみんなの分を買おう」
「まさかそれだけのために私と夜中に抜け出したわけじゃないわよね?」
エレーナの声に含まれた少量の憤怒さえ、シャインが見逃すはずもなかった。
彼はエレーナと2人だけで話をするために、わざわざホテルから少し遠めのコンビニにまで足を運んでいた。シャインたちがホテルを出る直前、「クグツ様! 俺こんな面白いゲーム見つけたんですよ!」とグローリが愉快な声を上げていた。
グローリが手にしているのは人生ゲームだった。空いた時間にサンやホープたちと色々な店を回っている時に見つけた。「これやってみたいっす!」と提案すれば、「いいよ、みんなでやろうか」とクグツは笑顔で即答した。もちろんエレーナも混ざる予定だったが、そこでシャインに連れ去られたというわけである。
「そんな怖い顔しないでよ。俺だって心苦しかったけど、みんなの意識が集中してるのは今しかなかったから」
「私だってクグツ様の隣でやりたかったのに……話があるならさっさと済ませなさい。そして私も混ざる」
「わかったわかった」
これが家族以外の赤の他人の頼み事ならば、エレーナは問答無用で無視した。ひとえに、家族であるシャインだからこそ話を聞いてあげているのだ。
「大丈夫。すぐに終わる。クグツ様について訊きたいだけだから」
「クグツ様?」
「エレーナがクグツ様を追いかけた時があったろ? ただついて行きたかったってのもあるんだろうけど、目的はそれだけじゃなかったでしょ? クグツ様とこの世界の関係性について、訊きたかったんじゃない?」
一瞬、舌の上で転がるソーダ味がしなくなった。すぐに舌は通常の機能を取り戻した。シャインには心を見透かされていたかと認識する。
「シャインも気づいてたのね、違和感に」
「やっぱり。エレーナもわかってるみたいだから細かいことは省くよ。僕は、今いる国がクグツ様の故郷の名前と同じだって気づいた。僕の記憶が正しければね。それで、どうだったの? 流石に訊いてないわけないだろ?」
「……訊いたわ……訊かなきゃ良かった」
「え?」
「クグツ様に不快な思いをさせてしまった」
エレーナの噛む力が後悔の想起により強くなる。自身の惨めさを麻痺させるように、残るアイスをバクバクと食い尽くす。エレーナに憐憫の情を抱いてしまうほどに、滅多にしない顔をしていた。
「その様子じゃ……あまり良い答えはなかったみたいだ」
「クグツ様の過去に安易に踏み込んだ。私は愚かだった。クグツ様の補佐に徹すると言っておきながらこの体たらく。1番気が抜けていたのはどうやら私だったわ」
「そんなに落ち込まなくても……て、言っても無駄なんだろうね。特にクグツ様のこととなると。でもそうか……クグツ様はこの世界と関わりがあるんだね」
「これが貴方の聞きたいこと?」
「まあね。他のみんながどう思ってるかはわからないけど、俺はクグツ様とこの世界の共通点を見つけた時から、機会を伺って直接訊こうと思ってた。エレーナが先陣を切ったけどね。後から俺もと思ってたけど、エレーナがその様子ならやめておくよ」
「そうしてちょうだい」
エレーナはアイスの棒と守っていた袋をコンビニのゴミ箱に捨てる。シャインもその時食べ終わった。
「私はもう……あんな顔見たくない」
「そう。少し残念だ」
「なんで?」
「クグツ様のことを知るチャンスだと思ってたから。気を悪くしないでくれよ。自分が仕える主のことを知りたいと思うのは、おかしなことじゃないだろ? エレーナもそう思ったから訊いたわけだし」
「……そうね。でもその好奇心がクグツ様を傷つけてしまった。いつの間にか私は忘れてしまっていたのよ。クグツ様は、私たちの心にずかずかと入り込むような真似はしなかった」
彼ら直属配下がクグツと出会った当時、全員の心は壊れていた。
世界から見放された彼らに、未来への希望などありはしなかった。人権も、尊厳も、名誉も、意思すら遠い遠い場所へ既に無意識のうちに置き去りにしてしまい、彼らはただ死を待つのみだった。
顔にも、声にも、指にも力が入らない。助けを呼ぶ気力さえ湧かない。道端の雑草に誰も関心を示さないように、誰も彼らを助けちゃくれなかった。目を背ける輩も大勢いた。人間不信になるのは時間の問題だった。
クグツが救ってくれた後、彼らは彼を信じきれなかった。どうせ捨てる、どうせ虐める、どうせ売る、どうせ、助けてなんてくれない。一度壊れた信じる心を取り戻すのは、最早不可能に近かった。だがクグツは、それでも彼らに寄り添い続けた。
何も聞かずにただ隣にいることもあった。痩せ細った彼らに食事を届け、顔を見せてくれない時は部屋のドアの前に何度もおいた。自分の故郷の話をドア越しで彼らに聞かせた。冷たい態度で罵倒をぶつけられながらも、クグツは誰一人一度も責めたりはしなかった。
そんな時間が過ぎ去るうちに、彼らは心の扉を開けた。いつの間にか、壊れた心は新品のように治っていた。クグツと正面から向き合い、これまでの人生を嘆き悲しみ、助けてくれた彼に感謝を伝え、そして全員がクグツを慕うようになった。
「クグツ様が私たちにしてくれたように、もう深入りはしないわ。一時の気の迷いはもうない。それにたとえクグツ様の過去に何があれど、私は何も揺るがない。私はこれからも、クグツ様の忠実なる配下よ」
「それはもちろん。俺もクグツ様に忠誠を誓ってる……なあ、もしだよ? もし、クグツ様がこの平和な世界でみんなと一緒に住みたいって言ったら、エレーナはどうする?」
考える間も作らず、エレーナ淡々と答える。
「クグツ様がいるのなら、私はどこへだって構わない。ゴミ溜めだろうと死体の山だろうと。でもそうね、そうなったらみんな喜ぶわね。急にどうしたの?」
「いや、別に。ただの戯言だよ」
そして2人は帰路につく。
「なんで選ぶだけなのに10分もかかるかな?」
「しょうがないでしょ。クグツ様がどれを気に入るかわからないんだから」
「だからって全部買う必要はないでしょ」
帰る際にみんなの分のアイスを買おうとコンビニに戻った。エレーナは10分間悩みに悩み、結局置いてある全種類のアイスを買い占めた。
店員が二度見するほどパンパンに膨らんだ袋を手下げるエレーナを見て、なんだかシャインは面白かった。
「何笑ってるの?」
「いや、なんでもない。持つよ」
「このくらい平気よ」
「こういうのは男が持つものだろ?」
「知らないわ」
「クグツ様に言われたら?」
「クグツ様にそんなことさせるわけない。荷物持ちなど配下の役目よ」
「ははっ、ホントエレーナって……エレーナ?」
「悲鳴が聞こえる」
鋭くなる少女の眼差し。シャインも理解するべく宵闇の住宅街で聴力を研ぎ澄ませる。普段から魔力で強化された彼らの聴力は、常人より並外れて優れていた。
「確かに聞こえる。女の子かな? あっちの方だね。行く?」
「見るだけよ」
回り道をすることにした。速足で悲鳴の発信源に近づいていくと、声量がどんどん大きくなっていき、声の種類が増えた。喚き散らす少女の声と、汚らわしい男たちの声が複数。シャインはエレーナの顔色が悪くなっていくのを見た。
ひらけた十字路に辿り着くと、そこにはいた。
「ほらっ! さっさと、くだばれよおっさん!」
「ぐっ、ううぅ!」
「パパ、パパッ! お願いやめて!」
「ひゃひゃひゃひゃ! やめてって言ってやめる奴いねえだろ!」
下衆が10にも満たない少女を取り押さえて、下衆がその父親らしき男をリンチにしている。下衆たちは自身らが行っている行為に夢中で、エレーナとシャインの存在に気づいていなかった。
「そろそろ行こうぜ? さっさとこのガキで遊びてえんだけど」
「ああ? こいつの抵抗する目が気に入らねえんだよ。立派な父親かよ、気持ち悪りぃ!」
下衆が父親の腹を蹴る。少女は名前を呼んでついには涙を流した。
「まあ、もう少しこいつに見せてもいいか。そしたらこのガキ後で思い出して後で泣くじゃくるだろ? その顔見ながら犯すってなるとさあ、たまらねえよな?」
「ロリコンきもっ。やっぱ女は巨乳だろ」
下品な会話を続けながら、下衆は父親の顔を踏みつけ、少女は悲鳴を上げる。下衆が贄羅畏禍亡威の構成員であることを知るのは、少し後になる。2人の頭には、彼らが誰かなんてどうでも良かった。
父親から娘を奪い取ろうとする下衆。それだけの認識が心の硝子をぶち壊し、封じ込めていた過去が蘇ってしまう。
まだ教会の孤児院にいた頃。エレーナ、シャイン、サンはずっと一緒だった。
ずっと一緒に、孤児院から互いを守ってきた。
悍ましき過去の情景は、吐き気を催すほどの呪詛だった。身体的暴力、精神的暴力、性的暴力。あらゆる暴力に耐え続けた。エレーナの白い肌に触れる物は、冷たい家族の手と、彼女を貪り尽くそうとする獣だけ。
自分たちはただの玩具の1つでしかなかった。神父やシスターは、一度だって愛を注いではくれなかった。
エレーナは知っている。サンを庇うためにシャインが負った火傷の痕が、未だに怪物が寄生しているような悍ましい形で彼の背部に癒着していることを。
「パパ……パパぁ……」
嫌でも姿を重ねてしまう。襲う下衆が神父に、襲われる少女がサンに見えてしまった。
「エレーナ」
「……」
エレーナは無言で美脚を前に進めた。頑なに持ち続けたコンビニ袋は地面に落としてしまった。ちらりと見えた横顔は、あの頃と同じになっていた。
「ん? おい、人いるぞ」
「チッ、なんだようわっ! めっちゃ美人じゃん! しかも巨乳!」
父親を袋叩きにしていた下衆の興味がエレーナに移った。彼女の豊満な双丘に目が溺れ、沈んだ瞳から滲み出る殺意に全く気づいていない。
「ねえねえそこの美人なお姉さん! 俺と一緒にこの後──」
ゴキッ。
ひしゃげた音が下衆の首から奏でられ、そのまま地面に倒れ込んだ。体の正面が地べたに触れているが、光のない眼は雲一つない夜空を見つめていた。
「え」
「見ちゃダメだよ」
瞬きの内に行われた殺人の時間で、もう1人の下衆の手中に囚われていた少女はシャインによって解放された。いつの間にか少女は眠りに落ちていて、赤子をあやすようにシャインは小さな頭を優しく撫でていた。
「な、何──」
「口を開くな」
グシャ。
あられもない方向に下衆の首がへし折られる。下衆たちは屍へと変わり果て、二度と息を吹き返すことはなかった。
父親は秒で行われた清々しい殺人現場を見て、ただただ茫然と冷たい地面にへたり込むことしかできなかった。
「え……ぁ……な、何が……」
「あなた、この子と何してたんですか?」
「え……えと……た、ただ、牛乳が切れていたから、近くのコンビニに買いに行こうとしてたんだ。そ、それで、娘もついて行くって聞かなくて、近くだし大丈夫だろうって思って……」
「なるほど。それでは、この子には急に倒れて寝てしまったんだよと言ってください。牛乳は売り切れていて、あなたは仕方なく家に帰った。あなたは何も見なかった。夜が明ければまたいつもの日常です。それでいいですよね?」
誰にも言うなと、それを汲み取れないほど父親は茫然自失ではなかった。黙って首を縦に振りシャインから娘さんを受け取り、そのまま抱きかかえ恐怖を表情に貼り付けながら去っていった。
「さて、死体を片付けないと。エレーナ、手伝ってくれ」
「……サンは大丈夫よね」
覇気のない独り言がエレーナから発せられる。自分たちと同じ環境で育った小さな水色髪の少女。エレーナにとって、彼女は妹のような存在だ。血は繋がっていなくとも、3人はクグツと出会う前から確かに家族だった。
「大丈夫だよエレーナ。サンは今頃クグツ様たちと楽しく遊んでいる。きっとグローリに付き纏いながらね」
「そうね……そうよね」
シャインに手を添えられ、破壊された心の硝子が修復されていった。
「平気?」
「シャインこそ。最悪の気分だわ。クグツ様の件に続いて2度も。せっかくこっちの世界は平和だと思っていたのに」
「クグツ様も言ってただろ。どこにでも異分子の1人や2人はいる。でも確か、ここら辺にはタチの悪い簒奪者たちがいるってクグツ様が言ってたっけ」
「そうね」
「なら気晴らしにやってみる? クグツ様の発動までまだ時間はかかるだろうし」
「何を?」
「俺たちが普段やってることだよ」
シャインは能面のような顔で、夜空を見上げる死体を踏み潰した。
「厄介者の駆除」




