第十二話 蛙根陣地
・・・殿を残すのは悪いことじゃないだろうが、弱けりゃ置く意味も無い。
歩兵四〇五連隊井野伍長はそう思いつつ、未だ粘っている敵兵の一人に狙いを定め、撃つ。一発で敵は倒れた。最後の一両となったM三軽戦車へ後ろの三式中戦車が砲弾を放つ。弾は真正面から命中、直後に敵戦車は爆発し砲塔が吹き飛んだ。此を契機に、残っていた敵兵も後退する。後に残ったのはM三軽戦車の残骸と米兵の死体だけだった。
装備と残弾の確認をする。あと一回程は余裕で持ちそうだ。
「気を抜くな!直ぐ次が来るぞ!」と小隊長の香田中尉が発破をかける。今さっき迄戦闘していた敵はその編成から偵察隊であると判断され、正面隊のみで対処し来るべき本隊の攻撃までその他の部隊を秘匿するものとした。
蛙根陣地は北部、南部に分かれており、其中間に安由雲山がある。井野伍長らが配備されたのは南部陣地だ。陣地両脇には一式中戦車や九七式改、三式、九二式歩兵砲、更には歩兵隊を潜ませていた。正面隊は歩兵用に塹壕が掘られ、戦車隊は戦車掩体に隠れ砲塔だけを出していた――英語で言うところの「ダッグイン」である――。井野の所属する分隊が配備されたのは正面隊である。
安由雲山には南北それぞれを支援できる位置に十榴――九一式十糎榴弾砲。上陸時に砲撃を行った隊である――を配備してある。また、接敵十五分後に航空支援を行うこととした。
蛙根陣地の防衛戦術は、正面隊を餌に敵を誘き寄せ、野砲隊を使って敵に大なり小なり損害を与え――少なくとも混乱させ――側面隊で敵を挟撃、航空隊で止めを刺すという戦術である。
気を抜くなと言われてはいるものの、敵が来る迄は一先ず休むことができる。兵達は一時の休息を得た。糸を張りっぱなしではいずれ切れてしまう。井野も塹壕の壁にもたれ掛かりふう、と力を抜く。ここまで敵が間近になるまで耐え、一撃を与えては逃げ、を繰り返し続け、彼らは疲れていた。
十五分程経った頃、中隊長沢口大尉の元へ通信兵が駆け寄ってきた。「中隊長!インカラより入電!『コイキ見ユ』!」インカラは前方に配備した偵察隊、コイキは敵部隊を指す符号である。つまり、偵察隊が敵発見を報じてきたのだ。
「分かった。インカラに通達。『歓迎ス。待タレヨ。』。次いでクアイへ通達。『花持テ。』。」香田が命じた。直ぐに通信兵が両隊へ命令を伝える。そして「各隊!戦闘準備!」を命じる。小隊長、次いで分隊長と次々に復唱され命令が伝わっていく。
井野も気を引き締め、前方へ銃を向け構える。初弾を装填し周囲を注意深く見渡す。戦車の発動機が鳴らす音の他、聞こえてくるものは無い。動くものもまた無い。
と、少し経った頃、遠くから微かに味方の戦車とは違った機関音がしてきた。更に警戒を強める。遠くに小さく敵が見えてきた。徐々にその姿は大きくなっていく。と、その時安由雲山に発砲煙が多数見えた。直後、砲声が響く。十榴の砲撃である。次々と砲弾が着弾、敵を削っていく。しかし流石に二度目、しかも地雷無し――飛行隊を攻撃した隊は北部隊として北部陣地を攻撃していたため彼らはその実物を見たことは無いが――となると然程混乱しなかった。発砲煙に向けて撃ち返す車両さえ出てきた。無論当たる筈も無かったが、そのだけ平気な者もいるという証拠であった。だが、事実としてただその場にとどまっていれば撃たれるのを待っているだけになるのだが、どうするかの指示が直ぐに出なかったため、少し右往左往していたものの、それも直ぐに収まった。再び陣地へと進み始める。やがて砲撃も終わった。彼らは反撃を避けるため陣地転換を始める。尤も、同じ山の中ででしかできないが。
と、その時、通信兵が再び中隊長の下へ寄る。「司令部からです!『西風吹ク』!」「!・・・了解。」西風、つまり海軍航空隊が航空支援を行うことになったと司令部は言ってきた。ということは陸軍航空隊を支援できない状態にした「何か」が発生したということになる。然しそれは何かを知れる状況にはなかった。敵は目前に迫っている。
敵が砲撃を開始した。未だ命中弾は無いが、直ぐに出るだろう。然しこちらは未だ撃ち返さない。今撃ったところで全て弾かれ無駄になるどころか最悪敵を勢いづかせることになると分かっているからだ。徐々に近づいてくる敵が一定距離まで接近した瞬間、一斉射を浴びせた。だが悉く弾かれ、弾が集中した一両だけは当たりどころが悪かったのか動かなくなり、乗員が脱出し始めた。
どうやらそこが最適な位置であると判断したようだ。敵は停車し、兵員輸送車からは歩兵が下車、展開しようとしていた。然しその位置は丁度側面隊が攻撃するのに適した位置だった。沢口は無線機を手に取り、攻撃を命じようとしたが、その前に「こちらキムンカムイ!――右翼林内の隊――我敵部隊と遭遇、これと交戦中!」「何!?」沢口は直ぐにでも何があったのか知りたかったが、敵歩兵をこれ以上放っておくわけにもいかず、「総員、撃ち方始め!」と命じた。ほぼ同時に全員が発砲を開始する。井野も狙いを定め、引金を引く。素早く次弾を装填、発射。敵を倒していく。
まずいことになった。挟撃は左右両方から行ってこそ高威力を発揮するのに、よりにもよって三式が多くいる側が使えなくなるとは。
次々に米兵が斃れる。敵歩兵も負けじと撃ち返そうとしてくるが、重機や軽機に阻まれ隙を見て打ち返すのが精一杯で狙いが甘かった。
井野の横で砲撃音が幾つかした。八九式重擲弾筒の砲撃である。八九式擲弾は兵員輸送車を遮蔽物としていた敵部隊のど真ん中に着弾。一個分隊程が丸まま吹き飛んだ。それに追い討ちをかけるかのように輸送車にも着弾、廃材と化した。また、敵戦車に向けて撃ち込まれた弾は上部を貫通し、水平発射された五式穿甲榴弾は正面装甲を貫き、敵戦車を次々鉄塊に変えていった。
沢口は次いで「ホロケウ――左翼待伏せ隊――へ通達、攻撃開始。」と命じた。草叢に車体を隠していた九七式改や一式が一斉に攻撃を開始する。
一式四十七粍戦車砲とて側面装甲であれば十分に貫通できる。右翼隊も僅かではあるが本隊へ攻撃を始める。右翼からは無いに等しい程ではあるが、これで敵本隊への挟撃が成立した。
其後沢口は右翼隊へ「キムンカムイ、状況知らせ。」と送った。すると、「九時方向より敵歩兵三個小隊及び戦車五両接近せり。我これと交戦中。歩兵二個分隊及び一式二両、三式二両を失うも敵歩兵一個小隊、戦車四両を撃破せり。」と返してきた。敵の約半数を撃破したという報告が真実であることを示すかのように右翼隊からの攻撃は徐々に強まっていく。
「了解。」と言って通信を切り、再び戦闘へ戻る。
井野は出てきた敵兵を撃ち、隠れて再装填し再び撃つを繰り返し続けているが、敵はその数を一向に減らさない。左右からの挟撃で圧力は減ったが、無くなったわけではない。こちらとて無傷ではないのだ。じわじわと味方が削られていく。軽機が敵を薙ぎ払っても、擲弾筒が車両もろとも吹き飛ばしても、次々に新手が出てくる。何かあと一手、相手に打撃を与えられる一手が必要だ。今こそ三方向からの挟撃で優位に立っているが、戦闘が長引くといずれ数の優位を持つ向こうが優勢になる。そうさせないためにもあと一手を得る必要がある。
井野は槓桿を引き、挿弾子を使って次の五発を入れる。これで残り十五発。もう無駄弾は一発も撃てない。普段からそうではあるが。こうなる前に一旦持場を離れ弾を取りに行くべきなのだろうが、それすらできない程敵からの攻撃は熾烈だった。尤も、彼がこのような大規模戦闘は始めてであることも関係していただろうが。
香田は司令部へ「西風ハ何処ニアリヤ。」と送った。十五分はとうに過ぎている。航空支援が行われてもいい筈だ。いくら蛙根陣地が強固であったとしても圧倒的物量を誇る米軍相手に単独で対処可能であるとは誰も思っていない。空からの支援無しに勝つのは不可能である。
確かに海軍航空隊となったことで南部陣地からは少しだけ距離があるため多少遅くなるのは仕方が無い。だがいくらなんでもこれは遅すぎだった。
一方、米軍側にとってもこの状況は望ましくなかった。寧ろ自分達は劣勢なのだと米軍は思っていた。三方向から包囲されてなお優勢などとは考えられるはずもなく、後退しようにもその兆候を僅かでも見せたのなら、直ぐに左右の敵―というよりほぼ確実に右の敵―に退路を断たれる。そうなればいよいよ終わりだ。かといってこのままでは左右からの攻撃で戦車隊が壊滅、歩兵は身動きできないままに吹き飛ばされる。正面の敵は戦車こそ然程の脅威ではないが、歩兵の機銃とニー・モーター ――擲弾筒――がやっかいだ。あれのせいで歩兵は身動きできないまま吹き飛んでしまう。しかも、戦車に命中すれば十分撃破できるようなものだ。危険極まりない。その対抗策として左翼の林に別働隊を置いたのにまるでそれを見越していたかのように配置されていた敵部隊により阻まれ、しかも劣勢である。三方向の内一つを弱体化させられたとも捉えられるが、そうだとしても現状の劣勢は変わらない。
本来、こういった銃座に対抗し、歩兵部隊の盾となるべきは戦車隊である。しかし戦車隊は側面からの攻撃に対応しなければならずその役目を果たせていない。ならばと歩兵隊を左右の敵にぶつけようとすれば正面の敵により手も足も出なくなる。
蛙根陣地は戦車と歩兵双方にとって脅威となるものを同時投入、連携を断ったのだ。無論それだけは到底米軍にかなわない。敵上陸時に行った攻撃で重砲の大半が輸送艦と共に海中へ沈んだか海岸で鉄屑に変わり、空母の航空兵力は全て失われ、なけなしの基地航空隊は全て陸軍第一飛行場攻撃に使われ、間接攻撃の手段が無いからこその結果だった。とはいえ、数門の野砲は辛うじて生き残っており、既に後方で展開を済ませ座標指示を待つばかりの状態になっていた。しかし現場指揮官は敵が野砲に依る攻撃をしてきた時点で砲撃に因り位置が露呈し、反撃で貴重な砲兵火力が失われることを恐れ支援要請をしないことに決めた。この時点で、米軍の劣勢は七割程確定した。歩兵の迫撃砲もあるにはあったが、それを組み立てられるだけの安全は無かった。組み立てようとしても銃撃なりニーモーターなりでやられるだけだった。
漸く司令部から返答が来た。「既ニ吹ケリ。」とのことだ。然し未だ風は吹いていない。ならば既に出撃はしたということだろうか。
引金を引き、また井野は一人敵を倒す。弾倉が空になり、挿弾子で最後の五発を入れる。もう五発しか撃てない。つまり、この弾を撃ち尽くしたら残弾無しなのだ。一発一殺でさえ弾が不足する程までに敵は多かった。
重機の銃手を狙っている敵に照準を合わせ、撃つ。残り四発。次いで短機関銃を撃っている敵を狙い、撃つ。残り三発!
と、その時銃砲撃の音とは違う風切り音が聞こえてきた。敵の様子が少しおかしくなっている。音は次第に大きくなり、直後黒いものが敵部隊へ突っ込み、爆発した。塹壕から上空を見上げると上昇している海軍の銀河がいた。今まさに急降下しようとしている銀河や敵襲に備え上空で旋回している零戦がいた。海軍航空隊は、風は間に合ったのだ。
次々と銀河隊は急降下し爆弾を投下、敵戦車を鉄塊に変えていく。爆発に巻き込まれ敵兵が吹き飛び、兵員輸送車が横転する。
最早勝敗は決していた。三方向だったのが四方向に増え、しかもそれに対し反撃する手段は殆ど無い。元々少なかった対空車両は最初の数発で全て失われた。
米軍は勝機が無いことを悟り、後退していった。本来ならホロケウ隊の一部が敵後方へ回り込み退路を断つという計画であったが、流石にそれを行えるだけの余裕は無かった。というより、行うことも出来はするのだが、果たしてそれが戦果拡大になるのか。然程の戦果も得られず損害をいたずらに増やすだけに終わるだろう。そう判断され、行わないこととなった。
航空隊がとどめの一撃となり、日本軍は勝利した。北部陣地でも大方似たような経過であった。相違点を挙げるとすれば、距離の関係上若干航空隊の到着が早かったこと、そして米軍が飛行場攻撃を若干増強した程度でしかなかったためより損害が大きかったことぐらいである。
これまでの戦いで、米軍は上陸できた兵力の六割近くを失った。




