幻影
第3章です。今日から第4章の一話目まで連続で投稿します。どうか楽しんで読んでもらえたら幸いです。
グローリと春喜たちが会敵する数日前のこと。
駅のホームに電車がやって来た。2人の少年少女が、閑静とした電車の中に入っていく。黒髪の少年の方も中々に整った顔立ちをしているが、やはり目を惹くは少女の方だろう。
麗しき美貌は大人の色香すら漂わせる。豪奢な金髪は、瞬きすら惜しいと思えるほど永遠と見ていたくなる産物であり、指先一つの動作が国宝級に美しい。そう、誰もが彼女を『美しい』と言うだろう。しかし、彼女は名も知らぬ相手にどれだけ褒められようと、何一つとして嬉しくはなかった。
素直に喜べるのは、自分が手に入れた真の家族からの言葉。そして、魂の底からお慕い申している少年からの物だけだった。
「本当にいいの? 今ならまだ降りられる」
「構いません。もし差し支えなければ、どうか私をお側で仕えさせてください」
少年は主であり、少女はその配下の1人。恭しく頭を下げる少女──エレーナ。少年──クグツは座席の隅に座った。エレーナが席に座ろうとしなかったので、クグツは隣の座面を優しく撫でた。
「ほら、エレーナも座りなよ」
「ありがとうございます」
わざわざ同意を受けてから、エレーナはお慕いする主の側に腰掛ける。車掌さんの声が聞こえると、扉は閉まり、電車は徐々にスピードを上げて出発した。
「わざわざ来なくても大丈夫だったのに。僕の用事は本当に大したことないんだよ。エレーナには多分つまらないと思う」
「私は全く構いません」
「ふふっ、まるで弟を心配する姉だね」
「ち、違います。そのような動機では決してなく、私などがクグツ様の心配など烏滸がましいことは理解しています。ただ……クグツ様との時間を……大事に……したくて……その……」
エレーナは、基本的に冷静沈着のイメージが定着している。直属配下の皆に対しては柔和な心を持っているが、その一挙手一投足は明鏡止水を誠に具現化している。仲間たちは、彼女が戦闘で焦りを露わにした所などただの一度も見ていない。
感情の起伏がないわけではない。それほどエレーナは自らを律していた。だが時折その規律が乱れることもある。その1つが、我が主との対面。
クグツといる時のエレーナは、いつも以上に身だしなみに気を遣う。少しでも無礼な所を無くそうと、言葉はより丁寧になる。緊張が顔に出てくることもあり、今この時のように言葉が出にくくなることもある。それは、恋焦がれる女の子の仕草によく似ていた。
「そうだね。確かに、エレーナとは喋る機会が減っていた。任務とはいえ、少しだけ2人でのんびり過ごすのも良いかもね」
「よ、よろしいのですか?」
「幸い、僕の用は時間がかからないし。時間を作れば、グローリの戦果にも期待できるしね」
「希望は薄いと思われますが」
「エレーナは厳しいなあ」
クグツが苦笑する。エレーナはたまらなく嬉しかった。
その後、2人で二駅後の駅まで小話をした。サンは暗い場所でも寝れるようになったのか、エレーナは久しぶりにクグツに剣を教わりたい、また皆で食卓を囲みたいなど、短いキャッチボールを2人は交わした。
エレーナは時が停まればいいと思った。このままこうして、何気ない会話を永遠と続けていたい。しかしそんな夢物語はあるはずもなく、時間が経てば席を立ってしまうのは明白だった。だから、エレーナは話を切り出す。そのためにクグツの後を付いてきたと言っても過言ではなかった。
「あの、クグツ様。少し聞いてもよろしいでしょうか?」
「ん? 何?」
「聞こうかどうか、迷っていたのですが……」
「何々、気になるな。別に怒ったりしないよ」
「……クグツ様──」
「この世界について何か知っているのですか?」
丁度電車がトンネルに入る瞬間に、エレーナはずっと疑問に思っていたことをついに吐いた。そこからはノンストップで理由を話していた。
「ホープが未知の世界に対しての不安を言っていました。その時ふと思いました。言語はどうかと? 私たちの世界でも、遠方の国の人々や古民族などが知らない言語を話します。私たちが使う言語がこの未知の世界で通じるのかどうか。最初は疑問にも思いませんでした。ですが私たちは、この世界にいる人々の言葉を理解できています。知らない単語はややありますが。私たちが今いる国の名前は日本。日本語を人々は喋っている。そして、私たちはその日本語を知っています」
【何かこの文字、クグツ様が教えてくれたのに似てるんですよ! ええっと確か──日本語でしたっけ?】
新たな世界に足を踏み込んだ初日、ホープが口にした言葉。特に話題にもならなかったが、その言葉もエレーナは心の中で何か引っかかっていた。
「クグツ様は私たちに、クグツ様の故郷について話してくれたことがありました。クグツ様が語ってくれた故郷のお話は、とても興味深く、理想的で、荒んでいた私たちの心を夢中にしてくれました。その故郷はとても平和で、今いる世界とどこか似ています。そして……他の皆が覚えているかどうかはわかりませんが、その故郷の名前が、確か今いる国と同じだった気がするのです」
「……」
エレーナは言葉をひけらかすのに夢中で、クグツ様が黙り込んでいることに気づいていない。
「クグツ様は、故郷では違う言語を話されていると仰られて、私たちに時折教えを授けてくれました。お互いに協力をし合い学を深め、今ではその言語を暗号文や合図として潜入や諜報に使用され、私たちの間ではその殆どの会話が日本語で統一されています。しかしそれが、なぜこの世界にあるんだろうかと。逆に私たちはクグツ様の叡智があったからこそ、人々の会話も文字も全て理解できています。ですが私は気がかりでした」
まだ気づいていない。
「思えば、クグツ様の故郷に関しては、いくら調べても情報がありませんでした。今まで特に気にしてはいませんでしたが……クグツ様は──」
この時、ようやくエレーナはクグツの横顔を見ようと首を動かした。そして、血の気が引いた。
クグツの表情は沈んでいた。まるでクグツの頭上にだけ雷雲があるかのようだった。今にも塵となりそうな、触れればすぐに涙が出てしまいそうな、生きる上での何かが欠けてしまったような。言葉で言い表すには、その瞳に光が無さすぎた。
エレーナは何度かこんな姿を見たことがある。
彼は自室で、夜中に1人で泣いていた。何かを見ているようだった。エレーナは何があったのかと、心配でいてもいられなくなった。
「大丈夫だよエレーナ。大丈夫……大丈夫……」
しかし、彼はすぐに笑顔を顔に貼り付けて、何も言ってくれなかった。エレーナは二度とあんな顔を見たくなかった。それなのに、自分は地雷を踏んでしまった。クグツを不快にさせた原因は、自分の言葉にあるしかないと思った。
「クグツ様……も、申し訳ありま」
「エレーナ」
ずっと沈黙を貫いていたクグツが口を開いて、肩がびくっと震えた。叱責が下るのかと身構えた。
「降りようか」
「え……?」
アナウンスが車内に響き渡る。次の駅の名前が、クグツが降りる目的地だった。電車の扉が開くとクグツは席を立ち上がり、エレーナはその後を追う。エスカレーターを昇って改札を出るまで、クグツは一言も発しなかった。
「あ、あの、クグツ様」
「ちょっと待ってて」
クグツはエレーナを置いてどこかへ行ってしまった。
「私は……なんてことを……」
数分前の自分の首を刎ねてやりたかった。一生の恥、配下が主人の機嫌を損ねるなど言語道断。理由なんてどうでも良かった。お慕いする人にあんな顔をさせた自分がただ許せなかった。どうして訊きたい気持ちを抑えられなかったのか。
後悔や自責の念が彼女を支配する一方で、その可憐な瞳に宿している思いは単純な物だった。
純粋に、彼に嫌われたくなかった。
「お待たせエレーナ。はいこれ」
下を向いて俯いていると、どこか遠くへ行ってしまったと思っていたクグツが帰ってきていた。その手元にはビニール傘が2本収まっており、そのうちの1つをエレーナに渡そうとしていた。
「こ、これは……?」
「だってほら外。雨だよ? 濡れたら風邪を引いちゃう。今日は降らないって予報だったんだけど」
言われてやっと気づくことができた。空は曇り空になっていて、霧雨よりやや強い雨が道行く人の傘という傘を叩いている。自らの失態に心が圧迫され視界が狭まっていた。電車に乗る前は降っていなかったから、クグツはわざわざ近くのコンビニで傘を2人分買ってきてくれたのだ。そのおかげで、クグツの肩や足元が僅かに濡れていた。
「も、申し訳ありません! クグツ様の手を煩わせてしまって」
「傘如きで大袈裟だな。これくらい何ともないよ」
見ればクグツは、いつも見ている優しい相貌に戻っていた。先ほどの靉靆としていたクグツは幻だったのではないかと思えるぐらい、彼の顔には太陽が昇っていた。
「さあ行こう。ここからなら10分くらいで着ける」
「は、はい……」
お互いに傘をさし、エレーナはクグツの隣よりも少し下がった所をキープして歩き始める。その間の距離はエレーナの後ろめたさを表していた。エレーナはすぐに謝罪をしようとした。だがうまく言葉が見つからなかった。
「怒ってないよ」
「え?」
「僕は気にしてない」
言葉を探していると、クグツが先に返事をしてくれた。雨音がしつこく鼓膜を振動させているが、それでもクグツの言葉は鮮明に聞こえた。
「エレーナはただ、気になったことを僕に訊いただけだろ? ならそんなに思い詰めた顔なんてしなくていい」
「い、いえ! 私の不用意な発言が、クグツ様をご不快にさせてしまい……本当に……どうお詫びをしていいか……」
「そんな顔してた? ごめん。余計な気遣いをさせてしまった」
「そんな……」
謝らせてしまったことにまたも悔いる。彼の優しさが己の不甲斐なさを強調させる。彼は今どんな顔をしてるのだろうかと、答えはすぐ近くにあるのに、憎たらしい雨がそれを邪魔する。
「気になるのも無理はない。多分、シャインとかも似たようなことを思っているんじゃないかな? 僕があまり、自分のことを話そうとしないのが原因だ」
「クグツ様に非など御座いません。くだらない詮索をした私が悪いのです」
クグツが過去について話さないことは知っていた。しかし、それは自分にとっても同じだった。あんな過去、脳裏に過ぎることすら拒絶する。だからこそ、絶望の淵から救ってくれたクグツには一生の忠誠を誓っている。
エレーナは思い直した。過去がわからないからなんだ。そんな物で自分の忠誠は揺らぎはしない。
「出過ぎた真似をどうかお許しください。この償いは必ず」
「償いって。ホントにエレーナは真面目だな。あ、でもそうだな……ならってわけじゃないんだけど、1つ頼めるかな?」
クグツのからの突然の要望。エレーナには願ってもないことだった。これで少しでも信頼を回復をできると、むしろ100個でも1000個でもくださいと言いたかった。
「何なりと申しつけてください」
はりきりの熱が後ろめたさを吹き飛ばし、早足でクグツの隣へと辿り着く。見えたクグツの表情は、くすりと優しく笑っていた。
「このエレーナ、どんなご命令でも完遂してみせます」
「そんな大層なことじゃないよ。命令というか……お願い? 干渉・莫耶を預かってほしくて」
今はクグツの手中にある双剣の名前だった。ジンの目測だと魔古遺物に相当し、次元と次元との間の行き来を可能にする摩訶不思議な魔装具。クグツたちがこの世界に来ることができたのは、この漆黒の双剣なくしてはできないことだった。
「それだけ……ですか?」
「うん。万が一のための保険にね」
「万が一?」
「仮に、もし仮に、消えた少女とその協力者たちと交戦する場合になって、僕にもしものことが起きたとする。その際に僕が所持していれば帰る手段がなくなってしまう。エレーナが持っていれば──」
「ありえません」
クグツの言葉を遮りたくはなかった。だが、それ以上の言葉を聞きたくなかった。もしものことなど、その中にある意味のことまで察せないほど幼稚ではない。例えば、消えた少女の稲妻の一閃がクグツの心臓を…………想像でも吐きそうになる。
「そんなこと万が一、億が一……いえ、天地がひっくり返ろうともありえません。たとえそんな機会が訪れようとも、私が敵の首を刎ねてその因果を覆します」
「ふふっ、ありがとう。でも可能性は考えなくちゃ。僕らの中で一番強いエレーナが持っていることが最善だよ」
「最もお強いのはクグツ様です」
己が慕う主を引き立てるために言ったのではない。エレーナは、心の底からクグツが頂点にいると信じている。魔術も剣術も、自分たち直属配下は足元にも及ばない。クグツは直属配下の師でもある。
しかし、クグツは自らの実力を謙遜し続けている。剣術はエレーナが追い抜いたと言い、魔術はすぐに皆が同レベルに並ぶとよく言っていた。なぜそこまで自分を卑下するのか、エレーナには心底疑問だった。
「お世辞でも嬉しいよ」
「世辞などではありません。クグツ様は私の目標です」
「それでも僕はエレーナが預かっていて欲しいんだ。その方が僕も安心できる。ほら、エレーナは、僕の1番弟子だからさ」
1番弟子。それは、特別な権限など特に持たない名ばかりの称号だった。昔、直属配下の全員で誰が1番強いかを決める模擬線を行った。結果はエレーナの圧勝に終わって、反省や愚痴を交えた談笑をしていると、
「じゃあ、エレーナは僕の1番弟子だね」
クグツはエレーナにこう言ってくれた。思えば、あれは軽い気持ちで口にしたのだと今ではわかっている。でも涙が出るほど嬉しかった。救ってくれた彼の何かになれた気がして、たとえ何も意味を為さない肩書きだとしても、エレーナにとっては目には見えない大切な物だった。
だから、久しぶりにその言葉を聞けて驚いた。
「覚えていたのですか……?」
「もちろん。僕も含めて、みんなエレーナを信頼してる。それにこれはあくまで保険だ。少女は間違いなくダメージを負っている。負傷兵に遅れを取るほど、僕は弱い?」
「そんなはずありません! あ……すみません……」
「いや、こっちも。最初の僕の言い方が悪かった。でも本当に、気負わずにもらってほしい。僕の心の不安を和らげると思って……駄目かな?」
答えは既に決まっていた。無理に言葉をねじ込んでしまったが、そもそもエレーナは申し出を断ってはいない。彼女はクグツの命令を、1度だって無視したことはなかった。
「かしこまりました。クグツ様の負担を和らげることができるのならば、それ以上は何もいりません。2度も出過ぎた真似をしてしまいました」
「大丈夫。ありがとうエレーナ」
主からの感謝に胸が熱くなる。その言葉だけで、火の中でも雷雨の渦の中でも飛び込んでいける。
我ながら無粋な考えだと自らを蔑んだ。『魔帝』だがなんだか知らないが、我らが主が破れることなどありえない。そもそも主が出向く必要もない。もし刃を交わすことになったとしたら、その時は己が瞬時に敵を殲滅する。不安要素などどこにもない。むしろクグツから命をもらったことで活力が湧いてきた。
「クグツ様。今後も何なりとご命令を──」
言いかけた所で声が掠れた。隣にいたはずのクグツがいなくなっていた。喪失感という名の恐怖を味わったが、それは杞憂に終わる。背後に振り向けばクグツの姿があった。エレーナが無意識に追い越してしまっていたのだ。
「申し訳ありませんクグツ様……クグツ様?」
反応がなかった。いつもならば一言あってもおかしくはないはずなのに。そこでエレーナは不審点に気づいた。クグツが進行方向に体の正面を向けていない。明らかにそこに立ち止まっていた。
「もしや……ここが目的地ですか?」
「……そうだよ」
出てきた一言は、水に溶けてしまいそうな声量だった。クグツが向ける視線の先には、何もなかった。
正確には、売り地となっている土地だけがあった。辺りを見渡せば閑静な住宅街。鋏で切り取ったかのようにポカンと空いている目の前の空間は、寂しさだけが感じられた。クグツは雨で湿った土を見つめてから、ゆっくりと目線を空へと上げている。
「言っただろ……エレーナにはつまらないって」
「いえ……でもここは……?」
つまらない点はあまり気にしてなかった。クグツとならばどこへだろうと構わないのは本心。ただ、訪れた場所がどういう場所なのかが気になった。無論、エレーナに心当たりなどはなかった。
「雨が無ければ……まだマシだったかな」
言っている意味はわからなかった。目の前の光景に夢中になっているクグツは、エレーナの疑問に答えることはない。一体この場所に何があるのか? エレーナには、クグツが目に見えない幻影を見ている気がしてならなかった。
エレーナは待った。主が満足の行くまで、いつまでも隣で待ち続けた。次第に雨は、土砂降りと言えるまでに強くなっていた。
「……来るんじゃなかった」
クグツが発した言葉は、横殴りの雨音にかき消された。




