グローリ
俺は村の外から来た男との間に生まれた子どもらしい。
村は閉塞された監獄のような場所だ。誰かが来るようなことは滅多になかったし、誰かが来ることを村の奴らは酷く嫌っていた。
余所者は穢れている、魔物に脳を蝕まれている、とかなんとか言っていたけど、村より外の世界を知っている奴は村に殆どいなかった。ずっとずっと昔の時から、そうやって言い伝わってたらしい。
事実かどうかなんて、俺には確かめる術がなかった。でも俺の体を見ていたら、あながち間違いとは言えなくなっていた。
俺には、生まれた時から左腕がなかった。
「穢れだ! これは穢れだ!」
「呪いよ! あの人の形をした下劣な男が、こんな忌子を産み落としてしまったのよ!」
周りの奴らが当たり前に付いている左腕が、俺にはなかった。その原因は、村に侵入してきた外界の男、つまり俺の父親にあると口を揃えて言った。
外の者の血が混じったから、こんな異形の体の子どもが産まれてしまった。穢れた余所者の血が胎内で子どもの腕を腐敗させてしまったのだと、言葉がわかるようになってから毎日耳に届かされた。
父は俺が物心つく前に村人全員の前で処刑されたらしい。穢れが伝染しないようにと、俺と母親は村から隔離された。独房と大した差はなかったと思う。食事も一日一回鳥の餌みたいな物しか出されず、腹の虫が鳴らす音がいつでも聞こえていた。母親は俺の身を案じて、こっそりと俺に自分の分の食べ物を分けてくれた。
そしたらある時ぶっ倒れて、何日か経ったら体が冷たくなってた。俺はただ、母親の固まった腕にしがみつくばかりで、何もすることはできなかった。
村の間で俺の処分について話し合った。もちろん俺の意思は抜きで。意見を述べようとしたら殴られるか蹴られた。殺処分が大多数だったが、俺は殺されなかった。理由は、俺が魔術を扱えたから。
村には時々、周囲の山から森から魔物が迫ってくることがあった。隔絶された空間にいる村の奴らは、当然外からの力を頼ることはせず、そもそもそんな考えすら浮かんでいなかった。だから魔術が扱える者を村の守護者とし、村を守るための警備をさせられていた。
それが俺の母親だった。特に魔術師の家系でもなかった母だが、そこそこの魔術を使うことができた。村には母親以外に魔術を扱える者はおらず、必然と守護者の役割を与えられた。
聞こえは良いが酷い物だった。与えるというより押し付け。魔物が来れば村人に呼び出され腕を引っ張られる。それが真夜中だとしても強制的に。自分たちじゃ戦えないからって母親をこき使う奴らが憎くて仕方なかった。
魔物から攻撃を受けても治療を受けさせてくれない。村にいる医者も俺たちを気味が悪がってロクに見やしない。傷を治すには、自分の魔術と自然回復を待つしかなかった。痛がる母親を宥めるのが俺の日課となってた。
守護者になったことが、母親が早死にした要因の1つだ。そして俺もその遺伝子を継いで魔術が使えた。村の長が俺を代わりだと決めた時、俺は村の奴隷になった。いや、ずっと前からそうだった。
俺は産まれた時から、何も自分で決めることができなかった。そんな機会がそもそも存在しなかった。ただ腕がないだけなのに、それだけで満足に飯を食うことすらできない。ただ腕がないだけなのに、真っ当に生きていくことを否定された。
逃げることも考えた。だが逃げた所で何もできなかった。外の世界に触れるにはバカでかい山を越えなきゃならない。途中で疲れて餓死するのが目に見えた。空を飛べる魔術があると母親はいつか言っていたが、俺の魔術はそこまで優れてはいなかった。
俺は水車のように毎日を過ごした。と言うか、それしかやることがなかった。一度だけ守護者の役割を拒んだことがあった。そしたら体が痣だらけになるまで殴られ、蹴られ、顔を刃で引き裂かれた。腹が減って抵抗する意思なんて起きなかった。
やることがなかった……違う。生きるためにやるしかなかった。
たとえ村人全員ぶっ殺しても、その後俺はどこで生きればいい? 俺には行く場所がない。俺の世界は村しかなかった。
殺して飯を食う。殺せば居場所は奪われない。殺さないと殴られる。必死にならなきゃ村人に殺されて、手を抜けば魔物に殺される。守護者になってから、殺しが生活の側に居座るようになった。
ふと思った。なんで俺は必死になって生きているだろうか、と。一晩中魔物を殺し続けても、誰も褒めちゃくれない。腹も膨れない。次の日には何事もなかったかのように太陽は昇って、また魔物を殺すまで独房の中で孤独に眠る。
肌の温もりはもう感じなかった。母親が死んだから。手を伸ばしても空を切るのみで、おかえりもただいまも言う相手はいなくなった。挨拶がないと寂しいんだって、初めて知れた。
涙が出そうになったが、泣けるほど健康な体じゃ無くなってた。おかしくなって胃の中に突っ込んだ食べ物を吐いてしまったことがあったが、嗚咽の音がうるさく異臭が臭くて、苛立ちを募らせた村人から憎悪を叩きこまされた。
「気持ち悪いんだよ、お前」
村人の1人からそう言われた。吐瀉物に塗れて異形の体を持つ俺は、確かに気持ち悪かった。
日にちが経つに連れて、俺から生きようとする意志が欠落していってるのを感じた。母親がくれた愛情も、月が何度も顔を出すたびにその温もりが消え失せていく。いや、そもそも俺を愛してくれてたのだろうか。
「グローリ……ちゃんと産んであげれなくて…………ごめんね」
最後の言葉が頭から離れなかった。俺は悲しかった。なぜ最後の言葉が謝罪なのか。唯一の家族だったのに、俺のことを憐れんでいた。家族だけは、穢れに蝕まれたこんな俺でも肯定してくれているかと思っていたのに。少ない食べ物を分けてくれたあの優しさは、愛情ではなくただの同情だったのか。
働かない脳内で自問自答していると、余計に生きることに意味を見出せなくなっていた。自分の心臓が小さくなっていく想像をするようになった時、あの人は来た。
俺がいつものように村人に命令され、魔物の討伐に行っていた時のことだった。老骨のような細い手足で魔物に烈火を放ちながら、今日はいつもより魔物の数が少ないなと感じていた。魔物を全部退治して、達成感もなく無気力に村に帰ろうとした時、遠くの方で悲鳴が聞こえた。
こんな感覚は今までなかったから、違和感を覚えた。悲鳴が聞こえたのは村の方角。様子を見に行くために走りたかったが、そんな体力は残ってなかった。できるだけ早足で村に戻ると、目を疑う情景が眼前に広がっていた。
「なんだ……これ?」
人が住んでいた村は、魑魅魍魎が跋扈する巣窟と化していた。時刻はまだ夕方より少し前なのに、閉鎖された村の景色は暗雲が立ち込めていて薄暗かった。
現在進行形で魔物が村の至る所を破壊していた。奥を見れば、村長の家が一つ目玉の魔物に粉々にされている。左を見れば、無抵抗の俺に水や土をかけてきた村人の死体を魔物が食い漁っている。右を見れば、手足が10本以上ある奇怪な魔物が女の村人を地面に叩きつけて遊んでいる。
悲鳴の正体はこれだった。俺が向かった反対側から魔物が押し寄せてきたんだ。村の守護は俺に任せきりだったため、ロクな武装なんてないこの村は裸同然だった。多分もう、生き残ってる奴はいないだろう。
「……」
悲しいなんて感情はなかった。魔物が村人の死体を喰らっている姿に恐怖もない。第一俺にとって、殺してきた魔物は魔物じゃない。俺にとっての魔物は村人だ。迫害し、母親を殺し、危険を押し付け、加虐こそすれ感謝などない。人の形をしているだけの魔物。確かそういう奴を『魔人』って呼ぶんだったかな。
「……死ぬんだな」
凪の心情を他所に、これから俺も目の前の奴らと同じ肉塊になることを漠然と予知した。
「そこの君」
俺の声でも悲鳴でもない他人の声が、血だまりを踏みつける音と共に聞こえてきた。正直驚いた。
「……人?」
自分より少し歳上くらいの黒髪の少年が、魔物の間を縫って歩いていた。魔物がいるのはわかる。だが人がまだ生きている事態に納得がいかなかった。それに魔物が少年を襲うどころか見向きもしないのが信じられなかった。
今まで殺してきた魔物は、俺を発見すれば一目散に殺しに来る血の気の多い奴らばかりだったと言うのに。まるで魔物を操っているようだった。
「ここ一帯は、既に僕の奴隷たちが魔王領にしている。でも山に囲まれているこの地形の中心だけ、派遣した魔物が消息を絶っていた。周りの情報によると、ここには閉鎖された村落があると。あまり信じられなかったけど……本当にあるとは思わなかった」
少年の言葉があまり耳に入らない代わりに、人がいることへの回答を見つけ出した。魔王軍には、人類側が寝返った者たちがいる話を小耳に挟んだことがある。こいつはきっとそいつなんだと悟る。
魔物を付き従え、まだ人がいるこの辺鄙な村を攻めてきたんだ。
「君、名前は? 怪我をしている。すぐに手当てしないと」
じゃあやっぱり、俺の最後は今日みたいだ。
「もしかして君は──」
「殺せよ」
「え?」
「殺しに来たんだろ……魔王軍。さっさとやれよ」
死ぬ日が来た。きっとこいつが今日来てなくても、後半月も経っていれば俺は勝手に死んでいたと思う。恐怖とか、命が惜しいとか、そんな物は埃の重さも存在していなかった。
「いや、僕は」
「殺るならやれよ。戦争してんだろうけど、俺には関係ない。居場所も……意味も……全部無くなっちまった。別にいいぜ。こっちは未練なんてねえんだから。そうだよ……未練なんて……何も……」
枯れていたはずの瞳から、一粒涙が溢れてしまった。それが引き金となって、膝から地面に崩れ落ちて、初めてこんな大声を張り上げてしまった。
「俺を見てくれる人なんて……もうどこにもいねえんだから!!」
一瞬で息が切れた。もっと何か言いたいことがあった気がしてたけど、疲労やら無力感やらで言葉が出なかった。何をしているだろう俺は。こんな見ず知らずの魔王軍の奴に言ったって、俺はこれから殺されるだけなのに。
さっさと首を斬って欲しかった。魔物に食わせてもいいから、この穢れた体を世界から消し去ってほしい。俺にとってこの体は、腐敗した不幸の塊でしかなかった。少年の影が俺の視界に映って、これで死ねると目を瞑った瞬間、
「僕が見てる」
俺の体はぎゅっと抱きしめられた。その刺激に鳥肌が立った。なんだ、こいつ俺を殺しに来たんじゃなかったのか? だけど、久しぶりに人の温もりを直に感じることができた。母親が死んでから俺に触れる肌は暴力しかなかったから、こんなにあったかいことを忘れていた。
「なん……で……」
「この村には、魔物を退けるほどの抑止力は何もなかった。君なんだね。魔物を倒していたのは」
「……」
「君のような子どもが1人で……虐げられてきたんだね。誰にも……助けを求められなかったんだね」
助けを求めるなんて発想はなかった。俺を痛ぶり嫌悪する奴しかいなかった。こんなに優しい声で……俺の背中をさすってくれる人なんていなかった。
息は切れていたのに、なんでか喋りたくなった。
「あ……あぁ……」
でも声が出なかった。さっきの大声で自分でも衝撃を受けたから、今までどうやって声を出していたのか忘れてしまった。バカみたいに口をパクパクさせていると、少年は抱きついた力を緩めて俺と正面から向き合った。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
瞳の色が母親と同じだと、今わかった。疲労が少しだけ体から抜けて、ようやく言葉を絞り出せた。
「お、俺は……穢れ……だから。助けてくれる奴なんて……誰も……」
「穢れ……そうか。1つ君に伝えたい。君は穢れてなんていない」
「え?」
「多分、その腕が原因かな?」
少年は俺の存在しない腕を見つめた。俺が忌子であると証明する烙印だった。
「そうだ。俺は……みんなと違って汚くて──」
「そんなことない。他の人と何一つ変わらない、普通の男の子だ」
「とっても綺麗だよ」
綺麗だなんて、嘘でも言われたことはなかった。気持ち悪い、穢れが感染る、自分で見ていて死にたくならないのか。散々似たようなことを言われ続けた。だから綺麗なんて言葉は、俺にとって幻想や伝説に近い物で、久しく脳内から消えていた。
でも特別ってわけじゃない。所詮、ただの言葉。なのに……どうしてこんなにも、胸が熱くなっているんだろう。
たとえその言葉が嘘だったとしても、湧き上がる熱と同時に、本当に本当に久しぶりに、嬉しいなんて感情を抱いたような気がした。
それがクグツ様との出会いだった。




