蛇天愚隷羅③
「殴られたとこ痛む?」
「いや、大丈夫。ありがとう」
眞田守は恭しく礼を言った。ガラの悪い男連中はボコした。まあ後2人だったから10秒もかからなかった。そいつらから眞田を取り返し距離を離れ、道の先に自販機があったからとりあえずその隣で落ち着いた。「はいどうぞ」と桜楽が缶ジュースを自販機で買って渡した。
「いや、いいですよ。悪いです」
「遠慮しないで。ほらほら」
「あ、ありがとう」
半ば強引に桜楽に押し付けられた缶ジュースを、眞田は開けて喉に流し込んだ。
「ふぅ……2人ともありがとう。まさか、こんな夜遅くに『皇女』様と『護衛官』に会うとは思わなかったよ」
「普通に名前でいいよ」
「あ、ごめん。印象付いちゃって」
「私もまさかだよ。でも別に不思議じゃないか。同じ街だし」
「まあそれはいいとして、俺はさっきの経緯が気になるんだけど」
「あはは、そうだよね」
笑ってはいるが、それが無理をして作っていることくらい俺にもわかる。不良にシバかれている場面をクラスメイトに見られるなんて、そりゃ言いにくくもなるか。
「別に嫌だったら無理に訊かないし、誰にも言わない。ここはすぐに解散して、また明日学校で知らぬ顔で会うだけだ」
「あ、ありがとう。でも大丈夫。今日はレイトショーを観に行ってたんだ」
「え、もしかして同じ?」
訊けば、観に行った映画館、映画、時間帯も同じだった。
「なんだ、一緒に観てたのか」
「びっくりびっくり」
「俺も驚いてる。えっと、それで観終わった後、あの人たちに声をかけられたんだ。あの人たちも後ろの席で同じ作品を観てたらしくて」
「ふむふむ」
「一緒に語らないかって、歩きながら映画のこと話してたら、テンション上がって盛り上がっちゃって。で、その途中でお金を貸してくれって話に突然なって……怖くなって逃げ出して……その後は見た通り」
「災難だったね」
こいつなら金をむしり取れると思われたんだろう。良心を利用して弱者を嵌めようとする下劣な犯行。もうちょっとぶん殴れば良かったな。
「夜はああいうチンピラもいる。安易な誘いは乗らない方が良い」
「それだけじゃないんだ。あいつら……蛇天愚隷羅って言ってた」
「しゃん……ぐりら? 確か理想郷とかそんな意味の単語だっけ?」
「そうなんだけど、違うんだ。隣街にいる不良チームの名前だよ」
「チーム? この時代に?」
昭和かよ。
「うん。あいつら、会話の時に上納金が必要だからって言ってた。多分、チームの幹部みたいな奴らに納める的なことじゃないかな? だから僕からお金を取ろうとしたのかも」
「へー。でも隣街でしょ? なんでこっちまで来てんの?」
「それが最近……いや、前から蛇天愚隷羅の連中はこっちまで火の粉を飛ばしてた。僕さ、今日は友達と一緒に観に行く予定だったんだ。でも2週間前に友達が怪我をしたんだ……蛇天愚隷羅の連中に襲われて」
落胆が声にも表情にも出ているその姿は、ひどく悲しかった。
「足を骨折して、松葉杖がないと歩くのがしんどいんだ。治ったら一緒に行こうって言ってたんだけど、ほら、今日観たやつはそこまで知名度があるわけじゃないから、上映終了が早いでしょ? もう上映して時間が経ってるし、友達の怪我が治る頃にはもう終わっちゃってる。だから、お前だけでも観に行ってくれって言われた……あいつ今日楽しみにしてたのに」
他人から見れば些細な不幸だろう。さらに言えば、「所詮映画だろう」と笑い飛ばす輩もいるかもしれない。とどのつまり小さな不運。だが、
「どうせ少し経てば、サブスクとかで配信すると思う。でも、そんなに僕は映画は観なくて、久しぶりに2人で行こうってなってて……少しわくわくしてたんだ。映画は面白かったし、1人で観ても2人で観ても内容は変わらないんだけど……多分あいつと観た方が面白かったと思う。ほんと……残念だよ」
不運で生まれた喪失感は、平等に辛いものなのだ。
────
「どうでした?」
「収穫はあったよ」
桜楽から良い返事が聞けた。眞田と会ってから翌日、普段通りに学校に登校した。眞田とは教室で挨拶を交わしたが、昨日のことは話していない。お互いなかったことにしようと暗黙の誓いを立てている。しかし、眞田から聞いた蛇天愚隷羅の存在が帰ってからも気になって仕方がなかった。
そんな気配を察した桜楽は「任せんしゃい!」と意気込んで手を貸してくれた。桜楽は得意の社交性で学校中の人たちから情報をかき集める。桜楽も眞田の話しは気にかかっていたらしかった。昼休み、広い校庭の隅にある鉄棒の前で桜楽と合流した。
「内部情報はあまりなかったけど、被害情報はかなり聞いたよ」
「眞田みたいに?」
「うん。詳しい事情はまだ調べ途中だけど、なんか内乱みたいなのがあって、喧嘩沙汰がこっちの街にまで来てるんだって。そのせいで被害が多くなってる。去年卒業した仲の良い先輩がいた子に話を聞いたんだけどね、怪我のせいで卒業式とか修学旅行とか、卒業旅行にも行けなかった卒業生が何人かいたらしいの」
「マジか」
「中には目を付けられてずっと金を搾取させられてた人もいたなんて噂もあったって」
「ガラ悪りぃな……」
俺たちが知らない所で既に暴力は広まっていた。幸い人が死ぬような事態は起きていないようだが、理不尽な怪我を負って学校行事や旅行を邪魔されたことは、当時の人にとっては耐えがたい苦痛だったに違いない。卒業式も修学旅行も、一生に一度しか経験できない物。代替えなどありはしない。
「20年後とかになったらさ、同窓会とかで笑い話になるかもしれないけど……悲しかっただろうね。私だったら泣いちゃうかも」
「そうだな……」
ふと、自分が卒業式を終えた時の場面を想像した。クラス担任の話しやら色々終わった後、卒業した生徒は多分友達とか親しい先輩と一緒に写真を取ると思う。思い出を形として残すために。
俺は桜楽と一緒の写真に映りたい。まあ俺が言わなくても、「春喜ー! 一緒に撮ろー!」と桜楽は勝手に寄ってくると思うけど。校門の前で、制服のまま互いの家の前で、もしくは自撮りで、きっと何十枚も撮る。写真はもちろん形として残る大切な思い出ではあるけど、その行為そのものが1番楽しい思い出として記憶に残ると思う。
でも怪我なんてしたら、その場にいることもできなくなる。風邪や病気ならまだいい。自分の責任だ。でも理不尽な暴力によって大切な行事を奪われたら、たまったものではない。
「俺も泣くかも」
それから1つ考えてた。今日桜楽が手に入れた情報が、また起きたら? 現にクラスメイトの眞田は被害に遭った。俺らが知らないだけで、微小だけど暴力を振るわれた多数の事件が学内または学外でも起きていた、そして現在進行形で起きている可能性が高い。
俺はもう少し経ったら3年になる。そしたら修学旅行も控えている。蛇天愚隷羅の惨状がまだその頃までに続いたら、去年と同じように修学旅行に行けなくなる人間も出てくるのではないか? 本人は悲しむし、一緒に楽しもうと笑い合った友達も悲しむ。
小さな不幸がたくさん生まれる。
そんなことを考えていたら3日が経った。そして嫌なニュースが舞い込んだ。桜楽から、明石先輩が入院したと言われた。
「大丈夫ですか先輩?」
「おおっ! 士道春喜じゃないか!」
彼が入院してる病院を訪れると、相変わらず元気な声は顕在だった。しかし包帯が幾つも巻かれている体は、元気とは言い難い姿だった。
「はっはっはっ! わざわざすまない! まさか見舞いに来てくれるとは!」
「一度拳を交えた中ですから。あ、桜楽は道場なんでいないですよ」
「そうか……」
「あからさまに残念がると俺でも傷つきますよ」
「あっはははは! 冗談だ冗談!」
この人は病室ということを理解して大声を出しているのだろうか? でも少し安心した。学校じゃ重傷とか意識がないとか根拠のない噂が飛び交っていたから、この目で見る限りはとりあえず大丈夫そうだった。
「痛みます?」
「少しな」
「物騒な連中にやられたそうですね」
「集団で詰め寄ってきて、金をよこせの一点張りだ。運良く人が通りかからなかったら、俺は身ぐるみ剥がされてたな」
眞田を襲ってた奴らと目的は一緒の連中か。
「受験日まで治りそうなんですか?」
「見た目はこんなんだが、そこまで酷くはないんだ。3週間くらいはちと不便な生活になりそうだけど、それを言い訳に勉強は怠らないさ、ははっ!」
「なら良かった」
「でも心配は残るな。俺は運が良かったけど、去年や一昨年の部活の先輩方の中には、怪我で総体に出られなかった人もいる。前から君の言う、物騒な連中のことは耳にしていた。隣街には近づくなとか、そんな警告も聞いた。後もう少しで卒業する仲間たち、そして君たち後輩にその被害が行かないかが心配だ。もしかしたら、もう時既に遅いかもしれないが」
「先輩は誰かの心配する前に、まず自分の怪我を治した方がいいです」
「それは違いないな、はっはっはっはっ!」
先輩も俺と同じことを考えていた。笑ってはいるが、本気で顔も知らない生徒のことも案じているんだとわかる。少しうるさくはあるが、きっとバスケ部の中では慕われている人なのだろう。そんな善人でも理不尽な暴力には抗えない。優しい奴がいつも損をすると、どこかでそんな言葉を聞いたことがある。
「俺は小学の頃はヤンチャだったんだ。毎日毎日喧嘩をしていた。今じゃ優等生とか言われているけど、バスケを初めてなきゃ俺はまだ悪ガキのままだったかもしれない。でも悪い思い出ってわけじゃない。喧嘩した相手とはすぐに仲良くなってた。昨日の敵は今日の友ってやつか? 今でも仲の良い奴もいるよ。でも……今回の奴らは違う。野蛮の一言で言い表せる。楽しさも清々しさもない。君と拳を交えた時は、昔を思い出したかのように楽しかった。昔と言っても、ほんの数年前の話だが」
「……」
「おっと、変な話をしてすまない。つい思い出して。まあしかし、きっと君ならあの状況でも乗り越えられたんだろうな。やはり俺は弱い。桜楽さんの隣には難しいな。いや、そもそも力比べで君から桜楽さんを奪おうとしたのが傲慢だったか、はっはっはっ!」
明石先輩は最後まで笑って、「来てくれてありがとう」と言ってお別れした。
『元気そうなら良かった』
「一応ね」
夜、自分のベッドの上で寝転がりながらスマホを耳に当てている。電話中だ。相手は桜楽で、明石先輩の状況を話していた。
『にしても蛇天愚隷羅って連中やばいねー。良い迷惑だよ』
「だな。戦争の飛び火ってこんな感じなのか」
『規模が違うけどね』
「それはそうだ。うーん……どうしたもんかなぁ」
眞田の件がなければ、恐らく俺たちは蛇天愚隷羅の存在には気づかなかったと思う。しかし認識してしまった以上、大変だなと冷徹に無視できるほど氷メンタルではなかった。
『……ねえ、私らでなんとかしてみない?』
「え?」
『私たちでヘルズキッチンに殴り込みに行くんだよ』
「デアデビルは別に殴り込みに行ったんじゃないぞ」
『たとえだって。このままほっておくわけにはいかないでしょ。私たちは少し経てば修学旅行。私は、友達が怪我して行けなくなった子が旅行中にずーっと沈んだ目をしている姿を見たくないよ。蛇天愚隷羅を壊滅させれば全て丸く収まる』
「簡単に言うね」
『1人じゃできないことは2人で乗り越える。私たち最強だもん』
まだ相手の全貌もはっきりしてないのに、やる気満々だと言わんばかりの強い覇気を感じる。他の奴が口にしたなら鼻で笑った。でも桜楽なら完全に無理とは言い切れない。
『ねね、やろやろ? 私たちで街のヒーローになろう。スパイダーマンがニューヨークでヒーロー活動をしているように、ここから私たちのヒーロー活動が始まるのだ!』
「最初で最後になりそう。誰も感謝なんてくれないと思うぞ」
『いいよ。最後に私たち2人でお疲れってジュースで乾杯しようぜ』
「なんだそりゃ……………………でもいいね。面白そうだ」
映画のヒーローのような気高い使命はない。ただ迷子の子どもを迷子センターに案内するような、ちっぽけな行為。所詮自己満足で、ヒーロー活動なんてお世辞にも呼べない。それでも僅かな意味はある気がする。
『そうこなくっちゃ!』
「あれも同時並行で考えないと……」
『何か言った?』
「なんでもない。よし、いっちょやってやりますか」
『イエーイ! やるぞー!』
小さな意味を生むために、小さな不幸を踏み潰そうじゃないか。




