それぞれの戦い 9
「…お察しの通り、普通じゃない状態の私の血液を舐めたあの男が無事でいられるはずがありません。私が持つ生力への渇望を写し取ったかのように暴走し、周囲の異性を襲い始めたのです。しかも、本来なら伝染るはずがないものなのですが、私の【催淫液】だけは特別で、感染者の何かしらの成分が体内に侵入するとその人も同じように感染してしまいます。簡単に言えば、ひっかかれたり、噛まれたり、血液等が体内に入ると同じように性欲を暴走させてしまうのです。この騒ぎは瞬く間に街中へと広がり、ものの数時間で街全体を覆い尽くしました。私が、街一つを滅ぼしたのです」
「…………」
ドールの説明通りなら、これはもうほぼ某作品に出てくるゾンビと一緒だ。
それなら、街が簡単に滅んでしまうのにも納得がいく。
なんせ、あの感染力に加えて理性どころか痛覚すらなくした状態で襲ってくるからものだから一切怯むことがない。
これでは、一般人に抑えることなんて不可能だ。
きっと、街全体が一瞬で地獄と化したに違いない。
「真実を受け止められず放心していた私ですが、当然世界はそんな事お構い無しに回ります。家の扉がけたたましく叩かれ、次第に無理矢理扉を壊そうとする音に変わっていきました。外にいる暴走した人たちが私たちの存在に気づいたのです。扉についている小窓から影が差し込み、そちらに視線を向けると外には夥しい数の人影が見え、そのあまりの数に私は戦慄して動けなくなってしまいました。もし入ってこられたら私たちは親子そろって餌食になるだけ…当時の私は軋む扉を眺めながら、そんな諦念にも似た感情に心が埋め尽くされていたのです」
その気持ちは分かる。
過去のアタシなら同じ状況になれば早々に諦める自信があるから。
まあ、今のアタシはこの世界の両親が襲われそうって思ったら、自分の身を犠牲にしてでも最後まで足掻きそうだけど。
そう言えば、最近は両親と直接会話してない。
手紙でやりとり自体はしているが、元気にしているだろうか?
「そんなとき、覚悟を決めたような表情をして母が近くの戸棚からあるものを取り出して私に渡してきました。魔法陣が描かれた紙をグルグルに巻いたもの。そう、移動スクロールです。大変貴重なものなのですが、母が緊急用にと用意していたのです」
久しぶりに会いに行くのもいいな。
そしたら、一緒に買い物したりとか、美味しいもの食べに行ったりとか……
あ、お母さんと一緒に料理するのもいいな。
お母さんの料理が一番美味しいし、料理を学んでメアリー様に振る舞うっていうのもありかも。
「いきなりのことで動けない私に、母は移動スクロールを無理矢理押し付けてきました。当時の私は移動スクロールの存在なんて知りません。急に押し付けられて戸惑っていると、母は優しくそのスクロールを破るように言いました。すでにいっぱいいっぱいだった私は、何も疑うこともなくスクロールを破ってしまいました」
料理を覚えるなら何がいいかな?
どれも絶品だし、かといって全部はとても多いから覚えられないし…
あ!最後に会ったときに作ってもらったシチューがいいかもしれない。
お母さん曰く簡単に作れるって言ってたし、これならきっとメアリー様も喜ぶよね!
「スクロールを破いた瞬間、私の身体は青白い光に包まれました。何のことか分からず慌てる私を穏やかな表情で見つめる母。私は嫌な予感が頭をよぎりました。この光が何なのか問い詰めようとしたその瞬間、扉がある方からバキッという音とともに乱雑な足音が聞こえてきました。そう、ついに扉が壊され、中に大量の暴漢たちが侵入してきたのです。暴漢たちはたまたま扉側にいた母に次々と襲いかかっていきます。というより、不自然に私を素通りしていくのです。不思議に思った私は自身の身体を見てみると、なんと身体が半透明になっていたのです…!」
あ、そういえばメアリー様って鶏の唐揚げが大好きだったよね?
お母さんに唐揚げの美味しい作り方も習っとこうかな?
もし、メアリー様の舌を満足させるものが出来たなら……フフフー!夢が広がるね!
「先ほど破いたスクロールのせいだと察した私は、急いで母のもとに駆け寄ろうとするもその場から身体が動きません。何故なんだと足元を確認すると、すでに足は完全に消えていました。この移動スクロール、古かったからなのか転移が非常にゆっくりで、なおかつどこから転移するかも分からない代物でした。そしてそれが、最悪の形で私の身に降りかかったのです」
これをきっかけに仲良くなれば、二人だけで遊びに出かけたりとか出来るかな?
まあ、指名手配中だし、変装は必要かもだけど。
それに、胃袋を掴んでお家デートもいいよね!
そうなれば、ヴィサスと同じようにアタシのことも愛称で呼んでくれるかも…!?
「移動スクロールによる転移魔法によって存在が希薄になっているのか、暴漢たちは私に見向きもせず、目の前の母に次々と群がっていきます。私はそれを止めることも出来ず、ただ眺めることしか出来ない。必死に母に逃げるように叫びました。外に助けも求めました。のどが張り裂けそうになるくらい大きな声で。でも、私の声に反応するものは誰一人としていませんでした。絶望する私に、母は一言【幸せになってね…】と。その言葉を最後に私の視界は光で包まれ、完全に見えなくなってしまいました。そして、光が晴れて目の前が見えるようになったときには、すでに別の場所に立っていたのです」
どんな愛称がいいかな?
ヴィサスはヴィーだから、イーリスは……
リス…?って小動物か!
まあ、そこはメアリー様が考えてくれるだろうし、そのほうが嬉しいよね。




