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蛇天愚隷羅①



「行ってきま~す」


最後の方にあくびが混じった情けない挨拶ではあったが、いってらっしゃいと母さんが穏やかな声で送り出してくれた。ガチャンと玄関扉が閉まると、家の中の温かい空気は完全に遮断されてしまい、肌寒い風が全身を震わせる。


「さむっ」


流石に雪は降っちゃいないけど、漏れた息は冬の証とも言える白い吐息となっている。世界は地球沸騰化とか言われてるけど、日本の冬はまだまだ寒さと共に生きていくようだ。


中学2年の冬休みが終わって、今日は初の登校日。朝起きることが本気で憂鬱だったが、それは根性で乗り切った。制服を羽織る行為もしんどかったが、それも根性で乗り切った。寒さは全ての行為をしんどくさせる。防寒着を身につければ少しはマシになったと思ったけど、それはエアコンの暖房のおかげだった。


太陽は上空からこんにちはと顔を出しているが、朝の寒さには特に影響がないみたいだ。


「でも初詣の時はもっと寒かったな」


ふと数日前の記憶を口に出していた。大晦日の夜、近所にある小さな神社に参拝しに行った。結構人が多くいて、まるで夜とは思えないほどに賑わいがあったことをよく覚えている。賑わいと言えば、あいつ(・・・)の存在は賑わいそのものだったなと思い出して、少し笑う。


改めて思う。今年の冬休みも楽しかった。クリスマス、大晦日、お正月。本当に本当に楽しかった。去年も楽しかったけど、今年はより楽しさが高まった気がする。それも全部、あいつのおかげ。あれ(・・)ももうすぐだし、何にする(・・・・)かそろそろ本格的に考えないと。


立ち止まって考えても寒さで思考が停止するだけなので、歩きながら考えることにしよう。ポケットに手を突っ込んで歩き始める。


「はあ……マジで寒い」

「なら私が暖めてやろう!」


俺はコンクリートの地面にダイブしそうになった。不意に喰らった背中の衝撃でバランスが崩れそうになったからだ。


「うわっと! は、はあ?」

「にひひっ」


なんとか姿勢を保ち衝撃の正体を確認する。


なんともまあ見ていて飽きることがない卓越した容姿をお持ちな黒髪美少女。艶やかなサイドテールとルビーの瞳がまず印象に映る。美麗でありながら発達している筋肉が引き締まっており、機能的でしなやかな体つきをしているが、JCらしからぬ肉感を持つその体は、ありとあらゆる男子の視線を奪う。


現に学校の男子共の半分はこの少女の虜になっている。女神、天使、お姫様と、色んな所で色んなあだ名が付けられている。最近になって根付いたあだ名は、確か『皇女』だった気がする。そんな『皇女』様は、あまりにも可愛らしい笑顔を浮かべたまま俺の背中に張り付いていた。


「どお? あったまった?」

「……なんとも。てか、なんで桜楽がここにいるんだ?」


人気者の『皇女』────天方桜楽は俺の親友だった。


「ひどいなー。この唯一無二の生涯を一生共にすると誓った可憐で可愛い美少女JC桜楽ちゃんが、愛する親友のために寒い中外で待ち続けてたと言うのにその言い草は」

「色々盛ってる気がする。インターホン鳴らせば中に入れたって」

「驚かせたかったんだもん」

「だからってわざわざ(こっち)に来る必要ないだろ」


見れば、桜楽の頬や首にはいくつもの汗がある。走って俺の家まで来てくれたんだろう。


俺たちが通う中学校は、俺と桜楽の家を直線で結んだ大体中心ら辺に位置する。つまり、俺が桜楽の家に遊びに行こうとすると、学校の前を通るか、そうとはいかないまでも近くを通ることになるのは明白。それは逆の場合も然り。


普通なら、桜楽はもうとっくに学校に着いている。しかし、桜楽はわざわざ二度手間だとわかった上で、この寒い冬の中俺の家まで足を運んで来ているのだった。しかもそれは今日だけじゃない。中学に入ってから、桜楽は何度かこのような行為を繰り返していた。


「遠いし、学校でどうせ会えるからって、何回俺に言わせて……」

「いいじゃーん。私が勝手にやってるだけだし。それに走れば筋トレにもなるしさ」

「筋トレする必要ないだろ桜楽は」

「えへへ、まあねぇ……でもさあ……少しでも早く春喜と喋りたかったんだもん」


気絶するかと思った。俺は健全な男子中学生。テレビでイケメン俳優が出てきたら「あんな風になりてえ」と口にするし、美人な女優がテレビに出てきたら、「こんな人と結婚したいなあ」とかも思う。学校のアイドル的存在で誰しもが認める美少女にこんなことを言われたら、幸福で気絶しそうになる現象も俺にだってある。


破壊力えげつねえ。桜楽は俺を殺す気か? 自分の容姿の美には自覚があるらしいから、悪意がある可能性が高まる。これで無心を保てる奴がいたら、そいつは感情を胎内に置いていってしまった奴だろう。今俺はどんな顔をしているのか? 恥ずかしさを押し殺して、言葉を絞り出す。


「そういうの、いつかできる彼氏さんに言ってあげてよ。絶対喜ぶ」


桜楽は、今は(・・)付き合っている殿方はいないらしい。前にその話題になった時は、桜楽は声を大にしてそのデタラメな事実を否定していた。でも確信がある。桜楽はいつか、一生の伴侶を見つけて、末永く幸せに生きるだろうと。


高校か、大学か、社会人になってからか、いつかはわからない。でも桜楽は千を超える数の男性と出会って、その中の心に決めた人と添い遂げる。人生結婚が全てじゃないとは思うけど、桜楽は多分そうなる気がする。


そうなったらきっと、桜楽は俺なんかよりも顔も知らない彼のことを優先する。会う頻度も減っていく。映画の話だってその彼として、俺とは疎遠になるに違いない。


想像したら寂しくなるけど、俺を前に進ませてくれた(・・・・・・・・・)桜楽には、心から幸せになってほしい。桜楽は俺のヒーローになってくれたから、桜楽も自分にとっての幸せ(ヒーロー)を見つけてほしい。


そう願ってる…………なんて、随分先のことなんて、考えても仕方ない。というかキモいな俺。俺がそんなこと考えなくったって、桜楽なら思い通りの人生を送れるはずだ。俺なんかと違って、友達も多いしコミュ力もある。変なことを口走ったせいで変なことを考えてしまった。


「さあ、早く行って教室の中で暖まろうぜ」


ようやく登校が始まった。


「……だから言ってるのになあ」

「ん? なんか言った?」

「なんでもありませんよー」


桜楽も隣に並んで付いてきたが、なんだか拗ねている表情になっていた。さっきまで向日葵のような笑顔を咲かしていたのに、なぜだ? 変なこと言ったか?


「ぶすぅ」


なんか変な空気になってきたので、桜楽が飛びつくであろう話題を出すか。


「そうだ、亜人の実写映画観たぞ」

「マジで!?」


よし、喰いついた。やっぱり俺たち2人の雰囲気を盛り上げるなら映画の話しかない。桜楽におすすめされた映画だった。


「いやー旦那は仕事が早いねー」

「それほどでもー」

「で、どうだった?」

「めちゃくちゃ面白かった」

「だよねー! で、で、どこが1番好きだった?」

「そりゃもちろん──」



「「佐藤がSATをぶちのめす場面」」



満場一致の解答に2人でハイタッチをかました。


「だと思ったぜ親友! 私はそこを観て欲しかった! あの佐藤のショットガンの無双シーンは何度観ても飽きない」

「あのアクションは最高だった。佐藤の化け物感が良く滲み出てた。佐藤健には悪いけど、綾野剛がこの映画のMVPと断言できる」

「完全同意。どっちも素晴らしい俳優だけど、あの綾野剛はやばかった。それにさあ──」


俺たちの映画トークは、学校までノンストップで続いた。



         ────



「漫画の実写映画って当たり外れが観るまでわからなくて困るよね〜」

「どの映画でもそうだろ」


寒さのことなんて忘れて会話に没頭していたら、気づけば中学は目の前で、話題は日本の漫画実写映画についてに変わっていた。


「実写化されたらさ、おいおいやめてくれよ! て、抵抗の感情が湧き出るだけど、心のどこかでワクワクしてる自分もいるんだよねえ」

「わかるわかる。多分それは、実写化作品は酷い作品も山ほどあるけど、良い作品もあるから期待しちゃうんだろう」

「確かにぃ。るろ剣、キングダム、東京リベ、ファブル、カイジ、銀魂、デスノート。割と成功してるからねえ。進撃は別物として観れば結構観れる」


桜楽が自分の靴を脱いで下駄箱に入れようとした時、その動きがピタリと止まった。


「ハガレンは原作が神だったからがっかり度はでかく……ん? どうした?」

「……まーたこれだ」


小さい手の中に手紙が収まっていた。下駄箱の中に入ってあった物だろう。俺はそれを観た瞬間、「あーまたね」と同様の反応を示した。


「次はまともな奴だといいな」

「断るこっちは疲れるんだけど」


もう断る前提ですか。まあ桜楽の気持ちもわかる。幾度となく断ってきた身からしたら、もう懲り懲りなことだろう。手紙は手紙でも、桜楽が手にしているのはラブレターだった。


「なんて書いてある?」

「えーっと、明石光彦って人で、自分が『護衛官(・・・)』よりも強いことを証明したいので……ぶふっ、昼休み『護衛官』を連れて体育倉庫の前まで来てくださいだって」

「……俺かよ」


休み明け早々、めんどうなことになった。



          ────



「俺帰っていい?」

「だーめ。これからのメインイベントの主役じゃーん」


朝は嫌そうにしてたくせに、今となってはうきうきで満ち溢れている。他人事だとわかった途端にこれだよ全く。今の気分を一言で言い表すなら、気が乗らない。


「行けー! 春喜ー!」

「お前に1万賭けてるんだからなー!」

「『皇女』様をお守りしろよ『護衛官』!」


この大量にいる観客(オーディエンス)も、俺の気が乗らない原因だ。校舎の窓から地上から、まるでアイドルのライブを観に来たのか如く多くの生徒たちが集まっていた。こうなってしまうほどの原因は俺にもあるけど、多分7割は桜楽だと思う。


桜楽の好みのタイプが、強い人だという噂が流れたことがある。実際間違ってはいない。俺も一緒にテスト勉強をしている時にそう聞いた。しかしそのせいで、『護衛官』というあだ名を付けられた俺が、度々力自慢の奴らから襲われるプチ事件が発生していた。『護衛官』と言っているが、正式に言えば、桜楽の(・・・)『護衛官』だ。だから余計に狙われている。


あだ名が付けられた理由は、入学当初に桜楽案件のいざこざがあってそこに俺が介入したから……まあそんなことは今はどうでもいい。とにかくその桜楽の好みのタイプが広がったせいで、『護衛官』という誰かが勝手に付けたあだ名を持ってる俺が迷惑を被っている。これまでを振り返ると他校の奴らに絡まれたことだってあった。


それほどまでに桜楽の人気は凄まじい。強い人と聞いて、俺に勝てば桜楽の彼氏に立候補できるぞ、と舞い上がっている馬鹿な連中に辟易はしているが、今回わざわざ手紙を送って正々堂々勝負を挑むというのは初めての経験だ。


「普通に告白すればよくない?」

「いいじゃーん。こっちの方が面白いしさぁ」

「やるの俺だからな? 桜楽は見てるだけだろうけど」

「お、ほらほら来たよ来たよ!」


観客が歓声を上げて盛り上がっているなと思ったら、目の前に手紙の差出人──明石光彦が現れていた。


「士道春喜! いざ尋常に勝負!」

「熱量の違い半端ねえー」


中々逞しい身体の持ち主だった。身長も高い。桜楽の事前情報によると、バスケ部に所属しているらしい。エースとまではいかないが、オールラウンダーとして活躍していて、女子からの人気も高いらしい。


「あのースポーツマンなのに暴力振るっちゃ駄目じゃないですか?」

「問題ない! 俺はもうすぐ卒業する! それにこれは漢と漢の勝負だ! 遠慮はいらない!」

「あ、そすか」


そう言えばこの人3年だった。それでもどうかと思うけど。


「俺がもし『護衛官』に勝てたら……桜楽さん! 俺と付き合ってほしい!」

「わお」


場は最高潮に達していた。観客の熱もそうだが、何より宣言者のやる気が物凄い。それほど桜楽のことが好きなのだろう。俺に勝てば強い人と認められると思ってる思考はどうかと思うが、恋は盲目というやつだきっと。それに純白な誠意が伝わってきて悪くない。


桜楽に近寄る奴が持っている感情は、何も純情な恋心だとは限らない。あわよくば、と下劣な考えが浮かぶ輩はいる。世の中善人だけなら犯罪なんてとっくに無くなってる。実際に桜楽に近づく邪悪は見たことがあるし、視界に映る限りぶちのめしてきた。


だから今日はむしろびっくりしている。こんなに正々堂々と名乗り出てきてくれるとは。


「賭けの対象にされてるけどいいんですか?」

「構わない! そんなことで俺は引き下がらない! むしろ証言人ができて助かる! 俺こそが桜楽さんに相応しいと誰しもが認めてくれる!」

「それはどうかなぁ……」


周りから白い目で見られそうだけど、言うのは無粋か。


「春喜ぃ。手加減したらバッシング受けちゃうよぉ?」

「はいはい」


当の本人はとてもとても楽しそうだ。正直小言の1つや2つ言いたい所だが……楽しそうな桜楽を見ていると言う気が失せた。


桜楽は優れた容姿のせいで色々大変な目に遭っている。まだ付き合いは浅いけど、その氷山の一角の苦労くらいはわかってるつもりだ。小学生の頃は同姓の同級生から嫉妬され、根も歯もない噂を流されたこともあったらしい。周りに味方がいない1人もいないのは悲しい。


だから、俺がいる時くらいは楽しんでいい。桜楽に甘いなと自嘲しながらも、俺はどうしようもなく微笑んでいた。


「感謝してますよ、明石先輩」


あなたが誠実な人間で良かった。桜楽を笑顔にさせてくれている。それが見れるなら、多少注目されても、多少めんどくさくても、目を瞑ろう。それに俺も楽しい感情が芽生えているし。


入学当初(・・・・)は、こんな賑やかになるなんて思わなかったなあ」

「俺は何か感謝されるようなことをしたか?」

「いえ、大丈夫です。それじゃ、顔に当てるのはやめておきますね」

「何を!? 後輩に舐められるほど柔な鍛え方はしていないぞ!」



元気な声だ。久しぶりに、平和な喧嘩ができそうだった。




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