蛇天愚隷羅⑨
「やっぱり人の金で食う飯は格別ですな〜」
「何おっさんみたいなこと言ってんだこの美少女は」
暗闇でも美の威厳がまるで損なわれない桜楽は、満足そうな表情で膨れた腹をポンポンと叩く。かくいう俺も腹を満たした幸福に浸っていた。
別にいいと言ったのだが、「受け取らないと川に飛び込むぞ!」とよくわからない脅しをしてきたので、仕方なく柳田から数千円を受け取った。抗争勝利記念の謝礼金として、俺たちは街で高いラーメンを食った。
「改めてお疲れ様。桜楽が1番の功労者だ」
「むふふふふ。私の快進撃はこんなもんじゃ終わらないぞ〜。一番星である天方桜楽ちゃんが、このままこの街のヒーローとなって見せようではないか!」
『独』&『尊』の連合軍との抗争は、『唯』の完全勝利で幕引きした。それぞれの首領、山上蓮司と島崎寛二の霰もない姿は蛇天愚隷羅全体に行き渡った。俺が写真を撮って柳田に拡散するように頼んだのだ。抗争の勝利の上での派閥トップ同時敗北の知らせは、まさに良い意味での火に油だった。
伝達がそれはそれは早い早い。『独』と『尊』は事実上の内部崩壊。トップたちの側にいて甘い汁を啜っていた奴らは頭取の二の舞を恐れて離散。悪事を知らずに純粋に彼らの下に就いていた者は失望し脱退。弱みを握られたりで仕方なく従っていた者たちは、解放されたか柳田が『唯』に引き入れたらしい。
『唯』の戦力は増強し、溝に溜まっていた汚れは少しではあるが払拭された。残す勢力は『我』のみとなった。
「このまま行けば、私たちにヒーローネームが付くかもしれん!」
「『唯』の間じゃ『黒い悪魔』と『黒い幽霊』で広まってるけど」
「んーもっとなんかさあ、カタカナで作れない?」
「『黒い幽霊』とか?」
「なんか子どもっぽい。黒い騎士とか、残虐な守護者みたいなやつがほしい!」
「俺たちが使ったらより子どもっぽく聞こえる」
「えーなんで? かっこいいじゃん」
自分が付けたい名前の候補を挙げまくる桜楽。やけに上機嫌だ。日々のフラストレーションが解放されているからだろうか。家が由緒正しき道場を経営しているのに、桜楽はなんというか自由奔放だ。それが家族公認なのだから、口出しはしないが。むしろ接しやすい。
桜が開花するような綺麗な笑みを作り、楽しそうにはしゃぐ彼女が1番彼女らしく見える。哀愁漂う姿なんて似合わないと、俺は見たからはっきりわかる。だからだろうか?
「春喜、大丈夫?」
「え?」
明るさが特徴的な桜楽は、寂しさに敏感だ。顔に出さないようにしていた気分の悪さが、桜楽には気づかれた。
「大丈夫って、何が?」
「いや、暗い顔してたから」
「いつも通りでしょ」
「いつもの目線の角度から4度下だった」
「え、怖っ」
「てのは冗談で」
冗談にしては真剣そうだったけど。
「抗争終わってから、なんか元気ないなーって、思った」
「クソ野郎ばっか見続けたら気も滅入るって」
嘘ではない。鬱映画を観た後の感覚に近い。柳田のような善人と出会ってなければ、またあの街に行くのかと、夜眠るのが億劫になっていた。まあ暗い顔をしているのは、それだけが原因ではないのだが。
「それはわかるけど……なんかさあ……こう……ええっと……」
「何か言いづらそうだ」
鈍感な俺でも少しは桜楽の表情の意図を読み取れる。俺には言いたくないことが喉に詰まっているみたいだ。
「言ってみてくれ。不安を解消するのは声に出すのが1番だ」
「……あのね、時々春喜の顔が……その……前の春喜に見える」
「ああ……」
そういうことか。桜楽は俺のことを気遣ってくれていたのか。
【約束だよ。未来に目を向けよう。私も……一緒にいるからさ】
過去を振り向かない。前に進もう。そう約束した。だから、過去のことはできるだけ話の中に入れないようにしてくれていた。隣にいる少女は、本当に心底優しい奴だと尊敬する。
俺は自分の顔をペシペシと軽く叩く。
「悪い、そんな沈んでたつもりじゃなかったんだけど。心配かけてごめん」
「いや、私は」
「隠しても仕方ないか。蓮司と寛二を相手にしてる時……すごく嫌な気分だったんだよ。小学校の頃思い出して、自分が見えなくなって……頭の中が憎悪で満ちてた」
醜悪が視界に映ってしまう。上履きを捨てる屑、机に落書きをする屑、引き出しに土やら虫やらを詰め込む屑、黒板に悪口を書き記す屑、俺を人殺しと呼ぶ屑。あいつらと姿が重なって見えて、俺は全てを壊したくなった。
「言葉が、出てきそうになるんだ。なんで……こんな奴らが生きて──」
「ごめんなさい」
「え?」
ぎゅっと、自分の右手が桜楽の手に包まれた。夜の気温は中々に寒かったが、桜楽の手はなぜか暖かかった。謎の謝罪は幼児のように切なく聞こえて、涙を抑えて震えているようだった。
「え、ちょ、何?」
「ごめん春喜。私、そんなつもりじゃなかった。本当だよ!」
「だから、何が?」
「昔を思い出させるつもりなんてなかったの。そんな風に思ってたなんて知らなかった。私、馬鹿だった」
「いやいやいや、これは俺が勝手に思ってるだけだから! 桜楽は何も悪くないって」
「……私ね、街のヒーローになりたいとか、ふざけて春喜を誘ったけど、それだけじゃないの。もちろん人助けだって気持ちもあるけど……それ以上に────」
「春喜と一緒に……青春ぽいことやってみたかったから」
呆気に取られた。青春? 今ここで? 予想以上の予想外の言葉に理解が追いつかない。しかし、桜楽の照れているような頬の赤みは、それが誤魔化しの嘘などではないと確信させた。その時には、もうさっきまでの暗い雰囲気はクリアになって、
「……ふ、ははははっ! あっは、はっはははははははははっ!」
笑いが止まらなくなっていた。
「え、ええ!? 今笑う流れだった!?」
「だって桜楽、暴走族に喧嘩を売るのが青春って、ははははははははっ! 一昔前のヤンキーじゃん」
「一緒とは心外だなあ!? こちとら未来に生きる子どもたちを助けるヒーロー! 言わば慈善事業だから!?」
「良く言い過ぎだろ」
あーおかしい。にやけ顔が元に戻らない。これだから、桜楽といると面白い。暗闇を照らしてくれる光だった。
青春なんて、桜楽と過ごした全てが青春と言える。映画も、動物園も、水族館も、クリスマスも、初詣も、全てが空色の思い出。既に桜楽からは、たくさんの物をもらっていた。
「ありがと。もう平気だ。こんな気分てのは、トラスフォーマーでも見ればすぐに忘れるさ」
「ダークサイドムーンだね」
「俺はリベンジが1番好きなんだけど。まあともかく、ここで終わるなんてしない。残りの派閥『我』もぶっ飛ばして、2人で祝杯あげようぜ」
俺から不快な寂しさがさっぱり消えたのを確認できたからか、桜楽はいつも通りの桜楽に戻っていた。
「うん! じゃあ景気付けにこれから映画1本観ようか!」
「流石にもう遅いって」
はしゃぐ桜楽に苦笑していると、まだ手を繋いでいた状態だとわかった。なんだか気恥ずかしくなってきたので解こうとすると、さらに強い力で握られた。鼻歌を歌いながらステップを踏む彼女は本当に楽しそうだった。
もう少しこのままでと、幻聴が聞こえたような気がした。
────
『唯」が抗争に勝利してから3日間が経った。少し期間を空けすぎたかと思ったが、ここ最近は蛇天愚隷羅のことで頭がいっぱいになっていたので休息が欲しかった。抗争の日なんて学校をズル休みしてまで行ったんだ。少しの間くらい柳田率いる『唯』に治安維持を任せていないと、俺らがいなくなった後に使い物にならないなんて事態が起きてしまうかもしれない。
柳田とは連絡先を交換しているし、何かあれば駆け付けられる。とはいえそろそろ再開しようと考えていた。まずは柳田から現状の『我』の同行を聞いて──
「おっと」
玄関を出て学校に登校しようと歩き始めた時、家のポストに眼が行った。家を出る時または家に帰って来た時、ポストの存在にふと気づくことがある。毎日気づいて中身を見ればいいだけの話なのだが、これがどうしてか眼が行かないのだ。でも今日は気づけた。なぜか?
封筒がポストからはみ出ていたからだ。
「取っておくか」
俺が取らなくても後で母さんが取るだろうが、せっかくなので中を確認することにした。まだ遅刻をする時間ではない。ポストを確認すると、はみ出ていた封筒だけがあった。
「これだけか」
なんだか妙な雰囲気があった。わざとはみ出ていたような、そんな違和感がありながらも、空いていた封筒の中身を確認した。蛇腹に折れていた紙が1枚──
「…………………………………………」
……………………
「おはよー春喜! えへへ、また来ちゃった」
……………………
「いやー今日も寒いねー。また手ぇ繋いじゃう? なんてねーあはは」
……………………
「ええ……春喜さーん。もしもーし。反応が無いと私困るよー!」
……………………
「どうしたの? てか何その手紙? もしかして! 春喜にも私みたいにラブレターがぁ…………え?」
ようやく桜楽の存在に気づいた時は、手紙に書いてある言葉の意味を理解した後だった。
【決着つけようぜ、悪魔。いや、人殺し。 嵐山凌牙】
全身が凍り付いた気分だった。
────
「柳田先輩」
手紙を確認してすぐに学校に行くのをやめた。そしてその直後に柳田から連絡が来た。『『我』の首領の嵐山凌牙から伝言を預かった。今すぐ会って話がしたい』
柳田と会う約束をして集合場所まで来た。その際桜楽も付いてきて、俺に何やら色々訊いていたらしいが、俺の耳には何も入らなかった。柳田が路地裏の入り口に立っていて、その顔は困惑で満ちていたが、どうでも良かった。
「おお、来たか。まさかあんなに返信が早いとは思わなかったぜ」
「伝言は?」
「急に呼んで悪い。メールでも良かったんだが、これは実際に会って話が──」
「伝言はって言ってんだよ!」
さっさと話さない柳田に苛立ち、胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
「ぐぁ……ま、待った……」
「ちょっと! 落ち着いて!」
桜楽が俺の腕を掴んで、ようやく自制心が働いた。醜悪に染まった視界が少しばかり晴れたおかげで、冷静さを取り戻せた。
「すみません……我を失ってました」
「ごほっ、いや、いい。なんか切羽詰まってるみたいだな。まあ訊かねえけどよ」
「それで……伝言は?」
「少し前に、嵐山凌牙が俺の前に来たんだよ。1人で。『唯』の頭の俺をぶっ飛ばす気で待ち伏せしたと思ってたんだがよ、一言言ってすぐどっか行っちまった」
「なんと?」
「えっと……お前が飼ってる『悪魔』を連れてこい。場所は──」
全て聞き終えた今でも実感が湧かなかった。しかし、これは紛れもない現実。最初はまさかと思っていたのに、実際に立ち向かうとなると怖くなった。嵐山凌牙。
あいつは──汚点だ。
「ありがとうございます。じゃあ俺はこれで」
「ま、待てよ! 嵐山がお前を指名したってことは、つまりそういうことだろ? 強さはもう疑ってねえけどよ、嵐山相手に2人は流石に無茶だ! あいつの背後にはやべえ連中がうろついてるって話が山ほどある。律儀に行く必要はない。『唯』の奴ら集めてそれから」
「多分大丈夫ですよ」
「は?」
「嵐山が喧嘩する時はいつも真っ向勝負だった。屑ですが自分の力に絶対の自信があるからできることです」
「え……待ってくれ。だった? それってもしかして」
「ご心配なく。もしこれで俺が勝てば、柳田先輩は晴れてトップです。先輩は玉座に座る覚悟でも作っておいてください。それにこれは…………俺が1人で行かなきゃ駄目なんです」
それだけ言って、柳田に背を向けた。
────
「桜楽、帰ってくれ」
「嫌だ」
早足で進む俺の服のすそを掴んでどこまで付いてくる桜楽。いつもは俺の周囲で笑顔を咲かせている彼女だが、今はそんな華やかな表情ではないと、仮面を被った状態でもその内側を想像できる。
「学校行ってこい。今ならまだ1限すっ飛ばしただけで済む」
「春喜が行くなら行く」
「俺は無理だ。やらなきゃならないことがある」
「なら私も一緒に行く」
「なんで?」
「一緒に行きたいから」
梃子でも動きそうにない。漫画なら主人公が力ずくで、お前は来るなと止めるんだろうが、桜楽相手にそれは通用しない。だから強気な言葉で伝えるしかなかった。
「このあと多分……俺は俺じゃなくなる。以前の俺に戻ると思う。桜楽にそんな姿を見せたくない」
「泣きじゃくる姿見せて今更何を怖がるの?」
「あるんだよ。親友には見せたくない」
「全部見せてよ」
きつく当たる俺の態度をよそに、桜楽の言葉は優しかった。
「嵐山が春喜にとってどんな人なのかは大体察しがついてる。春喜が何をしたいのかはわからないけど……私には全部見せてよ。春喜の全部を知りたい。何が起こっても、私は絶対離れないから」
「……全部って大雑把だな」
「例えば春喜の部屋の棚の裏に隠してあるえっちな本とか」
「おいなんでそれ知ってたんだ!?」
思わず歩みを止めてしまった。桜楽が俺の緊張の糸をほぐしてくれたおかげで、もう突き放そうなんて考えが馬鹿らしく思えてきた。何より、『絶対に離れない』という桜楽の太鼓判が、俺はとてつもなく嬉しかった。
「全く……もう好きにしてくれ」
「うん、そうする」
この親愛なる隣人は、どこまでも俺の親友でいてくれる。
────
奴が指定してきたのは、鉄道の高架下だった。人の喧騒は目的地に近づくにつれ気配を消していく。そよ風程度に吹いていた風もなぜかピタリと止んだ。電車がガタンゴトンと真上で通過する音を嫌でも耳に入れてしまうが、それが過ぎ去った時、俺は1人の男を静寂の景色の中に映した。
筋骨隆々の偉丈夫だった。坊主頭の至る所に痛々しい傷跡が存在し、どうしようもなく瞳の中にその情報が1番に入ってきてしまう。ゴリラ並みの剛腕は土管でも握り潰せるんじゃないかと思うくらい迫力があり、以前にも増して成長していた。
「来たぞ、嵐山」
俺が呼びかけると、嵐山は不敵な笑みを作った。
「よお。待ってたぜ、人殺し」




