蛇天愚隷羅 終局
「わかった! わかったから落ち着けって!」
「うえええええええええん! ひっく、えぐっ、ぐすぅ、うわああああああああああああああああああん! 春喜ぃいいいいいいいいいいいいい!!」
「わかったから!? 周りの視線やばいことになってるからちょっとだけ落ち着いてくれ!?」
胸に顔を押し付け号泣をかましている桜楽は、抱きしめてだげたい気持ちよりもやり過ぎの恐怖が勝ってしまっていた。俺の服が涙や鼻水でぐしょぐしょに汚れているのはまだいい。問題は周囲の一歩引く視線だ。
嵐山凌牙との対決が終わった直後、脱力感と悲壮感に浸る暇もなく、桜楽が背後からダイブをしてきて転倒した。桜楽は俺に馬乗りになりながら仮面を外した。笑顔が似合う彼女は、酷い顔になって泣いていた。目は腫れて赤くなって、化粧も崩れて見たこともない顔になっていた。いや、面影はあった。
中学1年、俺と一緒に泣きはらしてくれた時と重なった。桜楽は何か言いたそうだったんだが、流す涙の量が尋常じゃなくて、俺に目線を向けながらずっと溢れる涙を拭っていた。別にそれだけで良かった。桜楽はまたあの時と同じように寄り添ってくれている。それだけで俺は良かった。桜楽の顔をハンカチで優しく拭いて、やることを終わらせて、その場を後にした…………いや、しようとしたのだが、
「たくっ、さっきまでのシリアスムーブなんだったんだよ」
「うぅ……だぁってぇ……」
「身体の水分枯れるぞ」
桜楽が全く泣き止む気配がなかった。お母さんが欲しいゲームを買ってくれなくて泣き叫ぶ子どもだってもうちょい早く泣き止むと思う。俺の服に顔をこすりつけながら歩く桜楽はやばかった。凌牙と一戦交えたおかげで俺の外見も身なりもボロボロになっていたのだが、それ以上に桜楽は突き抜けていた。道を歩く人々の視線を一様に彼女が集め、その横にいる俺は冷たい視線で見られた。
流石に居たたまれなくなったので、なんとか人の眼をかいくぐりながら公園に移動することができた。まだ学生らは学校にいる時間なので、人気がないことは幸いだった。
「なーんで俺より激しく泣くんだか」
「私は感情豊かなの! それに春喜のあんな姿見たら……はぅ、ぐすっ」
「おいおいもう泣くなって!」
また瞳を潤わせようとする桜楽を咎める。やっと落ち着きを取り戻した所で、2人で公園のブランコに腰を下ろす。
「まあ、何はともあれ、一件落着だな」
「うん……」
「あいつの間抜け面も撮って、もう柳田に送った。時間が経てば蛇天愚隷羅は『唯』が全部吸収してまとめ上げる。俺らはもうお役御免ってわけだ」
「うん……」
1か月も経たずにこのヒーロー活動、もとい自己満足な青春は終わった。最後の最後はやるせない感情が胸を満たしてどうにもスッキリしないが、これで誰かの小さな不幸が少しでも多く消えればと願うばかりだ。
ちなみに、『唯』が蛇天愚隷羅の頂点にのし上がることになった一連の騒乱を、後に『シャングリラ事変』と界隈では呼ぶようになったらしい。その話の中に必ず出てくる『黒い悪魔』と『黒い幽霊』の存在を耳にすることになるのは、もう少し先の話。
「個人的には結構頑張ったと思うけど……まあ……最後くらいもう少し、クールにいければかっこよかったなあ、なんて」
「かっこよかったよ」
さっきまで泣いていたせいか、普段の桜楽と違いおとなしく、雰囲気がシンデレラのようなか弱く清楚な感じになっていた。不覚にも、彼女の知らない一面を目の当たりにした気分になり、ドキッと鼓動が弾んだ。
「感情的な春喜も……かっこよかったよ」
「……罵詈雑言喚き散らしてたのに?」
「私でもああ言うよ」
「馬鹿みたいに怒り狂って」
「当然でしょ。あんな言い方されたら」
「自分がされて嫌なことは人にしないの名言を全否定」
「相手が屑でもその名言とやらが適応されるなら、考えた人はクソだね」
「映画の中のヒーローだったら、あんな奴でも救ってやるのかな」
「パニッシャーなら銃ぶっ放してるよ」
「はははっ、肯定しすぎだろ。そんなに擁護されると……甘えるぞ」
「いいよ」
コツンと、肩に頭1つ分の重さを感じる。桜楽が距離を縮め、さらに柔らかい指を俺の指に絡ませてくる。
「私が一生でろでろに甘やかしてあげるから」
「ダメ人間になりそうだ」
「その代わりに一生映画館を共にする契約を結ぶがいい」
「束縛つよ」
にししと茶化すような笑顔が帰還した。本調子に戻ったみたいだ。「私、頑張るから」と、絡ませた指がぎゅっと力を強めた。
「あんなクソ野郎なんて思い出す暇もなくなるくらいに、楽しい思い出で春喜を満たしてあげるから。他の嫌な思い出だってそう。私がずーっとずーっとずうううううううっと……一緒にいるから。1人になんて……絶対しないから……」
頭を撫でるような優しい声が、俺にまた涙を溢れさせようとした。
俺は友達を失ってしまったが、新たな親友を手に入れることができた。喪失感が完全に埋まったわけではない。いなくなってしまった事実は変わらないし、冬真の代わりになるなんてできるわけない。だが、それでも、この少女はこんな俺の心の傷を癒してくれている。
きっといつかは離れてしまうんだろう。こんな素敵な少女を世界がほっとくはずがない。でもいい。それでもいい。たとえそんな未来が待ってるとしても、俺に光を当ててくれたこの時間は、確かに幸せだったと胸を張って言える。そんな未来を想像できるくらいに桜楽は、もう十分すぎるくらいの思い出をくれた。
「頑張り過ぎてるよ。申し訳なさを抱くくらいに」
「いいの、春喜はそんなこと気にしなくて。私が楽しくてやってるんだから。まだ高校生は1年ある。まだまだ思い出を作れる。修学旅行はもうすぐだし、文化祭、体育祭、夏休み、ハロウィン、クリスマス、誕生日、大晦日、お正月。卒業した……後だって……」
「ん?」
なんだ? 今何か引っかかった。夏休み……ハロウィン……クリスマス……誕生日……誕生日…………たん……じょうび…………あ。
「やばい!?」
「わっ!」
拳で顔面を殴られる以上の衝撃が、俺の身体を立ち上がらせた。
まずい!? これは非常にまずいことになった!? なんで忘れてた!? ヒーロー活動に夢中になってたなんて言い訳にもならない!?
「春喜、ど、どうしたの?」
「はっ! 今日っていつだ?」
スマホで日付を確認する。そして絶望した。あの日まで後2日しかない!?
「春喜?」
「ごめん桜楽! 急用ができたから先帰る!」
「えええ!? 祝勝会は!?」
「少し時間くれ!」
後2日、とりあえず当てを回るしかない。急ぎ足で公園を出る時に、桜楽に大声で伝えた。
「絶対喜ばせるから!」
「え?」
────
当てその1。
「おお、お前か! すぐにでも礼を言いたか──」
「すみません今それどころじゃないんです!」
柳田義一。『我』を実質的に壊滅させた俺に対して感謝しているような様子だったが、本当に今はそれどころじゃなかった。
「なんだ? めっちゃ息切れしてるけど大丈夫か?」
「えほっ、大丈夫です。急で悪いんですけど、ちょっと聞きたいことがありまして──」
当てその2。
「おお! 士道春喜じゃないかええ!? どうした!? 顔がボロボロじゃないか!?」
「気にしないでください」
日を跨いで、街の病院でとある人物の元に来た。相変わらずでかい声は健在な明石先輩である。今は前ほど痛々しい姿をしていない。順調に回復に向かってるようで何よりだった。
「いや、気にしないのは無理があるだろ」
「そんなことより、今人生最大のピンチなんです。先輩って──」
俺は訊きたいことを訊いた。先輩は困惑した様子だったが、真剣に俺の問いに答えてくれた。
「柳田と同じこと言ってんな……」
「何か言ったか?」
「いえ。ありがとうございました。じゃあお大事に」
「おいおい、ちょっと待った!」
先輩は俺を引き止めた。早く出て行きたかったのだが、一方的に訊いてじゃあまたねは流石にどうかと思ったので、俺は正面に向き直した。
「なんですか?」
「いや、急いでるようだから手短に済ませる。その怪我、もしかして俺がやられた連中と関わってできたものか?」
鋭い先輩だ。いや、少し考えればおのずと辿り着けるか。正体隠してやってたんだからここで言ったら意味ないし、そもそも言っても信じてはくれないだろう。
「まさか、そんな度胸俺にはありません。派手に転んだだけですよ。あ、でも知ってますか? なんか隣街にすげー強い奴が現れたらしくて、柄悪い連中が一掃されたそうです。これで少しは先輩の心配も減ると思います。良かったですね」
「……そうか。正直、元々粗暴だった俺だから言うが、暴力での解決というのはあまり解せない。はっきりとよくやったとは評価できないな」
「力で好きな子手に入れようとした人が言っても説得力ないですが……まあ……確かに。本人も楽しんでやってたと思いますよ。結局は自己満足ですかね」
「でも、俺はそのすげー奴が、私欲を満たすためにやったんじゃないってわかる。そいつは優しい奴だ。名前も知らない誰かのために戦ったんだ。たとえ手段が過激だったとしても、その心意気に俺は敬意を払う」
「なんか固いっすね」
「誰かのために行動できることは、敬意を払うに値するってことだ。だから言わせてもらう」
「君はヒーローだ。ありがとう」
不意打ちの感謝に、誤魔化す所作が遅れた。
「そのすげー奴に会ったら自分で伝えてください」
誰にも感謝なんてされなくていいと思っていた。しかしいざ受け取ってみると、心が温かくなった。
────
「おはよう桜楽」
ついに今日、あの日がやってきた。土曜日の朝早くから、桜楽の家まで来ていた。玄関から現れた桜楽は、相変わらずの美しさを保っていた。
「春喜もおはよう。どうしたのこんな朝早くに?」
「ああ、うん。こんな早くに迷惑だったよな。ごめん」
「いや、迷惑じゃないけど、何かなーとは思った」
「昼くらいでも良かったんだけど、早く渡したくて。てか、もう見えてるか」
俺は今、大きなリボンがついた黒い紙袋を背中に両手で隠すように持っていた。と言っても、袋が結構でかいため対面した瞬間に、桜楽はその存在に気づいただろう。
「えっと……んんっ。やばい緊張する」
「何々?」
「さ、桜楽」
「誕生日、おめでとう」
気恥ずかしい思いを抱きながらも、はっきりと言葉を伝え、桜楽に紙袋を手渡した。
「……え?」
「1月26日。今日、桜楽の誕生日。俺がこんなでかいの持ってるの見た時、もしやって思ったんじゃないか?」
「いや……えと……」
「去年、桜楽俺の誕生日祝ってくれてただろ? 言ったことなかったのに俺の誕生日知ってて、サプライズでケーキとプレゼントくれて……俺、めっちゃ嬉しかった。友達に祝われるのなんて久々過ぎて。で、時間が経って思った。桜楽にだって誕生日はある。でも思った時には……もう桜楽の誕生日が過ぎてた。1年の頃は病んでて、色んなことに頭が回らなかったりしてて……全部言い訳でしかないけど。だから今年こそはって、思ってたんだよ。遅過ぎたよな。ホント、ごめん」
「いや、謝る必要なんてないって! 私がやりたくてやってるんだから!」
そう言うと思った。本心で言ってくれているのは嫌でも伝わっている。
「ありがとう。だから今日、俺も純粋に渡したかった。日頃の……お礼も兼ねて。あでも、ちょっと誤算がありましてね……」
「誤算?」
「前からプレゼントは何が良いか考えてたんだよ。でも中々決められなくて、そしたら蛇天愚隷羅討伐作戦が始まって、その最中にプレゼントのことをうっかり忘れて……思い出したのが2日前でした」
声のボリュームがどんどん落ちてしまっている。こんな馬鹿正直に言う必要あるか? でも桜楽に嘘をつきたくなかった。
「それって……私が春喜を邪魔しちゃったんだよね」
「え、あいや、ち、違う違う! そういう意味で言ったのではなくてだな、だからあの……2日間必死に考えて選んだんだけど、お気に召すかどうかわからないから……あ駄目だ、何言ってもよくわからなくなる。とにかく、見てくれよ」
「う、うん」
猶予が2日間しかなかった。それまでにも候補は幾つか考えてあったのだが、いまいちこれだと決断ができなかった。だから最後の悪あがきとして、知り合った男2人にアドバイスを求めた。クラスメイトに訊いたら変な話題が広がりそうだったのでやめた。そして柳田と明石先輩はこう言った。
「女子へのプレゼント? えーなんだろな……相手の好きな物送れば喜ぶんじゃねえの?」
「女子へのプレゼントか。それに明確な答えはない! 喜んでほしいのなら、相手が好きな物を送るのが1番効果的だ!」
申し訳ないが、カスみたいな回答だなと思った。100人に訊いたら80人はそう答えそう。心のこもったプレゼントならなんでも喜ぶ、よりはマシだが。でもおかげで選択肢の幅が狭まった。桜楽の喜ぶ物。プレゼントをあげるからには、俺は桜楽に喜んでほしい。
だから俺は、これを選んだ。
「……パンダ?」
ぎゅっと抱きしめたら、ふわふわ心地間違いなしのデカめぬいぐるみパンダが、桜楽の両腕に収まった。表情こそ動きはしないが、万人が可愛いと口にするフォルムだ。こんなゆるキャラみたいなパンダどっかで見たことある気がする。
「この子、見たことある」
「ほら、前一緒にゲーセン行ったじゃん。その時にクレーンゲームでこれ欲しいって言ってやったけど、10回くらいやって桜楽断念したやつ」
「覚えてくれてたんだ」
「やけに欲しそうだったなと思い出した。他にも、アクセサリーとか、手袋とか、何ならフィギュアでもとか考えたんだけど……絶対喜ぶかどうかわからなくて。だから、桜楽が絶対喜ぶ物と思って……選んだん……ですけど……」
嫌な汗が止まらない。言葉を返してくれる桜楽だが、ずっとぬいぐるみパンダとにらめっこをしていて、顔が確認できなかった。喜んでいるのか、微妙な顔をしているのかわからなかった。
「ど、どうでしょうか……?」
「……………………」
ついに答えてくれなくなった。駄目なのか、やっぱり駄目なのか!? クレーンゲームなんて手段がゴミだったのか? いや、そもそもパンダ好きじゃなかった? いやでも覚えてくれたって言ってるし。もっとおしゃれな服とか指輪とかの方が、いやいや流石に気色悪い!
「……はぁ……ぐすっ」
「え、え、さ、桜楽さん!?」
顔は見えていないが、この声はすすり泣いているそれだった。その瞬間、心が完全に砕け散った。あの嵐山凌牙に会った時と比べ物にならないくらいの寒気が全身を襲う。何を口にしていいかわからず、しっちゃかめっちゃかな単語を羅列する。
「ご、ごめん! まさか、泣くほど嫌だったなんて! ああクソ、やっちまった。どどど、どうすれば……っ!」
「違うよ春喜……違うんだよ……」
桜楽がパンダを少し下に下げて、隠された顔を露にした。やはり泣いていた。しかし、2日前のような苦々しさと言うべき雰囲気が今の桜楽にはなかった。涙で瞳を濡らしながらも、その瞳の中にはしっかりと俺を映していた。
涙は悲しい象徴なはずなのに、桜楽が流している涙には神聖な『喜』が感じられた。俺の名前に入っているなと適当な思考が浮かび、極上の絵画を目にしたようで、少しの間俺は放心した。
「プレゼントがね……嬉しすぎて……涙が出てきちゃうの」
「あ……嬉しいのか?」
「うん。私、今まで春喜に色々してきたでしょ?」
「ああ、うん。いやホント、桜楽がいなかったら……マジでどっかで自殺してたかもしれないし。おかげで学校も楽しくなった。本気で感謝してる」
「うん、うん。私もそれだけで嬉しいの。春喜が喜んでくれれば、私も喜ぶし、嬉しい。見返りなんて求めてなかった。でもね……今こうして、春喜は私のためにプレゼントを選んでくれた」
「そんな、泣くようなすごいもんじゃないけど」
「それでも嬉しい。本当に本当に、どうにかなっちゃうくらい嬉しい」
「お、おお。そんなに喜んでくれたなら良かったよ」
「私、胸を張って言える」。濡れた頬を太陽の光で煌めかせ、最高の笑顔で叫んだ。
「今世界中の誰よりも、この瞬間だけは、私が世界一幸せ!」
目を丸くした。
俺もこの時思った。この瞬間だけ、今世界中の誰よりも、俺に笑いかけてくれる少女が世界で1番美しいって。口にするには恥ずかしすぎる感想は、俺の中だけにとどめた。
「私、一生大事にするね。毎日この子と一緒に寝る!」
「ああ、いいけど……そうだ、この後時間あるか? 良い店予約したから、昼飯にでもどうかと。祝勝会も兼ねて」
「ホントに!?」
「俺チョイスだから、あんまり期待はしないでほしいんだけど」
「行く! 絶対行く! ちょっと待ってて! 着替えてくる!」
「え、もう着替えてない?」
「もっとかわいい服にする! うち上がってよ! 中で待ってて!」
笑顔で走り去っていく桜楽。今までで1番楽しそうな姿をしていた。プレゼントを喜んでもらえたなら、良かった。
「……もう十分可愛すぎるんだが」
この時、俺の感情に変化が起きた。それに気づくのはもう少し後だけど。
あの笑顔をまた見たい。何度でも、何度でも見たい。離れたくない。
一生一緒にいたいと、思うようになった。
────
そして卒業式、俺は桜楽から■■■■■。
おっと、長話はここで一旦打ち止めかな。




