第5話 暑くなってきたら、離れていいからね?
旅立ちを前に重ねた体温
少女の胸に灯火が戻る
「あたしが《エッグ》に寄生された遺構は——ここ。"沈黙の森"の東端にある神殿跡よ。去年のことだけどね……今回はそこを再調査したいの」
マサキはセイリアとテーブルに並んで座り、地図を一緒に眺めている。
台所からやってきたエルミラが、皿を並べ始めた。
「さあ、二人とも地図を片付けて、食事にしましょう」
世界で名を知られる大賢者が、ここではただの母親をしている。
マサキには、その落差がなんだか不思議で、少し可笑しかった。
「思ったより近所なんだな。どうして近いのにさっさと調べなかったんだ?」
「以前はプロスタの町の管轄だったんだけどね。私たちが探索失敗したせいで、危険区域案件になって……グラントの町の冒険者ギルドに管轄が移ったのよ。それに、一緒に行ってくれる人が、いなかったし」
「セイリア……ダメよ。何度も言うけれど、あの遺構には二度と近づいてはいけないわ」
エルミラが珍しく厳しく注意した。
「どうして?」
「今は《ゲルギア》で何とかなっているけど、この次、あなたの身に何が起こるか予測できないからよ」
「ママはいつもそう。危険だからって言うだけ。私の体に何が起きているのかすら、教えてくれない」
少し険悪なムードに、マサキは少し慌てて話題を逸らした。
「当時の仲間は解散したのか?」
セイリアはふと、寂しげな笑顔を向けた。
「足手まといになるから、あたしから抜けたの……」
「とりあえず、一旦グラントの町へ寄ろう。遺構に入るかどうかは別として。一年も経つのに、そもそも情報が無さすぎる……あと俺も依頼終了の報告がまだだった」
「期限はいつまでなの?」
「まだ五日はあるはずだ」
「じゃあ明日、森を抜けて一緒にグラントへ向かいましょう。二日もあれば到着するから問題ないわ」
「ありがとう。一緒に行ってくれるんだな」
「だって、マサキ……グラントの町へ着く前に、また森で迷子になっちゃうからね」
「うっせえ」
セイリアが鈴を転がすように笑った。
マサキはそそくさと地図を片付ける。
そこへエルミラがパンとスープを用意した。
レンズ豆とそら豆、にんじんを使ったスープ。
しかし昨夜のスープとは異なり、野菜が増えている。
それに貴重な香辛料を使っているのだろう……黄茶色をしたスープと独特の香りが、豆の土臭さを消している。
「ママ、すごい!ご馳走じゃない。ターメリックの香りがするわ」
エルミラなりに、娘の相棒として歓迎してくれてるのかもしれない。
マサキはそう理解した。
夜もふけ、セイリアは奥の寝室に入る。
寝室には両親用のダブルベッドと自分用のシングルベッドがある。
昨夜、マサキにはシングルを使ってもらった。
当然、今夜もそうなると思っていた。
エルミラがシングルベッドに潜り込むまでは……
「ちょいママ!?なんでそっち!?」
エルミラが眠たそうに答えた。
「明日から旅に出るなら、魔石は節約しなさい。マサキさんと肌を密着させて、魔力を補給しながら寝るのが一番効率的でしょ?」
まるで料理の手順を説明するような声だった。
マサキは寝室の入口で無表情のまま固まっている。
「そんなこと強要して、マサキが嫌になったら、どうすんのよ?せっかく遺構調査に付き合ってくれるって言ってるのに!」
「あら、マサキさんほどの冒険者なら、効率の良し悪しくらいわかってくださいますよね?」
話を振られて、ようやくマサキに表情が戻った。
「わ、わかりますけど……年頃の娘さんが嫌がるような真似は、さすがにできませんよ」
エルミラは少し面倒くさそうに体を起こした。
「二人とも……冒険者の先輩として言いますけど、冬山で暖を取るとき、砂漠で涼を取るときは下着を取って肌を密着させるのよ?」
マサキとセイリアは顔が熱くなっていく。
「あの〜……ママ?ここは冬山でも砂漠でもないんだけど」
「別に裸で抱き合って寝ろと言ってるわけではないのだし、斥候が魔石みたいな重い石の塊を、いくつ持って歩くつもり?」
「う……それは、そうなんだけど……」
困った顔でセイリアがマサキに助けを求めるような視線を送った。
マサキは頭をかいた。
「別に男に頼んで添い寝してもらうのは慣れてんだろ?」
マサキも少し照れたような表情になっている。
昨夜のエルミラの発言のせいで、マサキも意識してしまう。
「そりゃ、あたしはどうってことないけど……マサキが嫌なら、魔石でも良いのよ?」
セイリアが変に気を使っているのが、なんだか可笑しかった。
マサキはセイリアの方を向くと質問する。
「《ゲルギア》の魔力一日分補うのに、魔石がいくつ必要なんだよ?」
「一個……上質なものなら一個で二日」
「今、いくつあるんだよ?」
「八個」
「……魔石だけだとグラントの町との往復だけで無くなるぜ。嫌がってる場合かよ?」
「別に嫌がってるわけではないんだけど……わかったわよ……何かしたらぶっ飛ばすからね?」
「へいへい」
マサキはため息を吐くと、上半身裸になり、そのままセイリアの隣へ潜り込んだ。
セイリアが体を押しつけてくる。
肩甲骨あたりの柔らかい感触に意識が集中してしまい、変に緊張する。
「リ・プレニシ・マギカズ・フォルス・ト……ゲルギア」
一瞬、背中が温かくなった。
マサキから流れ込む魔力に反応して、セイリアの胸に埋め込まれたブローチが仄かに光る。
それを見届けると、エルミラも横になった。
「マサキ……」
「なんだ?」
「暑くなってきたら、離れていいからね?」
「……ああ」
セイリアの胸に嵌め込まれた暗赤色の宝石が、少しずつ赤みを取り戻していく。
その微かな光を愛おしそうに見つめると、セイリアは少し微笑んだ。
「マサキ、起きて!朝よ!」
毛布を跳ね上げられ、マサキは体を起こした。
「ん〜?……セイリア?……まだ外は真っ暗なんだけど……」
「もう一番鶏が鳴いたわよ」
「せめて三番鶏で起こしてくれ」
毛布をマサキは被り直す。
セイリアが再び毛布を跳ね上げた。
「ダメよ……今から支度して、プロスタの町で装備整えるの」
マサキが毛布を掴んで取り戻そうとし、セイリアも阻止せんと毛布を引っ張る。
「そ・ん・な・に!早く出ても遺構は逃げねえよ……」
「に・げ・る・の・よ!《ゲルギア》の貴重な魔力が!」
「お前、人の睡眠より魔力の方が大事なのかよ」
「当たり前でしょ!一年ぶりの冒険なのよ?」
「《睡眠》」
魔法の詠唱とともに、セイリアが事切れたようにマサキの上に倒れ込むと、静かに寝息を立て始めた。
マサキは冷や汗をかきながら、そっと横を向いた。
魔法の杖を構えたエルミラが立っていた。
「……二人とも……日の出までは静かにね?」
エルミラはニッコリ笑うと、魔法の杖を傍らに置き、再びベッドに潜り込んだ。
「……はい……」
魔法で眠りこけるセイリアの顔を眺めながら、安請け合いを少し後悔したマサキだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。林忍です。
第5話では、セイリアが再び冒険へ踏み出すことを決意しました。
そしてマサキとの距離も、少しずつ近づいています。
……まあ、本人たちはまだまだ自覚していませんが(笑)。
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次回予告
失った旅路を、もう一度歩き出す
その隣には、いつしか旅人がいた
第6話 楽しそうだな
2026年9月18日(金)午前8時 更新予定
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設定資料紹介
冒険者
魔物の討伐や護衛、遺跡探索、採取などを請け負う者たち。
戦時には傭兵となる者もいる。
国や領主に仕える騎士とは異なり、依頼を受けて活動する、危険だが束縛の少ない職業である。
それゆえ社会的最下層の者が多く、荒くれ者や曲者も少なくない。
冒険者同士でパーティーを組んで活動する者も多い。




