蛇天愚隷羅⑧
「始まったみたいだな」
スマホ画面をスクロールしながら男は呟く。気怠そうな瞳をした均一なうねりがある天パが特徴的な男だ。彼は机の上にあるコーラを美味そうに飲み干すと、「どのくらいで終わるか賭けようぜ?」とソファに腰掛けるもう1人の人物に声をかける。
「丁度2分は経ったか。俺は20分に1万円」
「じゃあ自分は10分に5万円」
群青色髪のオールバック。落ち着きのある態度から品行方正な印象が伺えるかもしれないが、首にある死神のタトゥーが彼の印象をがらっと変えてしまう。彼も同じく既に手中にあったメロンジュースをぐいって喉に流し込んだ。
蛇天愚隷羅の派閥抗争──『唯』vs『独』&『尊』の連合軍の決戦が始まった直後。
『独』の頭取──山上蓮司。
『尊』の頭取──島崎寛二。
代表格である彼らは、島崎が住むマンションの一室で自堕落に時を過ごしていた。
「10分? んな早くはねえだろ。『唯』は正義ヅラしたカス野郎共の集まりだけどよお、腕が立つ奴はまあまあいるからな」
「あっちは約50人。自分とあなたの戦力は合わせて総勢200人。戦いは質ではなく量です。10分もあれば圧死させられる」
「おぉ、優しいツラして言うねえ。やっぱお前と組んで正解だったぜ」
「自分もです。おかげで事が早く済みそうだ」
本来、蛇天愚隷羅の四大勢力は一触即発の状態だった。街で顔を合わせれば言葉よりも先に手が出る。特に『我』はその傾向が激しかった。だから手を組むなんてありえないと誰もが思い込んでいた。しかしある時、山上蓮司は島崎寛二に近づいて提案をした。手を組まないか、と。
「お前と組んでから金の羽振りが良くてよお、マジ助かってるわ。兵隊の貸し借りも簡単にできる。助け合いの精神ってやつだな」
「あなたはやり過ぎてると思うけどね。自分の兵隊に上納金を科すのはやめてほしいんだけど」
「堅苦しいことを言うなよ。それにそっちだって俺のこと言えねえよな? 前に俺の部下に窃盗の罪着せたことあったしよお。身代わり作って警察の目をかいくぐる外道。クソ野郎だなテメェは」
「そっくりそのままお返しするよ」
笑い合う両者。彼らが手を組んだのはただ互いにメリットがあるから。決して友好的な関係とは言い難かった。それでも今だけは、既に確定されている勝利の美酒に互いに酔いしれる。
「『唯』の馬鹿共のツラ見れば良かったぜ。俺らが結託してるなんて夢にも思わないんだろうな」
「今度ドローンでも買ってカメラを付けますか。金はあるでしょ?」
「また下の奴らに盗ませりゃいいだろ。あー今頃どうなってっかなー」
彼らは抗争の結果をスマホから待つのみ。自分たちは手を下さず、安全圏で袋菓子をつまむ傍観者。モンハンでもやるかとくだらない会話にかまけていたから、ガチャッと、玄関の開錠音に気づくことができなかった。
暴力から離れた場所にいるからと言って、暴力が出向いてこないとは限らない。
「おじゃましまーす」
挨拶でようやく気付くことができた。だらけきっていた2人だが、流石の展開に目を丸くした。
「おい……誰か呼んだかよ」
「いえ、誰も」
「おー外観からして綺麗だなって思ってたけど、良いマンション住んでるね~」
リビングに来訪してきた人物に全く心当たりがなかった。脳内にある人物リストと照合しようにも、変な仮面をつけているせいで顔がわからなかった。2本の角が生えた禍々しい仮面。まるで悪魔のよう。
「山上蓮司に島崎寛二。よし、ちゃんといるね」
不審者──士道春喜は蛇天愚隷羅の頭取2名とまさかの邂逅を果たした。言うまでもなく、春喜は友達の部屋番号と間違えて、などの経緯でここに現れたのではない。春喜はちゃんと鍵を開けて入ってきた。
「誰だお前? てかなんで入ってこれた?」
「なんでって、鍵開けただけだよ」
「なんで鍵を持ってるか訊いたんだよ!」
「くれた」
「誰が?」
「蓮司の明日香からだよ」
数週間前、春喜と桜楽は恐喝をしていた3人の『独』を滅多打ちにして倒した。そのうち1人の女子は山上蓮司の自称女、丸山明日香だった。もちろん出会いは偶然。だがそれは神が生んだ好機だった。
春喜と桜楽は明日香を尋問した。そして2つの勢力『独』と『尊』が秘密裏に同盟を組んだことを知る。そして近々『唯』に宣戦布告をしようとしていることも。これを絶望とは捉えず、春喜はチャンスだと悟った。
「出会う機会があってさ。あんたらの情報を洗いざらい喋ってくれた。『唯』の頭領さんとは最近友達になったんで、連合軍のことはあらかじめ伝えておいた。2人はよくここで密談してるって話も聞いて、親切にお願いしたら、あっさりとここの鍵を渡してくれたよ。優しい彼女さんを持って幸せだね」
「クソッ、あのクソ女に渡すんじゃなかった!」
明日香もこの部屋にたまに出入りしていたため鍵を蓮司から受け取っていた。まさに好都合も好都合だった。
「でも愛されてはなかったみたいだ」
「それで、彼の質問の1つ目にはまだ答えていないよね? 誰なんだお前は?」
寛二は冷静に質問をぶつける。
「あんたらクソ共の不測事態さ。誰かと手を組むのが自分たちの手段だけだと思ってた?」
「なるほど。『唯』に肩入れしてるお間抜けさんってことか。組む相手を間違えたね」
「ばっちりさ。あんたらと手を組んでも蛇天愚隷羅の腐敗政治は終わらない。破滅させるなら善良な議員とだ」
「じゃあなんでお前はここにいるんだ? 『唯』に加勢した方が今は最善なんじゃないの?」
「そのつもりだった。でも意味ないだろ、頭がいないチームとの抗争に勝っても」
春喜が『唯』と別行動を取ることを決めたのは、まさにそれが理由だった。
「柳田から聞いたよ。山上蓮司と島崎寛二は『他人任せ』だって。持ってる金は殆ど他人が稼いだ金。この部屋にある高価な物はその金で買った物か盗ませた物ばかり。自分の手を汚さない、表面だけ綺麗に見えて中身は埃塗れ。まさかチームの存亡がかかった戦いにまで足を運ばないなんてまさかと思ったけど……がっかりだ。喧嘩もできない腰抜けコンビが」
春喜は思っていた。いくら腐りきったチームでも、それぞれテッペンに君臨している事実は確か。それなりの実力は認めてたはずなのに、蓋を開けて見れば醜悪極まりない。
また憎悪が膨らんだ。
「何もわかってねえな。本当に賢い奴は手なんてくださねえんだよ。勝手に幻滅すのはそっちの勝手だがよ」
「だからわざわざ俺が出向いて、その根性叩き直しに来たんだよ」
「ぷっあはははははははは! すごいな、まるで漫画の主人公みたいだ。でもそれは悪手だよ。つまりここには『唯』が勝つことを信じて来たわけだ。それ本気?」
「じゃないとここに来ない」
春喜には確固たる自信がある。しかし2人の頭取は、それを慢心と捉らえ嘲笑した。
「がっかりだぜ。盤面も見抜けないエセ策士かよ」
「まさか知らないわけないよね? 『唯』の構成員は約50人、こっちの連合軍は総勢200人。4倍の数の利をどう覆すつもり?」
「『唯』にはずば抜けた猛者はいない。根性だけで乗り切っても100人が関の山。今頃はもう20人程度しか生き残ってねえんじゃねえの?」
勝利の確信に揺らぎはなかった。『唯』はこの戦に負ける。謎の来訪者に最初はビビッていた彼らだが、もう既に怯えは消えていた。
「それとも何か? 東リベのマイキーみたいな規格外な奴でも連れてきたか? あんなのは所詮漫画でしか──」
ブーブー。
「あ?」
「言ってる側から来た」
スマホが震えた。蓮司と寛二は互いに自分のを確認するが違う。その間に春喜は自分のスマホを手に持っており、かかってきた電話をスピーカーにした。
「もしもし」
『はいはーい! は…………危ない危ない』
電話の少女は危うく春喜の名前を口に出しそうになった。
『へーい愛しの相棒! 片付け報告にまいりました!』
「早かったな。まだ5分しか経ってないぞ」
『3分でもいけたね』
「頼もしい。じゃあカメラで見せてくれ」
『はーい。ちょいお待ちを』
会話は一瞬途切れる。
「おい、誰だそいつ」
「終わったら連絡してって、うちの最高の相棒に言っておいたんだ」
「終わったら……?」
「ご自分の目でどうぞ」
春喜はスマホの画面を2人に見せた。そこに映っているのは、衝撃的な物だった。
何十人もの人間がコンクリートの上で倒れ伏している。気絶しているのであろう。そしてハイタッチを交わす人間、倒れた仲間に手を差し伸べている人間の姿が映し出された。『ご覧くださーい。見事なまでの絶景でありまーす』。桜楽の解説を耳にしながら、仮面の内側で笑う。頭取の2人はわけがわからない状態で固まっていた。
「な……なんだこれ?」
「冗談でしょ。こんなのフェイク動画に決まって」
『おい! 相棒のもう片方、聞こえてるか! いるんだろ!』
すると少女以外の声が画面の中から聞こえたと思ったら、映像の中に柳田義一が現れた。
「柳田……!?」
「お疲れ様です。一応確認なんですが、地面に寝てる人たちは誰ですか?」
『連合軍の奴らだよ! 正直最初は数の多さに尻込みしちまったけどよ、お前の相棒がすげえのなんの! マジで150、いや、それ以上の数を1人でやりやがった! もう化け物だぜ!』
『誰が化け物だコラぁ!』
『うげっ!』
柳田がドロップキックをされた。一仕事終えたはずなのに元気が有り余っているようだ。
『と、いうわけで、こちらは完全勝利をしました。そっちも頑張ってねー』
「了解1番星」
通話はここで切れた。蓮司と寛二の表情には余裕がなくなっており、春喜は沈黙を壊すように両掌を打ち付けた。
「はい、これでおたくらの部下たちは全滅しました。後はこれで俺があんたらをぶちのめせば、連合軍は解体される。ついでにあんたらの悪事も公表してやる。知らないで仕えてる人もいるみたいだし。信用を無くして詰みだ」
「……はあ。全く」
「使えない雑魚ですね」
沈黙を破った一言目がこれだった。驚愕こそしたがそこから表れたのは落胆の感情。部下を思いやるフリすら見せない。まるで壊れたおもちゃに興味を失った目をしていた。
「たくっ。何負けてんだよクソが」
「あの謎の仮面の子、女でしたね。どうして『独』には役立たずしかいないんですか? 部下の教育くらい行き届いておいてくれないと」
「そりゃこっちのセリフだ。雑魚ばっか連れて来るんじゃねえよ。あー気分悪い」
「……それだけか?」
「何がです?」
「戦った部下に対しての労いはそれだけか?」
「あー……そうだなあ」
言葉を投げかけるが、既に彼の中に希望は残されていなかった。考えればわかることだ。こんな所に鎮座して傍観に徹している奴らの思惑なんて、想像するまでもない。
「ざけんなカスかな」
また憎悪が膨らむ。
「あーもういいや。テメェぶっ飛ばして憂さ晴らししてやる」
「その後で今後の方針を考えますか。奴隷なんてまたいくらでも作れる」
「……」
蓮司は戸棚の隅に隠してあったバールを手に持ち、寛二は服の袖に仕込ませていたナイフを取り出す。バールをなんで家に中に持ち込んでいるのかなんて疑問は湧きもしなかった。
春喜は憎悪ではち切れそうだった。こんな奴らに誰かの明日が阻害されていることに腹が立った。関わろうともしてないのに、投げる方向を確認もせずに石を投げるこいつらが憎たらしい。
よくないとわかっていながらも、衝動を抑えられない。また脳裏に過ぎる過去。前よりは大分改善したはずなのに、感情的な暴力に身を任せてしまいそうになる。それも全部、目の前にいる屑どものせい。あの言葉が吐き出そうになる。それを抑えるために、意味のない質問をした。
「今の自分は楽しいか?」
本当に意味のない質問だ。答えなんてわかりきっている────
「最高」
「人を見下すのは1番の楽しみです」
街の汚点も頷ける。トップがこれでは腐敗が蔓延するのは当然。憎悪の菌は無限に繁殖する。言葉が吐き出そうになる。
「だからさあ」
出ていくな。
「俺らの楽しみを」
出ていくな。
「奪うテメェは」
出ていくな。
「死ねや!」
どうしてこんな奴らが生きて────
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああっ!!!!」
言葉が完成される直前、無遠慮に憎悪を怨嗟の咆哮として撒き散らし、言葉をかき消した。体は直感的に動き、脳天に振り下ろされたバールを素手で受け止め、空いている右手で山上蓮司の顔面を加減なく殴った。
「ぶえっ!」
発砲スチロールのように軽々と吹き飛ぶ。窓に激突した衝撃でひび割れる。刹那の沈黙が訪れ、危機を感じ取った寛二はナイフを強く握りしめた。
「ふぅ……ふぅ……」
「こいつっ!」
寛二は人を脅す時にこのナイフをよく使っていた。実際に肉を抉ることもあった。しかし今は初撃が躱され、人を傷つけてきた刃は簡単に振り払われた。
「う……らぁああ!」
憎悪が込められた拳を寛二の顔面にも喰らわせ、高そうな服を両手で掴み上げ奥にあるテレビに向けて投げ飛ばした。ガコンバコンと、どういう擬音で表せばいいのかわからない崩壊音がした。
「ぐぁ……なんて馬鹿力……!」
「この野郎おおおおおおおおおお!!」
鼻が折れ不細工になった蓮司が起き上がった。バールを狭い室内で春喜に投げつけるがそれを容易く避ける。だが頭に血が上り冷静さを失った春喜は一瞬の隙をつかれ、強靭なキックをへそに喰らう。
「うぶっ」
「調子に乗りやがって!」
蓮司は仮面を乱暴に掴みそれを剥がそうとする。
「そのツラ晒してバーナーで焼いてやる!」
「うううううううううううううううっ!?」
悶えながら耐えているといつの間にかキッチンにいた。蓮司を引き剥がそうとするが中々にしぶとい。前後左右に揺らされて片腕で周囲をまさぐっていると、食器棚に手が置かれた。手を伸ばし、最初に掴んだ小皿を至近距離で蓮司にぶつけた。
「がっ」
「ううう、らあああああああああ!!」
一心不乱だった。不細工になった顔に再度拳を打ち込み、膝で何度も腹を蹴り、硬い仮面で猛烈な頭突きも入れた。明石光彦の決闘とはかけ離れた乱雑な暴力。最早それは鎖から解き放たれた獣だった。
「うわあああああああああああああ!!」
暴走した力は蓮司の体躯を持ち上げ、天井に勢いよく激突し落下した。山上蓮司は、それから起き上がることはなかった。
「はあ……はあ……はあ……暑い……」
「ば、化け物……っ!」
復活した寛二は逃亡しようとする。実力差がはっきりした今、最後まで戦うなんてプライドはありはしない。何より寛二は感じ取っていた。
このままだと殺される。
だが逃亡は憚れる。謎の飛来物が額に命中し足元が鈍り、その間に追い付いた春喜が髪を引っ張り部屋へと引き戻した。憎悪に呑まれた最中でも、ビー玉の投擲技術に衰えはなかった。
「ああ……クソッ……」
「逃げるなよ」
ザリザリと床を何かが擦る。春喜は蓮司が投げて放置されていたバールを手に持っていた。寛二の恐怖心は最高潮に達していた。
「ま、待った!」
「あ?」
「自分と手を組まない? き、君の強さには惚れ惚れしたよ! 自分と手を組めば 蛇天愚隷羅を支配できる! 『唯』はもちろん、『我』のバックにいるギャングまがいの連中だってねじ伏せられる! そしたら自分らは最強だ! 金だって、地位だって、女だって、なんでも手に入る! だからさ、な?」
「……そうか」
寛二が手を差し出す。その手は右手だった。春喜は寛二がナイフを持っていた手はどっちだったか思い出そうとした。
「なあ……あんた利き手どっち?」
「え? み、右手だけど?」
「じゃあ右手いらないな」
バールを振り下ろした。厭悪の鉄槌は、前に出した寛二の右手を破壊した。
「いっでえ──」
痛みの絶叫は続かなかった。さらにバールで薙いだ一撃が寛二の頬を殴り、そのまま昏倒した。溢れ出た憎悪は、ようやく水槽の中に収まった。
「ふぅ…………疲れた」
バールを捨て、おぼつかない足取りで洗面台に足を運ぶ。当たり前だが、初めて来た場所なので探すのに苦労した。金属臭がする両手を洗い、仮面も外してバシャバシャと水をかけて洗顔する。その過程で自分の顔を見るのは自然だった。
「……はは」
やつれているように見えた。桜楽のおかげで制御されていると思っていたが、やはりまだ完璧には無理らしい。今も粗暴者を見ると憎悪に駆られてしまう。
「これじゃあ……到底ヒーローには……なれねえな」
作戦は完了したのに、気分は悪かった。




