第十五話 攻勢
攻勢開始は霜月六日と定められた。兵力は主に北部守備隊――既に全部隊が蛙根陣地守備隊へ編入されていたが――から出され、一部は南部守備隊から出されていた。開いた穴は南部守備隊が埋め、更にその穴を増援部隊が埋めた。その攻勢部隊中に歩兵第四〇五連隊の井野上等兵が所属する分隊も含まれていた。
井野上等兵は一式半装軌装甲兵車に乗っていた。歩兵第四〇五連隊は本土決戦の為に急遽編成された部隊で、元々小銃さえ全員に行き渡っていないような部隊だった。当然ながらこういった装甲車などあるはずもない。起号作戦参加にあたり携行火器だけは何とか揃えたがそれ以外はあまり補充されることがなく、一部――歩兵砲や擲弾筒――は茂尻到着後に配備ということもあったが少ない例であり、またそれさえも定数を満たしてはいなかった。そのため、移動手段は徒歩か歩兵第二十六連隊等の一式六輪自動貨車に乗せてもらっていた。然し、今度の攻勢において速度は無視できる要素ではなく、参加する歩兵部隊へ戦車第一連隊から一式装甲兵車や一式半装軌装甲兵車が貸与された。一式六輪自動貨車でないのは自らがやってきたように不意の奇襲を受けたとき、少しでもその損害を減らす為だった。
慣れない装甲車に井野は少し落ち着かなかった。基本的に小銃は戦闘時に槓桿を操作して初弾を装填することになっているが、今回は戦闘前から初弾を装填するよう命じられていた。不意の奇襲は無いほうがおかしい。が、可能な限り被害は少ないほうがいいに決まっている。そのため、できる限り即座に対応できるよう其ような命令が下されていた。落ち着かないのはそのせいもあるかもしれない。うっかりで暴発するような代物を持っているのだから。
また、気候も一因であろう。気温は低く気象隊の予報では今月中に降雪があるとのことだ。帝都出身の彼にとってまだ霜月だというのに雪が降る程の寒さは冬期装備にしているとはいえ、些か寒かった。
「地点乙-二に接近、警戒せよ。」無線機が告げた。元々自分達が待ち伏せていた場所である以上、何処が適地かは分かりきったことだ。事前に意識し警戒しておけば奇襲の効果も薄れよう。そう考え、各部隊が待ち伏せていた場所に加え実行可能と思われる場所を挙げ、待ち伏せている可能性が高い順に甲、乙、丙と順位を付け各部隊へ通達していた。
部隊に緊張が走った。周囲を注意深く見回し、動くものがないかを探る。だが、何事も無く全部隊が通り過ぎた。やがて、「全部隊通過、警戒解除。」という通信が入った。少しだけ安堵の息を漏らすが、気は抜けない。こちらが思った通りの場所にいてくれるはずなど無い。いつ何時攻撃を受けるかは分からないのだ。
更に二箇所予想地点を通過したが攻撃は無かった。このまま何もないに越した事はないが、そうは問屋が卸さなかった。三箇所目を通過している時、車体に銃弾が当たった。
「敵襲!」相模分隊長が叫ぶ。全員が頭を伏せ、身を隠す。井野は少しだけ頭を出し、事前に聞いていた狙撃適地へ目を向ける。案の定、木に身を隠している敵兵がいた。「敵兵確認!三時方向木の陰!」「確認!」相模が答える。「総員戦闘――」開始、と言い切る前に無線機から「第三、四分隊は一個分隊を以て敵歩兵に対し反撃、殲滅せよ。他の部隊は前進を継続せよ。」と小隊長の命令が来た。驚いたが、この作戦の要は敵の時間稼ぎに乗らないことであり、そう考えると納得もいく。
「前進再開!」そう相模は運転手に向け命じた。井野は元通りに座り、周辺の地図を思い浮かべる。訓練のときに嫌という程見て、体で覚えたのだ、周囲に何があるかは地図を見ずとも分かる。
今地点甲―三を過ぎた辺りということは次の場所まで少しあるだろう。まさか平地で仕掛けてくることもあるまい。ただ、その「次」というのがまた森林地帯であり、中々気を休める間が無いものだと思う。
それにしても、こうしてやられる側に回ってみると何処から撃たれるか分からない不安と恐怖よりは、待ち伏せる側の見つかるかもしれない不安のほうがまだましだとしみじみ思う。ただ、自分がそれを敵に与えていたのだと思えば、敵に背を見せなければならずとも有効な戦術なのだと分かる。
再び森に入った。先程の森より木々が多く、いかにも敵兵がいそうである。ここには適地が大量にあったはずだ。となると攻撃が無いと考える方がおかしいだろう。緊張と不安の中、進んでいく。手を汗が濡らし、心臓が早鐘を打つ。この状況下では普段以上にいつ何時頭を撃ち抜かれてもおかしくはない。何処に敵の銃口が光っているかと思うと気が気ではなかった。そして、その時は唐突に訪れた。
突如、後方から爆発音が聞こえてきた。すわ敵かと思い身構えると、前方から砲撃音、そして爆発音が聞こえてきた。
「敵襲!戦車第七連隊第一中隊右翼に敵歩兵二個分隊!戦車を含む!九七式改一両大破!」「歩兵第四〇五連隊第三中隊右翼にて爆発発生!倒木及び敵歩兵の攻撃に因り前進不能!敵規模不明!」無線が次々状況を伝える。どうやら二箇所同時に奇襲を受けたようだ。そして、敵は我々を二つに分断し、少数側――前方の、我々が含まれている側へ攻撃を集中させている。
「第二分隊は前方の敵部隊を右翼より攻撃せよ!」無線機から小隊長の命令が飛ぶ。それを受け直ぐに「総員下車!」と相模が叫んだ。扉が開かれ、兵士が飛び出していく。分隊は林道から森へ入り、敵右翼を目指して進む。
進んでいくと、炎上している数両の車両が見えた。幾ら三式中戦車があるとはいえその数は決して多くない。大部分は九七式か精々一式だろう。然し、こうも至近距離であれば正面装甲でもない限り対抗できる筈だ。寧ろ当たり所さえ良ければ正面貫通も不可能ではないのではないか。だが、先手を取られ主導権が向こうの手にある限りその様な下手を打つことは無いだろう。となれば、今迄の様に蹂躙される他ない。
やがて、一個分隊ほどの敵歩兵部隊を発見した。分隊はそれぞれ木の陰に隠れ様子を伺う。敵は林道にいる部隊への攻撃に気を取られ未だこちらに気付いた様子は無い。井野はそっと身を乗り出し、敵を狙う。だが、敵兵の一人が木の影に身を隠したとき、目が合ってしまった。敵兵の目が大きく見開かれ何事かを叫び、銃をこちらへ向けようとした。井野は恐怖を感じ、分隊長の攻撃開始命令と粗同時に引金を引いた。銃弾は眉間に命中、そのまま敵兵は倒れた。だが最期に敵兵が呼んだことと銃声がしたことでこちらの存在は敵の知るところとなった。一斉射を生き延びた兵からの反撃が始まる。
流石は自動小銃。こちらが一発撃つ間に二、三発は撃ち返してくる。ただ些かその照準は甘いように感じる。ここまで戦ってきて感じていたが、敵兵の錬度は然程高くないのではないか。少なくとも我々なら――所詮は口先だけでいざその場になるとどうなるのかは分からないという可能性もあるが――ここまでうろたえはしないだろう。
木を掠めていった銃弾を最後に井野を狙った弾は一旦飛んでこなくなった。間髪入れず井野は木の影から出、隠れようとしていた敵兵を撃つ。だが腕に当たっただけで致命傷にはならなかったようだ。次弾、といきたいが直ぐに大量の銃弾が飛んできてそうもいかなない。慌てて隠れた。
次弾を装填しつつ機を伺っていると、「敵戦車、砲をこちらへ指向中!」という叫び声が聞こえてきた。
今一番聞きたくない言葉だった。敵戦車を伺い見れば確かに砲塔をこちらへ旋回させていた。第二分隊には対戦車装備が無く、戦車相手に出来ることは逃げることぐらいだった。
「退避!」相模が命令を叫ぶ。敵兵は全滅したわけではなく、しかも敵戦車の機銃に狙われることになるがその場に留まっていたところで榴弾に焼かれるだけであったため、分隊は直ぐに走り出した。直線的にならないように、且つ遅くならないように走る。これぞ好機と敵が盛んに撃ってくるが反撃する余裕など無い。ただ自分に当たらないよう祈ることぐらいしかできなかった。
と、次の瞬間後ろから砲声が聞こえてきた。弾は分隊の左に着弾、一切損害を出さなかった。
「分隊!あそこに隠れるぞ!」分隊長が指差した先には戦闘でできたと思われる窪みがあった。あそこなら少なくとも榴弾の爆風から逃れることはできるだろう。
窪みに隠れる前に二名が銃弾を受け斃れた。だがそれを気にかける間は無い。
窪みに飛び込んだ。全員が入り終わるかといったところで二発目の榴弾が飛んできた。間一髪被害は出ずに済んだ。穴に入ってしまえば榴弾も然程の脅威ではない。ただ依然として銃弾の雨に頭が出せなかった。 それでも隙を見て撃ち返すが、ゆっくりと狙いを定める余裕など無く、命中しない。
然し、その雨は少しずつだが弱くなってきた。見れば敵部隊は徐々に後退していた。これを好機としたいがそうできる程被害や混乱は軽いものではなかった。相模分隊もこの戦闘で四名が戦死、二名が負傷し追撃できる状況にはなかった。戦死者の遺品を集め、車両へと戻る。
この戦闘で日本軍は九七式中戦車一両、同改二両、一式中戦車一両、一式半装軌装甲兵車三両及び歩兵約一個小隊二十九名を失った。
その後も幾度となく待ち伏せを受けた。始めの頃は少数に因る狙撃や地雷を用いた攻撃が多かったが途中から戦車を用いたりする等規模が大きくなった。日本軍が小規模の攻撃であれば、一部のみを割き全体は前進を継続する方針を徹底したため足止めとして効果を発揮せず、寧ろ待ち伏せた部隊がそれらとの戦闘で迅速な後退ができずにいたともいえる事態であったことに気付いた米軍の対抗策であった。規模を大きくした分米軍の損害も大きくなっていた。それは今の米軍にとって貴重な兵力であったが、それと引き換えに日本軍の侵攻を遅らせ、時間を得ることができた。これに因り米軍の増援は間近に迫った。
然し、激しい抵抗を受けてもじわり、じわりと日本軍は進撃を続け、遂に当初の目標である豊芖良窠村前面まで迫った。




