蛇天愚隷羅②
「お疲れ様です兄貴!」
「誰が兄貴じゃい」
桜楽が自販機で買ってくれた飲料水を受け取る。キャップを開けて勢いよくペットボトルの中の水を喉に流し込む。そこまで運動した後じゃないから、大して美味しいとは感じなかった。
「いやー圧勝だったね。わかってたけど」
「先輩大丈夫かな」
明石先輩と俺の桜楽を賭けた決闘は、俺の勝利で幕を閉じた。本気を出すとお祭り騒ぎだった場が洒落にならない空気になるから、荒々しさを極限まで排斥したスタイリッシュな戦闘スタイルで明石先輩を葬った。
血だって流れていない。最後のフライングニールキックはやり過ぎたと反省している。後で謝りに行こう。
「映画のワンシーンに使えそうなくらい白熱してたわ〜。動画撮っとけば良かった」
「観客の誰かなら撮ってるんじゃない?」
「その手があったか!?」
天然温泉でも堪能してきたかのような喜びに少女は満ちている。笑顔が似合う女の子だなと、飛び出そうだった言葉を水で流し込んだ。
「ま、お気に召したようで何よりだよ」
「苦しゅうない……ねえ春喜。私思ったんだけどさ」
「何?」
「春喜、友達作れるでしょ?」
馬鹿にしてるのかと思った。
「何かと思えば、どうせ俺はぼっち人間ですよ」
「いや、違くて! 今日見て改めて思ったんだよ。春喜は変わった。明るくなった。その証拠に今日の人だかりはすごかったし」
「ただの傍観と冷やかしでしょ」
「卑屈だな~。春喜だってわかってるでしょ? 悪意のない人たちだっているってこと」
心を見抜かれていた。桜楽の言う通り、学校にいる生徒はクソ野郎ばかりではないことをこの2年間で知った。今日の観客たちだって決して冷やかしだったわけじゃない。表情にも、言葉にも、何も悪意はなかった。ただ状況を面白おかしく楽しんでいただけ。
言葉だけだと誤解されるかもしれないが、要はお笑い芸人のライブを見ているのと同じだった。明石先輩だって晒し者にされているわけじゃなかった。倒れる直前、「桜楽さんは……お前に預ける」と最後の力を振り絞ってそんなことを吐いていた時には、彼にエールを送っていた生徒もいた。
悪ガキはいるけど、平和な学校だ。小学校に比べたら、俺は確かに学校に、人に馴染んでいると思う。
「春喜は作れるよ。たくさん友達」
「……」
桜楽は俺のことを心配してくれているんだろう。それはそうだ。あんなに泣きじゃくった奴を心配しない人間はいない。春喜は大丈夫、ちゃんとやれると、自信を与えてくれている。こんな親友を持てて、俺は幸せ者だ。
「クラスの男子に声をかければ、一緒に映画にだって──」
「ごめん、それちょっと違う」
「え?」
けど、桜楽の思っている考えと俺の考えとは、少し違うなと思った。
「ち、違う? 何が?」
「いや、友達というか、クラスの男子とはちょくちょく話すんだよ。映画の話もすることあった」
「へ、へえ……そうなんだ」
声の調子が落ちたことに、次の一声は無理矢理捻り出した物だということに俺は気づかなかった。
「よ、良かったじゃん! 私以外とも……話せてさ」
「うーん。でもさあ、話せるは話せるんだけど、なんつうかなあ……あんまり続かないんだよ」
「続かない?」
「面白いから話が始まって、そこからどの場面が良かったとか、あの登場人物が好きだとか、弾みはするんだけど……いまいち盛り上がりに欠けるんだよなあ」
「ふむふむ、それってさ〜」
桜楽が両手を後ろで組んで、スキップしながら俺の前までやって来て言う。
「私との会話が楽し過ぎるからじゃない?」
愛らしいにやけた笑顔を浮かべていた。
「もお~春喜ってば私のこと好きすぎじゃない? だから他の人と喋ってても物足りないんでしょ? そりゃあ私としては嬉しいけど、もっと周りとも──」
「そうだな」
「……え?」
にやけた面をしている桜楽の顔をじっと見つめていた。その際、俺のもやもやの正体を桜楽が解き明かしてくれた。
「桜楽だから楽しいのか」
「ふえ?」
「うん、そうだ。桜楽と話してる時が1番楽しい」
問題の解答は、シンプル過ぎて拍子抜けする物で、俺にとって最も重要なことだった。
「コミュ力低いってのもあるんだろうけど、桜楽は俺が欲しい言葉を言ってくれるんだよ。共感できる言葉って言うのか? それで会話が弾んで、しかも映画を観る時の熱量がほぼ同じだから、ずっと楽しい。後、俺でも気づかない映画の小ネタとか、映画の裏話とか、そういう興味を惹く話題が楽しい。クラスの奴らはシリーズ物の映画の話とかする時、3部作の1だけ観てそれ以降の映画は観てないとかあるんだよ。アイアンマンとかキャプテンとか観ずにアベンジャーズだけ観たって人もいるし。やっぱりそれだと会話が止まるんだよ。俺だけ熱弁しててもキモいだけだし。でも桜楽は全部わかってくれる。前にさ、俺がプレデター好きだって言ったら、1週間後にシリーズ全部観たって言ってくれた時、俺内心めちゃくちゃ嬉しかった。好きな物を最高レベルで共有できるって……すげー楽しい。だから桜楽と話す時が1番──」
「ちょちょちょ、ちょっとストーップ!!」
ぐわんぐわんと肩を前後に揺らされながら、喋りを強制的に停止させられた。桜楽は俺の胸に頭をごんごんとぶつけ始める。
「何してんの?」
「頭を冷やしてる!」
「なんで?」
「駄目だから……これ以上聞くと……幸福死する」
「は?」
なんで? てか幸福死って何?
「そうか……そうなんだ。これなら春喜に悪い虫が付く心配はないか……んっ、ふふふふ……1番……1番だってぇ……ふへへへへへへ」
「なんかわからんけど怖い」
小さい声が聞き取れなくて、耳に入ったのはふやけた笑い声だけだった。
「そっかそっか! そっかー!」
顔を上げた桜楽の顔は清々しく晴れ渡っていた。頬が少しだけ赤み帯びていたのは違和感があった。なんだか、時間が経ったからここまで小さくなったような、そんな感じがした。
「私は安心したよ」
「俺がぼっちなことに?」
「違うよ。私はすっごく、ものすっごく、安心したんだよ!」
真意はわからなかったが、桜楽は心底幸福に満ちているような表情だった。
────
「「3.8」」
同じ数字が2人の口から同時に吐き出される。俺たちは数学の問題を解いているのではない。こうして映画を観た後に、その映画の評価を1から5段階で言うのが恒例行事になっているだけなのだ。
「おー被ったね〜」
「こんな時もあるんだな」
冬休み明け初日の学校の日の放課後、と言っても大分時間は経っているけど。今日は前々から桜楽とレイトショーを観に行こうと約束していたので、いつもお世話になっている映画館に足を運んだ。上映が終了したから、帰路ついでに桜楽といつものように感想を語り合っている。
ちなみに観た映画は、去年の夏に放送した2クールアニメの完結編だ。
「いや、面白かったよ、うん。面白かった。ただまあ、映画である必要性はなかったって感じ」
「私もー。映画ならではのオリジナル展開は面白かったけど、普通にテレビでよくない? て思っちゃった。日常系アニメだからそんなの求めるの無粋だけどさ」
「なんかゆるキャンの映画見た時もそんなこと言ってた気がする」
「よく覚えてますね~」
こんな会話をずっと続けていた。やっぱり桜楽との会話は楽しかった。クラスの奴らや家族でも、ここまで話に夢中になれることはないと断言できる。他の誰でもない、桜楽だからこんなに楽しいんだと、改めて実感できた。
「そう言えば、今日早く来てたよね?」
映画の話題をすり抜け、桜楽が質問をしてきた。今日のレイトショーは一旦互いに自分の家に帰り、映画館があるショッピングモール前に集合という手筈だった。集合時間の30分前に桜楽は着いて、俺は別の用があってそのもっと前から着いていた。
「そうだな」
「なんで?」
「なんでって、別に普通だ。早く来ただけ」
「本当に?」
「なんでそんな疑う?」
「いやー待ち合わせ場所に来た春喜から、モール内にある化粧品やら服屋の独特の匂いがしたから」
「……」
なんでこんな所で妙に鋭いんだこいつは。実際その通り、俺はただ早く来ただけじゃない。ある探し物をしていた。
「気のせいでしょ」
「ほんとに〜? 先に中に入って何かしてたんじゃないの?」
「そうだとしても別に関係ないだろ」
「冷たーい! 教えろよ〜」
しつこく訊いてくる桜楽だが、こればっかりは教えるわけにはいかない。桜楽には知られては駄目なんだ。
「だから何も無いって」
「強情だなあ……ん? あれって……」
突然桜楽は右前にあった電柱に近づいて止まった。まるで電柱に隠れているかのようだった。
「どうした?」
「しーっ、ほらあれ」
「あれ……?」
人差し指を唇に当てている桜楽が顎で示す先にいたのは、息切れをして膝に手を付いている1人の男子だった。とりあえず俺も桜楽と同じように電柱に隠れた。
「あいつ……ああ、確かクラスの前の方にいた……金田だっけ?」
「眞田くんだよ。映画の話したんじゃないの?」
「男子全員とは言ってない。てかなんで隠れてんの?」
「いや、なんか様子がおかしいなと思って」
「おい、逃げてんじゃねえ!」
荒々しい怒鳴り声が夜風と共に流れる。一瞬眞田の声かと思ったが、そうではなかった。3人組のガラ悪い男たちが眞田に詰め寄り、石の壁に押し付けて乱雑に黒髪を掴んだ。
「おいコラ、逃げんなって言ってんじゃねえか。さっきまで楽しく話してたのに急に眼の色変えやがって」
「そ、それは、あなたたちが突然お金を要求してきたからでしょ! 一体何なんですか!」
「サービスだよサービス。1人で寂しく観てたお前の話し相手になってあげたじゃねえか。その感謝料くらい受け取ってもいいだろ?」
「ふざけないでください! そんなデタラメ通るわけ」
「ごちゃごちゃうるせんだよ!」
男たちの1人が眞田を殴った。さらに腹を蹴って、別の男がまた顔を殴った。その光景は、弱い者いじめと呼べるに相応しい物だった。
「こりゃあ……見てられないね」
「状況はさっぱりわからんけど、傍観できるほど屑じゃない」
「だね」
隠れるのをやめた。クラスメイトをサンドバックにしている奴らを視界に映すのは気分が悪かった。
「ちょっとお兄さん方」
「暴力反対だよー」
「あ?」
あっちも俺たちの存在に気づいた。
「誰だお前ら、失せろ」
「いや無理だよ。こんな静かな夜遅くに暴力沙汰なんてそっちも嫌でしょ? その子離してどっか行ってくれたら、警察も呼ばないから」
「チッ、おい、こいつら片付けろ」
「りょうかーい」
眞田の髪を掴んでいる男から指示を受けた男は軽い返事をする。残りの2人はまだ眞田に喰いついている。邪魔が入った俺らの相手はこいつだけで十分ということだろう。現に指示を受けた男はへらへら笑いながら近づいて来ている。
「あんたらカップル? 彼氏が彼女に良い所アピールするために出てきちゃった感じ? ダッセー。かわいい彼女の前で情けない面見せてやごふぅっ!」
男は派手に吹っ飛んだ。桜楽のストレートパンチが勢いよく顔面にぶち込まれた。まさか相手も桜楽が手を出してくるとは思わなかっただろう。
「今の俺が殴る流れじゃない?」
「いやムカついたから」
「そうですか」
「テ、テメェら、何しやがった!?」
仲間の2人は眞田どころじゃなくなったらしい。あの目つき、襲ってくるな。逃げてくれば楽だったんだけど。
「せっかく気分良かったのに」
「秒で終わらそ」
「ラジャー」




