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甘い蜜に溺れる花は夜に染まる  作者: アル


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9話 消えた灯りに、願いを伏せて

十月七日。


作業台に置いたアレンジメントへ、最後の一本を挿した。


白いバラと、淡いベージュのカーネーション。

その間に、深い紫のトルコキキョウを重ねている。


黒い器の縁へ葉を流し、少し離れて眺めた。


今夜、CLUB NOCTURNEでは、琉生の誕生日を祝うイベントがある。

これは、そのために頼まれていた花だった。


注文を聞いたとき、琉生は色も花の種類も指定しなかった。


『みあが、俺に似合うと思う花にして。』


置く場所と大きさを尋ねても、答えたあとには、また同じことを言った。


『みあが選んでくれたら、それでいい。』


任せてもらえるのは嬉しい。

けれど、長く知っている人に贈る花ほど、かえって迷うこともある。


柔らかな髪の色。

笑ったときの目元。

黒い服を着て、夜の店に立っていた姿。


一つずつ思い浮かべながら、花を選んだ。


紫の花の向きを、ほんの少し直す。


今夜の灯りの中でも、この色が沈んでしまわないように。


リボンを結び終えたところで、勝手口を三度叩く音がした。


「開いてるよ。」


扉が開き、琉生が顔を見せた。


「みあ。」


「こんにちは。ちょうどできたところ。」


彼は私の手元へ目を向け、そのまま足を止めた。


「……これ?」


「うん。どうかな。」


器の横から手を引き、全体が見えるようにする。


琉生はすぐには答えなかった。

近づいて、白い花から紫の花へ、ゆっくり視線を移していく。


「気に入らなかったら、まだ直せるよ。」


「違う。」


顔を上げた彼の口元が、柔らかく緩んだ。


「すごく、好き。」


その言い方に、ほっとした。


「よかった。お店の照明だと、もう少し温かい色に見えると思う。」


「これも、俺に似合うと思って選んだの?」


長い指が、ベージュの花の手前で止まる。


「うん。琉生の髪に、少し似てるでしょう。」


彼は花を見たまま、自分の髪に触れた。


「紫は?」


「黒い服を着てるときの感じ。柔らかい色だけより、こういう色があったほうが似合うかなって。」


「……そっか。」


琉生の指が下りて、器に結んだリボンへ触れた。

形を崩さないよう、端をそっと撫でる。


「俺のこと、考えて作ってくれたんだ。」


「もちろん。今日は琉生のためのお花だから。」


そう答えると、彼はもう一度、花を見た。


何かを確かめ終えたような、静かな顔だった。


◇


「ご飯、食べられそう?」


尋ねると、琉生がこちらを向いた。


「うん。そのつもりで来た。」


「よかった。温めてくるから、座ってて。」


今日は少し早めに来てもらっていた。


夜は忙しくなるだろうから、その前に、ここで食事をしていってほしかった。

二階で作っておいた煮込みハンバーグを温め、小さなサラダと一緒に運ぶ。


奥のテーブルには、もう二人分の箸が並んでいた。

琉生が棚から出したグラスへ、水を注いでいる。


「誕生日なのに、やってもらっちゃった。」


「これくらい、いいでしょ。」


皿を置くと、彼が私の椅子を引いた。


向かい合って座り、手を合わせる。

琉生が最初のひと口を食べるまで、つい見てしまった。


「どう?」


「おいしい。」


「本当?」


「うん。みあも食べて。」


そう言われて、ようやく自分の箸を取った。


売り場のほうから、空調の低い音が聞こえる。

開け放した奥の出入口越しに、完成した花の一部が見えていた。


「もう、二十五歳なんだね。」


口にすると、琉生が少し笑った。


「そんなに意外?」


「意外じゃないけど。毎年、早いなって思うの。」


このテーブルで、両足を揃えて座っていた小さな姿を覚えている。

食べ終わっても帰りたがらず、私が席を立つと、そのあとをついてきた。


今は長い脚を折り曲げ、私のグラスが空けば、何も言わず水を足してくれる。


先日、まとまらない話を最後まで聞いてくれたのも、この人だった。


「この前も、ありがとうね。」


「何が?」


「お店の話。いっぱい聞いてもらったでしょう。」


「ああ。」


琉生は箸を置いた。


「また話していいよ。」


簡単なことのように言うから、胸の奥が少し緩む。


「うん。」


今日は、ちゃんとお祝いをしたかった。

いつものお礼だけではなくて。


大切な人が、また一つ歳を重ねたことを。


◇


食後に皿を下げ、小さなケーキの箱を出すと、琉生が目を細めた。


「それも?」


「二人で食べきれるくらいのにしたの。まだ入る?」


「入る。」


白いクリームの上に、苺がいくつか並んでいる。

細いろうそくを一本立て、火をつけた。


窓から入る午後の光の中で、小さな炎が揺れる。


「琉生。二十五歳、おめでとう。」


彼はケーキを見て、それから私を見た。


「ありがとう、みあ。」


挿絵(By みてみん)


なかなか吹き消さないので、首を傾げる。


「どうしたの?」


「……ううん。」


琉生が顔を近づける。


短い息で火が消え、芯から細い煙が上がった。

甘い匂いに、蝋の匂いがほんの少し混じる。


皿へ切り分けながら、私はずっと聞こうと思っていたことを口にした。


「プレゼント、何か欲しいものある?」


「もらったよ。」


琉生は、出入口の向こうへ目を向けた。


「あれはお店からの注文でしょう。ご飯とケーキだけじゃなくて、私からも何か贈りたくて。」


「十分だけど。」


「でも、せっかくの誕生日だから。」


仕事で使うものは、私が選ぶより、本人に聞いたほうがいい。

服も小物も、今の琉生にはきっと好みがある。


そう思って尋ねたのに、彼はしばらく黙っていた。


フォークへ伸ばしかけた手を戻し、私を見る。


「じゃあ、一つだけ。」


「うん。」


「十一月十二日。」


聞き覚えのある日付に、手が止まった。


「その日の夜、俺と一緒にいて。」


琉生の顔を見る。


「……私の誕生日?」


「うん。」


「琉生のプレゼントの話だよ?」


「分かってる。」


冗談を言っている顔ではなかった。

だから余計に、どう受け取ればいいのか迷った。


「どこか行きたいところがあるの?」


「それは、これから決めたい。」


「お仕事は?」


「その日は休む。」


ためらいのない返事だった。


「だから、夜は空けておいて。」


私の誕生日を祝ってくれるつもりなのだろうか。

それでは結局、私が何かしてもらうことになる。


「本当に、それでいいの?」


琉生は小さく頷いた。


「それがいい。」


静かな声だった。


彼が欲しいと言ったものを、私のほうで違うものに替えるのもおかしな気がした。


「分かった。お店を閉めてからでよければ。」


「うん。」


そこで初めて、琉生の肩から少し力が抜けた。


「ほかの約束、入れないでね。」


「入れないよ。今、書いておく。」


棚から予定帳を取り、十一月のページを開く。


十二日の欄には、まだ何もなかった。

夜、琉生、と書き入れる。


彼は向かい側から、そのペン先を見ていた。


「これで大丈夫。」


予定帳を見せると、琉生が笑った。


「忘れないでね。」


「忘れないよ。」


そんなに念を押さなくてもいいのに。


そう思いながら、私も笑って、ケーキの皿を彼の前へ寄せた。


◇


食べ終わる頃には、花を届ける時間が近づいていた。


カップを片づけ、店先に配達中の札を掛ける。

戻る時刻を書いている間に、琉生が荷物をまとめてくれた。


アレンジメントを運ぶ前に、もう一度、花の間を確かめる。


「今日は、お花もたくさん届くんでしょうね。」


「たぶんね。」


「置く場所、大丈夫かな。」


ほかの花を隠してしまわないように、高さは抑えてある。

それでも、実際に並べたら調整が必要かもしれない。


琉生は器の底へ手を入れながら言った。


「これは、俺から見えるところに置いてもらう。」


「入口じゃなくて?」


「うん。中に。」


持ち上げられた花が、彼の胸元で小さく揺れた。


「見えたら、みあのこと思い出せるから。」


私はリボンの端を器の内側へ収めた。


「お仕事中に?」


「忙しいときでも、花は見えるでしょ。」


琉生の視線が、花越しに私へ向く。


「みあが俺のこと考えて、選んでくれたって。」


そこまで喜んでもらえるとは思っていなかった。


注文として作った花だけれど、お祝いの気持ちも、確かに込めた。

それが伝わったのなら嬉しい。


「じゃあ、ちゃんときれいに見える場所に飾らないとね。」


「うん。」


琉生は花へ目を落とした。


「ずっと見ていられるところがいい。」


◇


車に花を積み、器の周りを固定する。


琉生は私が確かめ終えるまで、片側を支えていてくれた。

手を離す前に、白い花びらに触れそうになった葉を、そっと避ける。


「帰り、これも持って帰っていい?」


「お店から?」


「イベントが終わったら。」


「うん。お店の方がよければ。水を足して、涼しいところに置いてね。」


「分かった。」


「まだ何日か楽しめると思うから。」


荷室を閉めると、彼は満足そうに頷いた。


助手席へ向かう背中を見送り、私も運転席に乗り込む。


今夜は、たくさんの人が琉生を祝ってくれる。

あの花も、その賑やかな時間の中に置かれるのだろう。


シートベルトを引くと、隣で琉生が言った。


「今日は、ありがとう。」


「どういたしまして。今夜、いい日になるといいね。」


「うん。」


膝の上に置いていた鞄を、後ろの席へ移す。

中には伝票と、さっき閉じた予定帳が入っていた。


十一月十二日。


自分の誕生日の予定が、こんなに早く決まったのは久しぶりだった。


エンジンをかける前に隣を見ると、琉生はまだこちらを向いていた。


「何か忘れた?」


「ううん。何も。」


そう言って、彼は笑った。


後ろの花が崩れないよう、ゆっくりと車を出す。


秋の日差しが差し込んで、琉生の髪を淡く照らした。

私が選んだ花と、よく似た色だった。


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