第1話 初めての拒絶
「私に近づかないで!!」
そのひとことは、完璧だった俺の人生に初めて刻まれた「拒絶」だった。
次期国王として、誰からも傅かれて生きてきた俺に向けられたことのない言葉だった。
……衝撃で、思考が止まる。
ここまで明確に拒絶されたことなど、一度もなかった。
この立場に甘んじているつもりはないが——それでも、衝撃は大きい。
拒絶されたはずなのに──なぜか、その瞳から目を逸らせなかった。
その言葉を言い放った彼女は、本当に嫌そうな顔で俺のことを睨みつけている。
「す、すまない……」
「ふんっ」
咄嗟に謝ってしまうも、彼女は去っていった。
名前も知らない彼女は一体誰なのか。
「レオナルド様に向かって、あんな言い方するなんて、信じられませんわ!」
「まぁ、でも俺も悪かったんだろうし……」
正直、どこが悪かったのかはよくわからない。
近寄り過ぎたという認識もなかった。
幼馴染であるソフィアが、彼女の去った方角を見ながら口を開いた。
「レオナルド様は、本当にお優しすぎますのね」
ソフィアは困ったように微笑んだ。
「王太子でいらっしゃるのですから、もう少しご自覚を持たれてもよろしいのに……少し心配になりますわ」
「あーはいはい。説教は不要だ。……ところで、今の美人は誰だ?見た記憶がないのだが……」
王太子として、会った人の顔は覚えている。
なのに——覚えがない。
あんな美女なら一瞬見ただけでも、忘れないと思うのだが。
「……え?アシュフォード公爵令嬢のグレース様ですわ。……記憶にないんですの?」
ソフィアは心底驚いた顔をして俺を見つめている。
「……記憶にない、はずがない」
王太子として、主要貴族の名と顔は叩き込まれている。
ましてや公爵家の令嬢を、知らないなど——あり得ない。
なのに、思い出せない。
まるで——そこだけ、意図的に抉り取られたみたいに。
(それにしても……そんなに有名な女なのか?)
自分の勉強不足を突きつけられたようで、少しだけきまりが悪かった。
王家と繋がりの深い公爵家の人間を把握していないなど、本来ならあり得ないことだからだ。
「公爵家か……公爵家なのに不思議だが、会った記憶はないな。エドガーは会ったことあったか?」
「……俺はある。まぁ、あまり社交界にもでないからな……」
ソフィアは心底驚いた顔をして俺を見つめている。
そこまで驚くほどのことでもない気はするが、普通なら王家とは距離が近いと思うか。
するとエドガーは俺のことをじっと見つめた後、呟いた。
「……お前が興味を示すなんて、珍しいな」
「興味、というほどでもないが……」
「あまり、関わらない方がよろしいですわ。悪女として有名ですのよ」
「……悪女?」
「さっきの態度、ご覧になったでしょう?仮にも王太子に対してあの態度だなんて……」
「……仮にもは余計だ」
軽く返すと、ソフィアは小さく肩をすくめた。
「……それにあの方は、闇魔法の使い手ですもの」
「闇魔法……?」
思わず聞き返してしまう。
——闇は光を喰らう毒。一度混ざれば二度と元には戻れない。
初等課程の教本に、繰り返し書かれていた言葉だ。
……だが、なぜかそれが、ひどく嘘くさく感じられた。
——あの女を見ていると、なおさら。
「ええ。希少属性ではありますが……かつて大規模な災厄を起こした魔法でもありますわ。使い手自体が忌避される傾向にあって……」
ソフィアは柔らかく微笑んだまま、ほんのわずかに目を細める。
「……王太子殿下が関わるには、少々“目立ちすぎる”方かもしれませんわね」
「でも、ただ一属性ってだけだろう?それだけで忌避されるのはおかしくないか……?ん?エドガー、どうした?何か気になることでも……?」
「……いや、何でもない」
しかし首を振りながらこちらに視線を戻した。
「ともかく、あまり関わらない方がよろしいかと存じますわ。気づいたら誰かと揉めてると……関わった人が、離れていくというか……本人は気にしていないようですが……」
断定はしていないが、そう思わせるには十分な言い方だった。
——関わらない方がいい。
頭では、理解できる。
実際、あの態度も今の話も、好意を持てる要素など、一つもないはずだ。
それなのに、どうしてか──目が離せなかった。
去っていった背中が、妙に焼き付いている。
一度外したはずの視線が、気づけばまた同じ方角を向いていた。
……まるで、無意識に引き寄せられているみたいに。
「そうかもしれないが……それだけじゃない気もする」
「え?」
ソフィアがきょとんとした顔でこちらを見る。
自分でも、何に違和感を覚えているのか分からないから説明もできない。
「いや、なんでもない。……エドガーはどう思う?」
何気なく問いかけた瞬間、ほんのわずかに、空気が変わった気がした。
「……どう、とは?」
「彼女のことだ。噂通りに見えたか?」
エドガーは一瞬視線を逸らし、数秒の沈黙が落ちる。
その視線は、先ほど彼女が去っていった方向に向けられていた。
まるで——何かを思い出すように。
「……さあな」
「珍しく歯切れが悪いな」
「決めつける話でもないだろう」
いつも通りの口調だが——ほんの僅かに、硬い。
「……珍しいな。お前がそんな言い方するなんて」
「……あまり、関わらない方がいい」
「……は?」
予想外の言葉に、思わず聞き返す。
エドガーの言葉は、いつも以上に素っ気なかった。
まるで、公務を差し置いて一人の女——それも噂の悪い女——を気にする俺に、釘を刺しているかのようだ。
「……噂がどうこうじゃない。彼女は……」
一瞬、言葉が止まった。
何かを言いかけて——飲み込んだ。
「……面倒だ」
それだけ言って、視線を逸らす。
——違う。
直感的にそう思った。
そんな単純な話じゃないはずだ。
だが、それ以上は何も言わなかった。
「……お前らしくないな」
「……そんなことはない」
素っ気ない返答だった。
そう言うと、エドガーは一瞬だけ目を伏せた。
視線の先はわずかに先ほどの方向へと向かっていた。
——何かあるのか。
確信ではなく、ただの違和感だ。
関わるべきではないと、分かっている。
それでも——なぜか、気になって仕方がなかった。
——初めて会ったはずなのに。
そう思った瞬間、頭の奥が軋んだ。
断片的な何かが、浮かびかけて——消える。
……知っている。
あり得ないはずなのに、確かにそう思った。
まるで——“消された記憶”があるみたいに。
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