蛇天愚隷羅④
「お客さん、カップルですか?」
朗らかな笑みを浮かべ、初老のカフェのマスターがカウンターの男女2人組に投げかける。他に客はいない。古臭いが、静かでレトロな雰囲気が粋なカフェだ。普段ここは年配や常連客しか来ない。だからマスターは来る人の顔と名前を憶えているので、今来店した2人組は初の来店客だとすぐにわかった。
「お、マスター良い目してるね~。ね、ね、お似合いカップルだって~」
「お似合いとは言ってない」
高校生か中学生だと思った。訊いたら答えてくれそうだと思ったが、プライバシーは守らねばと判断し、「私はお似合いだと思いますよ」と微笑むだけに止めた。少女の方は盛り上がり、少年の方は否定はするが年相応に頬を赤らめている。
マスターは少女の方に目をやる。中々に美人な人だった。きっと学校ではさぞ注目されているに違いない。自分が若い頃を思い返しても、ここまで華麗な同級生はいなかったなと心の中で頷く。そんな彼女の仕草や態度のどれを見ても、少年を好いているのは明らかだった。よくぞここまで惚れさせたなと、孫を褒めるような気持ちは心の中だけに収めた。
「いやーにしても良いお店ですね。私たち、ここのカフェの評判を聞いて、隣街から来たんですよ」
「そうなのですか?」
言葉を返したが、内心やっぱりなと確信した。少なくともこの街の住人ではないとマスターは既に見抜いていた。少年の方にも目をやると、はいと返事をしてくれた。
「それはそれは、ありがたい限りです。隣街まで評判が広がっているなんて話は聞いたことがありませんが。この街で話題に上がるのは、いつもあいつらですから」
「あいつらって……もしかして蛇天愚隷羅ですか?」
少年の言葉にマスターはつい仕事の手を休めてしまう。当然知っているかと疑問には思わなかった。この街に来るのならば、必ずその存在は1度は耳にしてもおかしくはない。
「はい。あいつらは悪い意味で話題なんです。嘆かわしいです。昔はあんなんじゃなかったんですけどね……」
「それどういう意味ですか? 昔は違ったんですか?」
どうやら2人はマスターの話に興味を持ったようだった。どうせ他にお客はいないし、別に隠すことではないので少しばかり語ることにした。
「蛇天愚隷羅は昔から存在してるチームなんです。お2人のような若い世代にはわからないと思いますが、昔はヤンキーやら暴走族がうじゃじゃいたっていう話は知っているでしょ? その時にできたのが蛇天愚隷羅なんですよ。街ではたちまち有名になって、街の中や外からテッペンを取ろうと蟻みたい同類が集まって来たんですよ。街を2歩3歩歩けば喧嘩に喧嘩。日常茶飯事だった。喧嘩と言うと悪いイメージがありますけど、蛇天愚隷羅は違う。それはそれは皆楽しそうに喧嘩しているんです。私も何度か見たことがあったんですが、正々堂々タイマンを張って、お互い血だらけになっても倒れない姿がとてもかっこよかった。誇りをかけた戦いっていうんですかね。街のみんなも盛り上がってたんですよ。本当にあの時の蛇天愚隷羅は、見てるとこっちが元気をもらえるくらい素晴らしかった……」
「でも、今は違うと?」
楽しそうに話していたマスターの顔は、苦々しい物に変わってしまった。
「はい。時間が過ぎるにつれて、蛇天愚隷羅は変わってしまった。今では誇りも何もあったもんじゃありません。ただの荒らし屋です。テッペンを取ることの根本は変わっていませんが、容赦がまるでありません。喧嘩をするにも無関係な人を巻き込むことにお構いはないし、店は壊すことの二次被害も全く配慮しない。集団で個を襲ったり、相手の大切な人を人質に取ったり、権威を振りかざして恐喝や窃盗も数えきれないほど起きています。これでは警察もお手上げ状態」
「野蛮ですね」
「そうです。野蛮なんです。これでは小さな犯罪組織と変わりはない。何か大きな転換事があったわけではありません。ただ時代が進むにつれ、誇りは水を足されたジュースのように薄まっていき、今じゃ見る影も無くなった。風の噂ですが、近隣の街にも暴力事件が起きてるとか。蛇天愚隷羅の仕業でしょう。周囲の方々にまで迷惑がかかってしまい、本当に申し訳ないです。なんとかしたいのですが、私も歳です。私にできることは何もない……悲しい限りです」
「なんでマスターが謝るの?」
少女が不思議そうに首を捻る。
「マスターはただ街に住んでるだけ。むしろ怖くて気軽に街も出歩けない被害者側じゃない?」
「いや……ただ申し訳なくて……」
「あなたが責任を感じる必要はありません。10km離れた所で強盗事件が起きても、自分のせいだなんて思わないでしょ? 悪いのは全部当事者の奴ら。つまり蛇天愚隷羅です」
少年は優しい目をしていた。彼がその蛇天愚隷羅の数人を撃退したなんて、マスターは夢にも思わないだろう。
「お話ありがとうございます。中々面白かった。ドラマとかで登場するデカい企業でも似たような事態があったような気がします。会社のリーダーだった父親がその息子にその座を託した途端に会社の経営方針が変わって、以前まであった思想は崩壊する。それを治すためには、一度全部失くすか……はたまた支えの人柱を置くか……今どっちかで悩んでいるんですよ」
「……?」
悩むとは一体何がなのか、マスターは少年に訊こうとしたが、少年はカウンターの席を立ってしまう。
「ところで、何か外が騒がしいですね」
「え?」
耳を澄ましてみると、確かに怒号やら悲鳴が微かに聞こえてくる。「ちょっとすみません」と2人に断りを入れ、窓から外を見てみた。
「なっ」
視界に映ったのは、集団の男たちが中学生くらいの女の子の腕を強引に引っ張っている光景だった。友人同士の悪ふざけには見えなかった。そして男たちの顔には少しだが見覚えがあった。蛇天愚隷羅の連中だ。前にも似たようなことをして警察に追われていた所を見ていた。こんな白昼堂々と彼らは卑劣な行為をする。誰も自分たちの邪魔はしないと思い込んでいるのだ。
蛇天愚隷羅は熱気の象徴から恐怖の象徴へと変貌した。そんな彼らに手を出せる勇猛果敢なヒーローはいない。現に彼らの悪道を止める者はいなかった。道に人がいなくなっている。本当にいないのか、建物の中や路地に隠れているかは店中ではわからなかった。このままではあの女の子は連れていかれ、彼らに何をされるかわからない。
自分では何もできないことはわかってる。しかし、見て見ぬフリをマスターはできなかった。
「すみませんお客さん。少し──」
少年少女の方に振り返ると、そこには化け物がいた。比喩ではない。ただ言葉の意味をまんまに受け取ると誤解を招いてしまう。彼らは仮面を被っていた。
少年が着けている仮面には2本の角が生えている。おどろおどろしいその造形を何かに例えると、『悪魔』が1番当てはまる。一方少女の方は、荒れた黒い肌に歯が剥き出し。夜に突然後ろから声をかけられ振り向いてこんな顔の奴がいたら、思わず飛び上がってしまうに違いない。例えるとしたら、『幽霊』が1番近い。
祭りの屋台で売っているお面よりかは質が良い『悪魔』と『幽霊』の仮面を彼らが被っている意図を、マスターは何一つ理解できなかった。
「はい……?」
「やばっ、結構見えにくいなこれ」
「ねー。もうちょっと高いの買えば良かったかな?」
「まあいいだろ。あ、すみませんねマスター。驚かせちゃって」
「い、いえ……でも急にどうしたんですか?」
今日は別にハロウィンでもなければ仮装イベントがあるわけでもなかった。
「ちょっとぶっ飛ばしに行ってきます」
「はい?」
「マスターはここにいてください。あ、食い逃げとかしないんで大丈夫ですよ」
「ちょっと行ってきまーす」
「ちょ、ちょっと!」
マスターの静止は無視して玄関のベルを鳴らす。2人は動じもせず未だに嫌がる女子の手を引っ張り続けている蛇天愚隷羅の方にずかずかと歩み寄る。彼らもようやく2人の姿に気づき、何やら言葉を吐いたと思ったら、少年は遠慮なく男1人の顔面をぶん殴った。
「っ!?」
そこからは勃発した。少女の方も華奢の両腕を存分に振るい始めた。最初の数秒は蛇天愚隷羅もしどろもどろになっていたが、やがて敵意を向ける2人にこちらも容赦なく暴力振るい始める。が、端的に言うと相手にならなかった。
まるで幼児と成人男性が喧嘩をしているよう。蛇天愚隷羅の攻撃は掠りもせず、その上『悪魔』と『幽霊』の一撃はもれなく全て当たる。顔に、腹に、足に、手加減無用の暴力が注ぎ込まれている。最早蹂躙の一言で済む景色だったが、見惚れるほどに圧巻だった。
アクション映画さながらの大立ち回り。その洗練された動作は、幾千の戦場を駆け巡ってきた兵士の如く。1分も経たずに蛇天愚隷羅は撃沈し、解放された女の子は頭を下げてどこかへ去っていった。
「ふぅ。街だから主力部隊でもいるかと思ったけど、そこら辺のチンピラと変わらないな」
「チンピラ以下じゃない?」
「お、お2人は……一体何者なんですか?」
カフェに帰ってきた彼らに唖然とするしかなかった。仮面を取ると優しげな笑みを浮かべた少年少女の顔がある。
「ただのお節介さんです。ところでマスター。蛇天愚隷羅の現状を詳しく知りたいので、もう少しだけ話を聞いてもいいですか?」




