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追憶のヴァルトリア  作者: 律蒼唯
第一章 崩落編

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第一章5話 「地に落ちた残骸」

 ゲートを抜けた先、視界を埋め尽くすほどの蝋燭が夜の闇を昼間のように照らし出していた。


 白燈街(はくとうがい)――西方都市の元歓楽街であり、今は情報屋や流浪人が吹き溜まるこの街は、今夜に限って異常なほどの熱気に包まれていた。


「お兄さんたち、寄っていかない? 今夜はとびきりの子がいるわよ!」

「号外だ! 空から落ちてきた巨大な残骸についての最新情報! なんと中央の動向も載ってるぜ!」


 むせ返るような酒と香水の匂い。そして鼓膜を揺らすほど飛び交う客引きの声。


 普段から騒がしい場所ではあるが、道行く人の会話の端々からは明らかな焦燥と興奮が入り混じっていた。


「……今朝の騒ぎのことか?」


 通り過ぎる男たちの会話を耳にし、僕は思わず足を止めた。


「ねえ、ノア。まだあの事故のことでこんなに騒いでるのね」


 イリスが僕の袖を引きながら、周囲の喧騒を見回す。


 僕も同じ気持ちだった。僕たちが焔牙層の連中に巻き込まれる前、空から巨大な何かが落ちてきた事故。あの時はただの飛行船か何かの残骸が落ちてきただけだと思っていたが、どうやら事態はもっと深刻らしい。


「あぁ……もしかすると、ただの事故じゃないのかもしれないな」


 そう呟いて空を見上げる。そこにあるのは、ただの空だ。


 ふと振り返ると、背後に立つフィナが微かに目を細め、遥か上空の何かを見透かすような冷たい視線を向けていた。だが、僕と目が合うとすぐに、不快そうに顔を(しか)める。


「ノア、立ち止まっている場合ではありません。ここはひどく……空気が(にご)っています」


 人間の欲望が渦巻くこの歓楽街の空気は、高貴な彼女にとっては酷く肌に合わないようだ。


「あぁ、悪い。早くここを抜けて、今日はひとまず家で休もう」


 僕たちは人混みを避け、白燈街の端を通る路地裏へと足を踏み入れた。


「こっちは昔から使ってる裏道なんだ。鉄鎖巷まではこっちの方が近い」


 大通りに比べれば人は少ない。それでも道端には胡散臭い露天商がいくつも店を広げている。


 普段なら素通りするところだが、とある商人が路上に広げていた布の上にふと視線が吸い寄せられた。


「お、(にい)ちゃん、お目が高いね! それはついさっき、あの落ちてきた残骸から引っぺがしてきたモンだ。魔導具の部品か何かは知らねえが、掘り出し物だぜ?」


 商人が得意げに笑う。


 僕はしゃがみ込み、布の上に転がっていた一つの部品を手に取った。


 それは(てのひら)に収まるほどの奇妙な金属片だった。


 鉄鎖巷の廃品回収で見慣れている歯車やパイプとは明らかに違う、見たこともない滑らかな材質。表面には、細かく幾何学(きかがく)的な紋様(もんよう)が刻み込まれている。



 ――トクン。



 その金属片に触れた瞬間、指先から微かな熱が流れ込んできた。


 いや、熱というよりは、脈動だ。まるでこの金属そのものが生きているかのように、僕の手のひらで小さく鼓動した気がした。


「……っ」

「ノア、それは……」


 急に声をかけられ、顔を上げた。


 いつの間にか僕の隣にしゃがみ込んでいたフィナが、僕の手の中にある金属片を黄金の瞳でじっと見つめている。その表情には、先ほどまでの不快感とは違う、微かな驚きと警戒の色が混じっていた。


「これ、何か知ってるのか?」

「……いえ。ただのガラクタです。触れない方がいい」

「そうなのか? なんだか妙に温かい気がするんだけど」

「温かい? あなたが、そう感じるのですか」


 フィナは信じられないものを見るように、僕の顔と金属片を交互に見比べた。


 その時だ。


「ノア、早く行こうよ。お母さんたち、心配してると思うし……」


 少し離れた場所から、イリスが急かすように声をかけてきた。


 振り向いた彼女の顔は、どこか上の空というか、ただ早くこの場を離れたがっているように見えた。


「あ……あぁ、悪い。……おっちゃん、これいくらだ?」

「お、買ってくれるのかい? 兄ちゃんには特別に――」


 僕はポケットに入っていた小銭を商人に握らせ、その奇妙な金属片を鞄の奥へと押し込んだ。


 僕には分からない。


 この金属片が何なのかも。フィナがなぜあんな顔をしたのかも。そして、イリスがどこかおかしな様子なのも。


 だけど、この胸のざわめきだけは、はっきりと感じ取っていた。


「……帰ろう。僕たちの家に」


 白燈街の白い灯りを背に、僕たちは見慣れた鉄鎖巷への帰路を急いだ。


----------


 白燈街の喧騒から離れ、鉄鎖巷へと続く道を下っていくにつれてひんやりとした静寂が戻ってきた。


 あちこちに積まれた廃材や、錆びついたトタン屋根。決して綺麗な街とは言えないが、この鉄と油の匂いを嗅ぐとどうしてもホッとしてしまう自分がいる。


「イリス、家まで送るよ。カナヴェルのおじさんたちも心配してるだろうし」

「うん、ありがとう」


 イリスの家――鉄鎖巷(てっさこう)の管理を任されているカナヴェル家の屋敷は、この区画の中では一番大きく、頑丈な造りをしている。


 屋敷の門前まで送り届けると、門番たちが慌てて飛び出してきた。


「お嬢様! ご無事で……! 旦那様がどれほど心配されていたか!」

「ごめんなさい、ちょっと迷子になっちゃって」


 イリスは門番たちを(なだ)めながら、僕の方を振り返った。


「今日は本当にありがとう。フィナさんも……助けてくれて、ありがとうございました」

「……私は何も」


 フィナは興味なさそうに視線を逸らす。


「フィナさんは本当に私の家で預からなくて平気?」

「あぁ、一人くらいなら問題ない。逆に母さんも少し喜びそうだしな」


 イリスは(うなず)くと、いつものように笑って手を振った。


「じゃあね、ノア。また明日」


 だが、屋敷の門をくぐる直前、彼女がふと見せた横顔――(まばた)きもせず、ただ虚空(こくう)を見つめているような無機質な瞳が、またしても僕の胸に小さなざわめきを落とした。


 やはり、気のせいじゃない。彼女はどこかおかしい。


 だが、今はそれを確かめる術はない。


「……行こうか、フィナ。僕の家はすぐそこだ」

「ええ」


 カナヴェル邸から少し歩いた先にある、廃材を継ぎ接ぎして作ったような二階建ての小さな家。それが僕の家だ。


 (きし)むドアを押し開けると、生活感のある灯りと共に、美味しそうなスープの匂いが漂ってきた。


「ただいま」

「ノア!?」


 居間のテーブルで、束になった今月の支払い記録と帳簿を広げていた母さん――フェリンが、弾かれたように顔を上げた。いつも僕が整理を手伝っているその紙の束が床に落ちるのも構わず、母さんは駆け寄って僕を強く抱きしめた。


「よかった……っ! 焔牙層(えんがそう)で騒ぎがあったって聞いて、ずっと心配してたのよ。怪我はないの?」

「大丈夫だよ、母さん。ちょっと巻き込まれただけだから」


 心配をかけてしまった罪悪感から、僕は母さんの背中を軽くポンポンと叩いた。


 やがて安堵の息をついて体を離した母さんは、僕の後ろに静かに立っている存在に気づき、目を丸くした。


「……ノア。その、後ろのとびきり可愛らしい子はいったい……?」


 無理もない。(すす)けた鉄鎖巷にはおよそ似つかわしくない、純白のドレスに黄金の髪を持った少女が立っているのだから。


「あー、その……彼女はフィナ。ちょっと事情があって、僕を助けてくれたんだ。恩人だよ」


 僕が紹介すると、フィナは静かに一歩前に出て、優雅に頭を下げた。


「お初にお目にかかります。フィナと申します。この度は……ご子息に、少しばかり手を貸した縁で同行させていただきました」


 その隙のない所作と冷ややかな美貌に、母さんは一瞬あっけにとられていた。しかし、すぐに持ち前の明るい笑顔を浮かべた。


「そうなのね! まだ小さいのに、ノアを助けてくれて本当にありがとう。ここまで大変だったでしょう? こんなむさ苦しい所だけど、ゆっくり休んでいってちょうだい。……そうだ、夕食はまだでしょ? 少し待っててね」


 母さんは落ちた帳簿を拾い集めるのも後回しにして、慌てて台所へと向かっていった。


 嵐のような出迎えが過ぎ去り、僕はフィナに椅子を勧めた。


 彼女は少しだけ戸惑ったように、簡素な木の椅子に腰を下ろす。


「……騒がしくてごめん。でも、母さんは君を歓迎してるよ」

「……奇妙な方ですね。素性(すじょう)の知れない私を、こうも簡単に招き入れるなど」

「それがうちの母さんなんだ。……それに、君が悪い奴じゃないってことは、僕が一番よく分かってる」


 僕の言葉に、フィナはまた何かを言いかけたように口を(つぐ)み、静かにテーブルへと視線を落とした。


----------


 その夜。


 自室のベッドに寝転がった僕は、鞄からあの奇妙な金属片を取り出した。


 部屋の僅かな灯りに照らされたそれは、やはり見たことのない幾何学(きかがく)的な紋様(もんよう)を浮かび上がらせている。


 そっと指でなぞると、再びトクン、と小さな脈動が伝わってきた。


 あの時、フィナはこれを見て明らかに動揺していた。


 空から落ちてきた残骸。中央都市の御三家を名乗る少女。そして、得体の知れない熱を放つ金属片。


 バラバラだった欠片(ピース)が、少しずつ僕の周りに集まり始めている。そんな予感があった。



 ――トクン。



 金属片が僕の体温に呼応するように、微かに、だが確かに黄金色の光を帯びた。


 手に取った金属片の先に夜空を見据えながら夜は更けていき、僕は眠りに落ちていった。


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